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オスマン帝国のイェニチェリはどうしてキリスト教の子弟を改宗させて徴兵する必要があったのでしょうか。
わざわざトルコ内のムスリム達を避けてまで彼らを選んだ理由を教えていただきたいです。

A 回答 (2件)

二つ理由があるかと思います



1 宗教は社会集団
2 ムスリム領主は潜在的には皇帝のライバル
3 兵種の変容

2番から。
理解の補助線として江戸時代を考えてみる。
外様大名とか親藩、譜代とか御三家とかありましたが、外様大名は潜在的には敵です。また御三家や親藩も将軍個人の立場で考えると、敵です。
※ 歴史小説で、徳川忠長(家光の弟)の陰謀とか、徳川頼宣の陰謀(由井正雪の黒幕と疑われた事実もあります)とかあるように、近しい親族ほど危険な存在です。実際にオスマン帝国の皇帝継承では、兄弟での殺し合いがよくありました。
家光にとってもっとも信頼が置ける部下は、子供の頃から育て上げられた小姓出身者である松平信綱などです。
このへんの江戸時代の体制づくりのオスマン帝国版がイェニチェリと言えます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%A7% …
「トルコ系軽騎兵の軍事力に頼らない君主の直属兵力として創設された。」以上引用
なので、皇帝は直属の兵力を必要としていました。
では、なぜその直属兵が、騎兵ではなく歩兵でありそしてムスリムでなくキリスト教徒だったのか?

3 兵器の変容
14世紀後半からイェニチェリが始まります
http://en.wikipedia.org/wiki/Military_Revolution
ちょうど世界史的に軍事革命が進み、歩兵の重要性が拡がりました。
first an “infantry revolution” in the 14th century, < 以上引用
日本で言えば、南北朝時代くらいから「足軽」が兵種として拡がり、集団戦に移行していきます。


オスマン皇帝の取ってみれば、新しい兵種である歩兵を潜在的に敵である独立心の強い軽騎兵の集団から採用するより、皇帝の言うことをよく聞く集団から採用したほうが、「安心・安全」となります。
そして、キリスト教からムスリムに改宗するということは、それまでの社会集団から切り離すことになります。
現代人は宗教を個人的なことを考えますが、当時においては、宗教を変えるというのは、その元々の社会集団から分離することを意味しました。
それまでの社会集団から皇帝のみを信頼する集団に移すというのが、キリスト教からムスリムに改修するという行為になります。

わざわざトルコ内のムスリム達を避けてまで彼らを選んだ理由

皇帝のみを信頼する集団を作る必要性と機会があったから
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この回答へのお礼

詳しく説明してくださりありがとうございました。
よくわかりました。

お礼日時:2013/08/17 17:04

君主直属の直轄兵力を作りたかったからでしょう。


現代でもミャンマーには孤児を集めた精鋭部隊があり、絶対忠誠の部隊を作りたいときに古今東西でとられる一つの手法です。
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