ブッダは、悟りを開く前に苦行をおこなつてゐましたが、結局は達成できず、まづ体力の増進をはかることに方向転換しました。その結果として、のちの佛教の隆盛があるわけです。

私は下記文献を読んだとき、なぜ6年間も修行するなかで、そんな(一般人なら当然の)ことが理解できなかつたのか、不可解でした。理由を教へてください。
哲学カテゴリ住人の方が御回答くださる場合は文章がむづかしいので、私の頭でも理解できる程度にかみくだいてお願ひいたします。

*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
 脂肪と肉と血液がすっかりなくなってしまって、骨と皮だけになった。このように体重は減ったが、人間としての深みは減らず、深みの減ることのない大洋のようであった。聖者は激しい苦行のためにいたずらに体を痛めていたが、苦しみの世に再び生まれて来るのを恐れ、真理の理解者になることを望んで、次のように考えた。
「苦行を説くこの教えは、愛欲から自由になるためにも、真理を理解するためにも、また魂の解放のためにも、何の役にも立たない。あの時私がジャンブの木の根元で得た教えこそ、確実な教光なのだ。また、あの教えは、脆弱な人が得ることのできないものである」。 
 そこで、体力の増進のために気をくばることになり、さらに次のように考えた。
「飢えと渇きに疲れきって憔悴した人は、疲労のため心が病んでいる。心に安らぎのない人が、心で得るべきものをどうして得ることができようか。感覚器官がいつも充実されておれば、心の安らぎが得られる。感覚器官の充足によって心の健康が得られる。健康で充足した心から、深い精神集中(三昧)が生じる。深い精神集中を伴う心に瞑想の実践が始まる。瞑想が始まることによって、正しい教理が得られる。正しい教理によって得難い寂静の境地、不老不滅のかの最高の境地が得られる。したがって、この方法は食事を前提とする」。
 そこで、意志が強く叡智が無限の聖者は、食事をとろうと決心した。

『原始仏典 第10巻 ブッダチャリタ』講談社 小林信彦訳 第12章 141,142ページ
http://www.ancient-buddhist-texts.net/Buddhist-T …
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***

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A 回答 (16件中1~10件)

 こんばんは。



 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ブッダは、悟りを開く前に苦行をおこなつてゐましたが、結局は達成できず、まづ体力の増進をはかることに方向転換しました。
 ・・・なぜ6年間も修行するなかで、そんな(一般人なら当然の)ことが理解できなかつたのか
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ わたしには むしろ逆なことが 不思議です。

 いくらめざすさとりを《達成できない》からと言って それまで耳で聞いていた修行がよいと思ってやり始めたものを ふいと何故《方向転換した》のか?

 むろん《餓死寸前》であってみれば 《体力の回復を図ること》が必要なことは 分かります。と言っても そういう難行苦行であることは 初めから百も承知なはずなのです。

 つまりは ちょっと休みを取って 体力の回復を図り 再び三度 修行に就く。というのなら――と言っても わたしは それが正しい道だとか とにかくそうすべきではないかとか言っているのではなく 当時の修行のありさまから行けばという意味ですが―― まだ理解できると思うのです。


 けっきょく ただ嫌になって放り出した。のではないですか? そんなところでしょう。

この回答への補足

回答番号6の「お礼」で書きましたが、bragelonneさんをベストアンサーにしました。
宗教学者も佛教徒もおそらくは疑問に感じないこと、俗物まるだしの質問でした。
正しい答の出ない質問ですので、さまざまな意見を聞きたかつたわけです。
その貴重な少数見解(しかも質問文に対するもつとも素直な回答)といふことで選びました。

哲学カテゴリでは、kurinalさんを筆頭に、ベストアンサーには無頓着な人ばかりのやうですので、他の方へのお詫びは不要かと存じます。もちろんおほいに感謝してをります。
ときをりこちらで質問をするかもしれません。よろしくお願ひいたします。

補足日時:2014/04/27 20:36
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この回答へのお礼

bragelonneさん、こんばんは。
お名前が目に入つて、少し引きました。
ここの方方のなかでも、いちばん文章が難解ですので。
でも、私の頭の程度にあはせてくださつてゐて、安心しました。

さういふ見方もできるのですね。
俗にいふ「結果オーライ」ですか。
ご本人がいらつしやらないので、
単独インタビューとか、記者会見とか、暴露本とか、
真実を知る手段はありません。
私が引用した文献にしても、後世の創作である可能性があります。

他の人とは違ふ観点からの御指摘、ありがたく頂戴いたします。
ここの人たちのさまざまな御意見は、プラトンの対話編のやうです。
(自分の理解できる範囲で)楽しませてもらつてゐます。
ありがたうございました。

お礼日時:2014/04/26 23:59

お礼、ありがとうございました。



>この逆説的な見方は、的を射てゐるとおもひます。
>私自身は、佛典よりも、聖書のほうに魅力を感じます。
>佛典では状況説明があるだけなのに、
>聖書には対処法までしるされてゐます。

現代に生きる私たちは、聖書の方が分かりやすいことも多いかと思います。

西洋は、指摘することで明確にする手法が多用されることが多く
東洋は、読み取ることで全体像や具体的やり方を一つの事柄から
深くまで理解できる形で明示する手法が取られることが多いようです


>書物は、読む人次第で価値が変る、
>といふことを改めて知りました。

少しでもプラスになったのであれば、回答した甲斐があったと言うものです(^ ^)

もし、ブッタチャリダの話しが完全な創作だとしても
そこから学べるものがあれば何の遜色もないと、私は思っています。
私達は幼い頃に読んだ絵本でさえ、創作であっても
何かを感じて自らを育んできたのですから。
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この回答へのお礼

kanto-iさん、ふたたびありがたうございます。

>>東洋は、読み取ることで
>>全体像や具体的やり方を一つの事柄から
>>深くまで理解できる形で明示する手法が
>>取られることが多いようです

これがまさに今回みなさんにしていただいたことです。

>>もし、ブッタチャリダの話しが完全な創作だとしても
>>そこから学べるものがあれば何の遜色もないと、私は思っています。

私も読むのは好きです。
カントもヘーゲルも名前を聞いただけで敬遠して、
読んでゐないのですけれど。

お礼日時:2014/04/27 15:24

 


 ★(No.13お礼欄) 文章が軽すぎるので
 ☆ か それとも わたしが誤解しているとおっしゃるとおりであるか。どちらかでしょう。
 
 いづれにしても ときを俟ちます。

 もしそうだとしたら・そうだとしても これほど《軽い文章》に出会ったのは初めてですから。やおよろづ方角美人。(むろん さげすみのことばです)。
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この回答へのお礼

>>やおよろづ方角美人

おつしやるとほりです。
特にこのサイトの「相談」の場合は、
助言を求めるといふよりも、
話を聞いてほしい、
といふ(隠された)趣旨のものが多いと思ひます。
私はさういふ質問の場合には
共感できるものだけを選んで
徹底的に耳を傾けるやうにしてゐます。

http://questionbox.jp.msn.com/qa8542738.html
http://questionbox.jp.msn.com/qa8543537.html
http://questionbox.jp.msn.com/qa8560769.html

これは「相談」にかぎらず、
私のこのサイトでの基本的な姿勢です。
(もちろん、共感できない話題には最初から参加しませんし、
成り行きで主張を通す状況もでてくるかもしれません。)
質問文に記しましたとほり、
一般人で特定の思想があるわけではなく、
たいていの人の意見は大歓迎です。
私はさういふサイトにしてゆきたいと願つてゐます。

お礼日時:2014/04/27 15:08

こんにちは。



これは、独り言、ひとりごと、ヒトリゴト!!

現代的な考え方から、2000年以上前の考え方、その時代の人の行動、風習などなど、
これらは「まったくナンセンス」と批判することは簡単。
科学などが発達しておらず、迷信や迷妄に満ち溢れ、呪術などが社会や人々の考えを強く支配していたのだから。
しかし、
こうしたことを無視してはいけないんじゃないかな。
ちょっとフェアーじゃない気がしますね。

さらに独り言。
現代になってもなお、インドでは、苦行者や遊行者などは、聖者として、多くの人々から尊敬を受けたりしています。
そうした苦行者たちの中には、単に禁欲的であるだけでなく、自身の肉体を苛むようなことを行う者もいる。
出家して以来、一度も横になって眠らない、立ったまま寝る、ということをする人もいます。
うそか本当かは分からないけれど、
片足のままずっと立ち続ける、という苦行をしている人もいます。
あげられた足なんかは、筋肉が萎縮し、変形している。
こうした苦行を自身に課すことによって、神に近づこうとしている。
そして、よりスゴい、極端な苦行を行う人ほど、人々から《聖者》であると、より人々から深い尊敬を受ける。
インドの苦行というのは、ホント、超~スゴい、超~極端、ハンパない!!

さらに独り言。
ここ日本では、様々な占いがあり、人々の間で人気ですね~。
占いの存在価値を否定するつもりはないのだけれど、
そうした人たちの中には、占いがないと生きていけないという、占いに支配されてしまっている人もいる。
血液型占い、血液型というちょっと科学的なものを占いに付け加えると、・・・。
迷信深いということでは、いまも昔も、実は大差ないのかもしれませんよ(ニコニコ)。

新興宗教の開祖サマのなかには、
○年、厳しい苦行をなされたのち、神(から)の△△
なんてことをうたっていたりしますね(ニコニコ)。
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この回答へのお礼

NemurinekoNyaさん、こんにちは。
再度ありがたうございます。

>>ちょっとフェアーじゃない気がしますね。

それはおつしやるとほりです。

>>現代になってもなお、インドでは、
>>苦行者や遊行者などは、聖者として、
>>多くの人々から尊敬を受けたりしています。

たしかに、釈尊の方法が受けつがれてゐます。
ヒンズー教には得体のしれない領域があります。

>>ここ日本では、様々な占いがあり、人々の間で人気ですね~。

ここまでくると、ゆきすぎだと感じます。
でも、他者に迷惑にならなければよいと思ひます。
「病は気から」でほんとうに元気になればすばらしいことです。

このたびはNemurinekoNyaさんの回答が契機で
ここのカテゴリにお世話になりました。
こんなに多くの回答がいただけて感謝してをります。

お礼日時:2014/04/27 12:07

 ぷらぽたさん 気を遣っていただいているようで こんなわたしでも お応えせざるを得ないと思いました。



 わたしの投稿より前のご文章には触れないとすれば

 ★★(No.10お礼欄) ~~~~~~~~~~~~~
   >>ところで私はブッダの苦行は創作だと思います。

 いろいろな意見を聞きたいから質問をしてゐますので、
 かういふ見解も大歓迎です。


      *

 
 企業や業界団体が「スジャーター」をとほして、
 佛教への関心をひろめてくれるのは好ましいことですが、
 調子に乗つて、なんら根拠のない偽情報を掲載する現状には心を痛めます。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ このように文章をものされるということは 人間の持ち得る最大限の幅において《佛教》に生きておられる。と見ました。

 いわゆる懐が深いという意味とも通じるわけですが これは 筋だとか趣きが違うかも知れませんが ゴータマの流儀と同じだと見ました。

 極端な言い方をすれば 皮を切らせて肉を切り、肉を切らせて骨を断つのたぐいです。

 反対し不平を言ってくる場合や 要するに批判をしてくる場合に 相手を どこまでも飽くまでもウソでもいいから言わば《その掌の中を飛び回る孫悟空扱いをする》ということ。この手です。(単純なゴータマ・マジックとは ちょっと違っています)。


 ですから 結論に飛びましょう。
 ぷらぽたさんが 本心を見せるときまで わたしは沈黙します。

 この《孫悟空をてなづける釈迦》というイメージが本心の一端を見せているとすれば まいりました。完敗ですと申し上げて引き下がらざるを得ない。こういうわたしの偽らざる心です。
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この回答へのお礼

bragelonneさん、ほんとうにすみません。
文章が軽すぎるので、
このQ&Aサイトの他の質問でもときどき誤解を受けます。

>>人間の持ち得る最大限の幅において《佛教》に生きておられる。と見ました。

ついさきほど、回答番号11の「お礼」に書きました。
私は佛典に関しては、成立状況、記述内容、
ともに高い評価をしてゐません。
むしろここの回答者のみなさんの意見のほうが有益です。

>>いろいろな意見を聞きたいから質問をしてゐますので、
>>かういふ見解も大歓迎です。

文字どほりの意味です。
佛典の数は膨大で、相矛盾する内容はあまた存在します。
創作だらけ、ともいへます。

>>調子に乗つて、なんら根拠のない偽情報を掲載する現状には心を痛めます。

http://www.zennyuren.or.jp/chisiki/kentei/rekisi …
このページの「検定」問題は10題ですが、
「乳粥」の件以外にも、10問すべてにクレームをつけました。
いちばんひどいのは、
救世主キリストが、『滋養に富んだ大事な飲みものである』と、説いた飲みものとは?
答は「乳」で、解説を読むと、
「新約聖書では、救世主キリストが、乳について『滋養に富んだ大事な飲みものである』と、説いて歩いたと書かれています。 」
こんな馬鹿げた記述を私は読んだこともありませんし、
新約聖書には5回「乳」(ギリシャ語ガラ)がでてきますが、
そんなことは書かれてゐません。

ただし、私は聖書は好きですが、
キリスト教徒の狭量に見える部分は好みません。

お礼日時:2014/04/27 11:46

しまった。

前回の回答したサンスクリット文と英文があってませんでした。
すみません。今度は番号を確認したしあっているはず。

このように私の回答はいい加減なので、お気をつけ下さい。


tvagasthiśeṣo niḥśeṣairmedaḥpiśitaśoṇitaiḥ |
kṣīṇo 'pyakṣīṇagāṁbhīryaḥ samudra iva sa vyabhāt || 12.96 (12.99)

96. Having only skin and bone remaining, with his fat, flesh and blood entirely wasted, yet, though diminished, he still shone with undiminished grandeur like the ocean.


tasmādāhāramūlo 'yamupāya itiniścayaḥ |
asūrikaraṇe dhīraḥ kṛtvāmitamatirmatim || 12.104 (12.107)

104. Having thus resolved, ‘this means is based upon eating food,’ the wise seer of unbounded wisdom, having made up his mind to accept the continuance of life,
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この回答へのお礼

kazamidori365さんは律儀なのですね。
サンスクリットで読みたい人なら、
自分で判断できるとおもひます。
私もよく失敗しますが、
たいていは放置です。
正確さは必要ですよね、自戒です。

お礼日時:2014/04/27 10:37

私の記憶でも、釈尊の時代は苦行することで悟りが得られると信じられていたと覚えています。



食べたことがない料理の味が分からないように
自らが体験してみたことがないものを「こうだ」と決めつけることは
なにも得られるものがないですよね。

体験無しに語るのは自分の枠内の考えであり、悟りに至るという
自らを超えていくことに繋がるものではないと思います。

自らで体験し、自分の感覚を使い答えを求めるのであれば
自らでの確認作業として必要なものではないかと思います。

そして、釈尊が体験したことで苦行では至らないと証明されたからこそ
それが伝わり、今私たちが常識だと思っているのかもしれないと考えています。

天動説と地動説のようなものですね。
誰かが確認した事が広まれば、その説が根づいて一般常識になります。

自分の考えからのみ結論づけるのと、観察者として発見から結論づけるのは
天と地ほどの大きな違いが出る場合が、往々にしてあるのではないかと
私は考えています。

釈尊の行動によって苦行では悟れないと証明されたとして
その結論だけが大切なのではなく、自らの疑問は自らが体験をもって
その疑問の答えを導き出すことが大切なのだということが示されている。

そのために、そんな古い話しであろうと経緯が残されていて
今の私たちにも大いなるチャンスを手にする事ができるように
大切に引き継がれているのだと思う次第です。
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この回答へのお礼

kanto-iさん、ありがたうございました。
多数派に近いお考へのやうですね。
見解はほぼ一致してゐても、
それぞれに、心に訴へる名文があり、
ここに質問した甲斐がありました。
みなさん、簡明な説明をしてくださいますし。

>>自らの疑問は自らが体験をもって
>>その疑問の答えを導き出すことが大切なのだ
>>ということが示されている。

この逆説的な見方は、的を射てゐるとおもひます。
私自身は、佛典よりも、聖書のほうに魅力を感じます。

[例] 言ふだけで実行のともなはない人
『スッタニパータ』第二 小なる章 254
『新約聖書』マタイ伝23章3節
佛典では状況説明があるだけなのに、
聖書には対処法までしるされてゐます。

今回ただの物語にすぎない『ブッダチャリタ』の一節から
これほど有益なお話がきけるとは、
期待してをりませんでした。
書物は、読む人次第で価値が変る、
といふことを改めて知りました。

お礼日時:2014/04/27 11:17

ブッダ・チャリタは読んだことないです。



pdfも読めないと思いつつ眺めていたら

Anandajoti, Bhikkhuの名前を見るとは思いませんでした。
http://www.dhammawiki.com/index.php?title=Ananda …




たぶん、このサイトの人のはず。凄い人だと思います。
パーリ文とかサンスクリット文とか仏教のテキストがあります。
ブッダ・チャリタもありました。

Ancient Buddhist Texts
http://www.ancient-buddhist-texts.net/



ところで私はブッダの苦行は創作だと思います。
苦行しても体が壊れず、後遺症も残らないでその後、何十年も生きていけたのだから
苦行したとしても、その程度の苦行だったのでしょう。


それはそうと質問者さんが引用したのはこのあたりだと思います。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


96. Having only skin and bone remaining, with his fat, flesh and blood entirely wasted, yet, though diminished, he still shone with undiminished grandeur like the ocean.

atha kaṣṭatapaḥspaṣṭavyarthakliṣṭatanurmuniḥ |
bhavabhīrurimāṁ cakre buddhiṁ buddhatvakāṁkṣayā || 12.97 (12.100)

http://www.ancient-buddhist-texts.net/Texts-and- …



104. Having thus resolved, ‘this means is based upon eating food,’ the wise seer of unbounded wisdom, having made up his mind to accept the continuance of life,

snāto nairaṁjanātīrāduttatāra śanaiḥ kṛśaḥ |
bhaktyāvanataśākhāgrairdattahastastaṭadrumaiḥ || 12.105 (12.108)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


この後、スジャーターが登場するのですが
スジャーターの名前は、ブッダ・チャリタだとNandabalāのようですね。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

9.南伝『ブッダ・チャリタ』では、彼女の名をNandabalāとする。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%B8% …

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
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この回答へのお礼

kazamidori365さん、丁寧なご回答ありがたうございました。

>>ブッダ・チャリタは読んだことないです。pdfも........

「哲学」カテゴリの過去のQ&Aに、
文献は原文を読まなければいけない、
といふ意見があつたので、URLを記しただけのことです。
ちなみに、私は日本語訳で読んで、
重要な箇所や、訳に疑問を感じる文があつたときにのみ
原文を参照する程度です。

>>ところで私はブッダの苦行は創作だと思います。

いろいろな意見を聞きたいから質問をしてゐますので、
かういふ見解も大歓迎です。
佛典の成立はどれも釈尊の時代からかなり経過してゐます。
回答番号4のbragelonneさんが最古といはれる『スッタニパータ』を
しばしば取り上げてをられるのは、きはめて正統な態度です。

>>苦行しても体が壊れず、
>>後遺症も残らないでその後、
>>何十年も生きていけたのだから
>>苦行したとしても、その程度の苦行だったのでしょう。

もっともな推察です。
このあと50年も旅を続けながら生きたわけですから。

>>それはそうと質問者さんが引用したのはこのあたりだと思います。

ごめんなさい。
kazamidori365さんの御指摘どほり、ローマ字表記のURLを示すべきですね。
みえをはつてデーバナーガリーにしました。
(私の性格が暴露されてしまひます。)

>>この後、スジャーターが登場するのですが

企業や業界団体が「スジャーター」をとほして、
佛教への関心をひろめてくれるのは好ましいことですが、
調子に乗つて、なんら根拠のない偽情報を掲載する現状には心を痛めます。

http://www.sujahta.co.jp/
http://www.sujahta.co.jp/item/sujahta/sujahta-hi …
ブッダが乳粥を食したとき、「おー醍醐味」と叫んだ文献など
皆無だとおもひます。

http://www.zennyuren.or.jp/chisiki/kentei/rekisi …
お釈迦さまが1杯の乳粥を飲んで悟りを開いたという「乳粥」とは?
答が「ヨーグルト」です。
可能性がないとはいへませんが、断定するのは無理でせう。

両者ともに私は文面でその旨通知したのですが、
1箇月以上経過しても返答すらありません。

*** *** *** *** ***

しつこいやうですが、bragelonneさん、
私は上記のとほり、意に反することは、はつきりと申し出ます。

お礼日時:2014/04/27 10:13

 No.6です。




 ご文章を読みまして これは ゴータマ級ですね。

 まいりました。これ以上は ほんとうのけんかになってしまいます。

 退散します。完全に負けました。

 ごきげんよう。

この回答への補足

もしかすると、回答番号7の「お礼」のことですか。

>>>>>「哲学では「合理諭」といふ用語をもちゐるのですね。」
>>>>あれ、変換でミスしたようです。
>>絶妙のタイミングで投稿してくださつて、感謝いたします。
>>回答番号6の「お礼」で勝手に引用しました。
>>これが、佛様の慈悲なのでせうか。

これもほんとうのことです。
「合理諭」を辞書を引いても掲載がないので、
ネットで検索すると、「大陸合理諭」といふ言葉がヒットしました。
こんな言葉があるんだ、あとから詳しく調べるつもりで就寝しました。

私の哲学知識はこんなものだといふ事例を示していただいたのでありがたい、
ただそれだけの話です。

補足日時:2014/04/27 08:40
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この回答へのお礼

お気を悪くなさらないでください。
何を根拠にさうおつしやるのか、わからないのですが、
私は一切偽りを記してをりません。

お礼日時:2014/04/27 08:18

こんにちは。


 苦行の先の精神状態について実体験として体感できたからなのではないでしょうか。はたから苦行者を見ただけではわからない現実の苦行後の精神の状態を。そして具体的に分かったそこからの推察によって苦行は意味がないという結論に至ったのではないかと思います。そうしなければあいまいな地点からのあいまいな批判しか展開できず、苦行のどこがどう具体的に悪いとまでは言い切れなかったのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

suzumenokoxさん、おはやうございます。
基本的に、ほかの多数のかたがたと同意見と判断してよろしいでせうか。
ふだん、私の質問には回答数が少ないので、喜んでをります。
(いままでは最高で4件でした。)

>>そうしなければあいまいな地点からのあいまいな批判しか展開できず、

おつしやるとほりです。
これこそ私がしばしば犯すあやまちでもあります。
ご回答ありがたうございます。

お礼日時:2014/04/27 09:04

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波旬
仏・仏弟子等を■乱せんと企てし魔王をいう。人の慧命・善根を断つ魔なれば殺者という。欲界第六天の他化自在天、或は大自在天即ち湿婆(シヴァ)を指す。
※■=女+堯

とあります。
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%94%E7%BE%85
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%A2%E6%97%AC

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釈尊の成道以前にも、武芸や学問では釈尊にかなわず、一人の女性を巡って争ったけれども破れたという経緯はありますが、成道を妨害するほどの力は持っていなかったと思われます。

手許の『佛教辞典』では、
摩羅(魔)
欲界第六天の主、波旬(Papiyas)を主長とし、其の眷属を魔軍・魔民・魔人・魔衆とす。仏成道の時、大軍を率いて之を威嚇し、魔女を遣して誘惑し、入滅の時これを歓びたりと伝う。

波旬
仏・仏弟子等を■乱せんと企てし魔王をいう。人の慧命・善根を断つ魔なれば殺者という。欲界第六天の他化自在天、或は大自在天即ち湿婆(シヴァ)を指す。
※■=女+堯

とあります。
ということで、「波旬」または「他化自在天」「大自在天」「シヴァ神」ということだと思います。...続きを読む

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受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
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この研究はその後余り進んでいないように見えますので、残念と思います。

右脳の人格は左脳に存在する『自我意識』にはかなり分かり難くなっています。全く判らない場合に『健常者』と言う風に呼んでいます。

右脳の人格は『命そのものを働かせている者』です。人間の命の働きは、ある程度細分化出来ますので、もし細分化をするなら、概略三つに区分けする事が出来ます。

それは人間の、『身体に対する命の働きと、行動に対する命の働きと、心に対する命の働き』と言う風にですが、本当の意味ではそれらの三つには境目が在りませんから、全ての大元では共通点が在ります。

その共通点とは『心の矛盾』です、心が騒がしく争っていると言う意味です。具体的な言い方をするなら『生き難い想い』或は『一切皆苦』或は『漠然とした不安や、何処から押し寄せているのか分らない正体不明の心的な圧迫感』です。

人間の命は命として芽生えた瞬間から『働き始めています。』初めての働き始めが細胞分裂ですが、この働きを働き始める事を知っている働きが『命そのものの働き』です。

生まれてからは、誰も教えなくとも、安心する事も、不安になる事も、更に云うならば恐怖する事さえ知っている働きです。心臓の打つ数も、呼吸する数もホルモンや消化系等や排便する事も全て承知している働きです。

暑い時には汗が出る仕組みそのものや、心的には涼しい所や、水の在りかを探すように『自我意識に』指示さえ出している働きです。ですが健常者の場合では、今書いたシステムに何の疑いも持つ事が在りません、この疑いがない姿を聖書では『天国に住んでいる』と形容しています。

人間の脳の機能が大人になる頃から『人間は全てを疑う場合があります。』この現象を『失楽園』と形容しています。

二つの脳の機能が上手く同調出来ている場合の事です。天国に一番近い存在は『幼子』と言われる由縁は、脳の機能分化が進んでいないために、未だ一つのものとして働いているからです。

脳の機能分化の完成を待って始めて『人間は天国から追放される事』を意味します。この意味は『心が二つの機能になることで、争いがはじまるという意味です。』

つまり知恵が付いたために天国から追放されると言う意味は、『心が分裂をしたり矛盾を起したり、対立する事』を意味します。おもに思春期頃の事です。

人生がなんであるのか?や、自分は何者か?と言う疑問が湧き始めるころの事です。この疑問を抱き始める事によって『失楽園』と言う表現方法を取っています。

この疑問の解消方法が『悟り』を意味します。それは自分自身に疑問を抱かせていた者の正体を知る、と言う意味になります。つまり自分自身の感情を湧きあがらせていた者の正体が『自分自身であった事を知る』と言う意味です。

もっと具体的な表現方法を取るなら『死に対する恐怖感』と言う書き方をすると分かり易いと思いますので、この線で書いてみます。

普通の状態で『死』を意識した場合に、恐怖感が湧き上がります。この恐怖感の正体が何であったかを知る事が『見性』と言う意味です。

人間の心に不安や恐怖感が湧き上がる場合では『二つの意識が戦っていたり、矛盾を起しています』この意味は、『意識の根底で二つの意識は、脳梁を介して情報交換をしています』この情報交換に、ある場面で『自我意識が、感情が湧き上がる情報の受取りを拒否する場合です。』

もっと平たく言うなら『死に対する不安や恐怖心が芽生える場合では』人間の心は『永遠の命を希求しています』この事実が、心の矛盾です。

自我意識は有限の身ですが、右脳の人格は永遠の存在だからです。有限の身である自我意識は『永遠の存在である右脳の意識=仏性や神としての存在によって、』永遠を希求させられています。

右脳の働きは分り難いので、実際に右脳の人格を体感している動画が在りますので、載せてみます、その後でもう一度説明します。


URL:http://www.youtube.com/watch?v=ldSoKfFYKqM


この動画から汲取っていただきたい事は、『自我意識が全てではない事』です。もう一つの意識によって、自我意識は支えられている事です。

貴方が質問している事にお答えしたいと思います。


『いないという前提で話させていただきますが、ブッダはすべての人間が悟りを開けると教えているのに、もしブッダ以降今に至るまで第二のブッダがいないのなら、この事自体がブッダの教えは間違っていたという反証になりませんか?
この辺の事情についてお詳しい方お願いします。』


禅宗の記録を読んでください、禅宗では、悟りを開く事がその修行の全てに近い事を示しているからです。死の恐怖に怯える事からの開放を示しているからです。

禅宗では、見性した場合では『生死の問題が解決した』と言う表現方法を取っています。その意味は『死に怯えていた自我意識は、永遠の存在である右脳の働き、命そのものの働きに出会う事によって、有限のこの身の存在が、朽ち果てたとしても、自分は元々永遠の存在であった事を身を持って知る事を意味します。』

この永遠の存在との出会いを見性=悟りを開くと表現しています。そうして自我意識が二度と、右脳の人格の前にでしゃばらなくなると言う意味です。

キリスト教であっても同じ事を違う表現で言っています。『神と和解して、神の僕となる』と言う表現です。

釈迦の悟りは禅宗では、連綿と伝えられています。そのテキストの価値を書いて終わりにします。

右脳の意識は『言葉を持っていない事が特徴です。』右脳の意識を引き出す事が出来れば『見性』出来ることを意味します。

そのためのテキストとは『禅問答』です。禅問答は左脳の自我意識では、歯が立ちません、これは脳の機能的な問題です。

その理由は禅問答は右脳の人格としての機能が出て来ないと解けないように仕組まれているからです。

鬱と言う場合でも、神経症としての強迫行為も恐怖症も、自律神経失調症としての症状も、『心の矛盾』を症状として感じています。正に意識地獄の状態です。一切皆苦になっていますので、その症状を起こしている意識との出会いで『完治する事』を意味します。


それは『意識が発生する丁度、正にその時の事です。』その体験以後では『心の矛盾が解消しますので』もう二度と心同士が争う事がなくなりますので、寛解ではなくて、完治した事を意味します。

言葉にするなら、右脳と左脳の間にホットラインが開通する事によって、いつも心が静まり返っている事を意味します。仏教的な表現方法では『涅槃』です。

悟りを開くと云う事が、如何いうものかを書いてそれから、説明してみます。悟りを開く事を他の言葉で言うなら『見性』です。自分の性を見るという意味ですが、その意味を科学的な文献から解き明かしたいと思います。

人間には二つの人格が備わっていますので、科学的な文献を載せてから説明します。


”ロジャースペリー 分離脳
ノーベル賞受賞者
受賞年:1981年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究

ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん...続きを読む

Q夏の季語

夏の季語

思いつく季語
好きな季語

それぞれ、回答お待ちしています。

Aベストアンサー

夕涼み。
この時間帯に、レストランの外のテラス席で、夜景を眺めながら、ワインを頂くのは、夏の醍醐味です。

Q悟りには、ゴータマ・ブッダと同じ身体が必要か?

同じことを経験するには
同じ身体と同じ環境が必要ではないだろうか?

つまり、悟りは無理か?

Aベストアンサー

それでは人の真似であり、自分の悟りになりません。

悟りや目覚めは苦しみを経験した後にくるものと思われますので、いっぱい経験して下さい。

ブッダはただ菩提樹の元で寝ているように見えますが、心の中は混沌として整理するために動きを止めたのでしょう。

一般人は、人から言われて始めて気づくことも多く、人とのつながりが脳細胞のような助けになっています。

Qワードの文章校正

お世話になります。

ワードの文章校正をやりました。
いるかが出てきて、文章校正が終わりましたといいました。しかし、前に無視した所をやっぱり直したかったので、もう一度校正しようとしたら、「文章校正は終わりました」とできません。

どうしたらいいでしょうか。

Aベストアンサー

Wordのバージョンが判らないので、同じかどうか判りませんがご確認下さい。
メニューのツールからオプション。
文章校正のタブを開いて、一番下の「再チェック」をクリック。
一度無視したところも再びチェックされるようなメッセージが出ます。
OKして、オプションをOKで閉じれば、文章構成をやり直せます。
Word2000で検証。

Q【龍樹って何者ですか?】ブッダと龍樹の仏教対話ってことはブッダと龍樹は同一時代の思想家ってことですか

【龍樹って何者ですか?】ブッダと龍樹の仏教対話ってことはブッダと龍樹は同一時代の思想家ってことですか?

ブッダは仏教を作った人ですが龍樹は何をした人ですか?

りゅうきと読むのでしょうか。

Aベストアンサー

https://www.google.co.jp/#q=%E9%BE%8D%E6%A8%B9

Q画像の整合性をチェックしてくれるソフト

お世話になります。
たとえば、フォルダを指定すると、その中に入っている画像の整合性をチェックしてくれるフリーソフトはあるでしょうか。
整合性というのは、たとえは拡張子は「PNG」のファイルだけれど、実は形式は「GIF」のファイルであるとか、
拡張子と実際の形式が同じかどうかを見てきちんとした有効なファイルかどうか調べてくれるソフトです。

ソフトではなくても、プロンプト上?(すみません、よくわかりませんが)で調べる方法でもかまいません。

どなたかご存知ないでしょうか。

Aベストアンサー

ご希望の回答ではないかもしれませんが・・・
質問を読む限りでは、拡張子を判別してくれるソフトでよさそうですが使ってみないと分からない部分があります。

WinExChange
http://www.vector.co.jp/soft/win95/util/se139464.html

>たとえは拡張子は「PNG」のファイルだけれど、実は形式は「GIF」のファイルであるとか
これに関しては問題なく出来ます。

>拡張子と実際の形式が同じかどうかを見てきちんとした有効なファイルかどうか調べてくれるソフトです。
これが出来るか不明ですが、有効でないファイルの場合は、「判別交換」という所に何も表示されません(たぶん)ので
それを判断基準にすれば良いかなと思います。

解凍し、初回起動時にJwordをインストールするかどうか聞かれますので「いいえ」で。
心配であれば、cnsmin.dll と cnsminsetup.exeを削除して下さい。
アンインストールする場合は、フォルダごと削除して下さい。

「送る」にショートカットを置くか、exeファイルにドロップして使って下さい。
フォルダ単位で判定は出来ないので、ファイル単位(複数可)で判定して下さい。

ご希望の回答ではないかもしれませんが・・・
質問を読む限りでは、拡張子を判別してくれるソフトでよさそうですが使ってみないと分からない部分があります。

WinExChange
http://www.vector.co.jp/soft/win95/util/se139464.html

>たとえは拡張子は「PNG」のファイルだけれど、実は形式は「GIF」のファイルであるとか
これに関しては問題なく出来ます。

>拡張子と実際の形式が同じかどうかを見てきちんとした有効なファイルかどうか調べてくれるソフトです。
これが出来るか不明ですが、有効...続きを読む

Q【宗教】親鸞は修行の末に人生はありのままで良いという悟りに行き着いたという。 親鸞は悟り後はありの

【宗教】親鸞は修行の末に人生はありのままで良いという悟りに行き着いたという。

親鸞は悟り後はありのままに自分のしたいように生きて亡くなった。

これって本当ですか?

親鸞は若い時は厳しい修行をして己を苛め上げていたが悟りを開いたあとの後世はのんびりきままに自分のやりたいことをやって宗教の呪縛から解放されて伸び伸びした生活をして死んだ。

Aベストアンサー

親鸞が悟りについて語ったとは思えませんが、ありのままの人生が悟りへの道だと言うのは、それが阿弥陀如来のはからいであれば、そのように考えていたとは思いますね。
親鸞の人生自体が阿弥陀如来のはからいでしょうから、何かから解放されたとか言う事は無いと思いますよ。(最初から阿弥陀如来のはからいがあったと言う事です)
親鸞は悟ったとは言わなかったんじゃないですか?(浄土教自体が、悟りを求めていないですからね)

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