
ボランティア活動の趣旨は当然、無償、自主的である。
しかし、これは営利活動を伴わない活動に対してであると考える。
例えば、マザーテレサの行った活動、大震災に対する救援・復興活動、貧困地域などの食料配給・生活援助などがあたると思う。
これらの活動はすべて営利活動ではなく、このような場において無償で奉仕することは何の疑問も感じない。
しかし、現実を見ると病院、介護施設、福祉施設など営利事業を行っているにも関わらず、ボランティアを名目に無償で人を使い、収益の一部にしていると思う。
これは明らかにおかしいと考える。
せめて、外部の人に来て頂き手助けをお願いするなら、報酬はまったく払わなくても、交通費、材料費、長時間の場合の食事などの手配はすべきと考える。
社協のボランティア保険の無償の範囲として、交通費、材料代、長時間の食事代は含まないと明記してある。
25年間マジックショーを通じてボランティア活動を続けているが、特に昨今ボランティアが来て「働いて当たり前」的な意識を強く感じる。
施設の職員さんから「今日は宜しくお願い致します」「ご苦労様」「ありがとうございました」と言った基本的な言葉が聞けないことが増えてきている。
お茶の一杯も出ない所もある。「ボランティアでしょ。勝手に来て、勝手に帰りなさい」的な雰囲気を感じる。
活動を行う前までは何度も連絡を頂くが、終わってしまうと何の音沙汰もない。昔から行っていたお礼の言葉をメールでも、ハガキでも、電話でも何でもいいと思う。伝えられないものか。最初より後のこの一言の方が重要であると思う。
このことがボランティア活動をする人の心をどれだけ喜ばし、励まし次のエネルギーになるか分かって欲しい。
活動を行っていて、不満を感じるのは施設に入居されている方々に対してではなく、対応する職員さんが殆どである。
入居の方々は大変喜んでい頂いているのに、職員さんの言動でやる気が失せるのは本当に残念だ。
我々は「感謝の心」が伝わって来た時、それが活動の原動力になる。施設の経営者、責任者の方々に今一度この辺りを良く考えて頂き職員の研修を行って頂きたい。
No.3ベストアンサー
- 回答日時:
まずは25年間のボランティア、深敬に値します。
ボランティアとはいえ、かかる費用、時間なども考えるならば、それが簡単なことではないということは、心ある人ならばきっとわかっているはずです。
そういった方はまだまだたくさんいらっしゃいます。
ただ残念なことに、心に余裕が無いばかりに「礼節」というものを忘れがちになっている人が多くなったのも事実です。
自分自身の事で目一杯になっていて、他人に心を配るまでの猶予がないのです。
福祉という仕事は、いわば「心を砕く仕事」でもあります。
文字通り「心を捧げる仕事」でありますから、補充をせねばいけません。
しかしその「補充」を、十分に受けられないままに、我武者羅に仕事に邁進しようとする方が多いというのも、最近の傾向だと考えます。
本来であれば、福祉の仕事のエネルギーというものは賃金も無論そうですが、他にも「やっていて良かった」という充実感があればこそだし、エネルギーの一部となっていることは間違いないでしょう。
しかし、現在の社会的状況を見る限り、福祉の世界に蔓延してしまっているのは「嫌気」であり、臭い物には蓋的な「負の現場」でもあります。
経営も金、介護の仕事は3Kで、やりたくはないけど、仕事だから、という雰囲気が、特に若い層を中心としてあります。
時々、施設内での利用者に対しての暴行事件の発生なども聞きますが
(報道されているのは、ほんの一部に過ぎません…まさに「氷山の一角」です)
彼らの笑顔の裏には「どうしようもない屈辱感」というもの、現代社会への絶望感というものが隠されている時があります。
無論、きちんと現場の意味を知り、充実感を持って仕事されている方もいらっしゃいますが、そうなれなかった人も存在するのです。
利用者や会社に向けて不満不平を言うことは難しいですから、それはどこかで漏出してきます。
そういった皺寄せというものもあるのでしょう。
こういったことでお悩みになられたときは「初心に帰る」ことが一番だと考えます。
一番最初に志した時の気持ちを思い返せるなら、どんなに世界が変わっていようとも「新たな答え」というものは出るはずです。
どうか「煩」は空に放ち、新たな「気」を向かい入れていただきたい。
深呼吸をするように。
ご回答頂き感謝致します。
皆さんと同じような御返答になる事をお許し下さい。
時々、このような落ち込みに入ります。
年間100回25年もやっていると色々な施設がありますが、心が落ち込むのはほんの2,3%程度です。
>まずは25年間のボランティア、深敬に値します。
ボランティアとはいえ、かかる費用、時間なども考えるならば、それが簡単なことではないということは、心ある人ならばきっとわかっているはずです。そういった方はまだまだたくさんいらっしゃいます。
ありがとうございます。
>ただ残念なことに、心に余裕が無いばかりに「礼節」というものを忘れがちになっている人が多くなったのも事実です。
自分自身の事で目一杯になっていて、他人に心を配るまでの猶予がないのです。
福祉という仕事は、いわば「心を砕く仕事」でもあります。
文字通り「心を捧げる仕事」でありますから、補充をせねばいけません。
かしその「補充」を、十分に受けられないままに、我武者羅に仕事に邁進しようとする方が多いというのも、最近の傾向だと考えます。
本当にまったく同感です。
>本来であれば、福祉の仕事のエネルギーというものは賃金も無論そうですが、他にも「やっていて良かった」という充実感があればこそだし、エネルギーの一部となっていることは間違いないでしょう。しかし、現在の社会的状況を見る限り、福祉の世界に蔓延してしまっているのは「嫌気」であり、臭い物には蓋的な「負の現場」でもあります。経営も金、介護の仕事は3Kで、やりたくはないけど、仕事だから、という雰囲気が、特に若い層を中心としてあります。
時々、施設内での利用者に対しての暴行事件の発生なども聞きますが(報道されているのは、ほんの一部に過ぎません…まさに「氷山の一角」です)彼らの笑顔の裏には「どうしようもない屈辱感」というもの、現代社会への絶望感というものが隠されている時があります。
無論、きちんと現場の意味を知り、充実感を持って仕事されている方もいらっしゃいますが、そうなれなかった人も存在するのです。利用者や会社に向けて不満不平を言うことは難しいですから、それはどこかで漏出してきます。そういった皺寄せというものもあるのでしょう。
全く同感です突き詰めれば福祉行政まで至る大きな問題にぶち当たると思います。
>こういったことでお悩みになられたときは「初心に帰る」ことが一番だと考えます。一番最初に志した時の気持ちを思い返せるなら、どんなに世界が変わっていようとも「新たな答え」というものは出るはずです。どうか「煩」は空に放ち、新たな「気」を向かい入れていただきたい。深呼吸をするように。
ありがとうございます。
回答をしながら、自分の心が整理されまた邪念から解放されて行くように感じます。
本当にご丁寧な回答を頂きありがとうございました。
No.6
- 回答日時:
「お前は偉そうなことをいうなら、なにかボランティアをやっているのか」といわれれば、少額を寄付している程度ですが。
>交通費、材料費、長時間の場合の食事などの手配はすべきと考える
質問者さんは、東北の震災へのボランティアのアゴアシは東北の人々が負担すべきだと思いますか。私は思いません。もし東北の人々がアゴアシも負担するべきなら、いっそ作業の費用もすべて給料を支払うべきだと思います。それなら「来て頂いてる」と卑屈になる必要もありません。「ちゃんと給与を払ってるんだから、ちゃんと働け」といえます。
>入居の方々は大変喜んでい頂いているのに、職員さんの言動でやる気が失せるのは本当に残念だ
入居の人たちが喜んでくれることはエネルギー源にならないですか。頭を下げて感謝してもらわないとやる気がしないというのは、ボランティアの本質ではない気がします。
たぶん、質問者さんにとっての理想の対応というのは、職員が出迎えて「今日はわざわざお越しいただきありがとうございます」と頭を下げ、控室にはお茶と弁当が置いてあり、それを食べていると職員が「これは些少ですが・・・」と交通費が渡され、後日「先日はありがとうございました」と電話がかかってくる、というものですよね。
それって求めすぎな気がしますねえ。むしろボランティアってのは「私が(ボランティアを)やりたくてやってるからお気を使わずに。準備がありますから、控室だけ用意しておいてください。職員さんは、本来の業務をいつも通りにしていてください」ってもんじゃないでしょうか。
歌手の泉谷しげるさんが、礼文島が地震による津波で壊滅したときに支援のゲリラライブをしました。ある日のライブで、スタッフが泉谷さんを気づかって控室を用意しましたが、それを見た泉谷さんは激怒しました。「控室なんかがあったら、ゲリラじゃねえだろう!」と。ボランティアでやってることだから、気を使うなってことですね。怒りで表現するあたり泉谷さんらしい話です。
気を使われないとやる気がしなくなったのであれば、質問者さん自身も長年の疲労が蓄積しているのだと思います。そろそろ後進に道を譲る時期にきているのではないでしょうか。
ご回答を頂きありがとうございました。
>「お前は偉そうなことをいうなら、なにかボランティアをやっているのか」といわれれば、少額を寄付している程度ですが。
いえいえ、周りを見渡すとご自分の事が精一杯で出来ない人が殆どだと思います。
ご立派だと思います。
>質問者さんは、東北の震災へのボランティアのアゴアシは東北の人々が負担すべきだと思いますか。私は思いません。
思いません。これは営利活動でなく、慈善行為ですから、、、。
>入居の人たちが喜んでくれることはエネルギー源にならないですか。頭を下げて感謝してもらわないとやる気がしないというのは、ボランティアの本質ではない気がします。
きっと私の心が狭いのだと思います。
年間100回程度25年続けていますが、時々このような気持ちに落ち込む事があります。
時々態度の悪い施設に行きますとこのような愚痴を溢したくなります。
心を害する施設は2,3%程度です。でもその時大きくやる気を無くします。
私の人間形成が未熟なのだと思います。
しかし、25年続いた原動力は入居者の皆さんの喜ぶ姿です。
>頭を下げて感謝してもらわないとやる気がしないというのは、ボランティアの本質ではない気がします。
ボランティアとは、、の本質的な部分に入って来ると思います。
ボランティアの始まりは戦場で傷ついた兵士を助ける所から始まっています。営利活動でなくまったくの慈善事業、、、例えばマザーテレサの行った活動、大震災に対する救援・復興活動、貧困地域などの食料配給・生活援助などがあたると思う。
これらの活動はすべて営利活動ではなく、このような場において無償で奉仕することは何の疑問も感じない。
しかし、現実を見ると病院、介護施設、福祉施設など営利事業(すべて保険収入が入って来る)を行っているにも関わらず、何故か営利活動でないところでの無償奉仕活動から始まり、無償奉仕のみの言葉だけが残り、営利活動に置いてもボランティアを名目に無償で人を受け入れて当たり前と思っていることがおかしいと思う。
本来の根本趣旨から外れていると思う。
>質問者さんにとっての理想の対応というのは、職員が出迎えて「今日はわざわざお越しいただきありがとうございます」と頭を下げ、控室にはお茶と弁当が置いてあり、それを食べていると職員が「これは些少ですが・・・」と交通費が渡され、後日「先日はありがとうございました」と電話がかかってくる、というものですよね。
それって求めすぎな気がしますねえ。むしろボランティアってのは「私が(ボランティアを)やりたくてやってるからお気を使わずに。準備がありますから、控室だけ用意しておいてください。職員さんは、本来の業務をいつも通りにしていてください」ってもんじゃないでしょうか。
上述のような所は皆無です。25年出会った事はありません。
でないと嫌なら25年やっていないと思います。
私が言いたいのはスタッフのモラル、常識、礼節の部分です。
これが営利活動の一環ならより、自覚し接するべきと思います。
>歌手の泉谷しげるさんが、礼文島が地震による津波で壊滅したときに支援のゲリラライブをしました。ある日のライブで、スタッフが泉谷さんを気づかって控室を用意しましたが、それを見た泉谷さんは激怒しました。「控室なんかがあったら、ゲリラじゃねえだろう!」と。ボランティアでやってることだから、気を使うなってことですね。怒りで表現するあたり泉谷さんらしい話です。
私も当然だと思います、
純粋な慈善事業ですから、、、今、私が言っているのは営利活動の法人の事を言っていますのでご理解下さい。
>気を使われないとやる気がしなくなったのであれば、質問者さん自身も長年の疲労が蓄積しているのだと思います。そろそろ後進に道を譲る時期にきているのではないでしょうか。
後輩に道を譲るべき時期かもしれません。
私と同じようにそのような気持ちがありながらボランティア活動が出来ない人が沢山居ると思うと残念です。
多くの人がボランティア活動を無理なく、長く続けられる日が来ることを願って居ます。
きっと私の心が狭いのだと思います。
ご丁寧なご回答をありがとうございました。
No.5
- 回答日時:
お礼の言葉というのは、気持ちが思わず言葉や態度として出てお返しする物で、求める物ではないかと思います。
やる気が失せるのならばやらなくて良いのでは?
「お年寄りが喜んでいる」
それで十分ではないですか?
「ボランティアを名目に無償で人を使い、収益の一部にしていると思う。」
「使い」と言う言葉が出てくる段階でお辞めになった方が良いかと思います。
あなたがボランティアとしてマジックを披露することが、各施設にとってなんの収益に繋がっているのですか?
「このことがボランティア活動をする人の心をどれだけ喜ばし、励まし次のエネルギーになるか分かって欲しい。」
お気持ちはわからなくもありませんが、これを口にしますと誰のためのボランティアか本末転倒になってしまいませんか?
もう一度繰り返します。
「お年寄りが喜んでいる」
それで十分ではないですか?
それを喜び、ボランティアとしての訪問の意義とお感じになれず負担感を感じておられるのか、評価を得られたいのか?
プロとして営業されれば、心理的にも金銭的にも負担感も吹っ飛ぶだけの見返りとして報酬も得られるのではありませんか?
もちろんお礼の言葉は、どんな場であれ、有償・無償、ビジネス、ボランティア、部外者、家族、友だち、恋人・・・・誰に対しても礼儀、マナー、気持ちのやりとりとして大事な事とは思いますが。
金品はこの「お礼の言葉」と同列に語るべきではないと思います。
ご回答を頂きありがとうございます。
>お礼の言葉というのは、気持ちが思わず言葉や態度として出てお返しする物で、求める物ではないかと思います。やる気が失せるのならばやらなくて良いのでは?
仰る通りだと思います。
きっと私の心が狭いのだと思います。
年間100回程度25年続けていますが、時々このような気持ちに落ち込む事があります。
時々態度の悪い施設に行きますとこのような愚痴を溢したくなります。
心を害する施設は2,3%程度です。でもその時大きくやる気を無くします。
私の人間形成が未熟なのだと思います。
>「お年寄りが喜んでいる」それで十分ではないですか?
こういうジレンマに陥ると自分自身に「そんなら止めろ」と問い掛けます。
このように長く続いたのは、入居者の皆さんの喜ぶ姿です。
>「ボランティアを名目に無償で人を使い、収益の一部にしていると思う。」
「使い」と言う言葉が出てくる段階でお辞めになった方が良いかと思います。
仰る通りです。自問自答が始まり、、やがて、また入居者の皆さんの喜ぶ姿が浮かび25年続けてきました。
やはり気になるのは「営利活動」なのだから、せめてその事を自覚し感謝の言葉の1つも伝えられないのか」と言う事です。
ボランティアの始まりは戦場で傷ついた兵士を助ける所から始まっています。営利活動でなくまったくの慈善事業、、、例えばマザーテレサの行った活動、大震災に対する救援・復興活動、貧困地域などの食料配給・生活援助などがあたると思う。
これらの活動はすべて営利活動ではなく、このような場において無償で奉仕することは何の疑問も感じない。
しかし、現実を見ると病院、介護施設、福祉施設など営利事業(すべて保険収入が入って来る)を行っているにも関わらず、何故か営利活動でないところでの無償奉仕活動から始まり、無償奉仕のみの言葉だけが残り、営利活動に置いてもボランティアを名目に無償で人を受け入れて当たり前と思っていることがおかしいと思う。
本来の根本趣旨から外れていると思う。
>あなたがボランティアとしてマジックを披露することが、各施設にとってなんの収益に繋がっているのですか?
私には良くわかりません。
仲間に福祉関係の人も多く居ます。
私は1時間依頼されることが多くあります。もし我々がやらなければスタッフがレクの時間を企画し行います。
私達が行くと「1時間ホットできる」と言います。
その1時間掛ける入居者の数の収入は保険から入って来ます。
この程度しか分かりません。
>「このことがボランティア活動をする人の心をどれだけ喜ばし、励まし次のエネルギーになるか分かって欲しい。」
お気持ちはわからなくもありませんが、これを口にしますと誰のためのボランティアか本末転倒になってしまいませんか?
先ほど書きました全くの慈善事業をやることをサポートする事から始まったボランティア活動がいつの間にか、営利活動をする行為の一部に入っているのがおかしいと思うのですが、、、
それも「ボランティアだろ、、勝手に来て、勝手にかえれ」みたいな態度が見えると余計です。
まだまだそれをの超える人間性ができていないのだと思いますが、、、。
>それを喜び、ボランティアとしての訪問の意義とお感じになれず負担感を感じておられるのか、評価を得られたいのか?
前述をご参照下さい。
>プロとして営業されれば、心理的にも金銭的にも負担感も吹っ飛ぶだけの見返りとして報酬も得られるのではありませんか?
私はお金の問題ではなく、受け入れ先のスタッフの人間性、モラル、常識の部分を言ってつもりです。
お金の問題なら25年もやっていません。
>マナー、気持ちのやりとりとして大事な事とは思いますが。
金品はこの「お礼の言葉」と同列に語るべきではないと思います。
仰る通りだと思います。
人間性の話と経済的な話を同時にしたもので混乱を招いたような気がします。
最近、住宅展示場から依頼がありました。当然、ボランティア活動費の援助金としてそれ相当の費用を出して頂きました。
そこで考えたのは、福祉施設の営利活動と何が違うのか、、自分の中で混乱して来ました。
ボランティア活動は本来慈善事業の中だけで協力すべきではないかと、、、、。
ご意見を頂きありがとうございました。
No.4
- 回答日時:
貴方は職員さんのお礼の言葉が欲しくてボランティアをやっている訳では無いと思います。
入居者が喜んでいるなら十分ではありませんか。私も今、あるボランティアをやっていますが、貴方の場合とは逆に、関係者(社協)は張り切っているのにどうも当事者(受益者)があまり喜んでいるように思えなくて悩んでいます。関係者の点数稼ぎみたいな気がしています。
ご回答を頂きありがとうございます。
>貴方は職員さんのお礼の言葉が欲しくてボランティアをやっている訳では無いと思います。入居者が喜んでいるなら十分ではありませんか。
きっと私の心が狭いのだと思います。
年間100回程度25年続けていますが、時々このような気持ちに落ち込む事があります。
時々態度の悪い施設に行きますとこのような愚痴を溢したくなります。
心を害する施設は2,3%程度です。でもその時大きくやる気を無くします。
私の人間形成が未熟なのだと思います。
>私も今、あるボランティアをやっていますが、貴方の場合とは逆に、関係者(社協)は張り切っているのにどうも当事者(受益者)があまり喜んでいるように思えなくて悩んでいます。関係者の点数稼ぎみたいな気がしています。
社協は一応、民間の法人に位置づけられ独立採算の形ですから点数稼ぎは理解できます。
このように思った事を表に出し何かが少しでもいい方向に変わるきっかけになればいいのですが、、、。
ありがとうございました。
No.2
- 回答日時:
施設の予算はギリギリです。
レクに予算はおりません。
(というか、 会計上 ボランティアに払ったと言いう仕訳をしたら 市の監査から怒られます)
ですから ボランティアのレクにお金を払う場合 施設長のポケットマネーや介護長はじめみなの御茶代の会費から出されておられる施設もよくあるようです。(感謝の気持ちですよね)
ご質問者さまのケースは 社協とのこと。 普通の社会福祉法人の福祉施設とは役割が違います。
なんというか、、模範的というか 規則に厳しいというか 融通がきかないというか、、
なので ボランティアに対しては そうゆう感じなのかな、と
違う施設では(民間の) まったく違う対応をされてると思います。
ボランティアはふた種類あると思います。
一時的な場合(災害とか)
ずっと継続する場合(今回のケースですよね)
一時的なら 交通費等なくても当たり前だと思いますが
継続的に しかも 行事予定にふくまれていて施設の行事になっているようならそれは有償にすべきだと思います。
個人的な意見としては
○交通費(一律いくら 気持ちですよね) ○ お茶代 (脱水しては困ります) × 食事代 (ここに来なくてもごはんは食べますから支給しなくてもいいと思います) × 材料代 (趣味の範疇だと思いますから 自分の趣味の延長としてのレク)
要は
個人700円 団体として一律2000円とか の一律交通費 と 現物支給でお茶と駄菓子程度でよいと思います。 材料費は現物支給で施設から出してもらいましょう(余ってる材料のストックがあるはず) なければこれは自分で
わたし 実は レク専門でボランティアしたことがあります。(延長で そのまま働いてしまいましたが)
そのときに言われたのは
「ボランティアだったらお茶と気持ちとしてわずかなお礼しかあげられない 気の毒だから アルバイトとして一日雇ったことにしてあげる で、、、できたら このまま 週2回ぐらい アルバイトで来ない? そのかわり 余った時間は違うこともしてもらうことになるけど、、」と もちろん私は有資格者だったからということが前提だったのですが、、時給800円でオッケイしました。
施設としては ご利用者さまの 身体の安全が第一です。
ボランティアは 責任がありません。
楽しませるだけのお仕事です(すみません 極論です)
施設としては 楽しくて興奮状態になる危険性もある人たちの あとあとのフォローもしなくてはなりません。
楽しいからといって野放しはできません。向精神薬を服用の方もおられます。ボランティアが帰られたあとが本番なんです。
ここで本末転倒で
楽しみを与えてくれるボランティアをないがしろにしてしまうスタッフもいるのかもしれません。
(レクはいいけど そのあと 私たちたいへんなんだよー」とかね 勘違いもはなはだしいのですが、、、
背景にあるのは 人手不足だと思います。
もっと 人がいれば 余裕がでると思うのですが、、、
辛いご経験をされましたね・・ お気の毒です
長文になりました。
言いたかったことは 交通費やお茶おやつ代は支給すべき
でも ボランティアはしょせん無責任なポジションです。
それ以上を求めるのならば アルバイトで と交渉すべきかと思います。
施設は人の命を預かっています。
年齢や障害で 症状は激変します。
健康な高齢者が公民館で楽しく過ごすのとはわけが違うのです。
そのへんも 理解してあげてください
でも そのスタッフの扱いは かなりひどいとは思いますが、、、
ご回答ありがとうございます。
施設側からのご意見本当に参考になりました。
時々態度の悪い施設に行きますとこのような愚痴を溢したくなります。
心を害する施設は2,3%程度です。でもその時大きくやる気を無くします。
そして、自分自身に「そんなら止めろ」と問い掛けます。
このように長く続いたのは、入居者の皆さんの喜ぶ姿です。
また、社協を通じて依頼され行くまではどのような施設か分かりません。
>施設の予算はギリギリです。レクに予算はおりません。
(というか、 会計上 ボランティアに払ったと言いう仕訳をしたら 市の監査から怒られます)ですから ボランティアのレクにお金を払う場合 施設長のポケットマネーや介護長はじめみなの御茶代の会費から出されておられる施設もよくあるようです。(感謝の気持ちですよね)
私の書き方が悪い部分もあると思います。
一番の願いは、職員さんの礼節をわきまえたモラルです。
お金の問題ではありません。
これで我々はどれだけ救われるでしょうか。
>社協とのこと。 普通の社会福祉法人の福祉施設とは役割が違います。なんというか、、模範的というか 規則に厳しいというか 融通がきかないというか、、なので ボランティアに対しては そうゆう感じなのかな、と違う施設では(民間の) まったく違う対応をされてると思います。
年間100回、25年やっていますとすべて分かった上で申し上げているつもりです。
>ボランティアはふた種類あると思います。
一時的な場合(災害とか)ずっと継続する場合(今回のケースですよね)
一時的なら 交通費等なくても当たり前だと思いますが
継続的に しかも 行事予定にふくまれていて施設の行事になっているようならそれは有償にすべきだと思います。
ボランティアの始まりは戦場で傷ついた兵士を助ける所から始まっています。営利活動でなくまったくの慈善事業、、、例えばマザーテレサの行った活動、大震災に対する救援・復興活動、貧困地域などの食料配給・生活援助などがあたると思う。
これらの活動はすべて営利活動ではなく、このような場において無償で奉仕することは何の疑問も感じない。
ましてやお礼の言葉すらいらない。いや、、もったいない。
しかし、現実を見ると病院、介護施設、福祉施設など営利事業(すべて保険収入が入って来る)を行っているにも関わらず、何故か営利活動でないところでの無償奉仕活動から始まり、無償奉仕のみの言葉だけが残り、営利活動に置いてもボランティアを名目に無償で人を受け入れて当たり前と思っていることがおかしいと思う。
本来の根本趣旨から外れていると思う。
>個人的な意見としては○交通費(一律いくら 気持ちですよね) ○ お茶代 (脱水しては困ります) × 食事代 (ここに来なくてもごはんは食べますから支給しなくてもいいと思います) × 材料代 (趣味の範疇だと思いますから 自分の趣味の延長としてのレク)
色々書きましたが、お金はどうでもいいんです。
我々は心で動いています。その心の籠った言葉が欲しいんです。
ましてやそれが営利活動の一環なら尚更、、、。
>施設としては ご利用者さまの 身体の安全が第一です。
ボランティアは 責任がありません。
楽しませるだけのお仕事です(すみません 極論です)
施設としては 楽しくて興奮状態になる危険性もある人たちの あとあとのフォローもしなくてはなりません。
楽しいからといって野放しはできません。向精神薬を服用の方もおられます。ボランティアが帰られたあとが本番なんです。
殆どが認知症の患者さんの施設です。私もキャラバンメイト(認知症サポター養成講師の資格)を持っています。
少しは理解できます。
職員さんも大変ですね。
>ここで本末転倒で楽しみを与えてくれるボランティアをないがしろにしてしまうスタッフもいるのかもしれません。(レクはいいけど そのあと 私たちたいへんなんだよー」とかね 勘違いもはなはだしいのですが、、、
どこの社会にもいる少数の方々に寄って、やる気が失せるのは本当に残念です。
>背景にあるのは 人手不足だと思います。もっと 人がいれば 余裕がでると思うのですが、、、
介護保険の点数の低さ、人材不足、介護職員の心構え、、など問題は大きく言うと国の福祉政策までさかのぼってしまうと思います。
>施設は人の命を預かっています。年齢や障害で 症状は激変します。 健康な高齢者が公民館で楽しく過ごすのとはわけが違うのです。そのへんも 理解してあげてください
25年年間100回程度行っています。
その辺りは十分理解しているつもりです。
多くの施設を周り、感じている事です。
お蔭様で自分の中での心の整理に役立てる事ができました。
ありがとうございました。
No.1
- 回答日時:
自分から、カネ欲しさで行くなら、ボランティアは、遣らない方が良い。
費用など自分持ちで、相手を助ける事。2年前の震災で困ってる、片付けるにも、人の手が足りない時には、助け合う事が、ボランティアだ!
相手を助ける気持ち です。
ご回答を頂きありがとうございます。
>カネ欲しさで行くなら、ボランティアは、遣らない方が良い。 費用など自分持ちで、相手を助ける事。
25年年間100回程度行っています。
もし、報酬が目的ならとっくに止めていると思います。
>2年前の震災で困ってる、片付けるにも、人の手が足りない時には、助け合う事が、ボランティアだ!
ボランティア始まりは戦場で傷ついた兵士を助ける所から始まっています。営利活動でなくまったくの慈善事業、、、例えばマザーテレサの行った活動、大震災に対する救援・復興活動、貧困地域などの食料配給・生活援助などがあたると思う。
これらの活動はすべて営利活動ではなく、このような場において無償で奉仕することは何の疑問も感じない。
しかし、現実を見ると病院、介護施設、福祉施設など営利事業(すべて保険収入が入って来る)を行っているにも関わらず、ボランティアを名目に無償で人を使い、収益の一部にしていると思う。
何故か営利活動でないところでの無償奉仕活動から始まり、無償奉仕のみの言葉だけが残り、営利活動に置いてもボランティアは交通費等まで無償と叫んでいる現在は、根本的におかしいと考えます。
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