痔になりやすい生活習慣とは?

表記の問題につきまして以前から引きずっている素朴な疑問があります。お答えいただけるなら幸いです。
1.慰安婦問題の原型
これはひょっとしたらインドネシアのいわゆる白馬事件を原型としたお話が、特に、アメリカで韓国系を中心とする一部の人々によって吹聴されているのではないでしょうか。白馬事件の記述がウィキペディアの通りだとすると、数十人の強制売春に従事させられたオランダ人がいたようで、それが、あたかも性奴隷20万人とかのとてつもないことが朝鮮半島で起こったように喧伝されているのではないか、と思うのですがどうでしょう。(ひどい目に遭った韓国朝鮮人が全くいなかったとは思えませんが。日本人でもいろんな意味でひどい目に遭った人は山ほどいるので。しかしあの慰安婦を自称する人たちがそうなのかまでは知りませんが。)

ウィキによるとスマランにあった慰安所は当時の日本軍によって閉鎖こそされたようですが、責任者の処罰は戦後連合軍が彼の地にはいった後からのことで、なぜ当時の日本軍はとんでもない犯罪行為をきちんと処罰できなかったのでしょうか。白馬事件を刑事事件として扱い、関係者を日本人の手で厳しく処罰し、歴史からきちんと分離しておけば今のとてつもない非難はなかったのではないか。もちろん当時の日本人は圧倒的に高潔な人が多かったのでしょうが、犯罪者が全くいないとは常識的にとうてい言えないと思いますし、占領地や併合した地域の円滑な管理や治安維持に支障を来すことにもつながるため、高潔かどうかは別として目的から逸脱する行為や犯罪は自ら律する必要が強く存在したはずと思うのです。

当時の軍隊に招集された日本人は血気盛んな若者で、性的欲求のはけ口を組織として保証しないと、軍の派遣地域で日本の軍人による性犯罪が増え、占領地の平穏な管理に支障を来す、のなら、どうして米軍のように若い兵士を数ヶ月やそこらで家族や恋人の元に返すような体制がとれなかったのでしょうか。戦争とはロジスティックの能力で決まる、と日清日露戦争の時に学んだはずですが。日本人はことによるとひどく戦争がへたくそなのではないか、勝てない戦はしない、同胞が数百万殺されることを合理的に予想したら、耐えがたきを耐え忍びがたきをしのび戦争をしない方策をなぜ聡明な日本人がとれなかったのか不思議でなりません。アジアの他国の独立などどうでもいいことですし。これもひょっとしたらですが、アングロサクソンの残虐性や近隣諸国の歴史的な悪意や憎悪をなめていたのでしょうか。合理性を廃して戦争など絶対にできないと知っていたはずです。

2.日韓基本条約
これはひょっとしたら当時の冷戦構造における必然から結ばれたもので、特に戦時賠償の意味合いは日本側からは特になかったのではないでしょうか。現在の韓国人から見れば自国民を大規模に虐殺するような軍事独裁政権を財政面から支え、分断と圧政の政治を長引かせた、との認識に過ぎないのではないか、だから今になってもなお、隣国の大統領は未来千年の恨みを宣言しているのではないか。だとすれば慰安婦問題も含め解決するはずもないので対応せずに放置するしかないような気もします。いずれ半島の不安定化は激しくなり民族国家を維持できないことになるでしょうから。その前に必ず対日政策を転換せざるをえないか、三田渡碑に見られるような中国の完全な属国に戻るかどちらかしかないと思います。

3.アメリカの対応
先の大戦中都市空爆や原爆で非戦闘員を含む数百万の日本人を虐殺したアメリカにとって、いわゆる慰安婦問題は自らに向けられた道徳的非難を心理的に中和できる恰好のテーマであり、20万人の性奴隷などどどう考えてもあり得ない状況を否定しない理由がそこにある気がするのでしょうが、どうなんでしょうか。

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A 回答 (9件)

 No.2です。



 お礼欄の記入事項で少し気になったことがあったので、コメントします。
 回答ではないので、無視していただいても結構ですが、参考にして頂けたら幸いです。

<南京大虐殺や20万人の慰安婦問題のような突拍子もない言いがかりをどうやって解消していくか、日本人の知力と忍耐力と狡猾さが試されているのかもしれません。>


-その1-
 私は、『日本人の知力と忍耐力と誠実さが試されている。』と思っています。
 戦後70年近く、平和を体現してきた日本人は、国際社会の中で、胸を張って毅然とした態度を取れると考えます。
 毅然とした態度を取るには、「自らの非は認め、誠実に対処する」ことが必要ではないでしょうか。
 「狡猾」では、毅然とした態度にはならないでしょう。

 「南京事件」・「慰安婦問題」において、どこまで責任があるか明確にすべきでしょう。


-その2-
“慰安婦問題について”
・朝鮮半島出身の慰安婦が20万人と言うのは、荒唐無稽。部隊が兵站拠点に戻ってきた時、数人の慰安婦で一晩100人以上を相手にした様な記述を見ると、多くとも延べ1万人程度ではないか推測しています。
・朝鮮半島出身の慰安婦よりも日本本土からの慰安婦の方が多かったようです。
・基本的に強制連行はありえない。
 尊卑意識や差別が現在よりもはるかに強かった戦前の感覚からすれば、行政・社会常識が機能している日本本土や朝鮮半島で「栄えある皇軍」が直接「卑しい慰安婦」を扱うこと自体、『天皇陛下を辱める行為』として、社会から糾弾される。
 また、当時、事実上の強権を持っていた軍にとって、慰安所経営者に口頭で「軍の希望」を述べるだけで慰安婦を集めることが出来た。
 ⇒ 慰安所経営者は、軍の希望する慰安婦の数がそろわない時は、あらゆる手を使ったと思われる。

 当時の状況を示す事例
・和歌山県で慰安所経営者が、「軍の希望」によるとして慰安婦を募集したところ、警察が「慰安婦の募集に軍の名を騙っているとして詐欺容疑・軍の名誉を汚す。」として逮捕。その後、軍から口頭で、事実であるとの確認が行われ、釈放された。
・日本の炭鉱で働く朝鮮半島出身者のために「朝鮮料理を作る賄い婦」を朝鮮半島で口入れ業者が女性を募集。応募した女性は九州で賄い婦として働き、戦後朝鮮半島に戻ったところ、「慰安婦」であったとして故郷の人からひどい差別を受けた。

 慰安婦問題の本質
・アメリカなど先進国の捉え方
 日本政府は、慰安所の運営・移動について、日本軍の関与を認めている。(強制連行は認めていない。)
 従って、人権侵害に対する補償を行うべきである。(=日本人慰安婦に対しても補償を行うべき。)
 
 

-その3-
“南京事件について”
 日中歴史共同研究が既に行われています。
 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/rekishi_k …

 日中戦争については、日中共同で結論を出すことができなかったため、日本・中国それぞれの側が自国で分析を行って、それぞれ単独で結果を発表しました。

・抜粋
『中支那方面軍は、上海戦以来の不軍紀行為の頻発から、南京陥落後における城内進入部隊を想定して、「軍紀風紀を特に厳粛にし」という厳格な規制策(「南京攻略要領」)を通達していた。しかし、日本軍による捕虜、敗残兵、便衣兵、及び一部の市民に対して集団的、個別的な虐殺事件が発生し、強姦、略奪や放火も頻発した。日本軍による虐殺行為の犠牲者数は、極東国際軍事裁判における判決では20 万人以上(松井司令官に対する判決文では10 万人以上)、1947 年の南京戦犯裁判軍事法廷では30 万人以上とされ、中国の見解は後者の判決に依拠している。一方、日本側の研究では20 万人を上限として、4 万人、2 万人など様々な推計がなされている24。このように犠牲者数に諸説がある背景には、「虐殺」(不法殺害)の定義、対象とする地域・期間、埋葬記録、人口統計など資料に対する検証の相違が存在している。』


※当時の中国では・・・
・日中戦争までにも、中国では軍閥間の内戦が行われており、国土が荒廃していました。そのため、生活できなくなった農民や労働者は、相当数が食べることのできる兵士になりました。
 しかし、戦いに負けた時、負けた側の兵士は軍服を脱ぎ棄てて、元の農民や都市労働者に戻ってしまうことが普通でした。
・軍閥戦争を制した蒋介石(日本に軍事留学し、日本軍の将校として勤務経験がある。)は、日本軍と対等にう能力を持った精鋭部隊を持っていたが、その兵力は日本軍に比べると相当少なかった。
 そこで、精鋭部隊を温存し、決して負けない大陸国家特有の戦略を取った。

 1、農民・労働者を募集し、短期訓練で急造部隊で兵力を水増し。
 2、自軍が有利な状況でのみ戦を始め、戦況が不利になれば、より内陸に撤退する。日本軍の補給がより難しくなる。
 3、共産党軍が、便衣兵として、日本軍の補給部隊を襲撃。

 この戦略の結果・・・
a.戦場となった地域の中国農民の受ける印象は
 ・蒋介石軍は戦わずに撤退し、我々は日本軍の占領地に取り残された。
 ・共産党軍は少数でも戦ってくれる。
  ⇒ 戦後、中華人民共和国に政権が移る原因に

b.訓練された精鋭部隊は素早く撤退氏兵力を温存できたが、短期の戦闘訓練しか受けていない急造部隊は日本軍の捕虜になることが多かった。
  ⇒ 日本軍の兵力を超える、膨大な数の捕虜の発生=日本軍の補給が追いつかない・作戦に従った素早い部隊の移動が出来ない。

 このような軍事的背景がありました。


※南京事件の死者の実数について
 中国政府が日本軍の占領中に写真撮影や戸籍調査することは不可能です。戦争前の戸籍などもありません。
 従って、事件の死者の実数把握は、占領して軍政を引いていた日本側の資料を使うのが、正確な数字に近いでしょう。一次資料である部隊指揮官の手記は正確であり、ねつ造・隠ぺいなどの形跡は見られません。
(陸軍士官学校では、戦場で毎日手記をきちんと正確につける教育が徹底されていました。軍司令部などに提出する報告書作成の際の基本資料とするためです。)
 従って、この部隊指揮官クラスの手記を使った日本側の分析は、ほぼ実態を示すと言ってよいと思われます。
 10万人規模の占領軍には、3000人程度の連隊なら数十から、1000人程度の大隊なら100程度あるわけで、副官クラスも考えれば数百の手記があったわけですから、ある程度の数の一次資料が残っています。

 このような資料の分析をきちんと行って、最も早い時期に公表したのが、秦郁彦氏です。 
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%A6%E9%83%81% …

○私の個人的南京事件の実態理解
・3000人の連隊が警備を行って、挙動不審者を1日に3~4人捕まえたとすると、占領軍全体では100人以上、半年間で二万人という数になります。(占領当日だけの数字ではないことに注意。)
・食いはぐれた農民・労働者が短期の訓練で兵士として参戦、軍服を脱ぎ捨て元の農民・労働者に戻った場合、警備・尋問で「不審な反応」を示すのは当たり前。
・取り調べる日本兵も、本来は一般市民で、捜査・尋問については全くの素人。便衣兵が居ないか疑心暗鬼になっている。
・首都南京が陥落したので、戦争が終わって日本に帰れると思っていたのに、終わらない。いつまで戦場にいなければならないのかという日本兵全員の不平の蓄積。
・食糧補給の不足
 
 上記のようなことが背景になって、秦郁夫氏のまとめた数字の事件が発生。

 
※30万人と言う数字について
 30万という数字は、戦争後に住民に聞き取り調査をして、戦争前に居たが、戦争後に行方の分からない人の人数と、私は解釈しています。
 清朝の滅亡と軍閥戦争が終わったばかりの土地が戦場となり、一家の大黒柱を失った母親や子供が、日本軍でさえ食糧確保が簡単ではない状況の中で、疫病・飢餓に直面したことを考えると、戦争終了後に人口調査をやれば、成人男子の数倍の人命が行方不明となるのは当然で、中国政府のいう30万人という数字になるのも不思議ではないだろうと考えています。(女性・子供を簡単に殺すような精神構造を人間は持てません。ゲリラかもしれないと思うから、成人男子は殺せたのです。)

 日中歴史共同研究を行った中国側の学者の一人は、30万人と言う数字について、「30万人が殺されたという数字が大切なのではなく、無抵抗の一般民間人が何万人も殺されたことが問題である。」という微妙な発言をしています。

 日本側の精査した資料・数字に対して、中国側は30万人・またはそれ以上という数字の根拠を示す資料を示していない様です。
 また、日本側が示した資料は、中国国内では一般に公開されていない様です。
 

<付記>
 私が子供の頃、お祭りなどに行くと、必ず「傷痍軍人」の方々が、アコ―ディオンを奏して、喜捨を求めており、中国に戦争に行った父は、必ず喜捨をしていました。
(傷痍軍人会は、会員の減少・高齢化で運営が困難になり、今年解散になったそうです。)
 砲弾による手足の負傷(傷口が複雑な形状になる。)は、医薬品の不足・多数の手当てや敗血症・破傷風の可能性を下げるため、不詳の影響のない位置で切り落とすことが普通でした。
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>どうして米軍のように若い兵士を数ヶ月やそこらで家族や恋人の元に返すような体制がとれなかったのでしょうか。



官報号外、昭和28年2月27日に載った第15回国会の社会党の藤原道子議員の質問の議事録
『米軍の暴行事件は、昨年十二月まで独立後、独立後ですよ、八ケ月間におきまして千八百七十八件を数え、なお泣き寝入りになっておりまする件数は膨大な数であろうと想像されております」


占領から8年後でもこの有様です。


 「T子(十一歳・武蔵野市小学五年生)R子(同)A子(同)の三人は、十月(中略)武蔵野の林のなかを仲よく手をつないで歩いていた」 《キャンプ・トコロザワの近くで夢中でスケッチをしていると、まずR子がおそわれ、次々に米軍の餌食になってしまったのだ。彼女達のスカートは切られ、何か起こったのか全然わからなかった。R子とA子は気絶し、T子はまた泣き叫ぶと、アメリカ兵は彼女の顔を蹴り、ジープで去った》(要旨、以下同)


1946年4月東京・大森で恐ろしい事件が勃発した。 《N病院(=中村病院。その後廃業し、跡はビルと道路になった)は三白のトラックに分乗した米兵によって、およそ一時間ちかくも病院じゅうを荒らされた。彼等の総数は二百人とか三百人とかという説もある。婦人患者のうち重症者をのぞく四十故人と看護婦十七人、ほかに十五ないし二十人の付添婦・雑役婦などが凌辱された》

 「彼等は大病室に乱入し、妊婦・産婦・病気の婦人たちのふとんを剥ぎとり、その上にのりかかった」「二日前に生まれたばかりの赤ちゃんフミ子ちゃんは、一人の兵隊にユカに蹴落とされて死んだ」「M子などは続けさまに七人の兵隊に犯され、気絶した」

 そして、「裸でころがっているあいだを通って、侵入してきたときと同様、彼等は表玄関と裏口から引き揚げていった」


検索したらこんな感じのがゴロゴロでてきます。
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20万人の従軍慰安婦強制連行は共産党の文筆家吉田清治と朝日新聞植田記者の捏造です


http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n110203

従軍慰安婦強制連行を朝日新聞が捏造
http://ccce.web.fc2.com/ia.html
共産党の文筆家吉田清治氏が書いた小説を引用した捏造だった
従軍慰安婦強制連行20万人が嘘な事は明白です
吉田清治氏本人が96年に捏造だったと認めています

日韓基本条約時に日本が韓国に支払った5億ドルの戦時賠償金の中から韓国人被害者に韓国政府が賠償するという物です。つまり、韓国政府が元従軍慰安婦の韓国人女性に戦時賠償義務があります。
よって従軍慰安婦問題は賠償済みという日本政府の立場です

単にアメリカは韓国に騙されているのです。
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従軍慰安婦は、世界の多くの軍隊に存在しました。


日本だけの制度ではありません。
公的強制の事実があったかどうかだけが問題です。
実際、半分ぐらいは日本人慰安婦であった以上、
軍による強制などあり得ません。
当時は、朝鮮半島も国内ですから、そうした(朝鮮人
の)民間売春組織の強制的な徴用を、公的に取り締
まっていたほどですから。
だから、従軍慰安婦の強制連行という話が問題に
され始めたのは、最近の事です。

日韓基本条約の補償の範囲に、従軍慰安婦(当時
は公的強制によるものではなく従軍の補償として)
含まれています。
交渉の過程で、日本政府は従軍慰安婦について
個人対象に補償すると提案したにも関わらず、
韓国側が「自国政府で補償するので、その分
金額を上積みしろ」という話だったので、援助額を
上積みしたのです。
だから「韓国政府に従軍慰安婦への補償義務がある。
そのお金を使い込んだのだ」と言われるのです。

アメリカの無差別じゅうたん爆撃や原爆による
百数十万人の非戦闘員の殺戮の話は、従軍慰安
婦よりも、南京大虐殺の人数の戦後の膨張に顕著
ですね(他にも重慶爆撃や731部隊もあるけど数字
的にフカす事ができたのが南京。しかしさすがに南京
城市の人口30万以上にはできなかったようだが)
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シンプルに意見します。


韓国は世界最大の売春婦供給国です。全て推して知るべしです。日本軍が韓国の女性に慰安婦になるように強制した記録はありません。自身の意思で売春婦になっています。韓国の主張は虚偽です。
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1.慰安婦問題の原型


慰安婦問題は、当初韓国側での慰安婦と女子挺身隊との混同からはじまっています。
日韓の民間保障問題で、日韓基本条約において民間の保障が対象外だった事が、外交資料の公開で明らかになったため、挺身隊として動員された韓国人に対しての保障問題が起こりました。
その中で、女子挺身隊の事が知れ渡り、それが軍慰安婦問題として認識された事が発端です。
女子挺身隊は、国家総動員法により、強制的に軍事工場などに動員された女性であり、慰安婦ではありませんでした。
女子挺身隊問題の中で、慰安婦とされた人達が声をあげるようになり、女子挺身隊問題よりも、軍慰安婦問題がより注目されるようになったのです。

>占領地や併合した地域の円滑な管理や治安維持に支障を来すことにもつながるため、高潔かどうかは別として目的から逸脱する行為や犯罪は自ら律する必要が強く存在したはずと思うのです。

日本軍の補給軽視のために、うまくゆかないのが現実でした。
日本軍は、弾薬や衣料などは補給しましたが、食料は現地調達でした。
戦場で焼かれた村などからも食料を徴発しませんと、日本軍兵士自身が飢えてしまいます。
そのため、強制的に食料徴発をせざるをえないのが実情でした。
そのため現地住民の抵抗にあい、それを鎮圧するための虐殺や、それらによる兵士の心理的負担によるストレスなどが生じ、慰安婦を必要とする割合が他国の軍よりも高くなるのです。

2.日韓基本条約
日韓基本条約が結ばれたのは、朝鮮戦争により、日韓の国交正常化を急いだアメリカによってです。
交渉過程で、アメリカが重要問題をあいまいにして、とにかく締結を急がせたため、今日の日韓関係にトゲを残すことになります。

>先の大戦中都市空爆や原爆で非戦闘員を含む数百万の日本人を虐殺したアメリカ

日本の場合非戦闘員と戦闘員との判別は不可能です。
日本では、老人から尋常小学生まで男女を問わず軍事訓練が行われていました。
竹槍を持ち訓練された人達は、非戦闘員とは言いません。
日本軍には、戦闘員と非戦闘員という区別は無かったのです。
日本国内においても、国外においても。
「慰安婦問題、素朴な疑問」の回答画像4
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この回答へのお礼

兵站(ロジスティックス)の大切さは日清戦争の時に学んだはずなんですが、日本軍は戦力の逐次投入というやってはいけない戦略上のミスを犯してしまったようですね。戦争は所詮殺し合いですので加害側面と被害側面が存在します。
スマラン事件が判明したときにすぐに再犯防止、犯人の処罰、被害者への謝罪と慰謝をきちんとやっておけば、こんにち世界中に嘘を振りまかれて日本人の誇りが傷つけられる事態にはならなかったのかもしれませんね。
旧軍幹部は、世界規模の大戦を当事者として参加し勝ち抜く合理性も後生への配慮もないくらい余裕がなかった、と思っています。
ご回答感謝です。

お礼日時:2014/05/30 21:59

真偽も定かでない「従軍」慰安婦問題を事実として、WW1当時の捕虜の待遇と比較するのは、無意味です。



No1様に同意。
>1.慰安婦問題の原型

回答1:違います。

質問の自体の原因は、反日思想の日本の思想家と外国人が、↓の経緯で広めた嘘が原因です。
(白馬事件がA、Bの元ネタになっているという可能性はありますが)

A:1973年 「従軍慰安婦」発行 著者:千田千夏(この本で「従軍」慰安婦という用語が使われました)
この本では7万人が慰安婦にさせられた と書かれています。(後の調査では、証拠は発見されていません。)

B:1983年 「私の戦争犯罪」発行 著者:吉田清治
著者は、韓国の済州島の住人から、日本軍の強制連行の証言を聞いたと言っています。
しかし後に行われた裏づけ調査では、証言の事実はないことが判明し、本人もそれを認めています。
(著書は1989年に韓国でも発行されましたが、韓国の済州新聞に嘘だと否定されており、ここまでは大きな問題にはなっていません。)

C:1989年 宋斗会(在日)と青柳敦子が「朝日ジャーナル」に、「日本は慰安婦問題を謝罪せよ」という内容の意見広告を出しました。
二人は訴訟を起こす原告を探す為に、韓国の「太平洋戦争遺族会」と組んで元「従軍慰安婦」を探します。
(しかし、強制連行の被害者としての元【従軍】慰安婦は発見されませんでした。)

D:1990年 ハンギョレ新聞に【「挺身隊」怨念の足跡取材記】 著者:尹貞玉(後に「挺対協」(民間団体、韓国挺身隊対策協議会)のリーダーとなります。)という連載記事が載り、韓国内で大きな反響をよびました。
その内容は、挺身隊と慰安婦を混同し、千田千夏から教示を受け、かつ吉田清治の証言を事実として全肯定したものでした。

社民党の福島瑞穂も、この件に関わっています。
彼女が国会議員になれたのは、この慰安婦問題によって注目を浴びたからです。

【慰安婦問題の「主犯」は福島瑞穂弁護士】
http://blogos.com/article/45082/

以上の経緯によって、韓国人が従軍慰安婦と強制連行を事実と誤認してしまいました。
これ以降、従軍慰安婦問題が日韓間の問題になりました。
当時の韓国は、国策で反日教育を行っており、これらを信じ込む下地がありました。


>ひどい目に遭った韓国朝鮮人が全くいなかったとは思えませんが。日本人でもいろんな意味でひどい目に遭った人は山ほどいるので。

これは、この問題で証拠や根拠をだせず、追い詰められた人が必ず使う言い逃れです。
訴えを起した方が被告の犯罪の証拠(この場合、強制連行の証拠)を出す義務があります。
これは、【告発側の立証責任】と言われており、裁判や議論の場では常識以前のものです。
私は、証拠のない非難は「いいがかり」と呼んでいます。


白馬事件ですが、私も事件への日本軍の対応には疑問を覚えます。
しかし、それといわゆる【従軍】慰安婦問題とは無関係です。

いわゆる「従軍」慰安婦問題の焦点は、【強制連行という犯罪を国家が命令し軍に行わせた】事の真偽です。

この慰安所は、事件の発覚後の1944年4月に日本軍司令部により閉鎖されています。
確かに、日本軍の対応(当事者の処罰等)には疑問を覚えますが、この事は同時に「国家・軍の命令によって強制連行が行われたわけではない」という事の証明でもあると思います。

連合軍も、白馬事件は軍司令部の命令ではなく、現地の部隊の暴走による犯罪行為と認識されています。
なので、戦後の軍事裁判でも日本の国家犯罪とはされていません。
(日本軍・政府が、強制連行を行わせていたなら、実行犯のみが処罰されるのは不自然です)


休暇の有無が慰安婦問題の原因であるように仰っていますが、
これについてはNo1様に同意します。
むしろ、休暇のある他国の軍隊でも、占領地で公然と民間人を暴行しています。(動画も参照)

ドイツ軍:軍管理の売春宿があった。売春宿のない占領地では、軍直営の慰安所を設け、慰安婦は現地の女性を強制徴用した。強制収容所の囚人用の慰安所まであった。
女性達への補償は全くされていない。

アメリカ軍:日本占領時、日本政府に売春施設を設置させた。

旧ソ連軍:ユダヤ人やポーランド人女性を拉致し、強制的に慰安婦した(無給)。
男性が大量に死亡した筈のドイツのベルリンでは、戦後に何故かベビーブームが起っている。
満州や千島列島侵攻時、日本人に暴行や略奪を公然と行っている
女性達への補償は全くされていない。

中国軍:大陸にいた日本女性の中には、引き揚げの混乱時、拉致され、慰安婦にされるものが続出した。
女性達への補償は全くされていない。

韓国軍:朝鮮戦争で慰安婦所を設けた。ベトナム戦争の参加時には、現地に大量の混血児を残した。
また韓国政府は、現在でも駐留米軍に、「洋郎」と呼ばれる慰安婦を提供している。
女性達への補償は全くされていない。

一方で、旧日本兵の暴行・略奪や現地人や慰安婦との私生児は確認されていません。


日本の戦争責任を追及する方は、日本軍に過剰なまでの高潔さを求めているようですが、連合国については非常に寛大(というか故意に無視or無知?)なように思えます。

【「解放者」米兵、ノルマンディー住民にとっては「女性に飢えた荒くれ者」】
http://www.afpbb.com/articles/-/2946474?pid=1081 …
(地元の人々は「問題」に直面していた。地元には、「ドイツ人を見て隠れるのは男たちだったが、米兵の場合は女たちを隠さねばならなかった」という話が伝わっているという。)


開戦自体についても、後付の知識で上からの目線で語る、ごりっぱな見識の方が よくいらっしゃいますが、

【後から全てを知った上でなら、なんでも言えます】
(その方が、本当に全てを知っているかは疑問ですし、これについては、質問の主旨から外れるので詳細な説明はしませんが)


>2.日韓基本条約
>これはひょっとしたら当時の冷戦構造における必然から結ばれたもので、特に戦時賠償の意味合いは日本側からは特になかったのではないでしょうか。

回答:日韓条約で渡した経済協力金は、「賠償」ではありません。

これについては、日本人でも誤解している方が多いのですが、
朝鮮は終戦まで日本だったので、連合国は戦勝国とは認めておらず、戦争賠償の請求権はありません。
併合中の統治に関しても、賠償が必要な事はしていません
(よく自称良心的日本人が主張する、強制連行や土地の没収や様々な差別は捏造です)

以上から、日韓条約で支払ったのは、「韓国の独立により生じた未決済事項に対する決算」と「竹島侵略時に拿捕でれた漁民の身代金」です。
そもそも、日本は併合時に韓国に膨大なインフラを残しており、それらへの請求権は戦争とは関係なく残っていました。
それらは、↑の日本の支払を遥かに越えるものでしたが、冷戦の最中に韓国の負担を増やすのは望まないアメリカの意向によって放棄されられています。


>だとすれば慰安婦問題も含め解決するはずもないので対応せずに放置するしかないような気もします。

それは間違いです。
この問題では、「大人の対応」とか「重要な隣国」とか言って、結局日本が行動するのを止めようとする、自称平和を愛する国際人の方の意見が出てきますが、
放置すれば、彼らは世界に嘘を広めます。
それに抗議や事実を伝える努力せず沈黙すれば、国際社会では事実と認めた事になってしまいます。

「味方の振りをした敵」や「無能な味方」程やっかいな存在はいません。


3.アメリカの対応

>いわゆる慰安婦問題は自らに向けられた道徳的非難を心理的に中和できる恰好のテーマであり、20万人の性奴隷などどどう考えてもあり得ない状況を否定しない理由がそこにある気がするのでしょうが、どうなんでしょうか。

質問者様は勘違いをしていると思います。
アメリカや白人国家は、過去の植民地支配や戦時中の行為については、何の罪悪感も持っていません。
更に、それらは、既に平和条約で国家としての相手国に何を言う権利もありません。
アメリカにとっての「従軍」慰安婦問題は、日本と韓国の問題で、アメリカは無関係のものです。
しかし、日韓間がこのような状態なのは、アメリカアジア戦略にとって具合が悪いので単に「(表面上の)問題を起すな」と言っているに過ぎません。

実は、アメリカの司法は慰安婦問題は解決済みという最終判断を下しており、国家としてのアメリカを動かすことはできません。

【米連邦最高裁判所は2006年2月21日、慰安婦問題は解決済みであると却下の判決を下してる】
http://www.asyura2.com/13/senkyo144/msg/619.html
(アメリカでは、慰安婦問題は解決済みであり、慰安婦問題に関して日本側に賠償や謝罪を求める訴えを今後は米国内では起こすことはできないと言うことである。)

↑から国家としてのアメリカは動かせないので、韓国人は知識のない一般の市民に誤った認識を与えて、州議会に(お金で)働きかけて「非難決議」を出させています。

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この回答へのお礼

千田、吉田両氏の話はあまりにも有名なのでそれは前提として省略しましたが、日本軍が占領地の若い女性を20万人も拉致し強制的に売春婦にしたなど突拍子もない話は、WIKIにある白馬事件のストーリーとあまりにも符合します。それが誰かの脳裏にあってのことと考えれば合点がいく、というだけの疑問です。質問したあとに気がつきましたが、明確で客観的な答えはこの世にはないでしょうね、きっと。二人とも亡くなっているようですので。

戦争は古今東西、勝ったものが倫理も道徳も支配するわけですから、逆に言うとそうであればあるほど勝てない戦争を始めることは民族にとって犯罪的で、なぜそういうことになったのか合理的に分析しておかないと将来の危機に備えることはできないような気もします。あの戦争で国土や人名、そして名誉までとてつもないものを失っているわけですから。

誤解の指摘ならびにご回答に感謝します。私なりにご回答の内容を足がかりに文献を当たってもう少し調べてみるつもりです。

お礼日時:2013/10/24 23:32

<コメント>


「 米軍のように若い兵士を数ヶ月やそこらで家族や恋人の元に返すような体制がとれなかったのでしょうか。」

 これに対する答えが、第二次世界大戦における日本の汚名の説明となります。


 当時、日本の国力(生産力)はアメリカの10分の1と言われており、その上、1937年に始まった中国との戦いが泥沼化し、若手労働力を兵士として送り出したことと、長期に軍需産業に偏った資本消費によって、国内生産力は停滞し始めました。(戦前の日本の生産力のピークは1937年。)
 更に、1938年には国家総動員法・1940年には食料の配給制が国内で始まります。
(満州事変当時の日本軍兵力は45万、対米開戦時は190万)

 アメリカとの戦い(1941年12月開戦)を始める以前に、中国との泥沼の戦争で、国力の大きな消耗が起き、顕著に国民生活を圧迫しているのです。

 従って、日本はアメリカ相手に戦争出来るような経済状態からはほど遠く、更に、軍事上最も避けるべき二正面作戦を中国とアメリカ相手に行い、敗戦必至の選択をするはずがないという、常識的なアメリカ人の軍事的発想がありました。

 日本政府・陸海軍の認識も、アメリカと同じで、日本の敗戦は必至というものでした。
 ですから、この『敗戦は必至』と言う状況を変えるわずかな可能性を引き出すために、

・『人間的常識を捨てる。』と決めて、「国民の命は戦争に勝つための道具として使う」という選択を行ったわけです。
 自国民の命や人権を戦争遂行の道具として使いながら、敵対する国の国民の命や人権は、きちんと守って戦争遂行の道具として使わないでいることは、極めて困難で、事実上不可能な状況も起こります。
(前線への食糧供給が出来ず、日本軍兵士が栄養失調になる状態で、捕虜にきちんと食事を与えることが可能か?など)

 アメリカ軍の常識では降伏するはずなのに、日本軍は生存を無視して降伏せず、戦いを続けたのです。


※長期間に渡る軍事作戦は、その国の経済・社会を大きく変えてしまいます。
1、人口3億人で第二次世界大戦当時よりはるかに国力が大きくなった現在のアメリカが、イラク・アフガニスタンで長期戦(全面戦争ではない)をやっただけで、経済システムが破綻しかけて、リーマンショックに至りました。

2、ソ連崩壊も、長期的には社会主義の限界による経済の伸びなやみと言えますが、短期的・直接的な原因は、アフガニスタンに10年間出兵して戦闘を続けたことによって、経済が疲弊し、前線に軍需物資が滞る事態が発生するようになり、軍がソ連政府を見放す決定をした結果です。


<参考>
・第一次世界大戦時の日本の戦時捕虜管理の実態
 日本は、短期の戦闘を行うだけで済んだ。

 第一次世界大戦では、中国で捕虜としたドイツ・オーストラリア兵を、長期に渡って捕虜収容所に収容しましたが、人権問題はほとんど起きず、捕虜となったドイツ人が、戦後に捕虜生活から解放された時、日本に帰化するというケースもありました。

 青野ヶ原俘虜収容所
http://www.city.kasai.hyogo.jp/02kank/08sisi/hur …

 坂東俘虜収容所
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BF%E6%9D%B1% …
 
 捕虜でも遠足があり、給料が支給され、お酒も購入できた。捕虜に市価よりも高額に物を売り付けた日本人業者が、処罰された例もあるそうです。


 岡村寧次大将資料によれば
http://www.geocities.jp/yu77799/okamura.html

 嘗て聞いたところによれば、北京附近の中国古老は、団匪事変のとき、欧米各国兵が掠奪強姦の限りを尽くしたのに、ただ独り日本兵のみが、軍、風紀森厳にして寸毫も冒すことなかったことを回想し、どうして今の日本兵がかくも変わったのかと痛嘆したという。

 注:団匪事変=義和団事件(1900年)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A9%E5%92%8C% …
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この回答へのお礼

日露戦争後のポーツマス条約やロンドン軍縮条約を経て国内に不満が蓄積していき、結局合目的的な思慮を維持できずに結局最後は軍事的に追い詰められて一億玉砕のスローガンへと落ちていく、まるで武器を持って立てこもり最後はすべての構成員に自殺を強要するカルト宗教のようなことになってしまった、と言えば怒られるかもしれませんが、他民族の人権にも配慮でき温和で理性的な行動ができるのは厳しい自己抑制とある程度の物心の豊かさが必要なのでしょうね。日本人に限らず。

それはともかく、南京大虐殺や20万人の慰安婦問題のような突拍子もない言いがかりをどうやって解消していくか、日本人の知力と忍耐力と狡猾さが試されているのかもしれません。たぶんこういう問題に対する回答は簡単には得られないとも。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/10/24 22:56

何を質問したいのかは不明ですが…



> 米軍のように若い兵士を数ヶ月やそこらで家族や恋人の元に返すような体制
初耳です。1940年に制定された新徴兵令では2年間勤務です。原則2年は帰国出来ません。航空隊とかは25回作戦に従事すると一時帰国出来ます。
フィリピン戦での記録が残ってますが、米兵の実に75%が性感染症に罹患しておりました。彼らには日本のような慰安所が無かったので現地の売春婦を買うか強姦するかしか無かったのです。当時の米軍にはコンドームの配給も無かったため、誰かが性病になると部隊に蔓延してしまいました。

   戦前日本
政府公認の慰安所(現在でいうソープランド)を駐屯地近郊に開設許可を出し、性犯罪の抑制と性病の蔓延を防いだ

   米軍(現在に至るまで)
放任主義。自分らで売春婦を買えが基本。結果、一部の兵士が強姦事件を起こしている
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この回答へのお礼

どこが勝とうが戦地で起こっていることは大差ないということのようですね。

ご回答ありがとうございました。
(補足欄に間違えてお礼を書き込んでしまいました、申し訳ありません。)

お礼日時:2013/10/23 20:47

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