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僕の苗字が富永何ですけども、調べてみると伴氏の末裔って出てきたのですが実家の家紋が丸の中に日の丸扇でした。
先祖の肖像画(高祖父より上)を見てもやはり佐竹氏の家紋でした。
かと言って佐竹一族の中には富永は出てきません…
先祖の事について詳しかったおじいちゃんも亡くなり、知っている人がいません。
どなたか佐竹氏と富永氏の繋がりなど、分かる方がいましたらお手数ですが教えて頂けたら幸いです。
宜しくお願い致します‼

A 回答 (6件)

佐竹は源氏でしょ なら伴氏とは繋がりが無いよね


伴氏は大伴氏の出ですから

この回答への補足

文章が分かりづらくすみません。
佐竹一族にも関わらず何故富永姓を名のっているのかが良く分かりません。

補足日時:2013/09/12 16:07
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この回答へのお礼

回答して頂き本当にありがとうございます‼
そうですよね、その部分で物凄くひかかっています。
自分で色々と調べたのですが何処から富永姓がきたのか分からなかったので…

お礼日時:2013/09/12 08:03

こんにちは。



富永ですか?明治時代に平民に姓を付けた時の富永姓以外なら古いものです。
ルーツは愛知県東部の三河にある富永庄。

大伴氏の末裔だとは言われていますが・・。

もし7代以上続いた家柄なら代々のお墓をお調べになるか、旦那寺(所属しているお寺)にある過去帳で調べられます。

但し明治になってから付けた苗字ならこの限りではありません。
こう云う場合同じ苗字が地区に固まっています。
今でも地方へ行くと村落の向かいも裏も隣も全て同じ苗字と云うことがあります。

こう云う場合は代々続いた家では無く明治につけた新姓ですね。

家紋の扇紋は戦国時代の武将が良く使ったもので、後は歌舞伎役者に使っている例があります。

本来、古来の富永氏の紋は多くが木瓜紋とそこから派生した木瓜型です。

一昔前なら壬申戸籍で出自(身分)が判り結構昔まで遡れたものですが、今は廃止されたので探るのは無理。

なを、富永姓の多さから言うと東京、北海道、愛知、神奈川の順ですかね。

一度家のお寺の過去帳かお墓を調べたら如何ですか?
家が神道なら鎮守神社にも過去帳に当るものがあるので禰宜さんに申し出て見せて頂いてください。

その上で又質問を・・・。

この回答への補足

お墓には同じ富永が見受けられましたが、全く関係もないみたいで木瓜型の家紋ばかりでした。

補足日時:2013/09/12 15:30
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この回答へのお礼

comicatさん、ご丁寧に回答して下さって本当に本当にありがとうございます‼
先祖(抗祖父の一代上から高祖父の肖像画、写真⁇があり刀も一様あります。
なので武士で間違いと思います。
お寺は焼失してしまいないみたいで…
実家は福島県にある白河郡の方にあります。

お礼日時:2013/09/12 15:24

なぜ佐竹が富永になったのかは


多分改姓したからだと思います

今佐竹と名乗ってるのは佐竹北家の末裔でしょう(出羽窪田藩主だった佐竹氏です)
佐竹には戦国時代に義廉を排出した分家の南家などもありますから
彼らが明治に富永という地区に移り住んでそれを苗字にしたという可能性が高いです
その際家紋も当然変えているでしょう


前田利家だって菅原道真の子孫ですが菅原の要素は全く見えませんし
まぁ1例ですけど そういうことじゃないでしょうか?
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この回答へのお礼

二度も回答して頂き本当にありがとうございます。

少なくとも文政の時には富永姓を名乗っていたみたいです。
家紋も、すくなくともその時から佐竹一族の家紋を使ってます‼
でもどこかで佐竹から富永に改正しているんですよね
例えば、違う一族の家紋を使ったいるとか、逆に違う一族の姓を名乗る事とってあったりしますでしょうか?
お願い致します。

お礼日時:2013/09/12 18:37

二度目です。



福島白河にご実家或いは本家があるなら、そちらの本家のお墓をお調べになる事です。

又その実家に関わりのあるお寺があると思いますので過去帳を見せてもらえば大分判ります。

私事ですが数十年昔、母方の姓から調べ3年後にやっと、7代前に本家を出奔し入洛して身を起こした先祖と、私が偶然行き当たった方が同じ苗字で、結果、当方にある過去帳とその方の家に有った過去帳の完一致でルーツが判明した経験もあります。

白河のほうも富永姓なら白河市に20名、西白河郡に7名、東白川郡に1名いらっしゃいます。

20年ほど前熊本に一軒しかない苗字の方に頼まれて、福島県のとある村落にたどり着き(お墓の家紋から)13軒あった親戚にたどり着けたと云う例もありますから。

気長にこつこつ色々な方面からアプローチされれば良いと思いますよ。

若し元が武士ならまず宗派は禅宗。
但し明治の廃仏毀釈の折に浄土真宗などに鞍替えされている可能性もありますよ。

例えば京都の例を取ると古い300年以上続く農家は9割以上が法華宗。応仁の乱時京都の町衆のほぼ全部が法華宗だったのです。

江戸時代に北陸辺りから入ってきた人たちと婚姻した家は(商家も多い)間違いなく浄土真宗に。

古い家なら現在宗派は浄土真宗でもお墓は大きな法華宗宗のお寺に鎮座していたりします。

でも、武家の出ならほぼみんな禅宗(宗派は色々)です。

又。母上の紋付に付いている紋は母方の紋なので父方のものではありませんから間違えないように。

嫁入り時は実家の紋を羽織に入れるのが正式で、女性は婚家の紋を入れるわけではありません。
武家の家なら尚更そうです。

時間はあると思いますから、調べて少しづつでも判って来ると良いですね。
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この回答へのお礼

多くのアドバイスをして頂き本当にありがとうございます。

すいません、白河ではなく東白川群でした。
叔父いわくお寺は焼失して先祖の事が分からなくなってしまったみたいです。
お墓で1番古いのは高祖父の一代上(文政~)のお墓で、そのお墓には既に富永と書いてあります。

お墓とは別に実家の裏山に高祖父の一代上の墓銘と書かれた石碑⁇
みたいのがありそこには色々と書かれていますが、内容は宇多源氏、大久保、華族、佐々木など色々書いてあります。

ありがとうございます。
気長に調べてみます‼

お礼日時:2013/09/12 18:25

途中で佐竹から富永家に養子に行ったとか?


あるいは幕府の許可を得て新家を創設したとか

前者の場合は佐竹の家紋が使えます
自分は佐竹家から来ましたよって意味合いで
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この回答へのお礼

azuki-7さん、ありがとうございます‼

その可能性が高いような気がします。
景山公と書かれた手紙⁇
藤田東湖、濱中廣中から高祖父宛に送られた手紙みたいな物があるので色々調べていこうと思います‼

お礼日時:2013/09/12 22:09

atom3859さんこんばんは。



扇紋は縁起が良い家紋なので、源氏(佐竹氏)以外にも広く使われています。
家紋だけから佐竹氏との縁があると考えるのは早計ですね。

佐竹氏の紋は丸で囲まれていませんが、分家に出た場合は紋を加工して使うことがよくあります。
例えば同じ徳川氏でも、江戸・尾張・紀伊・水戸はそれぞれ異なった葵紋を用いています。
丸や四角で囲ったり、別の家紋や文字を付け加えたりはよく行われます。
日の丸の無い扇紋に日の丸を入れた可能性も否定できません。

あと、佐竹氏の家紋は「扇に月丸」で「日の丸扇」ではありません。
月紋は「白あるいは銀」で、日の丸は「赤または金」で表します。
白黒だとどちらかわかりませんけれどね。

参考URL:http://www.ippongi.com/2009/01/15/ougi/
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この回答へのお礼

こんばんは。
回答して頂き本当にありがとうございます‼

叔父は佐竹がどうたらこうたらと言っていたので可能性が高いと思います。
高祖父の肖像画には白の円に中が黒でその中に白い扇があり丸は黒でした‼

佐竹氏だった先祖が富永氏に養子に行ったのですかね…

お礼日時:2013/09/12 22:18

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