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 のっぺらぼうの顔無しが来ても くらげが来ても ごろつきが来ても みな・つねにおとなしく迎えて 十年一日のごとく さとりとはどうたらだ 慈悲がこうたらだと 答えを知らず・答えるつもりもなく 茶飲み話に耽っている。

 草莽の志士は もう出ませんか。

A 回答 (10件)

白い雲が近づいてくれば、それに乗ってみよう


風が吹けば、投げた草のゆくえを追ってみよう
小鳥のおしゃべりや、じゃれ合う姿もいい
冬草のじっとしている姿だっていい


この空の下の片隅から片隅へと行く
無名戦士はいくらでもいる
現実に生きるという戦いを、大義もなく誇りもなく
人並みという、小さな賢さを守って過ごす無名の戦士たち


どうだろう
世の革命を担う自称カリスマに正義というあだ名を付けてみても
もはや草莽の志士は現れない
一人一人がカリスマという時代に大義は失われてしまったかの如くだ
草莽の志士の残党はまもなく消える
自由という多様化の前に必要はなくなり、時代も変わった

残党の灯りがチカチカしている
う~ん・・
うん、
うん、
うん。


空は青い
雲は白い
草莽の志士にこれ以上の場所はない
死にぞこないに、これ以上の場所はない
だろ-

せめて大志を抱く少年に期待しよう
いつか世に出るだろうから
きっと
気弱だが・・



えっ・・

なにっ

出番だって
オレが・・!?

そ~か

よ-しっ!・・

それ行けっ!!
ドンキホーテ!

う馬は どこだ・・
や槍は・・
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この回答へのお礼

 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~
 〔* かつての〕草莽の志士の残党はまもなく消える
 自由という多様化の前に必要はなくなり、時代も変わった

 残党の灯りがチカチカしている
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~



 ご回答をありがとうございます。






 ★ 一人一人がカリスマという時代に大義は失われてしまったかの如くだ
 ☆ すでに勝手にでも《王》になっていてくれたら・・・という嘆き節も聞こえたりしますが。

 ▽ (パウロ コリント人への第一の手紙 4章) ~~~~~~
 7. いったい、あなたを偉くしているのは、だれなのか。
 あなたの持っているもので、もらっていないものがあるか。
 もしもらっているなら、なぜもらっていないもののように誇るのか。

 8. あなたがたは、すでに満腹しているのだ。
 すでに富み栄えているのだ。
 わたしたちを差しおいて、王になっているのだ。

 ああ、王になっていてくれたらと思う。
 そうであったなら、わたしたちも、あなたがたと共に王になれたであろう。

 9. わたしはこう考える。
 神はわたしたち使徒(* アポストロス=神の国の駐地球大使館勤務の外交官=アポストロス apostle )を死刑囚のように、最後に出場する者として引き出し、こうしてわたしたちは、全世界に、天使にも人々にも見せ物にされたのだ。

 10. わたしたちはキリストのゆえに愚かな者となり、あなたがたはキリストにあって賢い者となっている。
 わたしたちは弱いが、あなたがたは強い。
 あなたがたは尊ばれ、わたしたちは卑しめられている。

 11. 今の今まで、わたしたちは飢え、かわき、裸にされ、打たれ、宿なしであり、・・・
 ~~~~~~~~~~~~~~~~


 そして ただしすでに現代では
 ★ 一人一人がカリスマ
 ☆ であるということかも知れません。

 そこから出発してもよいかも知れません。《賢い者となっている》と見なしてすすめて行ってもよいかも知れません。






 まぁ せいぜい《復活》しつつ 120歳ないし150歳くらいまでつとめを果たさなくちゃならないかも分かりません。


 取り敢えずは チンタラチンタラしている光景を見かけたら それは チンタラし過ぎではないかと言ってやる。のも 一歩ですねぇ。

お礼日時:2014/01/22 15:37

オレに150歳まで生きろ・・というのか



やだね

まっぴらごめんだ

ちったあ、ムズムズするが

もうやる事もないだろ

会いたくなったら、空でも見てくれ

オレの代わりがそこにいる

じゃ・・。
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。


 生かされるってこったよ。必要とされればね。


 もののどうりをみわけなくちゃ。


 我を張る歳ぢゃねえだろう。






 ちょっと勝ち過ぎたかな。

お礼日時:2014/01/22 22:49

私の勘違いや間違いだといいんですけれど



~~~~~~~~~~~~~~~

さらには、空と縁起思想との関係を示唆する資料もある『相応部20-7、雑阿含経(1258経)』。部派仏教における「空」の用例も初期仏教とほぼ同じで、「空」が仏教の中心思想にまでは達していない。
http://www.wikidharma.org/jp/index.php/%E3%81%8F …

~~~~~~~~~~~~~~


Saṃyutta Nikāya 20
1. Opammavagga
7. Āṇisutta
http://suttacentral.net/sn20.7/pi

それでこれですけれど、



T02n0099_p0345b14║照空相應隨順緣起法
http://www.cbeta.org/cgi-bin/goto.pl?linehead=T0 …



漢文のほうには、縁起と書いてありますけれど、
パーリ文にはありませんよね?


transcendent, connected with emptiness
http://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sn/sn20/ …


英訳にも、connectedはありますけれど、
これはサンユッタのような気がするんですよ。
空相應の相應


雜阿含1258經[正聞本13351經/佛光本1002經](譬喻相應/道品誦/如來記說)(莊春江標點)
http://agama.buddhason.org/SA/SA1258.htm


だからパーリ文を読む限り、
空の思想と縁起は結びついていないと思いますが
どうでしょうか?

もしそうなら、なぜ漢訳に縁起が出てくるのわかりません。

この回答への補足

 おぎないます。

 ★ ~~~~~~~~~~~~~~
 だからパーリ文を読む限り、
 空の思想と縁起は結びついていないと思いますが
どうでしょうか?

 もしそうなら、なぜ漢訳に縁起が出てくるのわかりません。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ☆ 《パーリ文を読む限り》という点についての確認〔のみ〕ですが:

 ▲ 【パーリ文】(Saṃyutta Nikāya 20 / 1. Opammavagga / 7. Āṇisutta ) ~~~~~
  http://suttacentral.net/sn20.7/pi

  (末尾から4行目)・・・・‘ye te suttantā tathāgatabhāsitā gambhīrā gambhīratthā lokuttarā suññatappaṭisaṃyuttā, tesu bhaññamānesu sussūsissāma

  * 《縁起》は見当たらない。

 ▼ 【英訳】(Ani Sutta: The Peg ) ~~~~~~~~~~~~
  http://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sn/sn20/ …  
 (translated from the Pali by Thanissaro Bhikkhu)

 (末尾から4行目)・・・'We will listen when discourses that are words of the Tathagata — deep, deep in their meaning, transcendent, connected with emptiness — are being recited.

   * 《縁起》は見当たらない。

 △ 【漢訳 A 】(雜阿含經卷第四十七) ~~~~~~~~~~
  http://www.cbeta.org/cgi-bin/goto.pl?linehead=T0 …

 T02n0099_p0345b01║(一二五八) 如是我聞。 一時。佛住波羅奈國

 T02n0099_p0345b13║・・・聞如來所說 修多羅――甚深明
 T02n0099_p0345b14║照 空相應 隨順≫緣起法≪――・・・

 ▽ 【漢訳 B 】(雜阿含1258經[正聞本13351經/佛光本1002經](譬喻相應/道品誦/如來記說)(莊春江標點)) ~~~~~
   http://agama.buddhason.org/SA/SA1258.htm

  聞如來所說修多羅:甚深明照、空相應、隨順≫緣起法≪

   * 「空相應」:南傳作「與空有關的」(suññatappaṭisaṃyuttā),菩提比丘長老英譯為「關於空」(dealing with emptiness)。

   * 「緣起法;因緣法;因緣起法」:南傳作「緣起」(paṭiccasamuppāda),菩提比丘長老英譯為「依之而開始」(dependent origination)。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ 確かに 漢訳では 《縁起法》という語句が 勝手に(?)入って来ているように見えます。

補足日時:2014/01/22 14:18
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。

 昨晩 就寝の前後にあたまに浮かんだ考えです。まだ確かめてもいませんが 出してみます。


 まづ 空:スンニャタ―を のちのブッダターと同じ用法だと強引に見た場合。

 これは 仏性とブラフマン神の霊としてのアートマン:霊我とが 同じ概念だというところからは 次のような捉え方になると思います。


 ○ アートマン(霊我)=アン-アートマン(無我)
  =スンニャタ―(空)=ア-スンニャタ―(不空)


 ところが 
 ☆☆(No.7お礼欄) ~~~~~~~~~~~~~
 さとりを得た状態において なくなったものは何か? 
 そして なお残っているのは何か? 

 という探究であるみたい。
 前者が スンニャ(空)で 後者が ア‐スンニャ(不空)。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 
 ☆ という用法だとすると けっきょく思い浮かんだのは 次です。

 ○ 無余涅槃 = スンニャタ―(空)
  有余涅槃 = ア-スンニャタ―(不空)

 これです。




 さらにところが さとりをめぐってのこのような無余・有余(つまり 空・不空)という見方は 要らないとわたしは考えます。

 なぜなら たとえ有余=不空として 煩悩なり何なりのさとりではないもの・さとりを妨げる要因が残っていたとしても それらは もともと――スンニャタ―:空の 一般用法からすれば―― 仮りの現象であって 移ろい行かざるを得ないもの・すなわちスンニャタ―:空だということなわけだからです。

 つまり 空(スンニャタ―)だという見方のうちにおさまるものが残っている。つまり 不空(ア‐スンニャタ―)だと言っていることになるからです。つまり 後者の不空(ア‐スンニャター)も 空観からすれば 空(スンニャター)だということになります。




 ここまで 確認もせずに書いておいて あとで見直します。

お礼日時:2014/01/22 08:23

さっき見つけたばかりなので


解説のしようもないのですが、

空ではないものがある、ということになりそうです。



~~~~~~~~~~~~

『小空経』における空の実践構造についてThe Practical Structure of Emptiness in the Culasunnata-sutta
http://ci.nii.ac.jp/naid/110007573663


そのpdfだとasuññatāを不空性と訳しているようです。

~~~~~~~~~~~~


なんにせよ

asuññatāは、
空を否定しているわけですよ。

気が向いたら調べます。
詳しい人がいれば私も質問したいくらいです。
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。

 
 ▲ いなくなったら スンニャ(空)で 残っていたら ア‐スンニャ(不空)
 ☆ だとか。でも なくなるというのは 煩悩だとすれば さとりの問題に関連しているみたいですね。


 さとりを得た状態において なくなったものは何か? そして なお残っているのは何か? という探究であるみたい。前者が スンニャ(空)で 後者が ア‐スンニャ(不空)。


 なんだかなぁ。保留にて 将来に期待します。

お礼日時:2014/01/21 22:24

Majjhima Nikāya 121



Cūḷasuññatasutta

http://suttacentral.net/mn121/pi

“Taggha te etaṃ, ānanda, sussutaṃ suggahitaṃ sumanasikataṃ sūpadhāritaṃ. Pubbepāhaṃ, ānanda, etarahipi suññatāvihārena bahulaṃ viharāmi. Seyyathāpi, ānanda, ayaṃ migāramātupāsādo suñño hatthigavassavaḷavena, suñño jātarūparajatena, suñño itthipurisasannipātena atthi cevidaṃ asuññataṃ yadidaṃ–

~~~~~~~~~~~~~~~~~


asuññataṃ


an: non/not + suññatā: emptiness. (f.)


心にしみる原始仏典
http://homepage1.nifty.com/manikana/canon/sunna. …



アスンニャターですか?
なにそれ。
私の、仏教に対する考え方が大きく変わりそう。
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この回答へのお礼

 あぁ 非想非非想処とか。もうややこしくて投げ出したやつ。


 ご回答をありがとうございます。


 解説してください。

お礼日時:2014/01/21 21:22

いずれは出るでしょうが今ではない。



黒船来航に匹敵するぐらいの青天の霹靂が起こるか、
、飢饉や暴動が相次ぎ、政権の治安の維持が困難な時代
にならない限りは。

茹で蛙は沸騰するまで湯に浸かり続ける。

草莽の志士が出るのはその少し前にかな。
たとえ今すでにそのような存在があって何かを語ったとしても
誰も顧みないでしょうから。
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。


 ★ たとえ今すでにそのような存在があって何かを語ったとしても / 誰も顧みないでしょうから。
 ☆ ここですよね ポイントは。

 言いかえると 《浸かっている湯が まだ 沸騰していないか?》の問題ですよね。


 沸騰しつつあると感じる蛙は 中にはいるのでは? どうでしょうかね。

お礼日時:2014/01/20 17:11

諸行無常にもサンカーラが出てくるんですね。



sabbe-saMkhaaraa-aniccaa
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%B8%E8%A1%8C% …


という話はさておき、

~~~~~~~~~~~~~~



“Esa sutvā pasīdāmi,
Vaco te isisattama;
Amoghaṃ kira me puṭṭhaṃ,
Na maṃ vañcesi brāhmaṇo.

http://suttacentral.net/snp2.12/pi

Sutta Nipāta 2.12

Nigrodhakappa (vaṅgīsa) sutta

~~~~~~~~~~~~~~

ちょっと気になったので、
書き込みます。

~~~~~~~~~~~~~~

356 [ヴァンギーサいわく、──]「第七の仙人(ブッダ)さま。あなたのおことばを聞いて、わたしは喜びます。わたしの問いは、決してむだではありませんでした。バラモンであるあなたは、わたくしをだましません。

~~~~~~~~~~~~~~

問題は、

第七の仙人
isisattama

です。

過去七仏とも関係があるのかわかりませんが、
リシも、伝説の七人のリシがいたようですから。

ゴータマ・ブッダ以前にブッダがいたのかどうかわかりませんが、

ゴータマ・ブッダについて
やっと七人目が登場した

という考え方があったのかもしれません。


たんに称号かもしれませんし、後付の話かもしれません。
なんともいえませんが。

ちなみに、次の経が関係あるらしいけど
私は読めない!

~~~~~~~~~~~~~

Dīgha Nikāya 14

Mahāpadānasutta

1. Pubbe­nivā­sapa­ṭisaṃyutta­kathā
http://suttacentral.net/dn14/pi

~~~~~~~~~~~~~

毘婆尸仏とか実在したんだろうか?
それとも後世の創作?
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。

 ▲ (Mahāpadānasutta 1. Pubbe­nivā­sapa­ṭisaṃyutta­kathā )
   Evaṃ me sutaṃ・・・

 ☆ 《かくのごとくわれに聞かれたり》と言ってるんですよね。読めるようになるといいですね。





 ★ 毘婆尸仏とか実在したんだろうか? / それとも後世の創作?
 ☆ だって ゴータマの以前には ブディズムはなかったんですから。それらしき者がいたと言いたいのでしょうか? あるいは 前身だとでも言うのでしょうか。



 いえ 分かりません。お茶を濁しています。
 

お礼日時:2014/01/20 17:08

今は目に見えないし、本人も見えていない

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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。


 ということは いまは――情況が情況なのででしょうか―― チンタラチンタラしていてもだいじょうぶということでしょうか?




 たぶん そういう人とそして すでにいまの段階で本人としても見えている人と ふたつの部類に分かれるのではないかとは思うのですが どうでしょう。

お礼日時:2014/01/20 05:59

誰か詳しい人がいればなあ。



ゴータマ・ブッダがアンギラスと呼ばれているところをやっと
一箇所見つけました。

パーリ語だとアンギラサなのかな?

~~~~~~~~~~~~~~~

Aṅgīrasassa namatthu,
sakyaputtassa sirīmato;
Yo imaṃ dhammaṃ desesi,
sabbadukkhāpanūdanaṃ.

http://suttacentral.net/dn32/pi

~~~~~~~~~~~~

釈迦族の子アンギラス

なぜアンギラスなんだろう?

ウィキペディアの記事にある、「釈迦を除く過去の6仏を信仰していた」とかいうのと関係あるんだろうか?

~~~~~~~~~~~~~

また仏教では一般的に、提婆達多は釈迦仏に違背し逆罪を犯した大悪人とされている。しかし法顕三蔵の『仏国記』などの記録から、後年における提婆達多派の教団では、提婆達多の遺訓を尊び、独自の戒律を定めて、釈迦を除く過去の6仏を信仰していたことが明らかとなっている(なお、近年の研究では、提婆達多は戒律をより厳しくするなどを釈迦仏に進言するも、これが受け入れられなかったことから、釈迦教団から分派したことで、それが次第にスケープゴートされたものとされている)。

このことから、古代インドの釈迦在世の当時に、既に過去に仏が出世したことがあるとする、過去仏信仰があったことが理解できる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%8E%E5%8E%BB% …

~~~~~~~~~~~~

仏教の疑問について、誰に質問すればいいのやら。

私なんかは、倫理の教科書を読んでその程度で
終わらせておけばよかったか。

でもまあ、インターネットを検索すれば、パーリ語のテキストはあるんだし、
もっといろんな人が出てくるでしょうから、それに期待。
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。


 ★ でもまあ、インターネットを検索すれば、パーリ語のテキストはあるんだし、 / もっといろんな人が出てくるでしょうから、それに期待。
 ☆ このひとことに尽きますが。・・・




 デーワダッタが 見直されて来ているのは 事実のようですね。特別 ひどい罪を犯したということではないらしい。



 ★ 釈迦族の子アンギラス
 ☆ 例の七支仏といったように 権威づけの話だと言って済ませるわけには行かないのかどうなのか。狭すぎますかね 見方が。

お礼日時:2014/01/19 13:43

出ます。


まだ生きている。
息も絶え絶えだが、かろうじて生きている。
いざ鎌倉・・という時を待っている。
ただ
殿~ぉ・・
という方がいない。
昔はいたんだが、今はいない。
草むらに寝っころがって青空を見ている。
こいつだけは間違いなく、きれいだと・・
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。


 どうでしょう。

 ひとつ――口のわるい人間であることをつつしまないで表現しますが――気に食わないところがあります。

 もうひとりの大将をかつぐ時代ではない。ということです。


 ★ 草むら
 ☆ から出るということではあります。



 ほかに どんな回答がつきますやら。

お礼日時:2014/01/18 22:53

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