人生のプチ美学を教えてください!!

70年前に日本は敗戦を迎えました。その際、日本の最高指導者である(実質上、最高指導者であったどうにかについては、今回考慮しませんが、少なくとも名目上は、最高指導者として考えてもよい、と思います)昭和天皇は、退位しなかったですね。

通常の会社が倒産した場合、会長や社長は、(表向きは)引責辞任します。
なぜ、昭和天皇は、敗戦にもかかわらず、退位しなかったのでしょうか?

なお、ここでは、退位の是非を、問うているのではなく、天皇は、どのような考えで、退位をしなかったのか、を聞いています。
私は、次のことにようなことを考えていますが、考えがまとまりません。

1.彼は、自分には敗戦の責任はない、と思っていた。
2.彼は、自分の退位により、社会の混乱(革命なども)が発生することを防ぐため、退位できない、と考えていた。
3.退位するより、在位のままで継続することにより、今後、天皇の責任を果たしてゆきたい、と考えていた。
4.日本や外国から、退位の要求(圧力)がないし、日本は、自分の継続を望んいる、と考えていた。
5.超越している天皇には、本来、退位がない、と考えていた。

皆様は、どのようにお考えでしょう

A 回答 (12件中1~10件)

 終戦前後に天皇退位論が唱えられたのは有名です。

その中心は近衛文麿で、このままでは革命が起こるとして「近衛上奏文」を書きました。天皇は退位して、京都の仁和寺に隠棲するという提案です。

 しかし、昭和天皇は戦争責任を自分に押し付ける考えだとして拒否したようです。もっとも、かなり真剣に迷われたらしく、内大臣木戸幸一の日記(昭和20年8月29日)に、「自分一人が退位でもして納める訳には行かないだろうか」と下問したことが記されています。

 また翌21年春、天皇が側近に戦時中の記憶を語っ『「昭和天皇独白録』では、「もし自分が自然の勢いに逆らって主戦論を抑えたら、国内の世論が沸騰してクーダタが起こる可能性があった」と発言しています。直接退位について語ったわけではありませんが、原武史教授は自分が退位したら若い皇太子の摂政として高松宮が実権を握る危険に配慮してと指摘しています。226事件における秩父宮の役割を、天皇は忘れていなかったということです。

 病気療養中の秩父宮に代って、神がかりの貞明皇太后お気に入りの高松宮が登場するのを警戒したのでしょうか。

 したがって、2+3 あたりが真相に近いでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
この回答で、外から見たことでなく、天皇の内側の意識や皇族の意向がわかりました。
1.<戦争責任を自分に押し付け>られたくない。
2.後続者が不安
ということで、退位をしなかった、のですね。

お礼日時:2014/04/17 08:51

 天皇個人が自ら即位や退位を望んだ記録を知りません。


勿論、天皇だって人間なのですから個人の意向は
あるでしょうが去就を口にすることは周囲への影響
が大きいので慎むのが帝王のたしなみなのでしょう。

 さて、昭和天皇僕個人も嫌いな人柄ではありません。
 敗色濃い日本が密かに降伏条件の交渉を始めるのですが
最後まで取り下げなかったのが天皇制の存続でした。当初
占領軍最高司令官マッカーサー元帥は天皇制廃止を考えて
いたようですが、
(1)日本の支配層(特に軍国主義勢力)において天皇は国家神道と
 切り離せない精神的なコア。これを退位させるには相当の
 抵抗。逆に存在を保障すれば支配層を手なずけられる。
(2)日本の庶民層において天皇の存在の賛否は半々。けれど、
昭和天皇が「人間宣言」をし全国行幸で親しく庶民と接し
 はじめて急速に人気を高めた。
(3)元々、昭和天皇は親英米派であり親露派ではなかった。

 以上から大戦後は米ソの対立が始まると考えるマッカーサー
及び合衆国政府により天皇の存在価値を認めるにいたりました。

 私見ですが恐らくは昭和天皇は敗戦責任をとり退位したかった
のだと思っています。彼は戦争末期に独走する軍部に消極的抵抗
をしています。

いうまでもありませんが、敗戦処理時に
皇室典範の規定は占領軍の力でいかようにも
できたわけでその内容でどうこう論ずるのは
重要ではありません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
<昭和天皇は敗戦責任をとり退位したかった>
と思われますが、
<天皇の存在価値を認める>
占領軍の意向に従い、退位をしなかった、ということですね。

お礼日時:2014/04/17 08:37

ANO.4 が正解です。


皇室典範は、自発的退位も強制的退位も認めていません。
それは、過去の歴代天皇が幼少で即位した為、有力貴族が政権を私物化したり、後継争いが内乱に発展したりと、反省すべき点が多々あったことから、明治維新とともに現在の皇室典範の基礎が固められたのです。
「男系の男子」とともに、厳然と守られることになりました。
天皇定年制や女帝制もあって然るべきですが、改正の兆しはなくなりました。
お陰で、昭和天皇病気療養中には、食事時にも「お下血」のニュースが繰り返されました。
皇太子が40歳に達したら、天皇の退位を認めても良いのではと思います。
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この回答へのお礼

早速の回答ありがとうございました。
過去の歴史にかんがみ、、
<皇室典範は、自発的退位も強制的退位も認めていません。>
のですね。天皇は、それに単に従ったのみ、なのですね。

お礼日時:2014/04/16 12:15

アメリカは良くも悪くも合理的な国です。

天皇の交代を強要するぐらいならば日本を存続させないで、アメリカの直轄地とするでしょう。しかし地政学的な面からそれにはリスクもコストもかかる。だから、天皇を交代させなかった。
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この回答へのお礼

早速の回答ありがとうございました。
アメリカが
<合理的な国>
であった点に後押しされ、天皇は交代しなかった、のですね。

お礼日時:2014/04/16 09:08

法の原則に、国王の無答責、というものがあり


これは広く世界的に認められております。
「The King Can do not Wrong」

自分の意思でなった訳でも無い世襲の君主に
法的な責任を問うことは出来ない、とするものです。


”天皇は、どのような考えで、退位をしなかったのか”
      ↑
天皇自身は責任を感じていた、という側近の
証言がありますね。
でも、退位という制度がそもそも存在しなかった。
天皇が責任を負って退位すれば、周りの側近達も
責任を問われかねない。
だから周りも退位しないように努めた。

とまあ、想像するしかありませんが。
私的には退位して欲しかったです。
天皇が責任を負わないから、下の連中も知らん顔して
いた、という節があります。
そういう風潮が広がった。
お陰で、年金問題にしても、財政赤字にしても
誰も責任をとらない体質になってしまった。

尚、責任ですが、勝利していたら問題にならなかった
はずで、つまりこれは負けた責任、ということに
なります。
従って、これは国内問題です。
日本人が決める問題です。
そして、戦後半世紀以上も経っていますが、責任を求める
声は大きくなりませんでした。
日本人は、責任を問わないことにしたのだと思います。
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この回答へのお礼

早速の回答ありがとうございました。
1、<自分の意思でなった訳でも無い世襲>
の天皇に
<法的な責任>
はない。
2.<誰も責任をとらない体質>
以上の面で、天皇は継続したのですね。
そして、
<これは国内問題>
との指摘に恐れ入ります。

お礼日時:2014/04/16 09:05

>そもそも戦争責任は日本には無いのだから天皇にも何の責任も無いと思いますが…


>(悪いのはあくまで欧米ですからね)

ボク悪くないもん! かwww
主体性の無さに笑えた。
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この回答へのお礼

早速の回答ありがとうございました。
申訳けないのですが、”ボク”と“主体性”のない人が、誰なのか、理解できません。

お礼日時:2014/04/16 08:48

昭和天皇が退位して新たな天皇が今上天皇となると12歳ですか。


もともと象徴的存在で実質的な権力がなかったにしても、若すぎて傀儡色が強烈ですね。

別の天皇をたてるか、後見をつけますか?
となると昭和天皇の弟で和平派後続となると高松宮殿下でしょうが、前線にでていないとはいえ大佐ですし、当時の皇族はみな軍務についています。
まあ昭和天皇も軍部にはついていましたが、昭和天皇より新時代の天皇としてふさわしいか結局微妙です。
退位後継の法律がないことを皆さん指摘していますが、それだけでなく年頃の後継者がいないというのも大きな問題ですね。
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この回答へのお礼

早速の回答ありがとうございました。
弟の高松宮は軍籍があったし、
<年頃の後継者がいない>
ことがあって、天皇は、継続したのですね。

お礼日時:2014/04/16 08:44

マッカーサーが日本民主化のために利用する価値があると考えて退位させなかった


また一元一世の天皇制の元では生きている以上退位は不可能だった

そもそも戦争責任は日本には無いのだから天皇にも何の責任も無いと思いますが…
(悪いのはあくまで欧米ですからね)
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この回答へのお礼

早速の回答ありがとうございました。
天皇は、
<一元一世の天皇制>
に従って進退を決めた、ということですね。

お礼日時:2014/04/16 08:34

旧皇室典範には退位に関する規定がない



規定がないと言うことは、天皇が自らの意思(或いは他者の指示)によって退位する事が出来ないと解釈可能
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この回答へのお礼

早速の回答ありがとうございました。
天皇は、
<旧皇室典範>
の規定に従って、去就を決めた、ということですね。

お礼日時:2014/04/16 08:31

まず、敗戦に際して天皇が退位するとかしないの話ではありませんよ。


そんな自由はありません。

GHQも当初は(普通に考えて当たり前の結論ですが)死刑にしてしまえばいい、と思ってました。
が、当時の日本国民の天皇に対する考え方で、生かしたまま権力を奪って“象徴”とすることにしました。

ゲームと同列にするのは考えものですが、日本のゲームを海外に輸出する際、西洋の“神殺し”がある場合は名前の修正がされます。

その配慮と同列ではないにしろ同質の配慮がされたのでしょう。
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この回答へのお礼

早速の回答ありがとうございました。
天皇は、死刑よりは、権力の奪われた
<”象徴”>
として、生き延びよう、と考えたのですね。

お礼日時:2014/04/15 22:22

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