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・1930年(昭和5年)の頃、日本には大学がいくつあったのでしょう。
また、その頃の就職率はどのくらいだったのでしょうか。
教えてください。よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

昭和5年の大学の数(出典:「日本近現代史事典」(東洋経済新報社)付録50文部省管轄高等教育機関一覧)



帝国大学:東京・京都・東北・九州・北海道・(京城・台北)【5(7)】

官立単科大学:新潟医科・岡山医科・千葉医科・金沢医科・長崎医科・熊本医科・東京工業・大阪工業・東京商科・神戸商科・東京文理科・広島文理科【12】

公立大学:大阪医科・京都府立医科・大阪商科【3】

私立大学:慶應義塾・早稲田・明治・法政・中央・日本・国学院・同志社・東京慈恵会医科・龍谷・大谷・専修・立教・立命館・関西・拓殖・立正・駒沢・東京農業・日本医科・高野山・大正・東洋・上智【24】

以上44校(京城帝国大学・台北帝国大学も入れれば46校)です。

大学卒業生の就職難を扱った喜劇映画「大学は出たけれど」(小津安二郎監督)が公開されたのがこの前年、世界大恐慌が起きた昭和4年(1929年)なので、昭和5年の就職率は推して知るべしでしょう。

ちょっと検索して見たところ50パーセントから30パーセント程度のようでした。(もちろん大学や学部により差はあるでしょうが)しかも4→5→6年と低下しているようです。またこの時代は、中学校・専門学校・大学卒の給料の格差が大きかったので、不況になれば、高給の高学歴者ほど就職難になる傾向があったと言われています。

詳しいことは、全体状況は文部省の統計資料、個別の大学や学部の状況はその大学の資料や当時の卒業生が書いたものにあたる必要があると思います。
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この回答へのお礼

・お礼が遅くなってしまいました。お詫び申し上げます。
大変参考になりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2013/08/12 21:19

大学の数がいくらかは知りませんが、今と学制がまったく違いますから、比較することに意味はありません。



大学は出たけれど、と言う時代があることはあTりましたが、ほぼ就職率は100%でした。
と言うより、高校+大学がセットでした。

高校に入ることが難関で、高校に入学できれば、ほぼ大学には入学できました。
従って、高校では、大学受験向けの特殊教育が中心ではなく、人生とは、等々、いわゆるリベラルアーツと言われる基礎的な学問が中心であり、学生は鍛えられ、成長していきました。
それらを基礎にして大学での専門分野での勉強の実が挙がったものと考えています。
いまどきの、高校全入制などは唾棄すべき悪制と私は考えます。

現在の大学の一般教養制度は旧制高校のリベラルアーツ部分を取り入れたものですが、成果は上がってないでしょう。

昔の大学生は社会をリードするエリートを要請する場所で、世間もそういう評価をしていました。
旧制官立大学はそういう視点で高級官僚を排出する機関だったのです。
特に東京大学はそうですし、京都大学も東京大学ほどではありませんが、高級官僚の供給元でした。
そういう教育を受けて来た人々ですから、民間に出て行った人でも、企業をリードする立場で仕事をして、そういう評価を受けて来ました。

今の大学と一言では比較できません。
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この回答へのお礼

・ご高説を賜り御礼申し上げます。
首肯するところ多々ありますが、ではどうすればいいのか併せお聞かせいただければ考えが深まったように感じられ残念に思います。
お礼が遅くなりました。ご容赦の程。

お礼日時:2013/08/12 21:46

大学は学問と研究の場です。

就職予備校ではありません。

この回答への補足

*・・・と、あなたの願望(としてなら理解できます)を披瀝なさったのでしょうが、願望でなくご回答をお願いします。

補足日時:2013/08/12 22:02
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