出産前後の痔にはご注意!

教えてください。
明智光秀は惟任日向守という姓をもらったといいますが、
この惟任(これとう)とはどういう意味なのでしょうか。
気になって仕方ありません。
ご存知の方お教えください。
よろしくお願いいたします。

A 回答 (4件)

先答に関連して


天正三年長篠の合戦に勝利し、東方の脅威が
なくなったのを機に、信長は朝廷に奏上して
諸将に官職、官位を授けてもらいました。

日向守のような「守」名乗りは五位の官位
「右近大夫」も五位の官位で昇殿を許された
「殿上人」です。
(諸大夫は四位ですが右近大夫は五位です)
柴田勝家はすでに「修理亮」という五位の
官位の官職名を貰っていました。
諸将均等ということです。

ところでご質問の「惟任」「惟住」はいかにも
由緒ありそうですが、残念ながらいわれは
判っていません。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ありがとうございます。
大変わかりやすいです。
ありがとうございました。

お礼日時:2014/03/23 22:57

はじめまして



光秀は信長が朝廷に働きかけ
天皇から九州の名族であった惟任の姓を賜った(賜姓)のです


余談ですが
天正三年に光秀の他に九州の名族の姓を賜姓された者に

丹羽長秀(惟住)
塙直政(原田)
簗田広正(別喜)
がいます

私論ですが
彼らが中国四国制圧後、九州遠征軍が組織された時の武将になるのではないかと自分は勝手に考えてます

塙直政や簗田広正は光秀、丹羽に比べ名を知られてませんが
賜姓された天正三年時は彼らの方が地位は上でした


・塙直政(大和国守護、山城半国守護)
馬廻から一国半の守護になった織田家臣団で随一の出世頭

天正四年、本願寺攻めの旗頭を任命されたが、惨敗し討死


・簗田広正(加賀国守護)
天正三年時に加賀は南部のニ郡しか織田側は占有していなかったが
信長は簗田に加賀の一職支配権を与えました
つまり征服したら加賀全土の守護とするという切り取り次第ということです

しかし簗田は一向衆に反撃され、大聖寺城に追い込まれ
急報を受け駆けつけた越前の柴田勝家、佐久間盛政に救出され
お役御免になりました


・明智光秀(近江国志賀郡)


・丹羽長秀(近江国犬上郡)


余談が長文になり、失礼致しました
    • good
    • 0
この回答へのお礼

詳しいご回答をありがとうございました。
そのようなこともあるのですね。
大変勉強になりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2014/03/23 22:59

姓ではありません 朝廷の官職名です

    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございました。
べんきょうになりました。

お礼日時:2014/03/23 22:58

惟任さんは、現在200人ほど。

愛媛県宇和島に主におられますが、
豊後国(大分県)の大神氏の一門だそうです。



天正3年7月3日をもって、
明智光秀の正式な名乗りは、惟任日向守光秀になっています。
朝廷より「惟任」と「日向守」を賜りましたから。


明智が「惟任」と「日向守」を賜った時、
一緒に以下の人々が、朝廷から信長の推薦で、下記のものを貰っています。


塙直政 →「原田」と「備中守」
簗田広正→「別喜」と「右近大夫」
丹羽長秀→「惟住」
村井貞勝→「長門守」
羽柴秀吉→「筑前守」
滝川一益→「伊予守」

このうち、
「惟住」は豊後の名族・大神氏の一門。
「別喜」は豊後守護・大友氏の一門。
「原田」は九州北部の名族・大蔵氏の嫡流。


中国征伐・四国平定に続いて
九州も織田家天下布武
にくみこむことを、宣言し、
織田家有力武将に
九州ゆかりの
姓と官職を与えたのですね。


本能寺の変なければ、
信長軍団の出世頭・大分県の名領主惟任光秀として歴史に名を遺したかも\(^^;)...マァマァ
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。
詳しいご回答に感謝しております。
大変勉強になりました。

お礼日時:2014/03/23 22:56

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q明智惟任日向守光秀などの「○○守」の命名者など

明智惟任日向守光秀、羽柴筑前守秀吉など「○○守」という名前(正確には、官職の名称でしょうか)がありますが、戦国時代においては、この名前は誰が命名したのでしょうか。

また、ドラマなどを見る限りでは例えば筑前守秀吉が筑前を統治したことなど一度もないように見えますが、「○○守」という名前を名乗っていることと実際にその「○○」の国を統治したかどうかあるいはその「○○」の国から金や物を納めさせたかどうかとは、戦国時代には、何の関係もないのでしょうか。

Aベストアンサー

前にも同じようなものがいくつかありますが(定期的に同様の質問が出ています)・・・前に書いたものを多少編集して載せます。

まず、本来的に守職というのは、その地に赴いて政務を行うのが役目です。
古来いわゆるそこに赴任する人に与えられていました(厳密に言うと、与えられるとそこに赴任することになります)。いまでいうところの支社長みたいなものでしょうかね。ただし、官職によっては親王のみがなれるものがありまして、その際は次官である介(スケ)が実質統治する場合がありました。

ついでにいうと、お金を稼ぐなら守がよい(賄賂とか税収をピンハネしたりとか、結構潤っていた人が多い)ということでわざわざ官位としては四~六位程度であまり高い位ではない守にしてくれ、という人までいました。もっとも、人気のない国はあり、これは簡単に言うと金銭収入が低い国です。そういうところに限って官位では高い位にあります。


しかし、武家の台頭により実際に任地に赴くことはまずなくなり、戦国時代にはただの箔となっています。武家の台頭とともにただの箔になったのです。厳密に言うと、守護とか地頭とかいう「守以外の長官」がでてきてからですね。

さて、戦国時代以降ですが、この時代多くの武士は官職を名乗っていました。
しかし、正式任官と、いわゆる僭称(勝手に名乗っている)の2種類がありまして、戦国にはほとんどが僭称となっています。正式任官している人のほうが例外です。
特に七位程度だと9割以上は僭称なのですが・・・守となると一応は正式任官している人が多いです。
しかし、それは大名クラスの話で、守職でも結構な人数が僭称しています(北条家臣団なんかは守職が山ほどいます。でも大名以外は任官していません。僭称です)。

織田信長を例に挙げますが、これは僭称です。最初上総守と書いていたのですが、すぐに上総介と変えています。非常にいい加減ではありますが・・・こういうものです。
つまり、勝手に名乗っていただけ、ということです。
僭称となれば、ただ名乗っているだけですから当然職務はありませんし、こなす必要もなければ義務もないのです。

・・・以下は取ってつけたようなものなので、かぶるところがありますがご了承を。

さて、誰がつけていたかというのをまとめると
1.勝手に名乗る
2.先祖が勝手に名乗ったものをそのまま使う
3.朝廷からもらう

もちろん本来的には3が正しいものです(正式任官となります)。
しかし、戦国時代以降3はほとんどなく、その多くは1,2、つまり僭称です。
なお、明智光秀の日向守については正式任官、羽柴の筑前守についても正式任官となります。
しかし、これは1575年の話で、それ以前になのっていたものは僭称となります(滝川一益は左近将監をなのっていたがおそらく僭称)。織田家については、京に上洛するなど、政治の中心地にいたから正式任官がいるわけでして、非常に「例外的」です。織田家については3でして、信長が朝廷に依頼して、家臣に官職を与えてもらったのです。

なお、僭称は江戸時代になると余計にひどくなり、守が人気のある国は5人くらいいるなどざらでした。

ただし、No1の方がいっているように「知行地と関係のない官位を名乗るのを禁止した」というわけでもなく、理由なんてほとんどなしに官職の名乗りは通されていました(実際にはその土地にかかわりがあるからという理由が必要だったのですが、そんなものはほとんど嘘を書いても通ったようです)。
例外的に「大名藩が丸ごと治めていて、かつその大名藩が名乗っている官職(前田の加賀守など)」については、禁止していました(それと同姓同守もまずいので差し止められました)。
また、これを行っているのは幕府です。本来的には守は朝廷が任官させるのですが、この時代は幕府が、名乗らせるかどうかを決めています。


統治したとか関係あるかというのは、戦国時代においてもほとんど関係ないです。えらそうに聞こえるから適当になのっていたようなものでして、あくまで「箔」なのです(そのため戦国時代以降において、名乗る=任官ではありません)。

まえに出ていた質問ですが、江戸時代の官職についてはこちらで詳しく述べられています。

http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=2222395

参考URL:http://www.ymg.urban.ne.jp/home/kenf/zassou/zassou-nobunagakansyoku.htm

前にも同じようなものがいくつかありますが(定期的に同様の質問が出ています)・・・前に書いたものを多少編集して載せます。

まず、本来的に守職というのは、その地に赴いて政務を行うのが役目です。
古来いわゆるそこに赴任する人に与えられていました(厳密に言うと、与えられるとそこに赴任することになります)。いまでいうところの支社長みたいなものでしょうかね。ただし、官職によっては親王のみがなれるものがありまして、その際は次官である介(スケ)が実質統治する場合がありました。

ついで...続きを読む


人気Q&Aランキング