プロが教えるわが家の防犯対策術!

中国から来た友人が日本語の勉強をしているのですが、「~が~てあります」という表現がよく分からないので教えてほしいと言われたのですが、答えられませんでした。

彼のテキストを見ると、「壁に絵が掛けてあります」とか「表に車が停めてあります」とかの例文がありました。 説明を見ると、誰かが意識的にした行為の結果とあったのですが、それでも私はこんな事は言いません。 
この場合なら、「壁に絵を掛けてあります (or 絵を掛けています)」、「表に車を停めてあります (or 車を停めています)」と、「が」ではなく「を」を使うと思います。 

もしかして私の日本語がおかしいのでしょうか(テキストと違うので、多分私の方が間違っているのかも)。 そして、「が」の代わりに「を」と言った場合、ニュアンスがどう違ってくるのでしょうか。

A 回答 (18件中1~10件)

#16です。


まだ締め切られていないようですので、#16の投稿に補足する形でもういちどお邪魔します。

「ている」は「て + 居る」です。
「居る」は、「人や動物が、自分の力である場所に存在する」というのが基本的な意味になります。
「壁に絵が掛けている」は、「絵が自分の力で、壁に掛かった状態になって存在している」という意味になるので違和感を覚えるわけです。
絵は「自分の力である場所に存在する」ことはできません。
主体はあくまで「絵を掛けた人」であり、「絵」は単なる目的語にすぎないため、「絵を」とする必要があります。
「壁に絵を掛けている」とした場合、「壁に絵を掛けるという行為をしたわたしという人間が居る(存在する)、という状態が継続している(当然、結果として絵も壁に掛かっている)」といったニュアンス。

・壁に絵が掛けてある。
・壁に絵を掛けてある。
・壁に絵を掛けている。
下にいくほど、絵を掛けた人物に重点を置く意図が強くなり、逆に、絵自体に重点を置く意図は弱くなります。
  
    • good
    • 0
この回答へのお礼

何どもお答え頂いて感謝します。
また、お礼が遅くなりすみませんでした。
今回の質問を通して日本語の深さというか、何気なく話している言葉を
分析してみて、改めて「日本語って難しいなあ」という印象を持ちました。
たしかに、表現の一部を変えるとニュアンスも微妙に変わってきますね。
今日本語を習っている友人は大変だなあと思いました。
また何かで疑問に感じたら質問させて頂きますので、よろしくお願いします。
有難うございました。

お礼日時:2014/06/24 17:43

「てある文」で検索しましたところ、下記URLの論文が最初に出てきました。


みなさん、ひとつ勉強してみませんか。少なくとも、入り口にはなりそうです。さらに興味がおありなら、参考文献もお読みになると良いでしょう。

参考URL:http://www.kyu.edu.tw/teacpage/teacpage97/97%E8% …
    • good
    • 0
この回答へのお礼

役に立つサイトをご紹介いただいて感謝します。
細かい事のように感じましたが、深く研究している学者もいるんですね。
有難うございました。

お礼日時:2014/06/20 11:25

#10です。


若干、補足させてください。

「てある」は「て+在る」です。
「在る」は、「事物が存在する」というのが基本的な意味になります。
「絵が掛けてある」は、「誰かが絵を掛けて、その結果として、【絵が掛かった状態】というものが存在している」という意味。
「存在している」主体はあくまで「絵」ですから、「絵が」の「が」は主格と考えるのが妥当でしょう。
対象用法となるのは、下記辞書にあるように、
2 希望・好悪・能力などの対象を示す。「水―飲みたい」「紅茶―好きだ」「中国語―話せる」
のような場合です。
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/34931/m1u/% …
    • good
    • 0
この回答へのお礼

何度もご意見をいただき、ありがとうございました。
「掛けてある」は、その状態が存在しているという事になるのですね。
だから「が」になるわけですね。
とても勉強になりました。

お礼日時:2014/06/20 11:22

蛇足ですが。



「壁に絵を掛けてあります」について。

「壁に何も無くて寂しかったので<壁に絵を掛けてあります>が、嫌だったら外して下さい」と言う文脈の場合、「絵を」を「絵が」に入れ替える事は出来ますが、「あります」を「います」に変えると違和感が仕事し始めます。

壁に何も無くて寂しかったので<壁に絵を掛けてあります>が、嫌だったら外して下さい
⇒違和感なし。

壁に何も無くて寂しかったので<壁に絵を掛けています>が、嫌だったら外して下さい
⇒違和感あり。現在進行中で掛けてる最中なのに「外して」というのはおかしい。「嫌だったら作業中止させて下さい」って言うべき。

壁に何も無くて寂しかったので<壁に絵が掛けてあります>が、嫌だったら外して下さい
⇒違和感なし。

壁に何も無くて寂しかったので<壁に絵が掛けています>が、嫌だったら外して下さい
⇒違和感バリバリ。日本語として正しいか疑問。

前後に文章を足すと、違和感が仕事し始めたり仕事しなかったりして、日本語って難しいです。50年使ってるけど、まだ判らない。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

何度もご意見をいただき、ありがとうございました。
たしかに「あります」と「います」とでは、受ける印象が違いますね。
これを考えると日本語って本当に難しいというか、微妙な違いが多いと思いました。
日本語の上手い外国人が時々いますが、よくマスターしたなあと感じました。

お礼日時:2014/06/20 11:18

 ご質問の意図が分かってきました。

「絵が掛けてある」「車が停めてある」と似た言い方はいくつもあるのに、「どうしてこの言い方をわざわざするのか。しかも「絵を」「車を」という方がむしろいいのに、」というご意見のようですね。

 前に言ったように、これらの場合の「が」は主格ではなく、「対象」を表す場合に限られるわけです。これらを「絵<を>掛けてある」「車<を>停めてある」とすることも可能なようにも思われますが、その場合はやはり「絵<を>掛けて<い>る」「車<を>停めて<い>る」になるのではないでしょうか。
 
 そうすると、【(対象の)「が」+他動詞+「~てある」限定】の言い方といえるようです。

 例 「洗濯物が干してある」「花が植えてある」「窓が閉めてある」「道具類が置いてある」「車が停めてある」「犬が放してある」「草が生やしてある」

 ただし、「絵が掛けられている」という受け身形は、「絵が」主格であって対象ではありません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

何度もお答え頂き、ありがとうございます。

> 「絵が掛けてある」「車が停めてある」と似た言い方はいくつもあるのに、「どうしてこの言い方をわざわざするのか。しかも「絵を」「車を」という方がむしろいいのに、」というご意見のようですね。

正におっしゃるとおりです。友人がよく分からないと嘆いていたのはそこです。なぜここに「が」が来るのかという事です。
彼は「~が好き、~が上手、象は鼻が長い」・・これらの「が」は何とか分かったと言っています。
でも「~が~てある」という表現は分解せずに、丸ごと覚えるしかなさそうですね。

とても勉強になりました。ありがとうございました

お礼日時:2014/06/18 17:10

 問題点は3点あります。


1.「が」か「を」か。
2.「掛かる」か「掛ける」か。
3.「~てある」か「~ている」か。

 「壁に絵が掛けてあります」の場合「が」が使われています。「が」は主格を表すことが多いのですが、「対象」を表すことがあります。「あなたが好きだ」「水が飲みたい」「花がほしい」のような文での「好き」の対象は「あなた」であり、「飲みたい」の対象は「水」ですし、「ほしい」の対象は「花」ですね。同様に「絵が」は「掛ける」の対象になります。結果的にこの「が」は「を」と似たような働きをします。
 次に「掛かる」と「掛ける」の違いですが、これは自動詞「掛かる」と他動詞「掛ける」の違いと考えてください。この場合は「絵が」掛かった(勝手に)のではなく、誰かが掛けたのです。

 「~てある」はほとんど他動詞につき、ある動作(この場合は掛けるという動作)の結果の状態がそのまま残っていることを表します。「誰かが意識的にした行為の結果」はこのことです。

 以上をまとめれば、「壁に絵が掛けてあります」は普通の言い方です。もちろん、「壁に絵が掛けられています。」(受け身形)も正しいし、「壁に絵を掛けています。」「壁に絵が掛かっています」も正しいのです。
 
 車の場合も、「表に車が停まっています。」(自動詞)「表に車が停めてあります。」(他動詞)「表に車を停めています。」(他動詞)「表に車が停められています。」(受け身形)も正しいのです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

詳しく解説して頂いて感謝します。
辞書を調べてみると、おっしゃるとおり「が」には「好き・嫌い・上手・下手・欲しい」など嗜好や技量あるいは欲求を示す形容詞の対象物に「が」が使われるとありました。
ただ、「絵が掛けてある」「車が停めてある」などの場合は形容詞ではなく他動詞になるので、なぜその対象物に「を」ではなく「が」が使われるのか理解できませんでした。
(例えば他動詞を使った文で、水が飲むとか、寿司が食べるとは言わないように)

ただ皆様のご意見でもこれは正しい日本語なので、私が認識を改める必要があると分かりました。
日本人としてとても勉強になりました。

お礼日時:2014/06/18 17:05

私は逆に、



「壁に絵を掛けてあります」

に違和感を持ちます。

「壁に絵が掛けてあります」:誰かが壁に絵をかけて、それがそのまま継続している状態。
「壁に絵を掛けています」:今まさに、誰かが壁に絵を掛けている状態。
「壁に絵を掛けてあります」:(間違った日本語)
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございました
なるほど、私とはまた違った違和感をお持ちなのですね。
考えれば考えるほど日本語って難しいなと感じました。
でも、とても勉強になりました。

お礼日時:2014/06/18 16:55

言葉に対する違和感は、その人の普段の言語生活によるところが大きいと思います。




よく話題になるのに「おられる」がありますね。たとえば、
http://oshiete.goo.ne.jp/search_goo/result/?MT=% …

「あの方は医者をして『おられる』」という言い方に
関東の方の多くは違和感を感じ、
関西の方々には違和感を感じない人が多い。

その違いは、「おられる」という言い方を
日常の生活でよく耳にするかしないかによるもので、
どちらかが正しくて、どちらかが間違っているというものではない。
(私はそう考えます)


北海道から沖縄まで、いろんな日本語があって、
プログラミング言語のように、これが唯一絶対の表現ということはない。
(「ええっ、『プログラミング言語』って言うの?
  自分はいつも『プログラム言語』って言ってるけどな。」
 という方もいらっしゃるでしょう)

確かに「共通語」という概念はあるけれども、
それは「言語仕様」という形で明確化されてはいない。


質問者さんが感じている違和感は正しく、
「~が~てあります」は日本語として絶対に間違いだ、
という回答者さんは現れていませんね。

こういう言い方も日本語にはあるのだと
受け止めるべきではないかと考えます。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございました
私は関西在住なのですが、「おられる」に違和感なんて全くないです。
ある意味で方言の一種なのでしょうね。

今回の質問を通じて、私の日本語の方が教科書的ではないと分かりました。
友人に説明するとき、気をつけないといけないなと感じました。
とても勉強になりました。

お礼日時:2014/06/18 16:53

「てある」は接続助詞「て」+ 補助動詞「ある」という構造で、この「ある」について、下記の辞書には、次の3つの用法が載っています。


[補助動詞]
1 動詞の連用形に接続助詞「て」を添えた形に付いて用いる。
(ア)ある動作や行為などの結果が現在まで引き続いている意を表す。「花が生けて―・る」「ドアが閉めて―・る」
(イ)何かに備えてすでに用意がなされていることを表す。「軍隊を待機させて―・る」「彼女には前もって伝えて―・る」
(ウ)(「…にしてある」の形で)そうなっていないが、そうなったものとみなしていることを表す。「心配をかけないように、元気でいることにして―・る」
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/7643/m1u/%E …
1.
「壁に絵が掛けてあります」は、「(自分も含めた誰かが)壁に絵を掛けたという行為の結果として、絵が掛かった状態になり、それが現在まで引き続いている」というニュアンスになります。
格助詞「が」の主な用法は、主格、または対象(目的格)の特定です。
「掛けてあるのは絵ですよ」という意図で、掛けてあるという状態の主格として絵が特定されているわけです。
・初めて入った家などで絵が掛けてあることに気がつき、それを同行の友人に伝えるような場合。
・自分の家の内部を説明している状況で、「わたしの家では壁に絵が掛けてあります」のように言う場合。
「絵」を主格として特定することが目的なので、掛けるという行為を実行した者にはあまり重点が置かれていません。
意識的に掛けた結果として絵が掛かっているわけですが、その行為者が他者であれ、自分であれ、その点に関しては重視していない表現になります。

「壁に絵を掛けてあります」は、「壁に(自分も含めた誰かが)絵を掛けたという行為の結果が現在まで引き続いている」というニュアンスになります。
こちらの場合、「を」は対象を表わす格助詞です。
絵は主格ではないので、掛けた行為者が主格としてクローズアップされます。
つまり、「誰か(または、自分)が絵を掛けて、その結果が現在まで引き続いている」という意図の文です。
・あれは、わたしが掛けたんですよ。
などと自慢したいような場合には、絵を自分の行為の対象として固定するために、「絵を」と表現するほうが適しているわけです。
その心は、主格はあくまでわたしです、ということ。
むろん、自慢する場合以外でも使いますし、いずれにせよ、意志のある者が行なった、その(行為対象ではなく)行為自体に重点を置きたい場合の表現です。

2.
「表に車が停めてあります」→車が停まった状態で表にあります。
「表に車を停めてあります」→(誰かが、またはわたしが)車を止めた状態にしてあります。
「あなたがいつでも乗れるように・・・」という意図であれば、上記の「(イ)何かに備えてすでに用意がなされていることを表す」という用法として使っていることになります。
いずれにせよ、前者は車を主格として、後者は対象として表現している点では、1と同様です。
  

  
    • good
    • 0
この回答へのお礼

とても詳しくお答え頂いて感謝します。
私の理解が正しければ、「が」と「を」に違いは、絵について言いたいのか(この場合「が」)、絵をかけた人について言いたいのか(この場合「を」を使う)の違いという事になるのかなと感じました。
たしかに何度も復唱してみると、微妙にニュアンスが違うように思います。
私が迷うくらいですから、外国人からはもっと日本語って難しいわけですね。
とても勉強になりました。ありがとうございました

お礼日時:2014/06/18 16:49

>ただ私の感じ方を整理しますと、


>壁に絵が掛けてあります ???
>と、こういった感じになってしまいます。

「壁には絵が掛けてあります」
「絵が掛けてあります」
「絵が掛けてある」

の3つはどうですか?

「絵が掛けてある」を「ですます調」にすると「絵が掛けてある」+「~ます」=「絵が掛けてあります」になる訳ですが、それでもまだ、違和感が頑張って仕事してますか?
    • good
    • 0
この回答へのお礼

何度もご意見を頂き、ありがとうございます。

> 「壁には絵が掛けてあります」「絵が掛けてあります」「絵が掛けてある」の3つはどうですか?

すみません、違和感がしつこくまだ頑張っています。多分、何かのせいで今までこのような言い方を自分で使った事がないせいでしょうね。
でも、皆様のお話を伺って正しい日本語というのは理解できました。
とても勉強になりました。

お礼日時:2014/06/18 16:40

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!