ゴリラ向け動画サイト「ウホウホ動画」にありがちなこと

こんにちは。

初歩的な質問になります。
主に政治において、なぜ権力というものに皆が皆従うのかがわからないです。

例えばプーチンが地方から中央に権力を集めた、といった場合、それはおそらく法律の改正など法的な手続きだと思うのですが、もしやろうと思えば、みんなでタイミングを合わせて、地方政権やら軍隊やらが一斉にNOということだってできるはずです。

よく教科書なんかに、時代を代表するような政治家が、「権力を集めて…」という具合にさらっと書かれてありますが、そうなると今度は権力といったものがどこから生まれてどのように機能しているのかが分からなくなってきます。

どなたかこの辺のからくり、理屈を教えてもらえませんか?
お願いします。

A 回答 (6件)

哲学的には、ヘーゲルやデュルケームが指摘するように


人間というのは本来的に社会的
動物だからだ、ということになりますが、
これは政治学の質問と考えて良いですね?

政治学では、権力は

1,納得の原理と
2,威嚇の原理から説明しています。


1,納得の原理

・王様はどうして俺たちを支配できるんだ?

 かつて、これは宗教で説明してきました。
 王様の権力は神から与えられたものだからだ、
 という説明です。
 欧州ではこれは「王権神授説」と呼ばれました。
 神様じゃ,従うしかないだろう、と納得する
 訳です。

 しかし、時代が経つと、神様では納得しなくなり
 ます。
 それで民主制、というのが発明されました。

・どうして法律に従わねばならないのだ?

 法律は、俺たちが選挙で選んだ代表者が作るんだ。
 つまり、法律は俺たちが自分で作ったんだ。
 自分で作った法なんだから、自分が従うのは当然だろう、
 と納得する訳です。

 でも、考え深いひとは、疑います。
 自分で作ったといっても、俺は反対したぞ、その時
 俺は産まれてもいなかったぞ、そもそも法律の専門家
 じゃないんだから、どんな法律がいつ作られた、その
 内容なんか全然知らないし、読んでも判らない。

 それでも従うのかよ?


2,これを補完するための理論はありますが、専門的になり
 ますので省略します。
 なにしろ、この納得の原理を補完するために、
 威嚇の原理があるのです。

 四の五の言わずに従え。
 そうでないと刑務所にぶち込むぞ、という訳です。


3,納得の原理が強いほど社会は安定します。
 威嚇の原理が強いほど、社会は緊張状態が強くなり
 不安定になります。

 民主制が発達している社会ほど、納得の原理が強く
 威嚇の原理は弱くて済むことになります。
 だから、民主制が発達している先進国では社会が
 安定しているのです。

 威嚇の原理が強い国ほど不安定になります。
 北朝鮮とか中国がその典型です。




 
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こんにちは。


 そもそもは、より多くの人がより暮らしやすい(快適に満足して幸福感を持って暮らせる)世の中の実現を目指すための社会を‘維持・継承・発展‘させるために、人間は協調体制をとってその上で誰かがリーダーシップをとる必要があるものです。そのために必然的に勢力争いが起こり、小さい集団から大きい集団へとまとまっていく流れの中で、利害関係によって正義が複雑になっていく。その調整をしながら大筋で方向を見失わずに集団を引っ張っていくのが権力の役割なのではないでしょうか。そのことの意味が分かれば盲目的に反発する必要はなくなるものだと思います。
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heygibson様、今晩は。




「権力」が、キー・タームですね。

「コレは、誰それに任せた」というのが、あるんだと思います。


>「地方政権やら軍隊やらが一斉にNOということだってできるはずです。」

そりゃ、そうですね。


何をどれだけ、誰それに任せてるんでしょうかねえ?
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ごく、シンプルに、そっちのほうが得だからです。




教会が生殺与奪を握っていれば、教会の言うことに従うのが得です。
さもなければ、生きたまま焼かれてしまうのですから。

政府が軍事力を行使するのであれば、政府の言うことに従うのが得です。
さもなければ、戦車に踏み殺されてしまうでしょう。

多くの場合、権力は「反対者は損をする、得をしない(あるいはそう思わせること)」
ことによって維持されます。暴力、軍事力などはこの典型ですね。
ただ、これは「権力を維持する力」であって、権力そのものではないのです。




権力の難しいところとして、権力者は絶対者というわけではなく
人間であり、エラーを起こすものという問題があります。
つまり、NOと言ったほうが実は得をするケースも多々ありますよね。



でも、多くの場合はそれができません。
なぜなら、それは枠組みそのものが得をしない為です。

仮に狂王プーチンにNO、といった方がより得をすると仮定しましょうか。
(現実のプーチンさんに恨みは全く無いのですが。いや、ほんとに。)

全員の力(もちろん暴力も)合わせれば
狂王プーチンに対抗できるとしても一人一人は弱いわけですよね。
この場合、得をするのは「一斉にNO」といった場合のみです。
もし自分一人がNOと言った場合は、自分のみが粛清されてしまう、
と考えるのではないでしょうか。

(余談ですがこれを経済学で理論化したものとして「ゲーム理論」があります。
もうちょっと複雑な例もありますので頭の体操として、やってみると面白いですよー)




つまり、他人の選択によって、自分の命運が決定されるケースでは
お互いがお互いの行動を制限する。
つまり、これが本質的に「権力」を保証するものです。


逆説的に権力を打ち破るには?権力が得を導くものであるのですから、
別の選択肢の方が得をする、ということを
共有させるだけの、実は簡単なお仕事なのです。
なぜなら、人は自然に情報を共有しようとしますから。


逆に、権力を維持するには、あるいは他の権力の攻撃から参加する人間を防衛するには、
情報を守るところから始めなくてはならないでしょうね。
人は自然に情報を共有しようとする以上、この試みの多くは失敗し、
永続的な権力(つまりあらゆる人間が得をし続ける仕組み)も形成できていないわけです。
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基本的にすべての国家権力は、暴力装置と一体となっています。


法的な拘束力と言っても警察という強制力が働かない限り機能しません。
現在の日本ではあまりみかけませんが、警察と共に軍隊も国家に所属しています。
警察と軍隊を使っての強制力を行使するというのが、基本的な国家の構造です。
これらがあることで、法の現実的な運用がなされます。当然運用当初は反抗する人間が出でてきますが、圧倒的な暴力を見せつけられることで、ほかの人は従うようになります。

>例えばプーチンが地方から中央に権力を集めた、といった場合、それはおそらく法律の改正など法的な手続きだと思うのですが、もしやろうと思えば、みんなでタイミングを合わせて、地方政権やら軍隊やらが一斉にNOということだってできるはずです。
⇒できます。それをクーデターと言います。成功すれば、軍側が政権になります。そういった国は現在でも多々あります。

近代化された国家は、法治国家として、法でルールを決めて運用されますが、法治国家は暴力という後ろ盾を備えていることを前提に成り立っています。
逆に、国家をしのぐ暴力を行使できれば、新たな権力を確立できるということでもあります。

また、現在は資本主義経済が主流ですので、経済力で権力構造を構築することもできなくはありませんが、やはりこれも暴力の前に屈しますので、暴力装置がなければ難しいでしょう。

法治国家は、法の執行を厳格に行うので、まだルールが明瞭で安心感がありますが、軍事政権や独裁政権下では、法の執行が為政者の考えで変わったりするので(北朝鮮が良い例ですが)、安心して暮らせない環境となり、経済発展が遅れるという違いがある程度です。
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権力に従う「必要」は、あなたが潜在的に権力を「必要」


だと思っているからです。
同様な話で、法律は「守らなければならない」のではなく、
守らない場合の罰のマイナスと、守った時の我慢のマイ
ナスを比較して、選択するだけの話なのだ。

権力や法規などの社会システムは、そのルールを守る限り、
その恩恵にあずかる事ができるのであって、恩恵にあず
かっているのは忘れて、権力に従いたくないというのは、
つじつまが合わない。
権力に従いたくなければ、自分が権力者になる、それが
ルールなのだ。
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