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娘の片眼だけは反って異様に美しかったものの、島村は顔を窓に寄せると、夕景色見たさという風な旅愁顔を俄づくりして、掌でガラスをこすった。

「・・・ものの、」とそれに続く言葉の続きぐあいが普通ではないですが、どう解釈したらいいですか?

A 回答 (4件)

 文法的な説明よりも、僕は文章の読み方でお話しします。


川端康成の作品は、一つの文が長いとの特性があります。つまり主語と述部の距離が離れているとの特性です。これは同時代の作家と比較しても特筆に値するともいえます。もっともその川端といえども作品の長短により、当然の様に文体を使い分けてもいます。
 さて「…ものの、」とそれに続く部分に違和感をお持ちとの印象も、「…ものの、」で文が一度途切れていると理解すれば問題もないのではありませんか?
 何も「小説や物語の文章は、斯く斯く然々の様に読まねばならない」などのつまらない約束事はどこにもありません。読みづらかったなら、文を一度途中で切って読んでも差し障りはないでしょう。
 この部分の前半は「娘の様子」が主題であり、後半は島村に話題が移ってもいます。ということで、「場面転換」を映像的な表現として文字に表している、と僕は解釈しています。

この回答への補足

どれが正解ということもないと思いますが、#4さんにポイントを入れておきます。

補足日時:2013/10/08 00:28
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この回答へのお礼

文の連続性が切れているような印象をうけるので「場面転換」というご指摘は共感できます。

お礼日時:2013/10/08 00:27

「ものの」は、逆接の確定条件を表す接続助詞で、ご承知のように「けれども。

とはいえ」などの意味。
「美しかったけれども」という意味になるわけですが、これは「美しかったので、そのまま片目だけ見える状態にしておいても良かったのだけれども」の省略です。
しかし、やはり全体像を見たいという誘惑のほうが強かったので「夕景色見たさという風な旅愁顔を俄づくりして、掌でガラスをこすった」わけです。
  
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この回答へのお礼

なるほど、たしかにそういう解釈もあるとおもいました。

お礼日時:2013/10/08 00:26

形式名詞「もの」+格助詞「の」が付いて連語となった接続助詞「ものの」は、二つの事柄が並行している状態で、その前項と後項を対立ないし対比させた逆接の形として、次のような2種類の構図が想定されます。

「雪国」のこの場面は2)と見てはいかがでしょう。

1)前項が進捗したのに後項は停滞している。
・学校は出たものの就職難で勤め先がない。
2)前項が主眼の前項は未達成ないし停滞ぎみで、それなのにサブである後項のほうは持続ないし進捗している。
・肝心の体力はひどく衰えたものの、気力だけは充実している。
・トイレに行きたくなりだしたものの、周りに気兼ねしてそのままずっと我慢していた。
島村は本心ではその娘をじっくり眺めたいのに、うわべでは窓の外の夕景色をみたがっているような振りの演技している。
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この回答へのお礼

この理詰めの解釈は面白いですね、参考になりました。

お礼日時:2013/10/08 00:26

 「…ものの」は、接続助詞ではないでしょうか。

少なくとも、そのように読んでました。読者が情景をどう捉えるかは、受験国語ではないので、あなたなりの解釈で良いのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2013/10/08 00:25

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