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現在、宗教についての質問は、哲学カテゴリに投稿することになつてゐます。
宗教カテゴリをつくるべきですか。

実はこの件について、すでにOKWaveさんに問ひあはせをしてゐます。本来は、みなさんの意見をまとめてからすべきことなのですが、もう手遅れです。あとから、参考資料として、読んでいただくつもりです。

A 回答 (13件中1~10件)

絡んで欲しいのか、絡みたいのか(笑)



>この質問ページの回答番号6の文末でも、アルケー教に勧誘されました。
>さきほどのアルケー教の勧誘のことですね。もうすこしで心を許すところでした。気をつけます。

アルケー教ではなく、日本語で「自律」と言われるものです(笑)
自律へのお誘いは、人間の関わりの基本であり迷いからの解放も含まれます。

放って置いてもいいのですが、それでは人として冷たすぎると感じますので。
通常できるだけノックにとどめるようにしてます。

大人な女性の方がイイと思うkanto-iでしたwww
自爆はここまでとします(笑)

この回答への補足

現状のままでよい、といふ見解が多いやうです。
OKWaveさんには、さきほど、このページの件をメール送信しました。(utaさんのページの件も。)
みなさま貴重な御意見、ありがたうございました。

*** *** *** *** ***

今回は、広く意見を求めるといふ内容ですので、ベストアンサーを選ぶ必要はありません。しかしシステム上そのやうになつてをります。

宗教の勧誘から私を救つてくれた回答番号10にしようかと考へたのですが、この回答番号12の

>>大人な女性の方がイイと思うkanto-iでしたwww

といふ、素直になれない態度を糾弾する意味で、kanto-iさんとします。

補足日時:2014/06/06 19:18
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この回答へのお礼

>>アルケー教ではなく、日本語で「自律」と言われるものです(笑)

>>ぷらぽたさんも、自分の足で歩いて下さいね。

ねこさんの指摘を受けてからといふもの、何度読んでも「歩け教」の勧誘にしか思へません。私は外国語カテゴリでギリシャ語の回答をして、何度もベストアンサーをもらつてゐますから、ねこさんの言ふ「アルケー」がギリシャ語でないことくらゐ、すぐに判別できます。回答の形を借りた勧誘は「人の道」にはづれてゐます。

>>自律へのお誘いは、人間の関わりの基本であり
>>迷いからの解放も含まれます。

やはり宗教的な匂ひがします。

>>大人な女性の方がイイと思うkanto-iでしたwww
>>自爆はここまでとします(笑)

小学生の文通友だちがゐます。だから子供相手の文体が板についてしまつてゐます。こんど何人か紹介します。

みなさん、あまり乗り気ではないやうです。質問投稿者が悩まないやうに、カテゴリ案内に「宗教質問は基本的に哲学カテゴリですよ」といふ注意書きを入れてもらふ提案をしようかとおもひます。

何度も御回答くださり、ほんとうにありがたうございました。

お礼日時:2014/06/05 21:15

 しばらく考えましたが



 宗教の本質は、困っている人、悩んでいる人をどう救うかだと思いますが、それはまさにOKWaveサイトの本質でもあるんじゃないでしょうか。

 つまり宗教とは何か?を問うことは、OKWaveとは何か?を問うことです。

 OKWaveの問題点を問うのはいいと思うのですが、その存在意義まで問い続けると、結局我々は何でここで人の悩みに回答しているのかというテーマを問うことになり、そこを疑うのはあまり芳しくないという判断じゃないでしょうか。

 「神がないなら 善行はない」というドストエフスキー?の言葉が確かあったはずです。
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この回答へのお礼

こんばんは。私とそれほど年齢差がないのに、最近の曲をよくご存じなのですね。「つぐない」「神田川」「世界中の誰よりきっと」など古いものは大好きです。

>>しばらく考えましたが

みなさん真剣に考へてくださるので、恐縮してゐます。やはり、ここは哲学カテゴリなのですね。質問者のほうは、のんきにかまへてゐます。申し訳ございません。ただ、宗教はあまり生真面目になりすぎると、争ひを起こしやすくなります。

>>宗教の本質は、困っている人、悩んでいる人を
>>どう救うかだと思いますが、
>>それはまさにOKWaveサイトの
>>本質でもあるんじゃないでしょうか。

私もさうおもひます。
このQ&Aサイトは、心に傷を負つた人、知的充足を求める人、対人関係に悩む人、私を抹殺したい人で、満ちてゐます。

>>何でここで人の悩みに回答しているのか
>>というテーマを問うことになり

私は、自分の楽しみ、そして勉強として、質問および回答をしてゐます。回答するときも勉強の場だと考へてゐます。

>>神がないなら 善行はない

さがしてみます。

宗教についての興味深い論説、ありがたうございました。

お礼日時:2014/06/05 22:03

作る事には問題があると思います、その問題とは、宗教そのものの意味から問う必要が生じてしまうからです。

宗教とは何なのかという問題から始まって、神や仏とは何なのかや、神は一つなのかや、多神教の問題にまで発展すると思うからです。

本来的には宗教の目的とは『個人に於いての魂の救い』と思います。この意味は人間の悩みや疑問は『心の矛盾』に端を発している事が原因ですが、究極的には、悟りを開く事、キリスト教的な表現をするなら神との和解を意味しますが、東洋の思想的な表現方法なら『無為自然』を体得することを意味すると思います。


或いは、日本的な表現をするなら、道に至る事と思います。同じ心的な内容を時や処を変えて変化している事と思います。ソクラテスなら、自分自身を知れと表現している内容です。

仏教だけでも多数の派があります。禅宗が勃った時、禅宗は仏教か?という疑問さえ沸き起こっています。詳しい内容にまで、踏み込む事は、こう云った一般の人を対象にした内容にそぐわないと思うからです。

つまり専門用語が出てくるなら、分かる人が限られてしまって『つまらない内容が多くなる事』が予測出来るからです。

つまらないという意味は、限定された言葉によって、限られた意味の言葉が多くなる事で、興味を抱いて読む人の数が限定されて少なくなり過ぎると予測されると思うからです。


出来るだけ多くの人が興味を抱いて書いたり読んだりする事が、教えて!goo >の目的と思うからです。
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この回答へのお礼

はじめまして。いつも真摯な態度で問題に向きあふ御姿勢に敬服してをります。

>>作る事には問題があると思います

そのやうな意見が多いやうです。

>>その問題とは、宗教そのものの意味から問う必要が
>>生じてしまうからです。

御意見、ありがたうございます。
おつしやる意味はわかるのですが、宗教カテゴリの設置との関連がつかめませんでした。すみません。

>>出来るだけ多くの人が興味を抱いて書いたり読んだりする事が、
>>教えて!goo >の目的と思うからです。

私もさう思ひます。ふだん宗教になじみのない人でも入り込める話題がたくさんでてきてほしいものです。外国語カテゴリは、少し前まで、「翻訳サイト」の様相を呈してゐたのですが、すこしづつ興味深い質問がでてくるやうになりました。
利用者だけではなく、サイト管理者もいつしよに楽しめるQ&Aをめざしてゐます。

お礼日時:2014/06/04 19:13

こんにちは。




☆宗教カテゴリをつくるべきですか。
◇宗教カテゴリにー、どれだけ、質問が寄せられるか、なのでしょう。
葬儀などに関するカテゴリーもありますので、意外に質問数が少ないのかもしれませんね。

また、回答という形による、特定の宗教への勧誘なども行われる可能性もあります。
精神的な脅迫もあるかもしれない。
宗教カテゴリーだと、ちょっと弊害の方が大きいように思うんですよ。
宗教色が色濃く出てしまう・・・。

宗教と哲学は不可分な関係にあり、それゆえに、重複するような内容の質問もあるでしょうから、
質問と回答の効率的な管理という面で、
宗教カテを哲学カテに併合するというのは、妥当なのではないでしょうか。

まぁ、
この哲学カテも、いろいろな意味で、かなり危ないサイトになっているとは思うんですけれど(笑い)。
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この回答へのお礼

こんばんは。

>>意外に質問数が少ないのかもしれませんね。

哲学カテゴリの現状でも適度な質問数ですので、いまのままがいいのかもしれません。

>>質問と回答の効率的な管理という面で、
>>宗教カテを哲学カテに併合するというのは、
>>妥当なのではないでしょうか。

NemurinekoNyaさんに言はれると、妙に説得力があります。聖書は、選択を迫る「砂漠の教へ」といふのも実感がありました。

お礼日時:2014/06/03 19:58

>責任をとらず、裏でひとり「いい子」になりたいと、望みます。


>私がやると、先日の質問のやうに「火に油」になりさうです。

>私も自分が望まないことはやりませんし、
>自分のやりたいことは他人にまかせます。

個人課題でしょうか?
挑むも逃げるも、あなた次第って事ですね。

ご自分の人生ですよね。
悔い無きば、それで良しです(^ ^)
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この回答へのお礼

昨日につづき、御教授、ありがたうございます。

先週、仲裁についての質問を投稿し、kanto-iさんをはじめとするみなさんから助言をいただき、悩みも解決できました。今は、晴れ晴れとした気持ちです。
週末にアンケートカテゴリで問題が生じて、性懲りもなく、首を突つこみました。そのとき、ななにすさんが都合よく登場してくれて、予想外の好結果をもたらすことになりました。あとでサポート担当さんからもあたたかいメールをいただきました。一人ではできなくても、協力してくれる人がゐるとうまくゆくものだ、とよくわかりました。

お礼日時:2014/06/03 19:16

 ぷらぽたさん お早うございます。



 ご趣旨がいまひとつ分からずにいました。じつは いまも分かりませんが このカテの住人としてまた《宗教》をあつかって来た者として お邪魔します。


 まづ 手がかりは:
 ★★(No.5お礼欄) ~~~~~~~~~~~~~~
 (あ) 哲学と宗教といふ異質のものを、同じカテゴリにしてしまふ、といふのが納得できません。
 (い) 私自身、宗教に関する質問を哲学カテゴリに投稿するとき、申し訳ないやうな気持ちになります。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ ということですが (あ)は ともかく (い)の事由が どうもぷらぽたさん独特のことであるかとも思われるのですが どうなのでしょう。

 つまり いわゆる《畏れ》といった主題をめぐって分かるような感覚も持ちますが もしそういったニュアンスなのでしたら むしろふるい言いぐさとしての《神学の端女(はしため・婢)》としての哲学において扱ったほうが 何かと勘違いを起こしてもゆるされるといったかたちにおいて 議論するのも気が楽な感じがします。







 いくらか 判断材料になるかと考えられる問題を挙げてみます。

 (う) やはり 《経験事象か非経験の場か》という区別 すなわち《経験思考によるものか それとも 思考に非ずなるナゾを――代理の言葉をつうじて思考によって――扱うのか》なる区別 これが はじめにものを言うと思います。

  ○ (非知なる非経験の場⇒非思考の庭)  ~~~~~

  非思考の庭(クレド=しんじる。心の明け。ヒラメキ):信仰
  ________________________
  思考の緑野(コギト=かんがえる。⇒田園および都市):宗教
  感性の原野(センスス・コムニス。直感かつ直観)
  ________________________

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 (え) すなわち はっきりしていることは 宗教と信仰とは別だということです。:

  ○ 宗教は――いかに信仰にもとづくとは言え―― すでに《オシエ》として人間が考えて受け取ったり批判したりする《思考物ないし想像物》です。
  
 (お) つまり 宗教は このオシエにかんする限りで じつにまぎれも無く哲学・思想の取り扱う分野です。

 (か) たとえば 生まれ変わりという意味での輪廻転生なる《理論》は 同じ DNA のヒトは過去にいなかったという限りで 成り立ち得ません。
 
 (き) いまだに因果応報説をも交えたこの輪廻転生説を標榜するとしたらそのシュウキョウは それこそ天罰をもおそれぬヒトデナシです。それこそ《畏れ多い》ことです。

 (く) 宗教の中には いわゆる神秘思想と呼ばれる分野があります。哲学つまり経験思想にもとづくという基本に立ちつつも その経験合理性をも突き抜けて思考ないし想像(あるいは 観想・瞑想?)を――世界認識について――およぼそうとするいとなみです。

 (け) ただ これだとしても 一般に哲学のカテゴリにて取り扱ってだいじょうぶなのではないでしょうか? 特に不都合はないと思います。

 これこれのコトについては 哲学から飛躍し非合理なことを言いますが・・・といった事割りをその神秘思想家も添えるでしょうから。

 (こ) そうしますと 哲学のカテにあってはかしこくも畏れ多いと感じる分野と言えば 《信仰ないし 神論》ということでしょうか?

 (さ) もしそうだとしますと この議論は 真っ二つに分かれると思われます。まづたとえば聖書によれば ひとの自己表現には 《異言(いわば神秘)と預言(解釈)》とがあると言います。

 △ (パウロ:コリント前書 14:1-4) ~~~~~~~
 1: (a) 愛を追い求めなさい。

   (b) 霊的な賜物、特に預言するための賜物を熱心に求めなさい。

 2: (c) 異言を語る者は、人に向かってではなく、神に向かって語っています。それはだれにも分かりません。彼は霊によって神秘を語っているのです。

 3: しかし、(b) 預言する者は、人に向かって語っているので、人を造り上げ、励まし、慰めます。

 4: (c)異言を語る者が自分を造り上げるのに対して、

   (b)預言する者は教会(* =社会一般・すなわち見えざる教会=世の中)を造り上げます。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~

 (し) 《異言》は 神秘ですから無論のことですが 《解釈する預言》も 《霊的な賜物》だと言っていますから 《非思考の庭(インスピレーション)》にかかわっているようです。

 (す) けれども それらの前に

 △ 14:1: (a) 愛を追い求めなさい。

 ともあります。これはその直前のくだりで:

 △ (同上書 13章) ~~~~~~~~~~~
 8: 愛は決して滅びない。預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう、
 ・・・
 13: それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ と言われるような文脈にあります。

 (せ) さて 《異言と預言》ですが これは預言のほうが勝っていると言っても 異言が捨て去られるわけでもないようです。

 △ (同上 14:5-) ~~~~~~~~~~~~
 5: (c) あなたがた皆が異言を語れるにこしたことはないと思いますが、
   (b) それ以上に、預言できればと思います。異言を語る者がそれを解釈するのでなければ、教会を造り上げるためには、預言する者の方がまさっています。

 6: (c)(b) だから兄弟たち、わたしがあなたがたのところに行って異言を語ったとしても、啓示か知識か預言か教えかによって語らなければ、あなたがたに何の役に立つでしょう。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 (そ) ここは けっこう長くパウロが説明しています。ここは さらにそのあと悪名高い文章もあるのですが・つまり

 △ (同上 14章 34節) 婦人たちは、教会では黙っていなさい。

 といった古代人に特有の女性蔑視のくだりもあるのですが もう少しそれでもパウロに耳を片向けてみますと:

 △ (同上 14章 13-20) ~~~~~~~~~~~~~~
 13: (c=b) だから、異言を語る者は、それを解釈できるように祈りなさい。
 14: (c) わたしが異言で祈る場合、それはわたしの霊が祈っているのですが、理性は実を結びません。

 15: では、どうしたらよいのでしょうか。
  (c=b) 霊で祈り、理性でも祈ることにしましょう。霊で賛美し、理性でも賛美することにしましょう。

 16: (c) さもなければ、仮にあなたが霊で賛美の祈りを唱えても、教会に来て間もない人は、どうしてあなたの感謝に「アーメン」と言えるでしょうか。あなたが何を言っているのか、彼には分からないからです。
 17: あなたが感謝するのは結構ですが、そのことで他の人が造り上げられるわけではありません。 
 18: わたしは、あなたがたのだれよりも多くの異言を語れることを、神に感謝します。

 19: (b) しかし、わたしは他の人たちをも教えるために、教会では異言で一万の言葉を語るより、理性によって五つの言葉を語る方をとります。
 20: 兄弟たち、物の判断については子供となってはいけません。悪事については幼子となり、物の判断については大人になってください。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 判断材料としてのいくらかでした。

 わたし自身は どなたかと同じく どちらでもよいという見方でいます。

この回答への補足

「お礼」末尾
bragelonneさん
の「さん」が抜けてゐました。ときどきやつてしまひます。すみませんでした。

補足日時:2014/06/03 20:22
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この回答へのお礼

こんばんは。いつもおつきあひくださり、ありがたうございます。しかも毎回率直なご意見をいただき、感謝してをります。

>>(い)の事由が どうもぷらぽたさん独特のことで
>>あるかとも思われるのですが

お気遣ひありがたうございます。
初めて宗教の質問をしようとしたとき、「宗教カテゴリ」をずいぶん探しました。最終的には猫さんにたづねて、諒解をもらひました。でも、たいていの人は、私と同じ感覚だとおもひます。TANUHACHIさんの指摘する異質性のほうが気になります。

>>宗教は このオシエにかんする限りで 
>>じつにまぎれも無く哲学・思想の取り扱う分野です。

それは、おつしやるとほりです。特に、哲学は、宗教にかぎらず、どんな分野とも接点をもちます。哲学カテゴリは、何でもありです。結局まとめてしまへば、カテゴリは、「哲学」ただひとつになつてしまひます。

>>生まれ変わりという意味での輪廻転生なる《理論》は
>>同じ DNA のヒトは過去にいなかったという限りで 成り立ち得ません。

このあたりの議論はご容赦ください。私自身は「輪廻転生」を信じませんが、それを科学によつて証明するのは不可能です。この点で私は、回答番号1の方の思想に完全に同意してゐます。0fool0さんから最近こんな言葉をいただきました。
「その根拠である知識を失った時に、共に失われるものだ。」
科学といふのは、進歩をつづけるものです。現在のDNAの知識が古びてしまつたとき、宗教の根拠も共に失はれてしまひます。そもそも、遺伝子で生物が理解できるといふ発想そのものが西洋還元主義の悪しき伝統です。

>>哲学のカテにあってはかしこくも畏れ多いと感じる分野と言えば
>>《信仰ないし 神論》ということでしょうか?

コリント人へのパウロの手紙、何度読んでも感動的です。
これとても、哲学カテゴリであつかつていいとおもひます。むしろ、哲学的な意見を聞きたいくらゐです。

哲学と科学は違ひます。でも哲学で科学を論じることは不自然ではありません。哲学と宗教の関係も同様ではないかとおもひます。

>>わたし自身は どなたかと同じく どちらでもよいという見方でいます。

結局はどつちでもいいといふことなのかもしれません。投稿枠の決め方にすぎないのですから。ありがたうございました。bragelonneの御意見からはいつも刺激を受けます。

お礼日時:2014/06/03 19:07

どっちでもいいと思う



でも個人的には両方見るのは面倒なのでまとまっててくれるとありがたい。ものぐさなので。

哲学に放り込んだのは、思想や思索の大元にその人が世界をどうとらえているかがありそうで、世界をどう捉えるかは宗教と強い繋がりがありそうだからなのかな~?

宗教カテゴリがあると深い話が出来そうですね。
でもよく判らん素人が思ったことは書き込み件数が減りそう。あ、宗教を考える人にはその方がいいのかな?ノイズが入らないで。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがたうございます。正論をわかりやすく提示する姿勢をみならひたいと、いつも感じてゐます。

>>どっちでもいいと思う

といふことは、これが正論なのでせうか。

>>両方見るのは面倒なのでまとまっててくれるとありがたい。

さういふこともあるのですね。私のくだらない質問がなくなれば、もつと見やすくなります。

>>宗教カテゴリがあると深い話が出来そうですね。
>>書き込み件数が減りそう。

宗教に関するここでの議論はあまりにも真剣すぎる、と感じます。もつと楽しい話題がいくらでもあるはずです。聖書を読んでも、笑へる話がたくさん出てきます。佛典しかり、ハディースしかり。真剣さと楽しさを半半くらゐで取り上げれば、無益な争ひは最小限にとどめることができると思ひます。


>>ノイズが入らないで。

私の存在そのものがノイズです。

お礼日時:2014/06/03 07:34

お礼、ありがとうございます。



>kanto-iさんが、宗教カテゴリのリーダーになつてくれると助かります。

カテが出来る可能性は無いと思いますが、お申し出は辞退いたします。
リーダーが居たほうがいいと思う人がリーダーになればいいからです。

人に期待せず、自分で動かれることが賢明です。
誰しも自分の願いは、自分で叶える事です。

リーダーの器じゃ無いと言うのであれば、その器になればいい。
なれないというのであれば、諦めも肝心です。

私は自分が望まないことはやりませんし
自分のやりたいことで手がいっぱいです。

人に期待し、自分で動かない人が多いから
今の世の中が、こうなっていると思います。

ぷらぽたさんも、自分の足で歩いて下さいね。
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この回答へのお礼

何度もおつきあひくださり、ほんとうにありがたうございます。

>>カテが出来る可能性は無いと思いますが

残念です。

>>お申し出は辞退いたします。

ますます残念です。

>>人に期待せず、自分で動かれることが賢明です。

責任をとらず、裏でひとり「いい子」になりたいと、望みます。
私がやると、先日の質問のやうに「火に油」になりさうです。

>>私は自分が望まないことはやりませんし
>>自分のやりたいことで手がいっぱいです。

私も自分が望まないことはやりませんし、
自分のやりたいことは他人にまかせます。

>>人に期待し、自分で動かない人が多いから
>>今の世の中が、こうなっていると思います。

私のせいで、世の中がかうなつてゐると思ひます。かはいい小保方さんが非難されてしまふのも私のせいです。

>>ぷらぽたさんも、自分の足で歩いて下さいね。

ありがたうございます。

お礼日時:2014/06/03 07:16

 僕は「宗教カテ」を作るべきではない、と考えます。


哲学は思想と思想の潮流が渦巻くことで一つ上がった状態に深化も遂げますが、宗教では宗教間の対立および宗派間の対立を呼ぶだけで何の恩沢ももたらす余地がない、との考え方に基づくものです。
 哲学はあくまでも「なぜ、なぜ、なぜ………」と追究していきますが、宗教にはそれがない。どこかで線引きを予定調和の様に求める形で不可知論に陥り、それを以て結論とするとの思考停止状態を是認しもします。この点を僕は許すことができないとの理由によります。
 問題の真ん中に人間を置いて、そこから幾つもの方向へと線を引き出すことのできる学問。これが哲学が持つ最大の魅力であると共に、哲学が仕掛ける罠であるとも考える次第です。

この回答への補足

おはやうございます。御多忙のなか恐縮ですが、うかがつておきたいことがございます。今回の質問目的は、利用者からサイト管理者への意見提出ですので、なるべく明確にしておきたいと考へます。

哲学と宗教の相違については、程度の問題はあつても、基本的にそのとほりだとおもひます。それなのに、なぜそのふたつを別別のカテゴリとせずに、

>>僕は「宗教カテ」を作るべきではない、と考えます。

といふ結論になるのか、私の非哲学的思考では理解できませんでした。

*** *** *** *** ***

昨晩、哲学カテゴリに、聖書のマナについての質問が投稿されましたが、すぐに「カルチャー」カテゴリに移動しました。私と同じく、宗教の質問をどこのカテゴリにするか判らずに困つてゐる人がたくさんゐます。(これが普通の反応だとおもひます。)

>>この点を僕は許すことができない

との一文からすると、宗教そのものの質問をやめるべきだ、といふ意味に取れないこともありません。

さしつかへないやうでしたら、お聞かせくだされば助かります。

補足日時:2014/06/04 06:09
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この回答へのお礼

深みがあり、なほかつ、おもはずうなるやうな論理展開に、いつも感心してゐます。しかも、(書き順のやうな)何の役にも立たないことに真剣に取り組む姿勢が、哲学的思考なのでせう。私はこのQ&Aサイトで、最初にいただいた御忠告とは、正反対の道を歩んでゐます。それは別に理由がありますので、御忠告そのものは、いまでも大切に心にとどめてをります。

>>宗教では宗教間の対立および宗派間の対立を呼ぶだけで
>>何の恩沢ももたらす余地がない

歴史がそれを証明してゐます。

>>哲学はあくまでも「なぜ、なぜ、なぜ………」と
>>追究していきますが、宗教にはそれがない。
>>どこかで線引きを予定調和の様に求める形で不可知論に陥り、
>>それを以て結論とするとの思考停止状態を是認しもします。

哲学と宗教といふ異質のものを、同じカテゴリにしてしまふ、といふのが納得できません。私自身、宗教に関する質問を哲学カテゴリに投稿するとき、申し訳ないやうな気持ちになります。

>>これが哲学が持つ最大の魅力であると共に、
>>哲学が仕掛ける罠であるとも考える次第です。

かういふ表現は大好きです。ありがたうございました。
そのうち丸谷才一論を御一緒できればさいはひです。

お礼日時:2014/06/03 06:58

お礼、ありがとうございます。



>kanto-iさんは、さういふ状態になることがあるのですか。いつも冷静で、温和な方ですので、気になつてゐます。

今は無いですね。
怒ることを選ばないというか。。。
怒る必要が無いというか。

自分の気持ちが分かれば、怒るに至らないで済みます。
すでに怒る意味を持たない、いや怒らない意味を持ってるが正解でしょうか。
昔は瞬間湯沸かし器でしたけどねwww

ドーパミン出まくりも、有る意味気持ちがいいですが
それは別のことに回したほうがいいかなと。

自分の真意に従えば、破壊より建設のほうがいいと思えますから。

たまに後退系には、冷や水として少々辛口も出しますよ。
嫌っても怒ってもいないですけどね。
かかわりの可能性を見出せたらと思うからですね。

自分と和解できれば、人は怒る意味を持たなくなるでしょう。
いろいろ手放したら、怒ることも手放せます。
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この回答へのお礼

夜遅くまですみません。

>>怒ることを選ばないというか。。。

やはりさうなのですね。
kanto-iさんが、宗教カテゴリのリーダーになつてくれると助かります。

>>すでに怒る意味を持たない、
>>いや怒らない意味を持ってるが正解でしょうか。

人間ができてゐます。

>>ドーパミン出まくりも、有る意味気持ちがいいですが
>>それは別のことに回したほうがいいかなと。

それはさうです。長続きしません。
私は職場では、結構好き勝手にやります。それも給料のうちだと考へてゐるからです。今アルバイトの身ですが、吉本新喜劇の「アルバイトの茂造」と呼ばれてゐます。

>>自分と和解できれば、人は怒る意味を持たなくなるでしょう。
>>いろいろ手放したら、怒ることも手放せます。

いつもお上手です。ありがたうございました。

お礼日時:2014/06/02 22:20

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