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日本は戦後70年近く経とうとしていますが、なぜその近年の戦争しか反省しないのですか?

例えば、私が小学校の時は地域のお年寄りから戦時中の話を聞いて、戦争の記憶を語り継いで風化させないようにしてましたし、広島の平和記念公園の石碑にも「過ちは繰り返しません」と書いてありました。また、ドイツのアウシュビッツ収容所での虐殺も、どれほど悲惨だったかという書籍が多く出版されてますよね。

戦争を風化させないのは、平和の大切さを実感するのに大切だと思うのですが、ではなぜ私たちは最近の戦争しか反省しないのでしょうか?

昔の、たとえば日清戦争・日露戦争もそうですし、戊辰戦争とか、たくさん人が犠牲になった戦争はたくさんありますよね。しかし歴史の授業等ではそれをただの事実として扱っているような気がします。「歴史を学ぶのは同じ間違いを繰り返さないため」と言われても納得できません。
戦争があったのはもちろん日本だけでなく中国の国がおこるときも必ず戦争はありますし・・・ 正直近代より昔の方が戦争は頻発してると思います。

戦争の反省をするときになぜ昔の戦争は取り上げないのですか?なぜ太平洋戦争など最近のことしか話をしないのですか?
また、当時の人、たとえば江戸時代の人が戦国時代の戦の反省をすることはあったのでしょうか?

支離滅裂な文章ですみません。
回答よろしくおねがいします。

A 回答 (10件)

基本的にはみなさんの回答のとおりだと思います。


  歴史の授業で反省という主観を付け加えるのはどうでしょうか?
 中国や韓国の反日教育が反面教師です。
 起こった出来事を正確に伝えるべきで、それをどう受け取るかは個人の主体性に任せるべきでは?

  一つ付け加えると、
 日露戦争は祖国防衛戦争。
 もし負けたら、日本はロシアの植民地です。
  豆粒のような小さな国が祖国の存亡をかけて大国ロシアに立ち向かったのです。
   (大河ドラマは見てないですが^^;)
  反省の対象とするのは不適当ではないでしょうか。
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 戦争の性格が変わったからです。



 第1次世界大戦まで、戦争は戦場で正規軍が戦うものでした。戦場になった地域の住民が巻き添えになるのは当然ですが、これは一時的偶発的な出来事に過ぎません。

 第1次大戦は、戦場の範囲も、戦闘の継続時間も従来の戦争とは比較になりませんが、それでも大都市など人口の密集地域が戦場になることはまれでした。

 第2次大戦は、しばしば総力戦とも、最後の戦争とも言われます。まず、国家のもつ総資源が戦争目的のために動員されます。女性や子供も例外ではありません。女性は工場で、子どもたちは疎開というかたちで戦争に協力しました。

 また、戦場は国内に広がりました。戦場から離れていると考えられてきたロンドンや東京も爆撃で大きな被害を受けました。

 さらに、最終兵器といわれる原子爆弾が登場しました。1発で都市が丸ごと破壊され、武器を持たない市民10万人が犠牲になりました。

 私たちが教訓として学ぶのは、最近の戦争ではなく、いわば世界最終戦争のモデルとしての第2次世界大戦です。反省という言葉は誤解や言いがかりのもとになるので避けた方が賢いと思いますが、第3次世界大戦をいかに食い止めるかが問われているのだと思います。もちろん、戦争に勝った国でも、同じようなうごきがあります。
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反省という言葉自体が自分のしたことに対して使う物です。


太平洋戦争などはいまだ当事者がいますからまだ反省はできるけど、戦国時代などの戦いに対して反省する事は出来ないです。
そこから学ぶと言うならできますけど…反省は当事者にしか出来ません。
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第一次世界大戦がターニングポイントになります。



非常におおざっぱですが、
第一次大戦以前は、戦争で大して人が死ななかったのです。

第一次大戦より昔は、
1,武器が大した事無い。弓矢から鉄砲になっても、連射ができないし、大砲の弾も爆発しない。
2,愛国心も近代組織も無ければ、兵隊は、ピンチになったらすぐ逃げる。
3,武士とか傭兵とか、一部の男しか戦わない。
4,逃げた兵隊を死んだことにして、節税。「この村の男は戦死して米を作れません。」などと。
5,武器や食料の生産力も小さく、長期の大軍の激戦は不可能。長期の戦争は休憩だらけ。
あまり死なないから、平和主義の考えが弱かったのです。
さらに古い封建社会では、何人殺したかを自慢する風潮すらあったわけです。

しかし、第一次大戦は、
1,機関銃と大砲で殺しまくり。殺傷力大幅アップ。
2,愛国心が高くて近代組織の軍は、なかなか逃げない。
3,愛国心と近代組織で大軍を編成。
4,生産力が増大していて、長期間、大軍が激戦。

第一次大戦後、あまりの死傷者の多さに、
英米仏の戦勝国さえ、戦争反対の平和主義が高まり、
国際連盟の結成や、軍縮条約などが結ばれていきます。
さらに、生命を大切にする人権思想も広まります。

まとめると、
昔は、戦争しても大して死なず、平和主義も人権思想も無いに等しかった。しかし、第一次大戦以降は、あまりの多くの戦死者数により、平和主義や人権思想が高まり、戦勝国ですら戦争を嫌がるようになった。
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まず、人は勝った戦争は反省しません。


勝てば、それは正しい戦争になるからです。

負けた場合は、なぜ負けたかを反省するだけです。
戦争そのものを反省しているのは、日本ぐらいな
ものです。
それは、米国や左側の作為に基づく洗脳みたいな
ものの影響です。
これをウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム
(War Guilt Information Program)といい
あれは、日本が悪い戦争をしたのだ、だから原爆は
正しかったのだ、と終わる洗脳プログラムです。

ずるい、いや賢いドイツは、あれはナチが勝手にやった
ことで、ドイツ国家国民には関係の無いことだった、と
上手に逃げました。


”戦争の反省をするときになぜ昔の戦争は取り上げないのですか?
 なぜ太平洋戦争など最近のことしか話をしないのですか?”
    ↑
大東亜戦争は負けたから、反省させられたのです。
日清日露戦争は勝ったので、栄光の歴史になりました。
栄光の歴史を反省する人はいません。


”当時の人、たとえば江戸時代の人が戦国時代の戦の反省をすることはあったのでしょうか”
    ↑
戦争に対する評価は時代とともに変わっています。
戦争は悪いことだ、とするのは最近のことです。

当初は、戦争は正義の戦いでした。
正義と正義がぶつかるのが戦争でした。
十字軍などはその典型です。

時代が経ち、戦争は外交の延長に過ぎず、戦争に
善悪は無い、と評価されるようになりました。
大東亜戦争時代がこの評価でした。

そして、現在においては、戦争は原則悪である。
ただ、自衛戦争だけが許される、という評価に
なっております。

このように、戦争に対する評価は時代とともに
変化していくのです。
現代の価値観で過去の戦争を批判するのは問題です。


”戦争を風化させないのは、平和の大切さを実感するのに大切だと思うのですが、
 ではなぜ私たちは最近の戦争しか反省しないのでしょうか?”
    ↑
おそらくですが、戦争は人類の発達に有益だ、という
認識が、少なくとも指導者層の間にあるのではないですか。

原始以来、人は常に競い合い、凌ぎ合い、いのちを賭けて戦った。
その闘争本能と生存本能のせめぎあいの中で、人は知能を磨き
力を養い、心と体を鍛え、
一面で道徳律を築き上げた。
その結果、文明が築かれ
文化が創られた。

西欧が世界を席巻できたのは、西欧間で戦争を繰り返し
戦争技術、文化文明が発達したためでしょう。
そのお陰で、西欧人の子孫は悠々自適の生活を送って
いるのです。
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1:>日本は戦後70年近く経とうとしていますが、なぜその近年の戦争しか反省しないのですか?



反省していないという根拠と、どのような事を反省しなければならないのかを明確に提示してください。
質問をするなら主旨を明確にして下さい。


回答1:質問者様の思っているような(戦争と言う悪いことをしたという)反省の必要はありません。(理由は後述)
必要なのは、過去の戦争から「不要な戦争」を避ける知恵&(どうせやるなら)勝つ方法を得る研究ですが、それは行われていると思います。


>しかし歴史の授業等ではそれをただの事実として扱っているような気がします。

それが悪いとは思いません。
歴史はまず事実を正確に知ることが必要です。
学校以外の知識を得る機会の少ない子供の教育の場で、教師個人や特定の組織(国家含む)の都合による解釈を植え込むのは、良いこととは思えません。
事実を知って、それからどのように考えるかは個人の思想の問題であり、他者が介入するべきではありません。


無知な人は、戦争=悪→反省するべき と思い込みますが、
戦争とは、国際法で認められている交戦権の行使であり、相手国に自国の要求を武力で承認させる行為です。
これは外交とは手段が異なりますが、同じ国益を追求する為の行為であり、政治の一手段に過ぎません。

権利である以上、犯罪ではなく責任も発生せず、当然(質問者様の考える)反省の必要などありません。

私は、明治以降の日本の戦争は、正当な理由(国防・侵略への対抗)によるものだと思っていますが、最後に負けたことに対する考察や分析は確かに必要だと思います。
しかし質問者様の考えている謝罪や懺悔の意味での反省は不要どころか、害(自虐史観)にしかならないと思います。
(この件は、質問から外れるのでここで聞かれても答えません。知りたいなら別の質問を立ててください。)


>例えば、私が小学校の時は地域のお年寄りから戦時中の話を聞いて、戦争の記憶を語り継いで風化させないようにしてましたし、

↑は、よくいる、「戦場」と「戦時下の生活」のみの知識で、戦争を知ったつもりになって、感情的に日本を貶めることで自分が ごりっぱな人間 だと思っている方 の思考です。
私は個人の経験や知識を否定するつもりはありませんが、当時を生きた人が、当時の世界の事をすべて知っているわけではありません。

質問者様の感情(思考とは思いません)は、戦争が起る原因としての「政治」や「歴史」の視点が全く欠けています。
そういう↓の動画程度の知識もない人達ほど、反戦平和や、何が何でも原発反対や、憲法があるから基地は不要とか叫んで、良識人を気取っています。



>広島の平和記念公園の石碑にも「過ちは繰り返しません」と書いてありました。

その「過ち」とは何でしょうか。
アメリカが原爆を使用したのが過ちだとするなら、「広島」にその石碑を建てる必要があるのでしょうか。
「原爆を落されるような悪事を行った事が過ち」だとしたら、これほど卑屈な考えもないと思います。


>また、ドイツのアウシュビッツ収容所での虐殺も、どれほど悲惨だったかという書籍が多く出版されてますよね。

誤った知識からは正しい論理は生まれてきません。
ホロコーストを裁いたニュルンベルグ裁判は、東京裁判同様に敗戦国を絶対悪とし、連合軍を正義の解放者として、敗戦国の国民に刷り込み、自虐史観を与え支配する為のものなので、まともな審理は行われていません。

ナチスドイツはユダヤ人を迫害したのは事実ですが、計画的な民族の抹殺(ホロコースト)を行ったという証拠はありません。
実は、ホロコースト未だに証拠(ガスで殺された死体)が発見されていません。

その為に、連合国は↓の証言(ですらありませんが)で判決を下しています。

SS将校ヘットルが、アイヒマンから、「400万のユダヤ人が収容所で殺され、200万人が銃殺によって殺された」 ということを聞いたと証言している。

↑の証言ですが、当人の証言ではない伝聞情報であり、証拠能力はありません。(しかも、後にアイヒマン自身は否定しています。)

このように、証拠も不確かなホロコーストが事実としてされた理由は↓によるものです。

1:アメリカはユダヤ資本から戦費を出させた代償に、戦争後イスラエルを建国させるという密約をしていた。
それを世界に認めさせる為に、ユダヤ人はかわいそうな人達という立場を作りたかった。
2:東京裁判同様に全ての責任をドイツに押し付け自虐史観によって、戦後も有利な立場に立ちたかった。

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研究も何も、古来より飢えた軍隊が勝った試しがありません。


敗戦の主な理由が補給の停止です。

太平洋戦争も、開戦時から石油が止められていました。

戦争はそれだけではありませんが、補給を経つのが戦略です。

将棋ですら歩のない将棋は負け将棋といわれるぐらいですから。
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中国人が何億人いるか知りませんけど戦争を反省していますか。


日本人がその戦争を反省している民度だからでしょう。
征露丸なんて商品がヒット商品だったのはどこの国ですか。
日本人は絶滅したんだから無理もないか。分裂思考者に伝統を語る資格はないね。韓民族みたいだな。
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おそらくですが外敵に攻撃されたのは元寇と太平洋戦争だけだったからかなと。


後は言ってしまえば日本人同士の「内乱」とも言えます。
そして日本の内乱とは「権力闘争」がきっかけというのがほとんどです。
権力闘争を否定してしまうと記号や団体、政府も今でもやってることなので否定のしようがない、というのが現状ではないでしょうか。

そして日本人とはミーハーで人のうわさは75日という民族です。
平和な江戸時代になったら過酷だった戦国時代など忘れて平和を楽しもう! となったんじゃないでしょうかね。
今でも大事件などは数日でだいたい話題から消えますし、次々新しい話題に塗りつぶされていきます。
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単純な話です。

まあ、戦略では負けに等しいのですが、戦術面では負けなかったからです。
先の大戦は戦略が破綻していたためにやる前から敗戦確定でした。負ける戦争をやって
自国民の命を無制限に散らせる愚かさを学ばなければいけません。

これは今後の日本においても言える事ですから。
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