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 有名なのは、蘭印作戦指揮した、今村均陸軍大将;仙台出身。 占領地ジャワでの軍政は連合国からも善政だと評価され、マッカーサーや実際に視察を受けた水木しげるさんも賞賛してます。
 海軍では、左派三羽烏と言われる大将;井上成美(仙台)、山本五十六(長岡)、米内光政(盛岡)
この方達は所謂、条約派。対して艦隊派の南雲忠一司令も米沢、東条英機も本籍は盛岡です。
 仮に奥羽越出身が、概ねリベラルだとすると、それは戊辰戦争での悲惨な敗北の記憶が伝承されてたからでしょうか?(2) 日露以降の実戦体験もあるでしょうが。)撤退戦略も重視したようです。)
 一方、陸軍には薩長閥の影響力が残ってたのでしょうか?(3)
東条英機ら4名によるバーデン=バーデンの密約(大正十年)で、薩長閥排除を誓ったとされ、その後この方達は皇道派と統制派に分かれて争いますね。それまでは薩長閥が力有ったという事ですが、この後どうなったのでしょうか?
 以上、伝聞による御回答は困難とも思われますので、推測でも構いません。
これを訊いたのは、半藤氏や阿川氏など海軍関係者の小説家原作の映画等を見て、どうも海軍びいきが主潮流になってると思ったからです。しかし事実なら受け入れます。又、ここでは諸作家の評価については問わない事と致したく存じます。 
 

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A 回答 (5件)

戦前の岩手はキラ星のごとく軍人を輩出したと言われてます。



板垣征四郎 陸軍大将、陸軍大臣
及川古志郎 海軍大将
斎藤実 海軍大将、海軍大臣、総理大臣
東條英教 陸軍中将、東條英機の実父
栃内曽次郎 海軍大将
山屋他人 海軍大将
米内光政 海軍大臣、総理大臣
多田武雄 海軍中将(事実上最後の海軍次官)

岩手、さらには東北出身者は明治維新で負けたので、薩長の藩閥を崩すために、リベラル・自由主義を唱えて対抗しました。また資本から遠かったので、優秀な人材が財界よりも軍に流れました。藩校の気風もわりと残っていたようです。政治家も原敬や後藤新平などが出ています。
ただ、昭和東北大飢饉が起こると、東北の窮状から軍による国家改造を目指すようになります。

この回答への補足

 御回答頂きました皆さまに、感謝いたします。
やはり海軍には言われるような傾向あるようですが、
それは、留学経験、外国語学習得による事かと推測します。
陸軍も含め、出身地よりは留学先の違いでの派閥等が大きいのかも知れません。 しかし戦前の軍人・思想家は、政治的信条は様々なようで、又一個人の中でも色んな思いがあるようです。天皇制共産主義まで有ったようで、よく判りません。 単純では無いですね。 石原莞爾などは振幅が結構あって、頭クラクラします。
 兎に角、乱暴な言説の方は少ないようで、未だ武士道や大和魂が生きてたようです、感銘受けました。
ベストAは、一番多くの軍人名を挙げて頂いた、こちら様にさせてもらいます。
 どうも有難う御座いました。

補足日時:2013/09/02 23:24
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この回答へのお礼

 御回答に感謝致します。
なるほど岩手だけでもキラ星ですね、只、及川古志郎 は新潟県古志郡出生で旧制盛岡中学と出ていました。 皆さん夫々御立派な方達ですが立場は色々なようで、又途中で変った方も有られるようです。
しかしやはり海軍が多いですね。日露戦の古将の方も、。結構ハイカラだったようですね。 挙げられた方々、詳しくは存じませんので今後の研究課題とさせて頂きます。
暗殺された斎藤実が、今の感覚でことさらリベラルだとは思えませんが、当時はそのリベラル臭が嫌われたそうですね。  どうも英米語に堪能だとリベラル視され一部軍部に睨まれたという気がして参りました。 政治信条は兎も角、今のリベラルよりも世界の語学を知ってるという点では、はるかに優秀だったと思えます。 どうも有難う御座いました。

お礼日時:2013/08/27 21:54

リベラルかどうかは見方によって変わるので私は




>一方、陸軍には薩長閥の影響力が残ってたのでしょうか?
>それまでは薩長閥が力有ったという事ですが、この後どうなったのでしょうか?

についてお答えしたいと思います。

バーデンバーデンの謀議の段階ではかつて程の勢力はないにせよ薩長閥共に一定の影響力はあったみたいです。

具体的には大正期に入ってからそれまで長州優位だった両派閥の力関係が山形・寺内等長州閥の大物がなくなる共に力関係が拮抗してきたのでそれぞれの派閥が敵派閥を潰そうと激しい戦いを始めます。

この時その裏で行なわれたのがバーデン=バーデンの密約です。

なのでこの段階では薩長閥はまだ生きていました。

ではどこで両派閥が力を失ったかといいますと
このあと両派閥が激しい勢力争いをした結果、長州閥の宇垣一成が軍縮の名のもとに薩摩閥のボスである上原勇作を予備役に押し込み事実上薩摩閥は勢力を失います。

その結果長州閥の天下になるかと思いきや、激しい派閥争の隙を突いてバーデン=バーデンの密約に関係していたような反薩長閥の陸大出の軍人が軍内の人事権を掌握しました。

なのでいくら長州閥と言えど人事権を握られてしまっている以上どうしょもできなくなり長州閥も事実上力を失いました。

更に言うと長州閥に至っては東北出身の将校達の積年の恨みから山口県出身者の陸大への入校が妨害されたりなんて事もあり人材すら補充できない有り様になり完全に勢力を失いました。

この様にして薩長閥は力を失いましたがそうなってくると今度は薩長閥を追い込んだ陸大出の将校たちの内部分裂が始まりましたそれが、質問者様の言われていた皇道派と統制派に分かれて争い始めた時期です。

つまり皇道派と統制派に分かれた段階で薩長閥の力はほとんど失われていたみたいです
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この回答へのお礼

 御回答、感謝致します。
海軍関係者は戦後色々発言されたようですが、
陸軍は処罰の影響も有り、発言が少なかったそうですね。
ご説明で、だいぶ判って来ました。
上原勇作は安政生まれ、大勲位で大時代の趣ですね。長州閥の田中儀一との対立、その後が宇垣一成という事で、。先ず古い薩摩閥が一掃ですか。しかし上原閥には後の皇道派;荒木貞夫、小畑敏四郎も居て、その後の派閥抗争の種にもなった、。
仰るように、バーデン・・密約以降の抗争は、出身地とはあまり関係ない。という事ですね。
 それにしても宇垣大臣には毀誉褒貶あり、興味深いです。軍縮・和平派であり軍部から疎まれたと思いきや、必ずしもそうでなく。様々な勢力の思惑が錯綜した時代だったようですね。
石原莞爾が、<昭和十二年の宇垣内閣組閣を流産させた時の自分の行動を人生最大級の間違いとして反省している。Wiki宇垣一成>とありますが、様々な抗争の後、台頭したのが統制派、。石原や大川周明がボロクソに馬鹿にしてた、東条英機だった事を考えると、歴史の皮肉を感じます。 東条大臣は漁夫の利でしょうか、武人としてはひ弱な印象も持たれますが、人事等の政治力には長けていたのでしょうかね。 これ又、興味深い人物です。反対派の軍人軍属の中には明らさまに悪し様に言う方も居られて、何故そんなに力を持てたのかが今一捉えきれません。今後追ってみたいです。
 しかし戦前は保守・リベラルといっても様々で、軍人も殊更反米、反中というわけでもなく、何か今よりリアリズムが有った気がします。石原莞爾も嫌中では全く無かったですね。 間違った処は有ったにせよ、少し見習いたく思いました。
 どうも有難う御座いました。 

お礼日時:2013/08/31 23:06

marc2bolantiさん、こんばんわ。




帝国陸海軍で奥羽越列藩出身者はリベラルですか?
そうですね。主流に反する反主流のにおいがしますね。陸軍の中には板垣征四郎、石原莞爾といった人がいて満州事変を起こしましたね。



概ねリベラルだとすると、それは戊辰戦争での悲惨な敗北の記憶が伝承されてたからでしょうか?
そうですね。自分たちの立身出世が出身地における名誉を回復することのように思っているからだと思います。
明治以来の立身出世が身上なんですね。

陸軍には薩長閥の影響力が残ってたのでしょうか?

そうですね。長州閥には寺内正毅の息子の寺内寿一がいますが、大した人物は出ていないようです。だから、自然淘汰されたのでしょう。
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この回答へのお礼

 ithi様、御回答ありがとう御座います。
確かに関東軍は反主流のにおいですね。石原・板垣は夫々、山形・盛岡ですか。しかし対立した東条も盛岡本籍? 陸軍はもう薩長もなにも無いようですね。
 でも処刑された板垣の辞世の句や、石原莞爾の最終戦争論などはウルトラ平和主義を志向してて、やはりリベラルと言うより、過激な共和主義でしょうか? そんな印象です。
 東北出身者が名誉回復の為、立身出世願い猛勉強した事は想像できます。 只、私の印象は、彼の人達は実際の作戦では、Exit・Strategy撤退作戦も重視し、講和も辞さない傾向見受けられ、それはかつての悲惨な敗北体験からの知恵(悪く言えば弱腰とも取られる)なのかなと思ったのです。
 しかし寺内寿一は評判悪いですね、インパールやレイテ作戦、サイゴンには赤坂芸者呼んで豪遊したとか、。末期には長州閥など出る幕無かったのですかね。あまり聞きません。

お礼日時:2013/08/28 01:18

貧乏人が軍人になりました。


いわゆる、良いところは薩長系列でないと出世できなかったのに対して、軍隊はまだ可能性がありました。
陸の長州、海の薩摩ではありましたが、官費で飯が食えることは何者にも変えがたい就職先だったでしょう。
貧乏人だからリベラルとは言えません。
今村大将がリベラルだった、誰か言っていますか?
軍人は保守です。
今を守ることが責務ですから、それをひっくり返す思想には縁がない。
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この回答へのお礼

 御回答ありがとう御座います。
貧乏人ではなく貧乏な県出身ということなら当て嵌まるかなと思います。
確かに<陸の長州、海の薩摩ではありましたが>大正以降、山縣有朋が歿した後は、立身出世も可能になったと聞いて居ります。
 只、リベラルという言葉を今の感覚で捉えてはいけないと存じます。
左派三羽烏の井上大将は「私はリベラルではない、ウルトラリベラルだ。」と言ってる位ですから。無論軍人なので護国国体保持に努めるのは当たり前です。
今村大将はオランダ軍人の捕虜も高待遇で扱い寛容な軍政を敷いた。当時その事を賞賛されもしたが、軍務局からの、強圧的な政策への転換の要求にも抵抗しました。
セレベス島カンピリ収容所の山地正所長はオランダ女性捕虜の待遇改善を自ら進め、抑留所の運営を収容者自身に委ね、民主的自治を許可しました。デモクラシです。
彼らは国際法遵守しようとしたのであり、それを当時はリベラル的と称します。現在の政治信条とはあまり関係御座いません。只、国際的ではあったでしょう。 彼らはその姿勢が評価され、戦後オランダ軍の裁判では無罪となりました。 日本軍は植民地解放等の立派な事跡も残してるのです。
 石原莞爾や、軍人ではないが大川周明など、戦前の右翼は革命家ですよ。ただの保守では有りません。だからその是非は兎も角、青年将校からの支持が有りました。皆真面目に退廃した政府は<ひっくり返そう>としたのです。
真正保守とは<今を守ること、>だけでは御座いません。明治以降の国体護持だけでなく、それとは反する事もある、日之本古来の有りようを取り戻し、保守する思想の事です。ですから戦前は軍人も一たん職務を離れたら夫々の思想を追求し同じ保守でも切磋琢磨の闘争が有ったのです。 石原莞爾は思想の無い東条英機を心底ばかにしてましたね。無論どちらが良いかは此処では控えます。

お礼日時:2013/08/28 00:09

会津出身の大将として有名な畑俊六がいますが、戦陣訓を作った張本人ですよ


戦陣訓ってただの会津士魂じゃないですか
白虎隊ヨロシク!お前ら死ね!
どれだけの将兵が会津白虎隊と同じ死に方に追い込まれたんですか
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この回答へのお礼

 早速の御回答有難う御座います。
参考に致します。 なるほど戦陣訓ですか。無論賛美は致しません。
しかし会津魂なるものと同一とは言えないとは思います。
又、畑俊六元帥陸軍大将ですが、昭和十四年陸相就任を推したのは、その温厚さを信任為さってた
昭和天皇だと伝えられてます。何とか陸軍の暴走を押し止める役を期待しての事だそうで、。東京裁判では親米の米内内閣倒閣の罪状問われ戦犯として起訴されたけど、その弁護側証人が当の米内だった事でも如何に信任厚かったかが解ります。
終戦前日御前会議直前の元帥会議で本土決戦に反対したのも畑一人のみだったと伝えられてます。
戦陣訓の東条も小人物だったというだけで、それ程好戦的であったわけでは無いと私は考えてます。無論それで免罪すべきとは思いませんが、。

お礼日時:2013/08/27 20:42

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