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閲覧ありがとうございます。

私の頭の片隅には常に自分の死があります。
それを完全に取り払うために皆様の知恵をお借りしたい次第です。

以下状態と自分がどういう人間かを記します。
とりたてて死にたいわけでもないしリストカットとかは怖くて出来ません。
自傷行為の一切も無いですし自殺志願者というわけでも無いです。
少し鬱ッ気があるとは診断されましたが鬱病とは程遠く健常者の部類であるそうです。
他の障害・疾患も無いそうです。

だけれど、選択肢として死ぬというかそういうことを考えて(思って?)しまいます。
ここで明記しておきたいのは私は死にたくないですし(痛いからとかそういう云々な理由以前に普通に常識的に死にたくない)死ぬとしても精神的ショックを受けて偶然高層ビルの上にいた~だとか以外では死なない気がします。私の死にたいは死んでやる!! でなくて死んだら楽だろうなーといった感じです。
伝える手段がよくわからないのですが、自身に向かって死ねという言葉を自分で投げつけているような感覚です。また、幻聴とは少し違うと思います。
ただただ普通に、朝起きたら死にたいと思って靴を履いたら死にたいと思って出かけ先に行っても死にたいと思う感じです。
一番伝わりやすく表現すると死に恋慕しているような感じです。

現在がそこまで幸せでないことが理由の1つだろうと思いますが不幸だとは全く思いませんしテレビを見て笑っている自分も居ます。趣味もどっぷり嵌っているものがあり、充実しています。
何で生きているんだろとかは全然思わず(思春期の頃に割り切ったので)むしろ何で私が死なないんだろうと考える始末です。


自分の経験から~だとか思いつきで全然構いませんのでご意見寄せてくださると嬉しいです。

A 回答 (3件)

思春期の頃の「生きている意味」の割り切り方に問題があったのかもしれません。


人生を全うするとはどういうことなのかを是非理解していただきたいと思います。
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本当は死にたいわけじゃないのに、なぜ“死にたい”という想いが湧いてきて消せないのかについて書かれたサイトがあったので、こういう癖があったのではないかと思いました。



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『それは意外にも単純な仕組みです。日常的に頭の中で「死にたい」と言っているからです。時には声に出して「死にたい…」と言ってしまうこともあるでしょう。言葉はその頻度と繰り返された回数により真実性を持ち始めます。
つまり、“死にたい”という自己催眠を、毎日かけているようなものなのです。』ということだそうです。本当は「楽になりたい」と思っているのに、「死にたい」と言うクセが、死ななきゃいけない気持ちにさせるようなことが書いてありました。
楽になるにはどうしたらいいか、それは逃げることばかりじゃなくて、ほかにもあることに気づくことができればいいのですが・・・・。
ともかくこの呪縛からぬけるためには、「死にたい」と言うクセをストップすることが必要なようです。


参考サイトは、下記のものを検索してみてください
「死にたい、消えたい、人生に疲れた方への治療的カウンセリング」
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それと関連して、自殺した人は、天寿を全うした人とは別の世界に行くみたいですので、ほんとうに孤独になるみたいです。
すごく苦しい状態が続くそうです。

関心が有るようでしたら「深い地獄に落ちた魂」で検索してみてください。
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恐らく死ぬのがいやなのだろうと思い増す。

体は死んでも自分は死にたくないというkとでしょう。つまらない理屈を言えば死があるしがるからこそ生きているということがるということに尽きると思います。あなたは信じないでしょうが、ほとんどすべての人は最後まで生きているはずと思っていませんか。また名詞としての死は、ともすれば生きていることとの関係があいまいになり、考えると泥沼に入ってしまうと思います。動詞としての死を考えるほうが健康的だと思います。
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