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小津安二郎の生誕100年とかで、GYAOで彼の映画が毎日1本づつ無料配信されています。

それらを観ていてあらためて、タイトルのような感慨を噛みしめています。

結婚し子供が出来、子供たちと一緒に海へ山へ、遊園地へと遊びに出かけます。子供たちも喜んで付いて来ます。親も楽しいです。しかし、思春期に達する頃から、友達と遊ぶ方を好むようになり、親と一緒に遊ぶ子供ではなくなります。こうして子供は巣立って行くんだと思っても、親としては非常に寂しいです。

子供は結婚する年齢になると結婚します。小津安二郎が「晩春」や「秋日和」で描くような悲哀を親は経験しなければなりません。芦屋雁之助が「娘よ」という歌を歌って大ヒットしましたよね。娘を嫁がせる父親の寂しさを歌っています。

両親との死別が来ます。私は母親が大変好きでしたので、彼女が死んだ時は太陽が無くなったくらいの衝撃を受けました。一ヶ月くらいは、毎日思い出しては泣いておりました。

最後に「連れ合い」との別れがあります。私は昨年末、連れ合いを亡くし、太陽どころか、宇宙が無くなったほどの衝撃を受け、1ヶ月どころか、そろそろ1年になるのに、まだ毎日々々泣いております。

悲しい時には、悲しい話を聞いて見て涙を流すのが癒しになるとのことで、韓国ドラマの悲しいのばかり観ています。
そのドラマの中のセリフで人間の悲哀をぴったり表現したものがあり、びっくりしました。以下です。

親なら寿命だったと…
幼子なら また産めばいいと
人はそうやって、死んだ人間を忘れようとする。
だが、伴侶は違う
後を追いたくなるんだ。

幸いにも私は、自分の子を死なせる悲哀は経験せずに済みましたが、最後のセリフは正にそのものズバリです。多分死ぬまで、私の妻への"後追い願望"が無くなることはないだろうと思います。

人生の最後の最後に、こんな苦しみが待ち受けていたとは想像もしませんでした。
日が立てば立ち直れると言いますが、おかしなことに、立ち直りたくないのです。誘蛾灯に突っ込む虫のような気持ちで、このまま苦しみと共に突っ込んで死んでしまうのが一番幸福を感じるのです。

で、私の結論は、「こんなことなら生まれないほうが良かった」です。
皆さんはどうですか?
人生は悲哀の連続なのに、打ちのめされず愉快に生きて行けるのですか?
まあ、人生の前半部分だけなら、生まれて来ても良かったですけどね・・・

A 回答 (21件中1~10件)

今回はとても有意義な質問であり、体験者しか理解されない悲嘆感情を、三度回答の投稿されてる方への


お礼の答弁の中できちんと書いて頂き、いくらかは未体験者の中にも知識を深められたであろうと思います。

僕はある伴侶を亡くした仲間の会みたいなとこに所属していますか、そこでよく語られることは、体験者しかわからないよねです。夫婦無事であったころ、喧嘩もやってたころ、みなさん伴侶の死は、軽く捉えていたからです。それが無理解な人だったほど、そのギャップに驚愕しますね。
私も無知の最たるものでしたから。

だから悲しみは誰にも訴えなかったですね、理解が難しいと思ったのと、そのときの感情を的確な言葉にする能力もなかったし、一言で言えば「おののく」ですけど、「只悲しみにおののく」とはどういう感じか説明することが出来ない。今でも説明できないですね。心理学を極められてるようですけど、このことをどう表現すればいいか
心理学者は言葉で説明できる方法を発表しておりますか?
心理学はこの悲しみの説明を誰にでも理解されるべく、貢献してくれないと、我々の孤独を救うことはできませんね。

>しかし、よく5年間も辛抱できましたね。本当にご苦労様!
只時間グスリを信じ耐えて生きてきましたね。

>「自分だけおめおめと生きていて妻に申し訳ない」という自責の念はありませんでしたか?
子が高1でしたので、どう妻の代わりをやるか必死だったのと、こんな酷い悲しみだと、確実に
1年は持たない自死とかでなく、病死するとほんとに思っていましたから、自責念を持つ余裕さえなかったと
思います。深い森の中を一人さ迷いながら生きている状態でした。

>私はこれが強くて苦しいのです。
仲間の会にもそんな方いらっしゃいますね。

.

この回答への補足

ネット上で、どこか伴侶を亡くした方のサイトをご存知ありませんか?

補足日時:2013/11/26 13:22
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>三度回答の投稿されてる方への
お礼の答弁の中できちんと書いて頂き、いくらかは未体験者の中にも知識を深められたであろうと思います

この回答者のように「人生色々」「悲しみ色々」「悲しみをどう受け取るかは本人次第」なんていう浅薄な認識を広められたら、堪らんでしょ。それでストレスのことを書いたのですが、結局解っていただけなかったようです。

心理学を極めているなんて、とてもとても(~_~;)
ただ、人間を理解するための必要最小限の知識を得ているだけです。心理学者がこの心理に関して説明しているというのは、聞いたことがありませんね。

なかなか、この病んだ心を癒す言葉というのは無いのですが、「愛する人を亡くした人の為の100の言葉」というサイトがあるのを御存知ですか?
http://www.asahi-net.or.jp/~kx5n-kgym/frame.htm

上記は死別体験者のホームページですが、ネット上では割合有名なような感じです。

100の言葉の中に、心に沁みる言葉が発見できるかも知れませんよ。私の場合もありました。そういう言葉に遭遇すると涙に襲われます。

このサイトに書き込むことも出来るのですが、「ネガティブなことを書いていけない」という規則があるのです。「苦しいから死にたい」なんて書いたらダメなんです。
「今は苦しいけれども、何とか生きて行こう」とか、そういう風に書かなくては載せてくれないので、私も書き始めたことがあるのですが、気持ちに合わないので途中で書くのを止めました。

依然として、生きて行く大義名分もありませんし、ただ、死にたい気持ちしかありませんので、いつまでも投稿出来ないのです。

当地には伴侶を亡くした人の会もなく、あれば是非参加したいのですが、自分で作る気力も勿論ありません。

貴方の場合は、高1の子供さんを育てなければならないという「大義名分」があったわけですね。大義名分があるから、苦しみが軽くなるというものではないようですね。というか、全く変わらないようですね。

この苦しみの感情をどう表現していいのか、自分の知っているあらゆる日本語を総動員しても、表すことが出来ないなどと、手記には出ています。

私の心の支えは、姉や子供たちには言えないのですが、今やってることを数年続けたら死のう、です。
数年後に死ねることが嬉しくて仕方ないという、罰当たりなことなんです。

お礼日時:2013/11/26 13:21

要するにあなたは初めから孤独地獄に住み続けているのでしょう。

もっとも誰もが同じように孤独地獄で生きているのですから、みな同じだと思います。楽園追放の神話にもつながると思います。人間を辞めた人は孤独から解放されます。言い換えると人が感じる幸福というのは錯覚です。こういう錯覚は必ずしも悪いものではないと思います。
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伴侶が得られなかった人はどうなのでしょう。

他の人が死んでも悲しくないのはなぜでしょう。

この回答への補足

回答ありがとうございます。

伴侶を失った経験、伴侶を失うことを怖れる気持ちがないからでしょう。

要するに想像が働いて、二次的にでも経験するということが出来ないからでしょう。

補足日時:2013/11/26 11:07
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すみません、#17の質問は答えがなくてもかまいません。


今からする質問にも答えても答えなくても質問者さまの自由です。

質問者さまは後追い願望があって、死んでしまうのが一番幸せを感じるのですよね。
では、なぜ死なないのでしょうか?
詰問しているわけではありません、素朴な疑問です。
それとも「死にたいほどに辛い」という比喩なのでしょうか?
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この回答へのお礼

子供が3人いて、母親が死に、私も死ぬとなると悲しむのが目に見えています。3人とも一人前ではないので、心残りです。
姉も3人います。死にたいと言うと、一生懸命に私を励まし慰めようとします。死んで欲しくないようです。

妻が死んでから始めた音訳ともう1つのものがあります。それらにある程度成果を出したいと思っています。

でも、今の気持ちが続くなら、数年後に自死するつもりでおります。

お礼日時:2013/11/26 02:19

こんにちは。

お礼をありがとうございます。
得意の早とちりをしてしまったのでしょうか。
>親なら寿命だったと・・・ ~ ~ ~  だが、伴侶は違う後を追いたくなるんだ。
質問者さまが、この一連の台詞全てに賛同されてると思ったのです。

そうです。親の寿命も失礼と言えば失礼でしょう。
ですが、先に生まれた生命が先に終わるのは自然な事ですから。
それに、個人的には私より30年近く長く母親といられた質問者さまを羨ましく思います。もちろんもっと生きていて欲しかった事もわかります。

>私の結論は、「こんなことなら生まれない方が良かった」
そういう方もいるんだ、本当に考え方、感じ方は人それぞれだな~と思いました。
女性だから男性だから大阪人だからという言い方は・・・あまり好きじゃないです。
そういった傾向がある等資料があっても、男女の別なく、その人その人、一人一人と思います。

このサイトでも最近見ました。3年前に妻を亡くされた男性が、今思い人がいるのだけど、妻に悪い気がしてという様な相談でした。
女性の方が強いとか情が薄いという事もないでしょう。
夫婦の関係は夫と妻の両方のあり方で作られていきますよね。夫の側に妻をその様にさせる一因もあるのではないでしょうか。

あ!大事な事がありました。質問者さまには全然大事じゃない事ですが、動物を飼った事はないのでしょうか?
ありますよ!喜怒哀楽。猫を一匹飼っているんです。年数ですと夫と居る時のほうが長いですけど、時間なら猫と一緒の時間の方が長いんです。これもまた連れ合いと言ってもいいでしょう。
24時間365日、機嫌の良い日も悪い日も、なんでもない日も共に過ごしてきました。過ごしてくれました。
私が障害者になる2年ほど前に我が家にきたのです。
外出もままならなくなった私にはこの猫の存在がとてもとてもありがたかったです。
その猫もいつかはいなくなってしまう、だからこそよけいに愛しく思うのでしょうか。この思いもまた悲哀ですね。

あ、質問です。
質問者さまは、「このまま苦しみと共に突っ込んで死んでしまうのが一番幸福」と書かれています。
ですが、別のところで心のケアの必要性の事も書かれています。
質問者さまは、死にたいと思う気持ちもあり、再び楽しく生きたいという気持ちもまたあるのでしょうか?
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この回答へのお礼

>親なら寿命だったと・・・

まだ誤解が解けてないようですよ。
親なら寿命だったと…
幼子なら また産めばいいと

これは、自分の幼子を亡くした人が、自分に対して言ってる言葉なんです。他人を慰めるために他人に言ってる言葉ではないのです。

もし他人を慰めるために言ってる言葉なら、次にようになると思います。

人はそう言って、他人を慰めようとする。

これこそ、禁句です。
「アンタ、また産めばいいじゃないの」これは、口が裂けても言ってはならない言葉です。

同様に、年寄りは客観的にはやがて死ぬべき存在であっても、親を亡くした人の気持ちはそうではありませんから、
「寿命だよ」は「あれだけ生きれば十分だろ」という風に聞こえますから、実は、これも禁句だと思います。

「幼子なら また産めばいい」はアッケラカンとして言ってるのではなく、これしか自分を慰める言葉がないからです。
そうです、苦し紛れに、虫の息で発している言葉なんです。

フィリピンの台風で甚大な被害が出ていますが「4人の子供のうち3人も死んだ。1人だけでも助かってくれて嬉しい」と泣いている母親がいましたが、子供を数の論理で考える気持ちが親にあることは否定出来ません。死んだ3人を軽く考えているわけでは決してないと思います。
同様に「また産めばいい」は決して死んだ子を軽く考えているわけではないと思います。苦しい心を少しでも軽くするための叫びだと思います。

>女性だから男性だから大阪人だからという言い方は・・・あまり好きじゃないです。

stkcさんは、全ての人間に愛情を持つ優しい性格のようです。人間を区別して一方を悪く言うことは性に合わないのだと思います。
しかし、これも私は長年観察して来たのですが、自分が100%善ですから「悪」が見えない欠点があります。ゴーリキーの母親がそうでしたし、長島茂雄さんなんかもそのタイプのようですね。マザーテレサもそうかも知れません。希少ですから、人類にとっては非常に貴重でありがたい存在です。

>女性の方が強いとか情が薄いという事もないでしょう。

私は、外国にもあちこち長らくいたのですが、外国人と日本人では明らかに違うところがあります。人間としての共通点は勿論ありますが、歴史文化風土の違いから来る性格の違いは厳然としています。

日本にもあちこち住んで来ました。県民性の違いというのも厳然としてあります。

男女差ですが、人間としての共通点は勿論ありますが、性差というのも厳然としてあります。心理学の分野では「性差心理学」として学者たちが研究しています。

私は昔から、「違い」に大変興味を持ち、勉強して来ました。なので「比較人類学」なんて分野が大変好きなんです。
心理学の分野でも、諸点に関しての民族による違いなどが研究対象になっています。

性差(男女差)は男としての共通項と女としての共通項を調べます。個体にバラツキのある男の集団から、男としての、女とは違う共通項を探すのです。

今回は、紹介しませんでしたが、ほほえみネットワークの本には別のグラフも掲載されています。男女差のグラフです。
それによると、やはり女性の方が男性よりショックが少なく立ち直りも早いようです。伴侶を亡くすと色々な症状が出ることが普通ですが、例えば、不眠、食欲不振、便秘・下痢、めまい、血圧上昇など12項目が挙げられています。
これらを男女別に1000人づつ定期的に、数ヶ月から数年に亘って計測し、これらの症状がなくなる時期を記録してショックの影響の強さをグラフ化したのでしょう。

我々が目撃するのは、個々の例ですから、一般的な傾向を知ることが出来ません。それをやれるのが研究者グループですから、それを無視否定するのは、本当に勿体ないと思います。謙虚さが足りないと思います。

>質問者さまは、死にたいと思う気持ちもあり、再び楽しく生きたいという気持ちもまたあるのでしょうか?

そうですね。一応両方あります。妻が死ぬ前は人生に悲哀は感じておりましたが、死にたいとは思いませんでした。死んでからは、楽しく生きたいという気持ちはほとんどなくなり、死にたいという気持ちが圧倒しております。

ケアのことを書いたのは、そんなに苦しんでいるのに社会からも行政からも無視されているお年寄りが哀れでならないからです。自分は何年か後には死ぬ覚悟をしていますから、解決は出来ますが、死ぬに死ねないお年寄りが可哀相でなりません。生き地獄ではないでしょうか?

動物は大好きです。しかし、動物と別れる悲しさを知っていますから、子供たちには、絶対に動物をもらって来るなと厳命していたのに、別々に一匹づつ親に隠して床下で飼ったりしていました。それで、今、2匹も犬がいます。その子供たちも成人しましたが、小学校時代にした自分の責任を取らず、家に犬を残して家を出ています。子供に押し付けられた犬とは言え、妻も可愛がっていた犬なので、犬に餌をやる度に妻を思い出して涙ぐみます。

sktcさんが中途障害者と知り同情致します。でも、自分の運命をそれほど悲観されていない様子なので、ほっとしています。本当に悲観されていないのですよね?もし、強がりだったらと思うと心が痛みます。

音訳頑張りましょうね。
こんな質問を出したせいで音訳の勉強が出来なくなっています(-_-;)

お礼日時:2013/11/26 01:31

 #7です。

たびたび長々とお礼というか主義主張を述べ立てて戴き、恐縮です。

 要するに、悲しみを比べられないというのは、あなたのいうところの「本人しかわからないことがある」ということと同じなのです。

 配偶者を亡くしたものは、そうなった人以外には分かち合えない。

 果たしてそうですか?では支援団体の全員が同じようにすべて配偶者を亡くした人たちばかりですか?中には賛同して配偶者が健在でも運動に参加される人もいるでしょう。

 文章から感じ取れるのは、世の中で一番悲しいのは自分で、それを分かってもらいたい。ということだけです。

 それは、分かりますが、質問で「皆さんはどうですか?」と聞くからには反対の意見が出ても真摯に受け止めるべきでは?
受け入れられない理由を「あなたは私よりも悲しい思いをしていないからわからないのだ、私は社会的にも保護され支援を受けるべき立場にある、よって私はあなたよりも悲しい」と主張しても、もっとあなたよりひどく悲しい思いをしている人にとって、どう説明されてもあなたは受け入れられないでしょうね。
 夫を亡くし、子供を亡くし、親戚も亡くし、自分も片腕を取られ、生きていかなければならない人もいます。それも一度にです。そういう人も今現在泣いてはいません。悲観もしていません。私が残されて良かった、こんなつらい思いをするのは私だけで充分だというのです。

 ご自身の主義主張を述べ立てて、回答者からの回答について反論を述べるているこの状況はこのサイトに置いて禁じられている「討論」の行為です。

 私も同じですので、これにて失礼いたします。

 もう一度言います。
 悲しい思いをしているのはあなただけではありません。
 支援が必要だとも思いません。
 宗教観が違うからです。
 死は等しく訪れて、死はすべからく悲しいものであるが、再生への道の途中であるとも言えます。

 あなたと議論をする気はありません。
 質問スレに真摯に回答したのに、主義主張を押し付けてくるのは、マナー違反です。

この回答への補足

随分沢山の回答が寄せられましたが、あらためて貴方の最初の回答を読み返してみました。すると全ての回答の中で貴方のがダントツで質問者の心情(質問)の理解に乏しいことが分かりました。だから妙に引っ掛かったのです。

そのくせ、そういう人間の常として自分は随分達観していると思い込んでいますから、回答が上から質問者を見下ろすような姿勢になりますから、質問者を傷つけることになります。
貴方がこのことに気付かない限り、貴方の回答はしばしば質問者を傷つけ続けることになるでしょう。

どこのカテでもそういう人が一人くらい登場するのです。共通項は、上から目線で自分の考えをタラタラと書き、質問者の人生観・世界観を遠慮もせず否定するのです。本人は親切で教えているつもりですから、質問者に反論されると「心外だ」と言って怒り、急に論調まで変わります。最初はトクトクと持論を述べて余裕綽々だったのに、突然怒りの論調に変わります。

私のここまで書いたことがデタラメでないことは、貴方の最初の回答を読めば分かりますよ。

結局、貴方が一番、質問者のことを分かっていません。
伴侶を亡くした人間の心情を見事に代弁していて嗚咽までしたと言う人までいるのに、貴方の結論は「質問者だけが悲しい思いをしていると思うな」でしょ?「そういう自分に酔っている感じがします」こんな風にしか捉えられないんでしょ?
非常に、極めて理解力が乏しいと思います。
乏しいだけなら無害なんですが、そういう方が回答してどれほどの質問者が傷つくかと思うと、黙ってはいられない思いになるのです。

最初の回答のような、質問者をなめたような、上から目線の、持論展開の回答は極力止められることをお願い致します。「お腹がすいているから、何でも恵んで下さい」と言われて、貴方は泥だらけの食物を恵んだりしますか?「だって、何でもいいって言ったじゃないか!」と貴方は居直りますが、せめて相手の状況と心情を理解し、食べられるものを恵むべきだと思います。
貴方の回答は食べられるものではなかったのです。

OKWAVEの発展のために(2チャンネルではないのですから)、もし回答を続ける意思を持っておられるのなら、上記の点を切に留意されることをお願い致します。

補足日時:2013/11/26 11:55
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この回答へのお礼

ちょっと引っ掛かる回答をする人は、やはり、どんな説明をしても、最後まで絡んで来るんですね。

"人の高慢を快く思わないのは、自分の高慢を傷つけられるからである"という西洋人の箴言がありますが、正にその通りです。貴方は「質問者の悲しみより、自分の悲しみの方がもっと深い」と深層では思っているから、私の書き方に腹が立ったのでしょう。

>同じように私の苦しみはあなたにはわからないでしょう?

分かっていると思います。

言っておきますが、私は貴方の経験されたことはほぼ全部経験していますが、それらは苦労でも悲しみでもありませんでした。
外国に長らく住んでおりましたが、内戦に巻き込まれそうになり、一家揃って命からがら日本に逃げ帰ったこともあります。その日本がまた、後進国からの家族というので、娘たちは学校で、私は職場で差別を受けました。
小学4年で日本の学校に入った娘などは、クラスの男の子と喧嘩して髪をつかんで床を引きずり回されたりしましたよ。

それらは俗世間の問題で、ファイトする対象であって、全面的にとは行かないまでも、解決可能な問題です。腹は立ちましたが、辛いとも悲しいとも思いませんでした。

配偶者の死が100で、ストレス度ダントツという事実に私は驚きました。これほど、ありふれた出来事、全ての人が経験することなのに、こんなにもタイヘンなことなの?って。

貴方がこの事実を認めたくないのは(深層心理で)、貴方が私に負けず高慢で、思いやりに欠けるからでしょう。
そう判断するのは、貴方が支援は必要ないと書かれているからです。

私以外にも伴侶を亡くして辛い思いをされている方が日本だけでも、数百万はいるのでしょう。貴方の捉え方は甘いのです。
>一つのおにぎりに涙しありがたいと思って食べるのか、これしかないと嘆くのか・・・・。

伴侶の死による衝撃というのは、こんなレベルじゃないことを貴方は分かっていないのです。それが、ストレス度100の数字の意味なんです。たまたま、何かの信仰を持っている人なら、仲間もいて救われることもあるのでしょうが、そうでない大部分の人は、一人では解決不能なんです。だから支援が必要なんです。その支援が日本にはないから問題なんです。各自の宗教心に任せるなんて言えるのは、貴方に思いやりがないからです。

私が今回のようにひつこく応答するのは、事実誤認して私の質問を否定される方に限ります。貴方にも重要なところで事実誤認があるのでこうなっているのです。他の方には、誰にも絡んでいないでしょう?
そういう方には、事実を突き付けたいのです。こう言うと、何が事実かは人によって異なる、なんて屁理屈が聞こえて来そうですが、そんなものではありません。そのために事実を追求する学問があるのです。学者たちの研究があるのです。

>死は等しく訪れて、死はすべからく悲しいものであるが、再生への道の途中であるとも言えます。

達観した宗教家のような文言ですが、これが如何に残酷な宣言であるかに気が付かないのでしょうか?一生、再生出来ない人がいるのに、その人たちはこの言葉を聞いてどう思うのでしょう?人それぞれの宗教観があると言いながら、貴方の宗教観を押し付けて省みない残酷さ。

貴方の最初の回答から、どうもひっかかるところがあったのですが、その理由がほとんど分かりました。

お礼日時:2013/11/26 02:33

こんにちは、なにを書いていいのか検討つきませんが、私が書いたのかと錯覚してしまうかのような文章です。


この名文は伴侶を亡くした方の心情を代弁し、見事に表現して頂きましたのでコピーしてとっときます。
あのときの気持ちは、この文のとおりだと、知人に見せようと思っています。

読み始めて涙線がゆるみ、読み終わって嗚咽しました。
他の方の回答もじっくり読ませてもらいました。概ねこれが普通の善男男女の誠実な回答と思われます。

しかし、私やあなた様、また同じことを味わったものにとっては正直納得できないこと多々あると思いますね。
これはもう仕方ないですよね、経験者でないとわかりようがない体験ですね。

最後のころになってこんなどんでん返しの気持ちにさせれるなら、生まれないほうがよかったと思うくらい、
悲嘆感で一杯になります。

僕は5年前に妻を癌で亡くしましたが、この世にこんなにも深い悲しみがあるんだと、それは想像を絶するものでした。毎日毎日号泣の日々です。葬儀が終わって一人ぼっちになり、49日までは、この世にいるらしいから、今ならまだ間に合う、もう一度話したい、なんか言い残したことがある、ちょっと逢いにいけないか、また戻ればいいとわけわからぬことを思っていました。

そんな気持ちのときふと見た言葉が当時の私にはぴったりでした、最後に少しだけ紹介させてください。

「吾をさきに死なせじものと願いたる、其妻死にぬ吾よりさきに よるべなき世というもののただ中に、
ひとり置かれし思ひこそすれ 明日よりは如何に過さんわけ知らず、ただ悲しみにおののくわれは」

現在は妻にしてあげられなかったこと、妻が望んでいたことを実現するために生きております。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
色々な回答が来るものですね。貴方のようなしっくりする回答を読むと、心が慰みます。

このサイトに質問して慰められようとしたわけではないと思います。慰められることで傷つくのですから、ホントに病人の心理ですね。ましてや「悲しい思いをしているのはあなただけではありません。」などと言われると、この人は悲しみの「かの字」も分かっていないのか、と大いに傷つきます。

人生後半は悲哀の連続で、最後の伴侶の死で「トドメを刺された」感じです。
子の親離れや、親の死に直面しても、まだまだ十分立ち上がる気力が残っておりますが、伴侶の死は立ち上がる気力を根こそぎ奪い去ってしまい、更に逆方向の力を与えます。生きたいというプラス方向ではなく、死にたいというマイナス方向なのです。これが異常に強く、これに負けてはいけないという大義名分が見当たらず、「じゃあ、死のうか」になってしまうのだと思います。

しかし、よく5年間も辛抱できましたね。本当にご苦労様!
「自分だけおめおめと生きていて妻に申し訳ない」という自責の念はありませんでしたか?
私はこれが強くて苦しいのです。

お礼日時:2013/11/26 03:36

男子67歳。

妻子とも健在で、死別は両親だけです。誰かも言っているように、親は先に死ぬものですから確かに大した感慨を覚えませんでした。つまり、小生は質問者さまの気持は判らない側ですし、無理にわかった振りをするつもりもありません。

以下感慨の伴わない理屈を述べてみます。

何故人間は苦しみながら生きて、10%の楽しみに甘んじなければならないか? 答は、「個は種の犠牲になる」というショペンハウエルの言葉に言い尽くされています。

つまり、人間という種は何億という個に依って存在しています。その種が維持・存続していくために、苦しみながら個としての自分の生を維持していかなければならないのです。

百獣の王ライオンも、メスを獲得するのに苦労し、子供を作り、妻子を養うのに苦労して餌を捕獲し、子供が成長した後は、肉体的に衰え、獲物を捕らえられないまま餓死していくのが一般的です。

人間も似たようなものです。一人一人はヒトという種の存続のために、犠牲になっているのです。自然の摂理というヤツです。

上記、生きていて楽しくない理由付けに、多少は賛意を感じていただけましたか?

慰めている訳ではありません。一つの知的作動を示唆しているだけです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

動物は人間と違って喜怒哀楽の意識がありませんからね。
人間も生物界の法則に支配されるのかも知れませんが、
人間社会は人間の悲しみを癒すシステムを創案すべきだと思います。

傍から見るとどれほど悲惨な状況でも、本人が意識できないのであれば、特に状況改善に努力する必要もないでしょう。

お礼日時:2013/11/25 12:17

私も この前 主人にそう言いました。



貴方が死んだら
立ち直れない…でも
無理に立ち直ろうとも思わないって。
悲しくて 引きずって何でいけないのですか?って思ってます。
子供が小さいなら別ですが。

若い時には立ち直れることも
段々 違ってきたりします。

私も今段階では
主人が亡くなるって分かるなら
一人残るより
一緒に死にたいです。
子供は悲しむけど
子供には家族がいます。
今の私にはヤッパリ家族は主人です。

私には両親がいます
介助に悩み質問もしましたが
この質問を見て
母の寂しさが 分かった気がしますよ。
私が毎日行っても
友達が毎日来ても
寂しいとか 足りないとか(我儘もありますが)

両親は離婚していてお互い 普通の暮らし…一人が先に旅立つっていう暮らしを飛び
一人で老いていくわけで
また違う寂しさが強いのか…なとか
考え深い質問となりました
有難うございます^^
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
>母の寂しさが 分かった気がしますよ。
貴方や友達が訪問している時だけ、寂しさを忘れているのです。一人になるとまた寂しさが襲って来ます。

どこまで意識しておられるか分かりませんが、出来ることなら早く死んでしまいたいという気持ちが底流にあると思います。

>一人残るより、一緒に死にたいです。
一緒に死ぬのが一番の幸せですね。

連れ合いが死んだ時、希望者は一緒に死ねる、病院が自死の薬を処方してくれる、なんて制度が出来たらいいですね。
二人入る棺おけに手をつないで横たわり、一緒に焼いてもらい一緒にあの世に行く。将来的には人間の考えも変わって可能になるかも知れませんよ。

お礼日時:2013/11/25 12:28

 #7です。

お礼をありがとうございます。質問があったので再回答します。

 最愛の人を亡くした経験。

 親はもう二人ともいません。実母は目の前で死んでいきました。父親は野垂れ死にました。
 子供を産んであげられずに中絶をしたこともあります。
 昨夜は大伯父が亡くなったとの知らせが来ました。
 震災で沢山の友人知人が亡くなり、現在は街そのものが崩壊し帰宅できない状況で、新しい環境になじむために悲しんでいる暇などありません。
 伴侶ではありませんが、彼氏なら死亡した経験はあります。

 だから、苦しみや悲しみを比べても仕方ないんだって。
 
 あなたは今苦しい。
 私は苦しい過去を乗り越えて、今生きていることそのものに感謝できるようになったというだけです。

 あなたの出した結論をどうこう否定する気はありません。

 ただ、皆さんはどうですか?と聞かれたから 「私はそうは思わない」と答えたのです。

 人生は悲哀の連続・・・・?打ちのめされずに愉快?かどうかは意見が分かれますが、とりあえず生きてはいけます。

 他人の心の内はどうなのか・・・・を比べても仕方ないって最初に書きました。
 同じ嬉しさでも悲しさでも人によって取り方が変わるでしょう。一つのおにぎりに涙しありがたいと思って食べるのか、これしかないと嘆くのか・・・・。その差は大きいです。しかしそれを責めることは出来ません。

 生かされている苦しみはわかります。
 震災で生き残り、現在もなお避難生活をしつづけ、世の中の批判に耐えていかなくてはならないんです。
 今でも他府県に行くと嫌がらせされますからね。

 あなたの苦しみを分かってはあげられない。
 同じように私の苦しみはあなたにはわからないでしょう?

 苦しいこともある。
 悲しいこともある。
 だったら10%の喜びをありがたいと想い、10%を倍に倍に倍にしていく努力をし続けたいと思います。

 
 
 
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この回答へのお礼

再度の回答ありがとうございます。

>だから、苦しみや悲しみを比べても仕方ないんだって

これは、間違っていると思いますので、一応納得できる程度の説明をしておきたいと思います。

「伴侶の死」を癒す「ほほえみネットワーク」という会が東京にあって、そこが編纂している出版物に以下の表が掲載されています。

出典が記されていないのですが、多分アメリカあたりの心理学者が調査して得た結論だろうと思います。

性格とか人間の心理を類型化したり、数量化することにはどうも日本人では反発される方が多いように感じます。私は心理学等に特別興味を持って勉強して来た人間ですので、そういう手法には根拠がありますし、納得しています。貴方がもし、心理学の実験手法などに縁がない方なら反発されるかも知れません。

物事を、文学的な捉え方だけで満足される方が多いですが、それでは、物事を正確に把握できません。

で、人生におけるストレスを数値化した表が掲載されています。以下です。多分アメリカでの調査でしょうが、
人間の心のことですから、世界共通の資料として使えるものと思います。


出来事          ストレス値
配偶者の死          100
離婚             73
配偶者との別居        65
親密な家族メンバーの死    63
けが、病気          53
結婚             50
失職             47
引退             45
家族メンバーの健康上の変化  44
親密な友人の死        37
借金やローンのトラブル    30

普通、我々は離婚以下のことで、苦しんだり悲しんだりしています。映画やテレビも恋人との別れ(死別も含め)を題材にして描くことが多いですが、年老いた老人の伴侶の死を描いて世に問うというのは、まだお目にかかったことがありません。

だが実際には、伴侶の死というのが人生最大のストレスであるということが、社会的に認知されておりません。
伴侶を失って苦しむのは高齢者が多いし、悲しみの中にある人は、「この苦しみを何とかしてくれ!」という声を上げる力もありません。

欧米では弱者に対するケアが発達しておりますから、ほほえみネットワークのような会が沢山あるようですし、
行政の方も力を出しているようです。

私の住んでいる都市でも、そういう趣旨の組織は無く、
行政の支援もありません。

つまり、伴侶を亡くした人は、死ぬまで寂しさに耐えながら(60才までに伴侶を亡くした人は回復の可能性が高いようですが)、伴侶を亡くさない人に比べて、平均1~2年短く死んで行くとのことです。

老人が配偶者を亡くし悲しんでいる。こんなものは、ドラマの題材としては、ヒットしないのでしょう。「そんなこと、当たり前じゃないか!」と同情されないのでしょう。若い恋人の悲恋が題材として選ばれ世界中でヒットするのでしょう。「タイタニック」や「秋の童話」のように。

悲しみを比べるなと言われると、そうじゃないと言いたくなります。

冷静に悲しみの度合いを比較し、本当に苦しんでいる人には社会も行政も、救いの手を差し伸べないといけないと思います。事故や震災で苦しんでいる人には社会の目は行きやすいですが、誰もが経験する伴侶の死には、当たり前だろうという意識が強くて、無視しがち、というか無視していると思います。

配偶者の死は、親密な家族の死に比べても相当な違いがあるのです。ケアが成されていない日本では、先ずその社会的な認知が必要だと思います。

お礼日時:2013/11/25 12:10

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