
No.8ベストアンサー
- 回答日時:
日本人として「理屈」が嫌い、と断定することはできません。
しかし、長い歴史の中で、平均的な日本人の精神構造が構成される過程により、一般の人々の「理屈」の位置づけと優先度が、比較的に低くなって来たことは考えられます。そのことは、「理屈」よりも一般的な「話す」ことの優先度が低くなって来た背景にも依存しています。
例えば、ある時期(封建時代とか)には「もの言えば唇寒し」とか「巧言令色(論語)」とか、「以心伝心(禅宗)」、はたまた「腹芸」などと、言葉に表さないことが良しとされた社会がありました。
茶道や華道でも、静的な行動が勧奨されました。
つまり、他人と良い関係を維持する場合には、言葉はあまり重要ではないという雰囲気があったのです。あえて言葉で明確に表現するのは、他人に迷惑をかける場合の理由をすこぶる丁寧に説明するとか、自己を弁護する際のくどくどしい言い訳をするなどの場合で、これらを「理屈」と見なすことがあります。
その結果、「理屈」には「屁理屈」に代表される否定的な意味合いが伴うようになっています。子供の頃から「理屈っぽい」ことは良くないことだと、親にも教師ににも言われ、そのように刷り込まれています。
よく話す人間は信用できない、とも言われます。
このことは、日本人にとって不幸なことで、グローバル化の変化の背景で、「論理的な、または合理的な説明」の訓練が、不足していて、外国人とのディベイトでも不利だと言われるゆえんです。日本人にとっては英語さえできれば外国人とコミュニケーションができるとの誤解も生まれ、英語使いが自分の意見(あれば、ですが)を説明できないという現象が生まれています。つまり、英語で何を言うのかという場合に無力なのです。英語学習には理論的な思考を同時に習慣づけなければならないのです。
ここで、日本の伝統的な思考法が英語学習の邪魔をすることになっています。英語では「腹芸」が通用しないということです。
今でも、ディベートの訓練をしたりすると、日本人はすぐに感情的になったりして、論理的な対話の能力が不足していることに気づかされたりします。インターネットの世界の「炎上」もその例の一つです。匿名になると心理的な束縛から解放されて、徹底的に相手を感情的に非難する傾向があります。しかし、必ずしも論理的ではありません。論理に慣れていないので感情が先に立ちます。
ご質問は、日本人について、極めて本質的な部分をついています。日本文化の大きな特徴なのです。
ご返事どうもありがとうございます。
ご説明をいただきまして、日本人の国民性はより詳しく理解できました。国際交流は言葉自身だけなら、真の交流ができないと思います。お互いの国民性への理解が無ければ、自分流の価値観で相手の行動を判断すれば、誤解がでるのも自然ですね。
お陰様で、(インターネットの世界の「炎上」)の事も理解できました。心理的に解放されていいじゃありませんか。
ほかの回答者様のご意見も重要で一理あります。誠に感謝いたします。ご返事の優しさを心温かく感じております。協調性を大事にする日本人の国民性が好きです。
ここでseabus12様のご回答を回答者の皆さんの貴重なご返事の代表とさせてベストアンサーにいたしましょう。
少し無理かもしれませんが、皆さんと日本のどこかで会えたらいいなと思います。桜の花見をしながら。
No.7
- 回答日時:
>「理屈っぽい」と非難される
というよりもむしろ、議論することが下手とも言えるでしょうね。それは日本人の社会意識にもよると考えられもします。
日本人が使う表現に「お上」「下々」あるいは「畏まる」「畏れ多い」との身分階層とそれを隔てる言葉が覧られますが、これをタテ社会の構造を示す独特の意識の反映と呼ぶことも可能です。こうした社会構造は階層毎による自治や議論を嫌う傾向もあります。それは上意下達の社会構造とはベクトルも異なりますから。
ベクトルの異なる社会構造がどの様なものを指すかといえば、軍事組織やヒエラルヒッシュな重層的支配に基づく社会組織ともいえます。典型的なものは武家社会であり、公家社会にみられる「序列」です。こうしたタテ社会では命令に対して従うのが当然、とのいわれなき前提が働きもし、それを支える社会規範の一つが儒教的道徳もしくは価値観ともいえます。儒教では「子曰く………」として教祖様の教えを絶対としますが、実際にそれも他の基準に照らし合わせたなら、正解であるかどうかは不明です。
こうした一つの価値基準に基づくもの。それが議論下手を生み、議論することや異見を述べることを殊更に嫌う傾向にも結び付いているのでしょうね。
近代以前でも、朱子学に対する陽明学などの立場はありましたが、それでも日本の社会では亜流の扱いしか受けても来ず、明治維新以後で少し花開いたかに見える議論の場もやがては一つの方向へ終息されるに至りもしました。
むしろ僕は理屈っぽいと云われることを誇りに感じもします。金太郎飴や出る杭はうたれるだのといった偏狭な考え方には論陣を張りもします。理屈を持つことは、その人が自身の考え方を表明することそのものを保証するとの懐の深い社会の存在を前提としているともいえます。多様な意見がある中で優れた知恵を見つけることにもつながりますから。
ご回答どうもありがとうございます。お陰様で、日本文化への理解が更に深まりました。
理屈が好きかどうかは個人の自由ですね。人に迷惑をかけないなら、好きな方法で生きたほうがいいですね。
個人的には協調的な日本人の国民性が好きです。もちろん「多様な意見がある中で優れた知恵を見つけること」にも賛成です。
No.6
- 回答日時:
>日本人として「理屈」が嫌いな原因は何でしょうか。
「解る奴は言わなくても解る。解らない奴は言っても解らん」という潜在意識があります。
ある意味で「言葉」というものを余り信頼していないのではないのでしょうか。
現在の若者も「空気を読む」ということを、恐ろしく大事にします。
空気を読む:その場の雰囲気を感じ取る、というような意味で使っています。
文章に対しても「行間を読む」とか「言外の意を知る」ということを重要視します。
書かれている文字の意味だけではなく、なぜこのような文章を書いたのか、なぜ作者はこような言葉を使ったのか、何を表現したかったのか、ということまで考えなさい、という主旨です。
日本語を勉強されておられてお気づきかと思いますが、日本語の単語というのは、非常に幅が広いというか複数の意味を持っています。
結果として、使う場所、使う時、使う人によって表現しようとしていることが違ってきます。
この様な言語で理論を構築しようとしても難しいことになります。
使う言葉一つ一つについて、これはこういう意味で使っているのだ、と一々解説が必要になってきます。
結果として「理屈っぽい」言い方というのは、まわりくどくなります。
このような話し方をする人を敬遠することとなります。
理屈そのものが嫌いな訳ではないでしょう。
中国の漢字では、少しでも意味が異なってくると表記する漢字を新たに追加して行きました。
書かれた文字を一見しただけで誤解が生じないようになっています。
このような言葉が発達したのは、おそらく、言語も生活習慣も異なる異民族との接触が極めて少なかったことによるのではないのでしょうか。
逆に、このような言葉が発達した結果、世界で一番短い詩と言われる俳句などが発達しました。
優しいご説明どうもありがとうございます。お陰様で、日本文化では「言わぬが花」や「察し」などは大事にされていますので、「理屈」は敬遠されても当然ですね。
日本語は確かに難しいですね、私にとっては其のむずかしさは日本語の繊細性にあります。繊細性は理屈と関係がないですね。
「古池や蛙飛び込む水の音」などが大好きです。
No.5
- 回答日時:
理屈が嫌われるようになっているのは世界的傾向。
「国益最優先」とか、「利益追求」とか、「物事の善し悪し」の判断基準が、単純で分かり易い「市場原理」とか、「市場主義」とか、「利益誘導」が蔓延するとこうなる。欧米諸国のみならず、中国の拝金主義を思えば分かり易い事案。そしてポイントは、多くの日本人は、欧米人の理屈を単純で子供じみていて、自己主張が強いだけのものと感じている。簡単に言えば、甚だ幼稚に見える。理論的にも、上っ面だけのものと感じる。深みが無い。いわば、小学生の口喧嘩のようなものに見える。
「勝手ですが」という表現は無い。「お手数ですが」、「お手数をおかけいたしますが」が良い。
また、今日的な多様性の時代、「理屈を嫌う日本人」という括りは如何なものか。理屈を好む日本人も必ずいるという想像力の欠如。第一、この種の質問に対する回答者は、個々の「理屈」によって、説明しようと試みている。「理屈」抜きの感情の類だけの回答が返ってくると思って、貴方は日本人に質問しているのですか?
まずご返事どうもありがとうございました。
ご返事の段落一の理論は賛同ですが、でも(失礼ですが)正しいかどうかという理屈についてお聞きするのではありません。
ご返事の段落二は大変いい勉強となりました。お伺いしたい「理屈」にたいする日本人の感想です。
ご返事の段落三は大好きな日本語です。
ご返事の段落四は確かに、「今日的な多様性の時代、「理屈を嫌う日本人」という括りは如何なものか。理屈を好む日本人も必ずいるという想像力の欠如。」のとおりです。でも(失礼ですが)わたしが日本人の一般の国民性についてお伺いしたいので、個別論と関係がありません。欧米人でも理屈が嫌いな方もあります。
国民性についてのいいかどうかに関する判断は「屁理屈」でしかなく、無理です。どの民族の特性も尊重しなければなりません。
ほかの回答者様の回答もu-jk49様の回答も私のほしい回答です。それは(「理屈」抜きの感情の類だけの回答が返ってくると思って)と言えるかどうかわかりません。
皆日本文化への理解に役立ってくださいます。大歓迎です。ただし日本語も日本人も繊細ですので、もし不意で悪いご機嫌となりましたら、ご容赦ください。
ただし、「この種の質問に対する回答者は、個々の「理屈」によって、説明しようと試みている。」はほかの回答者様への失礼になってはいけませんよ。
No.4
- 回答日時:
100年ほど前にドイツに留学した日本人が、友人にこう言ったそうだ。
「さすが、哲学の国ドイツだ、下宿屋のおばちゃんも哲学用語を使う」
ドイツ人の哲学者は当然のごとく、ドイツ語で考えます。そのドイツ語は日常会話の延長線上にあるので、下宿屋のおばちゃんのドイツ語も哲学者のドイツ語も大きくは変わらなかった。
ところが、日本では哲学や思想、科学技術などを明治維新後に導入する時、中国の漢籍から作り出しました。
漢籍は日常語ではありませんし、明治維新の段階では人口の数%を占める武士階級のみが知っている知識でした。
理屈というのは、哲学や思想を元にして語られるので、ドイツでは日常語の延長なのに、日本では外国語(中国の漢籍)という非日常語を使うことになってしまいます。
このために、理屈を言うことに対して、日本人は日常生活を送っていると「違和感」を感じていしまうのです。
これが、理屈っぽいと嫌う理由です。
日本文化が好きで、以上の日本人の国民性に興味を持っておりますので
↓
「以上の」が表現上、違和感を感じます。
日本文化が好きで、このような日本人の国民性に興味を持っておりますので
日本文化が好きで、いろいろな日本人の国民性に興味を持っておりますので
という表現のほうが違和感がありません。
国語に関して
日本語文法というのも、明治維新後に、主に英語の文法に合わせて創りだされたものなので、ちょっとしっくり来ないところがあります。
参考
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%BB%E8%AA%9E
とても分かりやすいご説明といただきまして、深く感謝いたしますと同時、嬉しい極みです。今日本人の国民性に大変興味を持っておりますので、これからも相変わらずどうぞよろしくお願い申し上げます。また日本語のご訂正をもいただきまして、とても感動いたしました。
優しい日本人、お元気で楽しく美しい日本で御過ごしください。
No.3
- 回答日時:
日本では、江戸時代は、所謂知識人や施政者は朱子学の影響下にありました。
朱子学では主の言は絶対でした。すじが通らないなどと云うこと自体が修行が足りないからそう云う風に思うんだと云う考え方でした。一方、庶民は「お触れ書き」などで厳しく規制されて居ましたから、他と異なる事をするのは場合によっては命取りとなりました。
すると、理由は兎も角として、皆がやっているのだからとか、お上の云う事だから従えと云う風が育って来ます。
昔、テレヴィヂョンで「横断歩道皆で渡れば怖くない」と云った人がいますが、正にその考え方です。村で一人だけ変わった事をしておれば罰する事も可能でしょう。しかし、近郷近在みながやっているのを全て罰して首をはねる訳にはいかなかったのです。
明治以降、或いは敗戦後、日本人のものの見方や考え方は表面的には変わったように見えますが、底にながれるもの染みついたものはそうそう簡単には変わりません。見た目や表面やかたちは変わってもその底にあるものは中々変わりません。
更に、日本は鎖国の所為もあって、所謂異国文化や異国の考え方に接する事無く、日本語の・日本の文化だけで長く過ごして来ました。はっきり云わなくとも分ると云う事です。今でも日本人ならば当然式のもの云い方をする事が多々あります。無意識のうちの共通地盤のうえで発言し考えていたのです。
印欧語的な発想と、日本語の発想は異なります。例えば日本語では印欧語と異なり主語を殆ど書き表しません。お互い分るからだろうと云う訳です。
このようの分るだろう、「皆が」「昔から」と云う文化では、異を立てる事よりも従う事が必要だったのです。
なお、別の考え方として、西欧流の理論・理屈と本邦の筋・義理と云うものとは一見似ているように見えますが、全然違うもので、西欧人から見ると日本人のそれは情緒的感覚的と見えるかもしれません。
拙き私見ですが、御参考にならば幸甚です。
ご意見をいただいた一番の感想は日本文化に対する説明として、日本人自身からの説明が一番当たっているという点です。日本人の皆さんのいろいろな角度からのご説明のお陰様で、日本文化に対する理解が深まりました。日本語の勉強は文化抜きに語学だけなら、達人にならないし、真の交流とならないでしょう。国と国の付き合いもそうですね。
優しい日本人の皆さん、その優しさを心温かく感じております。
No.2
- 回答日時:
日本人は、人の和を尊ぶので、理屈で人をやりこめるよりは、あいまいな内容で双方が丸く収まる方を好むのだと思います。
理屈で相手をやりこめて、相手が「負けた」と落胆し、不愉快な思いをすることを避ける、ということだと思います。決して理屈や論理的な考え方が嫌いということではなく、相手に対する思いやりということだと思います。
私の文章も、語尾が「思います」と断定ではない書き方をするのも、異なった考えの人と無用な論争をしないようにするための、理屈っぽくない書き方ですね。
また、質問者さんの文章は、とても自然な日本語です。敬語や謙譲語の使い方も、適切だと思います。
No.1
- 回答日時:
日本人が理屈が嫌いだ、というわけではないですね。
ほとんど理屈を言わない人もいますが、そんな人は、他人に理屈を言われても、さらっと聞き流してしまいます。むしろ、「お前は理屈っぽい奴だな」と言ってイライラする人は、その人自身が、理屈っぽくなる性格の人なのです。そういう私は、非常に理屈っぽい性格で、他人に理屈を言われたときには、理屈でやり返します。
人生いろいろですね。ネットに限った交流でお会いできないので、残念ですね。日本人の理屈でのやり取りに興味を持っております。どういう風に展開されているかは考えるだけで面白そうです。
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