![](http://oshiete.xgoo.jp/images/v2/pc/qa/question_title.png?e8efa67)
ブッダは、悟りを開く前に苦行をおこなつてゐましたが、結局は達成できず、まづ体力の増進をはかることに方向転換しました。その結果として、のちの佛教の隆盛があるわけです。
私は下記文献を読んだとき、なぜ6年間も修行するなかで、そんな(一般人なら当然の)ことが理解できなかつたのか、不可解でした。理由を教へてください。
哲学カテゴリ住人の方が御回答くださる場合は文章がむづかしいので、私の頭でも理解できる程度にかみくだいてお願ひいたします。
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
脂肪と肉と血液がすっかりなくなってしまって、骨と皮だけになった。このように体重は減ったが、人間としての深みは減らず、深みの減ることのない大洋のようであった。聖者は激しい苦行のためにいたずらに体を痛めていたが、苦しみの世に再び生まれて来るのを恐れ、真理の理解者になることを望んで、次のように考えた。
「苦行を説くこの教えは、愛欲から自由になるためにも、真理を理解するためにも、また魂の解放のためにも、何の役にも立たない。あの時私がジャンブの木の根元で得た教えこそ、確実な教光なのだ。また、あの教えは、脆弱な人が得ることのできないものである」。
そこで、体力の増進のために気をくばることになり、さらに次のように考えた。
「飢えと渇きに疲れきって憔悴した人は、疲労のため心が病んでいる。心に安らぎのない人が、心で得るべきものをどうして得ることができようか。感覚器官がいつも充実されておれば、心の安らぎが得られる。感覚器官の充足によって心の健康が得られる。健康で充足した心から、深い精神集中(三昧)が生じる。深い精神集中を伴う心に瞑想の実践が始まる。瞑想が始まることによって、正しい教理が得られる。正しい教理によって得難い寂静の境地、不老不滅のかの最高の境地が得られる。したがって、この方法は食事を前提とする」。
そこで、意志が強く叡智が無限の聖者は、食事をとろうと決心した。
『原始仏典 第10巻 ブッダチャリタ』講談社 小林信彦訳 第12章 141,142ページ
http://www.ancient-buddhist-texts.net/Buddhist-T …
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
No.7
- 回答日時:
>「哲学では「合理諭」といふ用語をもちゐるのですね。
」あれ、変換でミスしたようです。
「合理論」ですね。→「理性論」に同じ。
「唯理論」というのも、あるんですか。
「合理主義」たって、全然「合理的」ではありません。
「理性的」≠「合理的」です。
「理」には、二つの意味があるということ、でしょう。
私の理解では、「理性的」とは、そのようにして餓死することもある、
ということです。
「理性」って、それくらいアヤシイです。
「善悪」ということですから、
必ずしも「合理的」な判断を導くものではありません。
>>>「哲学では「合理諭」といふ用語をもちゐるのですね。」
>>あれ、変換でミスしたようです。
絶妙のタイミングで投稿してくださつて、感謝いたします。
回答番号6の「お礼」で勝手に引用しました。
これが、佛様の慈悲なのでせうか。
>>私の理解では、「理性的」とは、
>>そのようにして餓死することもある、ということです。
すてきな表現ですね。
kurinalさんの文章を拝見すると、
「おれは、ベストアンサーはいらないぞ。」
と主張してゐるやうにおもえます。
主流(?)の意見に、簡潔な言葉で重要な補足をする、
そんな裏方に徹してゐます。
私も少しは見習いたいと存じます。
No.6
- 回答日時:
No.4です。
お礼をありがとうございました。でも おかしなことを感じました。
★ ~~~~~~~~~~~~~~~
お名前が目に入つて、少し引きました。
ここの方方のなかでも、いちばん文章が難解ですので。
~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ ブロックしておけばよかったのに。と相手に言わせるお言葉ですね。
《難解》ではなく すでにじゅうぶん理解しているのだけれど 思想内容がご自分のと違っていて しかも嫌いな思想だということなのでしょう。
そういうときは ブロックしてしまうか。それとも 思想の違いを明らかにし 自分のただしいと思うところからわたしの思想を批判をするか。どちらか一つくらいではないでしょうか 道は。
回答としてのつけ添えですが もし《実際に修行をやってみて これは 体力を消耗するだけであって さとりには必要がないと分かった》という理由であれば 六年も七年もやりつづけることはありません。そういうもんだいがあります。
まともでまじめな修行者であったならば 一二年で分かります。せいぜい三年やって 難行苦行はやめるか。それとも 生涯をかけてやりつづけるかでしょう。
▲ そこで、意志が強く叡智が無限の聖者は、食事をとろうと決心した。
☆ 《意志が強く》を重視するなら 一生をかけてやりきるでしょう。
《叡智が無限》であるならば ひと月くらい実践すれば わかるものを。
というような重大問題が潜んでいます。(つまり みづからが言う成道に到る道へ方向転換したのは ペテン師としての誕生というのが その中身であった。・・・)
>>ブロックしておけばよかったのに。
>>と相手に言わせるお言葉ですね。
誤解なさつてゐます。
bragelonneさんのほかの文章を拝見すると、
哲学に疎い私では、ほんとうに理解できないのです。
「哲カテ」の回答文でも記しましたが、
文学は好きでも、哲学はほとんど手を染めてゐません。
その証拠が、回答番号7です。
>>>「哲学では「合理諭」といふ用語をもちゐるのですね。」
>>あれ、変換でミスしたようです。
私はほんとうに「合理諭」だと信じてゐました。
もちろん、真実をより正確に伝達するために、
数学や物理学などで複雑な数式を必要とするのと同じく、
哲学の世界でも難解な表現を用ゐることは承知してをります。
ただ、私の時だけは、手加減をお願ひします、
と質問文に記しました。
他意はございません。
>>そういうときは ブロックしてしまうか。
NemurinekoNyaさんのブロックしない態度に感銘を受けました。
私はさいはひ、嫌な回答を受けたことなどありませんが、
状況によつてはするかもしれません。
しかし、bragelonneさんがいつもの調子で寄稿なさつたとしても
辞書を片手に読むつもりです。
>>思想の違いを明らかにし
>>自分のただしいと思うところからわたしの思想を批判をするか。
質問したのは、わからないからです。
「批判」などおこがましいことです。
私は葬式以外に佛教とのかかはりがなく、
深い「思想」もありません。
>>まともでまじめな修行者であったならば 一二年で分かります。
同感です、それが質問文の内容です。
ただし、6年も続けた意味を知りたいとおもひました。
>>《意志が強く》を重視するなら 一生をかけてやりきるでしょう。
>>《叡智が無限》であるならば ひと月くらい実践すれば わかるものを。
鋭いご指摘です。
私はそこまで読みこんでゐませんでした。
>>ペテン師としての誕生
充分成立する仮説です。
回答番号4の「お礼」に記しましたとほり、
仏教の典籍は後世の創作の可能性があり、
真実は闇の中で、それぞれの解釈次第です。
私はbragelonneさんのご意見を尊重します。
むしろ昨夜は、他の方方とは異なつた見解なので、
「ベストアンサー」にしようと考へて就寝しました。
私の文章が軽すぎるので、お腹立ちはもつともですけれど。
申し訳ございませんでした。
No.5
- 回答日時:
私は詳しい訳ではないので、いいかげんな記憶からですが
その頃って、修行ってそういうものだとみんなが思ってたんじゃないかな?
苦しい思いをして初めて得られるとか
それに階級社会で修行が出来る階級の人も生まれつき決まっていたような?(ブッダは本来はやっちゃいけない階級だよね)
一般人には特別な人が特別の苦行をして素晴らしい聖者になれると信じてた時代だったんじゃ
そして苦行に一生を費やす人々が沢山いた
当然そうだって世界で修行をしようと思ったらこの苦行の世界に普通は入ると思う
で、やってみて、この方法は意味がないと判ったから、骨川筋衛門から回復し、正しい修行を探すために食事をとる事に決めた
また、普通に暮らしていて自分を痛めつける必要は無いと思うのと、自分を痛めつけていてそんな必要は無いんだと理解するのは大分違うと思う。なんというか、得るものが全然違いそう。気付いた時の感動とかも。
この回答への補足
[お詫び]
「お礼」末尾で、fuukakouさんの「さん」が抜けてゐました。
(今はやりの)コピペをしたものですから。
コピペをすると信用がなくなると、
世間で騒いでゐるのも当然です。
御回答ありがたうございます。
さきほど起床したもんですから、お礼がおそくなりました。
>>で、やってみて、この方法は意味がないと判ったから、
>>骨川筋衛門から回復し、正しい修行を探すために食事をとる事に決めた
基本的にNemurinekoNyaさん、0fool0さん、kurinalさん、
と同じ御意見ですね。
>>普通に暮らしていて自分を痛めつける必要は無いと思うのと、
>>自分を痛めつけていてそんな必要は無いんだと理解するのは大分違うと思う。
身にしみてわかる、
たしかにおつしやるとほりです。
fuukakouが深夜に投稿してゐただいてゐるのに、
さつさと就寝した私には、至ることのできない境地です。
No.3
- 回答日時:
plapota様、こんばんは。
「やってみて、会得した」ということでは。
「やってみて、会得する」とは、経験論であり、
「このようにすれば、こうであるはずだ」という「合理諭」では、ありません。
「合理諭」は、「迷信」のようなものです。
kurinalさん、こんばんは。
昨日は、別の質問にも答へていただいて、
ありがたうございました。
私の質問には、回答者が少ないものですから。
>>「やってみて、会得した」ということでは。
NemurinekoNyaさん、0fool0さんと同じ御意見ですね。
自分もそれで納得してゐるわけですが。ただし、
私はNemurinekoNyaさんのやうに人格高潔ではありませんから、
nananissethe3rdさんから「同じ穴の狢」と呼ばれたくありません。
第三者だから面白いだけです。
「サナダムシ」も嫌いです。
「モザイク消せ消せ」はかまひませんが。
>>「このようにすれば、こうであるはずだ」という
>>「合理諭」では、ありません。
哲学では「合理諭」といふ用語をもちゐるのですね。
解説つきで、ありがたうございます。
たしかに最初から理論立てて結論がくだせる場合は、
それなりの道筋ができたあとのことです。
始祖であるブッダには無理です。
![](http://oshiete.xgoo.jp/images/v2/common/profile/M/noimageicon_setting_07.png?e8efa67)
No.2
- 回答日時:
こんばんは。
苦行によって悟りが得られると信じられていた。釈尊自身、そのように信じていた。そして、6年にも及ぶ苦行をした。餓死寸前の状態に達して、はじめて「苦行によって、涅槃はえられない」と気がついた。
何で、釈尊ほどの人物がこのようなバカな真似をしたのだろう?
このことを疑問に思うのは当然です。
そして、バカと、他人(ひと)に笑われても仕方がない。
しかし、実際にやってみない、と分からないことってあるんですよ。
とことん追求し、はじめて、この方法ではうまくいかない、と分かることってあるんですよ。
自然科学なんて、この繰り返し。
理論で示される、この方法で○○ができるはずだ→やる、失敗→その方法に少し改良を加えて、また、やる→失敗→・・・
これをとことん追求する。考えられる工夫、改良をすべてやり尽くす。これを何年間も繰り替えして続ける。でも、それでも、うまくいかない。
この時、はじめて、「あ~、この方法では○○はできないんだ」と気づくことはあるんですよ。
この期間、一見、無駄なように見えるでしょう。
でも、失敗を繰り返す間に、いろいろなノウハウや知識、知見が得られるんですよ。
そして、こうしたことが誰も成し遂げられない大発見につながったりする。
釈尊の場合も、これと同じなのではないでしょうか。
そして、その苦行を通じて得られたものをベースにして、釈尊の教えができている。
ですから、釈尊の苦行体験は、決して無駄ではなかった、と私は思います。
ですが、釈尊の失敗を真似をする必要はない。
失敗することは、分かり切っているのですから。
そして、涅槃に至る道筋は、釈尊によって示されている。
「これを道標にして、その道を進めばいい」のだと、わたしは考えます。
NemurinekoNyaさん、こんばんは。
昨日「宗教」カテゴリについてお尋ねした件です。
さつそくの御回答感謝してをります。
それにしても「哲カテ」の質問は大人気ですね。
>>実際にやってみない、と分からないことってあるんですよ。
0fool0さんと同じ御意見で、
それが真理としか言ひやうがありません。
お得意の数学でもさうなのですね。
私としては、その「やつてみる」原動力に興味があります。
>>釈尊の苦行体験は、決して無駄ではなかった、と私は思います。
私もさう思ひます。
>>釈尊の失敗を真似をする必要はない。
私には絶対真似できません。
職場でも、すぐに菓子に手を伸ばします。
女の子にはすぐにちよつかいを出します。
だからこそ6年間(正しいとしても)安易な方向に流れず、
「やつてみる」といふ姿勢を貫くことに対して、
不条理と同時に、憧憬を感じます。
お時間を割いてくださつて、ありがたうございました。
「カマキリ」の話や私の質問の相手をするのは、
「苦行」ではあつても、
「無駄ではなかった」とは言へませんね。
No.1
- 回答日時:
その通りですね。
しかしそれも「やってみたから判った」のでしょう。
貴方がそれを理解していたのは、それだけ真理に近い位置にいるからではないでしょうか。
それと「一般人」の考え方を理解しているのでしたら、世界を理解しているのでしょうから、質問の必要は無いでしょう。
御回答ありがたうございました。
>>しかしそれも「やってみたから判った」のでしょう。
ごもつともです。
時代や背景が今とは違ひますから。
キリスト教の迫害への忍耐は外的なものですが、
ブッダが死の寸前までの苦行は自発的なものであり、
それが6年も続くといふのが、異常に感じます。
>>それと「一般人」の考え方を理解しているのでしたら、
>>世界を理解しているのでしょうから、質問の必要は無いでしょう。
哲学的な御意見ですね。
このくらゐの言葉で教へてくだされば、私にも理解できます。
こちらにお住まひの方たちの文章は、チンプンカンプンなものですから。
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