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楽しいことがあったばあい、だから死にたくないと思えば楽しくなくなりますが、楽しいことがあるから死んでもよいと思えれば楽しめると思います。でも死んでしまえば楽しめないというのも本当だと思います。特に老人の場合は、なにも楽しいことがない人ほど穏やかに見えます。周囲の人も、この人が死んでもなにも未練もないだろうから安らかに死ねるだろうと思います。逆に楽しくてしようがないという老人にはもう少し生きていてほしいと思い、死んだときでも悲しい思いになることが多いように思います。この辺の事情はどのように考えたらよいでしょうか。どなたのご意見も傾聴させていただきたいと思います。

A 回答 (7件)

A 楽しいことが日常にあって、これからも楽しく生きていけそうだ → 死にたくない



B ずっと準備していた楽しめることがピークに来て、ああ、存分に楽しめた、あとは思い残すことはない→死んでも良い

>死んでしまえば楽しめないというのも本当だと思います

まあ、そうですね。

C >老人の場合は、なにも楽しいことがない人ほど穏やかに見えます。

感情の起伏が少ないのですね。
>周囲の人も、この人が死んでもなにも未練もないだろうから安らかに死ねるだろうと思います

それは違うと思いますよ。内心、もう一花咲かせたい!と思っているかもしれません。人間の内心は他人には読めません。
>楽しくてしようがないという老人にはもう少し生きていてほしいと思い

Aだからですね。当人も死のうとは考えないはずです。

>死んだときでも悲しい思いになることが多いように思います。

これは、やはりそのひとが周囲へも幸せを伝播しているからでしょう。

ひとはそうあるべきです。C にはならないほうがいいでしょう。
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この回答へのお礼

なるほどですね。見習いたいと思います。ご教示ありがとうございました。

お礼日時:2013/09/06 12:20

じじいです。



楽しみたければ、余計な事を考えず全力で楽しみ

所有欲が出たら全力で所有すれば良いでしょう。

余計なことなぞ考えなくても、死ぬ時は全部置いていくものです。

何でも理屈でこねて、簡単な事を難しくしてしまうのが好きなようですね。

この回答への補足

貴方はどのようなことをどのように楽しんでおられますか。差支えがなかったら教えてください。具体的に教えていただくと見習いやすくなると思いましたので。

補足日時:2013/09/09 08:46
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楽しいと死にたくないはそもそも別の話じゃないですか。


楽しいというのは感情で、死は知識ですよ。
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この回答へのお礼

それが連想されてしまうのが執着なのでしょうね。こういう執着がない人がうらやましいです。ご意見いただき感謝いたします。

お礼日時:2013/09/08 16:55

じじいです。



回りくどい理屈は理解出来ませんが、楽しい事があっても

死に結びつけて考える思考回路が理解できません。

楽しければ、無条件に楽しめば良いだけの事です。

悲しければ、無条件に悲しめばいいだけの事です。
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この回答へのお礼

楽しいことを失いたくないというのは執着とよばれているものだろうと思います。一種の所有欲でしょうか。若いときはこういう欲があっても執着として出てこないように思います。歳をとると所有欲が邪魔をして楽しめないということはないでしょうか。つまり歳をとったら、所有欲を捨てないと、何かを楽しめないということはないでしょうか。

お礼日時:2013/09/08 08:54

67歳、男子。



この歳で「楽しみ=快楽」ということを主題に考えた時、自分にとって今までの人生で一番楽しかったことと言えば、好きな女性とのSEXでした。・・・そう「でした」という過去形です。

肉体が生殖という役目を終えた今、SEXをすること自体、生理的に無理ということを自認しました。つまり、その快楽はもう味わえないという諦めがあります。

と同時にその楽しみは充分味わった人生だったとも思っています。

今現在、生きている以上色々な楽しみはあります。ただ、それは楽しみ=生きがいではありますが、自分の場合その楽しみと死とは関連性は持ちません。楽しみは楽しみであり、死は別の現象として別の次元のどっかにあるという感じです。

いずれにしても、死への概念は老若男女に拘わらず、人それぞれだろうし、またそれぞれが変化していくものだろうと思います。
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この回答へのお礼

楽しみと死ぬことを結びつけてしまうのは執着というものでしょうか。納得できるご教示でした。

お礼日時:2013/09/06 12:18

質問者さん、年齢がわかりませんけど、多分高齢の方ではないですよね?。


むしろ若い人かな?…高齢の人なら、質問の答えは自分でわかりますからね。

「楽あれば苦あり」なんです。
楽しいこと、楽しめるだろうことは、高齢になっても自分でわかります。
「元気があればなんでもできる」じゃないですが、高齢になるってことは、自分の限界を強く感じ取るってことです。
そうなるともう、楽しめることはわかってても「それが無理であること」はすぐに分かってしまう。
だから「まあ、止めとこうかな?」になるんです。
そういう姿が「穏やか」に見えるのでしょうが…実際には「諦め」なんです。
悲しみの姿でもあるんですよ?。

それがわかっていれば、周囲の人も「死んで未練はあるまい」なんて思わないものです。
楽しそうにしてる人も、全てじゃないですけど、どこか無理をして楽しい気持ちを「かきたてようとしてる」のです。
元気な自分が好きだから、元気でいたいんですよ。

多分、だれでも年老いてくれば「未練」が出ます。
あれもこれもやっておけばよかったなぁ、と思うものです。
ただそれを「今言ってもしかたがないしね」と諦めるか、もしくは「いや、出来るものはやっておこうか」と思うか、という違いだけです。
どちらにせよ、必ず「やり残し」は出ます。
後悔はあります。

人間、楽には死ねないよ?。
簡単なことじゃないからこそ、今を懸命に生きなきゃいけないんだ。
…わかるかな?。
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この回答へのお礼

ご教示感謝いたします。なるほどと思いました。

お礼日時:2013/09/05 18:21

老人の場合健康面の一点で割り切れると思います。



楽しくとも楽しくなくとも老体が壊れて動かなくなったら終了。痛みや苦しみを引きずっているなら楽しくはありません。

楽しめるということは元気の証です。生命力が続いているので元気なうちになくなるとあっけなく感じます。本来エネルギー量が落ちて行って穏やかになり終了するものですから。

高齢になると感動しなくなり欲望もこだわりもなくなり生命力が細くなります。

元気な人にはまだ先があるだろうという意味で死ぬのはまだ早い言えると思いますし、穏やかな人はそろそろ燃え尽きるタイミングなのでしかたないと言えます。
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この回答へのお礼

死ぬことは考えないということでしょうか。ご教示感謝医いたします。

お礼日時:2013/09/05 08:06

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