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平和憲法を論じる上で 極論を言うなら

自分が死んでも人間を殺さない 死んでも人殺しはしないぞと

言う覚悟があるかという事にもなると思います。

勿論敵が攻めてくれば反撃してもいいのですが 

それは自分を守るためで 相手を殺すためじゃない。

「戦争はしない」という基本理念を純粋に言えば 死んでも人殺しはしない

生きてる間に命をかけて平和を守る努力をする。という事ではないでしょうか?

貴方の感覚でどうでしょう?荒唐無稽でしょうか?それとも的を射てるでしょうか?

A 回答 (11件中1~10件)

極論について論じることに意味がないでしょ?

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この回答へのお礼

何事も極論まで論じてみるのも発見があるかもしれませんよ

極論というか基本理念の確認ということですかね

どうもありがとうございます。

お礼日時:2014/04/08 08:48

平和憲法と言うものは自国の政府を縛る為では無くて、他国(とくに敵国)の政府を縛る為に有効なものです。


アメリカ合衆国がまんまと敵国に平和憲法を与えて、敵国政府を自国政府の言いなりにすることに成功しましたね。

日本も、北朝鮮や大韓民国、それに中華人民共和国など近隣の敵国に平和憲法を制定することができれば、安心して生活する事が出来るようになりますね。
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この回答へのお礼

成る程 そういう考えもあるのですね

なんだか拍子抜けしますが 一面を言い当てているようです

どうもありがとうございます。

お礼日時:2014/04/08 08:45

日本の憲法の考え方では目的は「戦争をしない」ではありません。



目的・基本理念は「平和」であり、その手段が「戦争をしない」なのです。



これらを混同することは、これはかつて憲法を作った人間の思考では、

戦争の原因が「日本」であったということが影響しており、

すなわちそれまでの人類の経験の浅さが招いた誤謬であって、

現代の国際社会ではこういった考え方はすでに過去のものとなっています。





繰り返しとなりますが、戦争をしないことと平和を混同してはなりません。

まず本当に目的が「戦争をしない」のであれば、

これは当然、攻撃されても反撃をしない。死んでも人殺しをしないということです。

もちろんこれも選択の一つではありますが、

この場合、攻撃を受け、なすがままに殺される地獄が現出したとすれば

それはもはや「平和」と呼べるものではないのです。

そして、既に人類はその経験をしています。




かつて、第二次世界大戦はナチスドイツの攻撃から始まりました。

非武装であることを定めたラインラントへの進駐は、平和への努力が欠如していたのか。

ポーランドが占領されたのは、ポーランドがドイツへ理解を求める努力が不足していたからか。

そんなことはなく、ナチスドイツがただ一人掲げた「力への意思」によるものです。

ポーランドがどのような選択をしていたとしても、ナチスドイツの意思は

隣国へ広がりを見せたことでしょう。





対話で解決できる問題は、もちろん対話で解決できるのです。

もちろん一義的に平和が実現できるのですから、

対話は手法として最優先されるべきです。

しかし、それでも、より深淵に、究極的な場所において、民主主義社会の

拠って立つ根拠としての人間の多様性、自由な意思がそこにある限り、

人の意思は完全に同じにはならない。

この場合、一方的な「力への意思」は常に存在しうるのです。

一方の対話への意志にかかわらず、一方の力への意思が戦争を生むことがある。

この場合、平和は破られる。

この第二次世界大戦という衝撃的な経験が、

現代においては戦争、すなわち平和という目的を実現する手段に対する

国際社会の教訓となっています。





平和の実現を目指すのであれば、

対話を行わない者、一方的な意思を押し付ける者を掣肘する必要がある。

平和の実現を目指すのであれば、

他者の力への意思によって窮状に陥り、助けを求める者と「力」を合わせる必要がある。

その「力」が一方的な力への意思へとならぬように、規範を定め、

行使にあたっては己以外の他者の意思の存在を確認し、管理する。





すなわち多様性を認め合い、あるいは自然状態として存在する闘争を

お互いに制約しあうことで発展する民主主義社会においては、

「戦争」が「平和」を維持する方法足りえるのです。

戦争をしない、が目的であったとしても、そう憲法に定めたとしても、

しかしそれだけでは他者の力への意思、すなわち戦争を防ぐことはできないのです。



真に「平和憲法」と呼べるものは、己の死をもって解決とみなすものであってはなりません。

それはただの逃避であって、平和とは程遠いのです。

平和とは、力への意思すら挫く力を実現するものでなくてはならないのです。
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この回答へのお礼

一方的な力による侵略を防ぐためにはそれを挫く力を必要とする。

平和とはただ戦争をしないというだけでは成り得ない?

平和憲法の目的は平和を実現することであって 死んでも戦争をしないことではない。

とのことでしたでしょうか。成る程それは言えてます。

私が言いたかったのは死んでも人を殺さないよいう覚悟はあるのか?と言う事ですが

それは行き過ぎてるということですね

どうも大変ありがとうございます。

お礼日時:2014/04/08 08:43

国の行動指針と個人の生き方を混同してませんかね?

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この回答へのお礼

国の行動指針と個人の生き方が違っても構わないのですが

戦争に限らず悪人ではない人間を殺すか殺さないか

殺人をするか自分が死ぬか と言うことです

イラク戦争でアメリカが10万人殺したとありましたが

それの対極に当たるでしょうか

今の現状では無理でも 基本としてそのような覚悟があるかということです。

どうもありがとうございます。

お礼日時:2014/04/08 08:54

憲法とは、国家のビジョンのあらすじです。


殺人は悪とする国家が、人を守るために人を
殺す(死刑)事もあります。

しかし、平和を守るために戦う=誰かを守る
ために誰かを殺さねばならないとしたら、
それは勝敗の如何を問わず、敗北だという事を
知るべきです。
今や、身の回りの衣食住ほとんどが世界中から
もたらされた物であり、我々の真の繁栄は世界中
の人々の順調な営為によっており、昔のように、
武力による土地や資源の確保が繁栄につながら
ない事は、工業国の繁栄ぶりが示しています。

必要悪として武力を有し、最低限の武力行使を
しつつ、国連独自の軍を設立したり国際的な分業
化を発展させたりして、実質
的なグローバル化を促進すべく、国際的な影響力
とリーダーシップの発揮に最大限の注力する事が、
憲法の「あらすじ」のあらすじ(方向性)たる
ゆえんです。
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この回答へのお礼

先生の書く事 整然として有難いのですが

つまり 自分が死ぬのと 罪なき人まで殺すのと どっちが嫌か

という事でもあります。

私は人生が破綻してるので命がそれほど惜しくないのでしょうが

人を殺すくらいなら自分が死んだほうがいいと今は思っています。

どうも大変ありがとうございます。

お礼日時:2014/04/08 16:55

日本の平和憲法は、日本が二度と欧米白人国家に


牙をむかないようにしただけですよ。

つまり、米国の都合であって、日本の都合では
ありません。
そんな心構えとは一切関係ありません。

その意味で荒唐無稽というか、滑稽です。


人はどこまで尊厳を捨て、名誉と誇りを捨て、権利の侵害に耐えられるのか。
平和主義だから戦さを考えない、戦さを考えるのは平和の敵だという考えは
人格を放棄した奴隷に等しい。
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この回答へのお礼

子供は喧嘩をします。時には殴り合いになります。怪我もします。

しかし成長すればその様な争いがけして割に合うものではないことに気付くのです。

気づかない人はヤクザとか暴力団になりますが

世界はまだ幼いのです。話し合いで決めるのが大人です。

どうもありがとうございあます。

お礼日時:2014/04/08 19:30

国がどの様に何処までの行動をするかは、時の解釈で幾らでも変わるし、憲法改正だって可能。



一つの行動理念を絶対視するのは完全に宗教であって、法ではない。


貴方の解釈は「一つの」解釈として有効だが、どう解釈するかは時の内閣とそれを議員として国会に送り込んだ国民。


少なくとも法の基本理念は自他共栄。

そして「自」「他」の境界は何処で引くかは、其の時の都合。

貴方の発言内容は、現時点では実現手段が存在しない理想論であって、(法家としては)愚か者の発言。(遠い未来では最先端かもw)

仮に実現したかったら、何処にどの程度の予算を掛けて、どれ位の期間で結果を国民に報告が出来るかを示さねばならない。

お題目を唱えるだけなら、それは法に携わるものではなく、宗教家の念仏。

「政教分離」って知ってる?
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この回答へのお礼

あなた人殺しをしたいと思います?

民間人 時には女性 時には子供 それを殺すんですよ 戦争は

どれくらい殺したくないですか?

僕は普通に善良な女性や子供なら 自分が死んでも殺したくはないですよ

私の質問にはそのような意味もあるのです。

殺せます?罪のない人を 死刑にできます?執行できます?

宗教で言ってるわけじゃないですよ。

どうもありがとうございます。

お礼日時:2014/04/08 19:41

>それは自分を守るためで 相手を殺すためじゃない。



いいえ。
護憲派の人は「応戦」という概念がありません。(あくまでも人を殺す事に関して。言語論争は極めて好戦的だが。)

何故ならそもそも、戦争になる事を想定していないからです。

だって、この憲法がある限り戦争は起きないからです。
と信じています。


>生きてる間に命をかけて平和を守る努力をする。という事ではないでしょうか?

平和憲法があるから日本は平和だと思っています。
憲法を改正しない限り永遠に戦争は起こりません。

そう信じている人たちです。

彼らにとって、「平和を守る努力」と言うのは、この憲法を守る事です。
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この回答へのお礼

そりゃ アメリカが核の傘で睨みを効かしてるから戦争が起こらないのです

しかし私の言いたいのは あの平和憲法は使いようによっては本物になり得るのでは?と言うことです。

でなければ大戦の犠牲者に申し訳なくて堪りません

また戦争をするようになれば また犠牲者が出るのではないでしょうか?

戦後の日本はお金ばかり蒔いて回らないで 国立平和研究所を作って世界の平和にもっと貢献すべきだったのでは?

それもアメリカに止められたでしょうか?

どうもありがとうございます。

お礼日時:2014/04/08 19:24

>僕は普通に善良な女性や子供なら 自分が死んでも殺したくはないですよ


私の質問にはそのような意味もあるのです。
殺せます?罪のない人を 死刑にできます?執行できます?

完全に歪んだ戦後教育に洗脳されきった発言ですね。

いいですか?非戦闘員の民間人を殺傷したら、完全な戦争犯罪です。

つまり、都市に原爆を投下する等は許されざる大罪です。

戦争はしないに越した事は無いですよ。


本来、戦争とは「外交」であり、あくまでも交渉の「一手段」です。

あくまで敵国とのやり取りで行われるのが本来の姿で、先の大戦の原爆等は完全な国際法違反です。

戦争犯罪は本来は正しく裁かれなければなりません。

しかし現実には負けた方は勝った方に全ての罪を背負わされました。

ルールが守られないのは悲しい事です。

貴方の言っている事は「戦争犯罪はいけない」が正しい言い方です。

私も戦争が良いなどとは口が裂けても言いませんが、ここいらは「法」を語りたいならば、知っておく知識です。


それと補足ですが、近代戦では敵兵は殺すよりも怪我をさせるのが高効率なのですよ。

怪我人にすれば相手の経済を圧迫出来ますから。

殲滅戦ってものすごく高コストで、低リターンですから、余程の恨みでも無ければ決して選択しない戦略です。
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この回答へのお礼

アメリカがイラクの民間人を含む10万人を殺しましたが

あれはアメリカに罪があると裁かれたのでしょうか?

現実は酷いものですが 理想は追求しなければなりません

僕は死んでも人を殺したくはありません

どうもありがとうございます。

お礼日時:2014/04/09 21:22

旧社会党が憲法9条の解釈として「無抵抗主義」を掲げていたのは事実です。

国家間の紛争を解決する手段として、武力を用いない、ということは可能性として交渉が決裂し、向うさんが武力をもってやってきたらなすすべもなく日本は占領されてしまいます。こういうことにならないように背水の陣を敷いて交渉に臨まねばならない、そういった迫力が向うに通じないはずはない。逆に不調に終わったらいつでも大砲が撃てるぞという交渉では結局戦争になることは避けられないのです。不戦論に矛盾はありませんね。絶対成功させねばならない、少なくとも継続審理に持ち込まねばならないということです。ただ、相手がこちらの弱みにつけこんで武力を行使するという可能性だってなくはありません。それを押さえるために、前文に「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」ということです。相手国がこちらの無防備につけこんで土足で踏み込んでくるという想定はここにはあありません。
>死んでも人殺しはしない、生きてる間に命をかけて平和を守る努力をする。という事ではないでしょうか?
憲法の精神にはこれはなかったと思われます。しかし、現実に竹島では日本人が多数殺されていますし、北朝鮮の拉致問題でも死亡者が出ているようです。
いまのところ、日本は>自分が死んでも人間を殺さない 死んでも人殺しはしないぞと
いう理想を保持しているのは事実ですね。
>貴方の感覚でどうでしょう?荒唐無稽でしょうか?それとも的を射てるでしょうか?

崇高な理念がまだ守られていると思います。決して荒唐等無稽ではありませんね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。色々チェックして頂いて。

あなたのような見地を維持してる方がいるとホッとします

荒唐無稽でないと言われただけでありがたいです。

どうも大変ありがとうございます。

お礼日時:2014/04/09 21:05

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