プロが教えるわが家の防犯対策術!

こんにちは。

もうずっと悩んでいる事があります。
質問のタイトル通り、なかなか言葉がうまくでてこないのです。

例えば、映画を観に行ったり、コンサートを聴きに行ったりして、他人に、「どうだった?感想は?」等聞かれた時に、どう感動したのかがうまく答えられないのです。ただ「良かったよ。」としか言葉にできないんです。

確かにとても感動して、心臓がドキドキしたり、鳥肌がたったりすることは確かなのですが、どこがどのように感動したなど、言葉に表すことができません。
私の周りの人達は、どの点に感動して、どの辺がどうだったなどの批評を事細かに説明できる人ばかりなので、なにも答えられない自分が情けなくもなりますし、批評好きな人達もつまらなさそうにしているのを感じ、さらに情けなくなるのです。

また、友達に相談を受けた時「私の話を聞いてどう思う?」と相手に訪ねられてもどう答えていいのか分かりません。
仕事の内容だったり当たり前の物事なら答えられるのですが、どうも精神的な内容に関してはうまく言葉が浮かんでこず、困る事がとても多いのです。

頭が真っ白になって、まったく回転しない頭が止まった状態になるのです。

先日は演奏会で演奏を聴きながら、後で「どうだった?」と聞かれた時のために何か言えるように、、、と思いながら必死で考えながら聴いていたのですが、演奏に集中できなくなったのでやめてしまいました。

なにか心を素直に言葉に表せるようにできる訓練方法はありませんでしょうか?

A 回答 (9件)

こんにちは!


思ったことが、なかなか言葉にできない、ということですが
>確かにとても感動して、心臓がドキドキしたり、鳥肌がたったりすることは確かなのですが、どこがどのように感動したなど、言葉に表すことができません。

ここで、充分あなたの感動が私には伝わってきましたよ!!
「言葉にできないくらい、感動した」という表現がちゃんとできてるじゃないですか!!

私が思うに、あなたは「感情を内にためるタイプ」なのではないかということです。
ステキな映画をみたり、音楽を聴いたりして、感動をする心は
人一倍あるのに、その感動をすぐに表に出せないだけですよね。
それはそれで、いいんじゃないかなあ。あなたの魅力の一つじゃないかしら。

考えても見てください!!感動した映画の話を、みんながみんな、
映画のあとにしゃべりだしたら、どうなるでしょうか?
うるさくて、仕方ないんじゃないでしょうか?(笑)
じっくり、感情を内にためるタイプの人がいてこそ、均衡がとれりんじゃないでしょうか。

>例えば、映画を観に行ったり、コンサートを聴きに行ったりして、他人に、「どうだった?感想は?」等聞かれた時に、どう感動したのかがうまく答えられないのです。ただ「良かったよ。」としか言葉にできないんです。

こういうときは、一番心に残ったシーンをもう一度思い浮かべて
「○○というシーンがあったんだけどね・・そこが素晴らしかったと思う」
これでいいんじゃないでしょうか。
できるだけ、自分の目で見て、心で感じたことを、ありのままに言うことです。

>なにか心を素直に言葉に表せるようにできる訓練方法はありませんでしょうか?

これは、私は「読書ノート」をお勧めします。
私は読書が大好きだったのですが、読むだけで内容をちゃんと思い返したりしていないと思ったんです。
そこで、読んだ本の名前と、感想を簡単に書くことを義務づけてみたことがあります。
感想を書くというのは、思ったより難しく、本はすぐに読めるのに
感想を書くのに手間取る、ということが多々ありました。
しかし、やってみて「どの部分が自分は感動したのか。そして、それは何故か」
などと論理的に見ることができ、本当にためになりました。
今はもうやっていませんが・・(笑)

本に限らず、簡単な日記をつけてみる、という方法も有効だと思います。

大丈夫です。あなたは感受性豊かな人だと思います。
だんだん自分なりの表現ができればいいですね!!応援します!!!

この回答への補足

皆様どうもありがとうございました。
自分が見えてきたように思います。
最初の私の質問の答とは別の答でしたが、本当の答を見つけられたように思います。
とても勉強になりました。

所で、ポイントで甲乙をつける事は今回できません。申し訳ありません。
どうも有難うございました!

補足日時:2002/11/19 23:14
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この回答へのお礼

なんだかうれしいです。泣きそうになりました。
私の文章で理解してくださるなんて。
今まですごくコンプレックスで悩んでいたことを、個性だと言って下さるなんて本当にうれしいです。

今まで自分を認められなかったんです。悪い所は直さなきゃ・・・って。
でも、いい所も悪い所も自分であって、認めなきゃなと感じました。

なんだかもやもやしていた自分自身の像が見えてきたように思います。
どうも有難うございました。

お礼日時:2002/11/19 23:14

「上手く」言おうとしなことです。



何か言えばよいのです。言うことが思いつかなければ「今興奮していて思いつかない」とか「ちょっとパニック」とか「なんていっていいんだろう」とか言えばよいのです。

つまり悪いことでない限り、思ったままでよいのです。
それが、「思ったまま」=「素直」ということではないですか?

一番素直なのは子供です。
機嫌がよければ笑い、悪ければぐずる。
子供を思い浮かべて見ましょう。
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この回答へのお礼

>「思ったまま」=「素直」ということではないですか?

そう言われてみればそうですね。
私は”なにか”を必死で考えていましたが、必死に無理して考えた事は私の場合はもう素直では無くなってしまっているのかもしれません。

御回答、有難うございました。

お礼日時:2002/11/19 22:54

自分の感じたことや思ったことを、実際に言葉で表現するということは、なかなか難しいことです。

まず、自分の言葉を大切にするということから始めてみては如何でしょうか?毎日の生活の中で、自分が感じたことや思ったことを、自分の言葉で表現してみます。そこには、あなたの個性が現われてくるはずです。
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この回答へのお礼

試してみます。
アドバイスありがとうございました。

お礼日時:2002/11/19 22:57

私は、「あの時、何だか知らないけど鳥肌たっちゃった」とか、


そんな感じです。本当に感動した時は。
余韻に浸りたいので、ほっておいて!みたいな時もあります。
そうでもない時は、わりと饒舌になるかもしれません。
映画の矛盾点を指摘したり(笑)

友達で「あの場面で何故か涙が止まらなくなっちゃった」って、
私はその場面はそう感動もなかったけど、友達のその言葉はわかりました。
人それぞれだし、感動の意味ってその時点では本人もわからないことがありますよ。言葉になんてなかなかできません。
素直に、感動して頭の中真っ白だよ!っていうのも感想です。

私の経験談ですが、
以前、友達の付き合いであまり興味のなかったアーティストのコンサートに
行ったのですが、非常に感動してしまって・・・。
「人間、顔とか見た目とかそんなものどうでもいいよね!」
(そのアーティストは特に不細工とかじゃなかったんですが)
みたいな、訳わからないことを口ばしってしまいました。
でも、友達は理解してくれましたよ。

演奏中にコメントを必死で考えるのはしなくていいと思います。
楽しめなくなるのは、本末転倒です。
批評するために演奏会に行く訳ではないのだから。
考えるなら、終わってからです。
後から、自分の中で言葉にするのも楽しい作業かもしれません。

で、今は批評は周りのお友達に任せていいと思います。
聞き役も大事です。自然に言葉が出るようになったらで構わないと思います。
それまでは、「あの時鳥肌がたっちゃった」くらいのコメントで十分です。
評論家じゃないのだから。
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この回答へのお礼

私もあまりに興奮した時には、ほんとうに訳わからないこと口ばしってしまいます(笑)

理解してくれる友達も若干いるんですが、やっぱり「きっちりした意見を聞きたい。」という人達もいて、その人達には理解が出来ないようです・・。

ただ、私はその人達のことを尊敬していて、その人達の批評を聞く事も大好きで、私自身あまりその話し合いには参加することが出来ないのが寂しく感じていたんです。
でも結局、自然に言葉がでれば話せばいいんですよね。
確かに評論家ではないですもんね(笑)
アドバイス有難うございました。

お礼日時:2002/11/19 22:41

どの点がどうだったかなんて言えなくてもいいと思います。


例えば、モナリザを見て感動したとしましょう。
それを表すのに「目がどうだったから」「口元がどうだったから」<と言うほうが変ですよね?
あれは全体でモナリザな訳で。
物事を見るではなく、観ているからこそ細かい感想がでないのでは?
当然、個人差はあるとして日本人は感動すると言葉や動きが少なくなる事が圧倒的に多い。
スタンディングオベーションや批評は日本人的な物ではないと思います。
どこがいいとか、あれがいいと言う事は製作者側に乗せられてしまう(のるのではなく)、又は反対に製作者の構想を台無しにしてしまう事にもつながりますし。
あなたは本当に”楽しんで”いると思いますよ。
感想を言えない人を「ツマンナイ人」なんて思うのは「ツマラナイ人」ですよ。
そんな人は批評が好きなのであって、作品に対する感想(感覚)が好きな訳ではないのでしょうし。
決して、あなたの知人がそうだと言ってる訳ではありませんが。
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この回答へのお礼

モナリザはやっぱりモナリザですね。

なんだか皆様のアドバイスを読み続けていく内に、「このままたいした感想を言わなくったていいのかも知れない。」と感じてきました。

確かに他人が私の意見をどう思おうが、私がそれを感動したのかしないのか、の問題ですものね。
少し自分が恥ずかしいです。
アドバイス、どうも有難うございました。

お礼日時:2002/11/19 22:09

 いちばん最後の文章だけど、素直にというのは無理なんじゃないかな。


言葉って、そんな簡単なモンじゃないと思う。言葉以外のものは、はっきり 見えるが、たとえば、喜怒哀楽。これって心を自然に素直に表してるけど、
言葉ってのは、人それぞれが持つイメージがあって、言葉で表現するっていうのは、誰でもむずかしんだよ。言葉の持つイメージが沸かない人だっているんだよ。
 
 じゃあ、一つ例をあげるよ。
ある人が、手に火傷を負った。その人が、火傷痕を説明するには、
痛い、あつい等で説明するが、めちゃくちゃ等の表現を、いくつ
つけようとも、他人には、同じ「痛い、あつい」にしか聞こえない。
そんなことより、人は、その焼け爛れた痕を見た方が、痛さやあつさ
が伝わってくる。 どんな言葉の上手い評論家でも、この実際焼け爛れた
手を前にしては、言葉もでまい。
 
 実際の映画を、観た同士で、いくら批評しようとも、映画には、
かないっこない。まあ、そんなことは承知だろうが。
 あなたの「良かった」の一言も、どんなに上手く言った一言も、
実際の映画の前では、大した差はないんだよ。だから、情けなくなる
必要なんでございませんよ。

 そうか、それでもその人等に対抗したいのか。それならば、仕方ない。
では、おれの場合で言うと、
たとえば、映画のワンシーンを如実に語りたいのならば、まず、
語る相手に「どのくらい~なの?」と思わせた時点で、アウツである。
「あそこのシーンは残酷であった」などの場合、相手に「どのくらい
または、どのような残酷さなのか伝わらない」こういった場合に、
実際にありそうな体感や経験などを、持ち出すと、伝わり易い。
 たとえば、親に、おしおきで、物置の中に閉じ込められた、という
比較的これに近い経験が、多そうだな、というものを、持ち出して
これを、その物置の中で10年間監禁状態なくらい、残酷であったと
その体験談を、おおげさに言ってしまう。 ただ、この物置話の様に
何年前のものとなると、残酷さが薄れているので、かなり無理があるので
記憶に新しいものを、えらぶのがいいかな。 
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この回答へのお礼

私はnewggiさんのような人にとても憧れます。

とてもとても分かりやすいアドバイスでした。妙に納得してしまいました。
確かにそのものにはかないっこないですもんね。

どうも有難うございました。

お礼日時:2002/11/19 21:51

 参考URLを参照して下さい。



参考URL:http://www.interq.or.jp/sun/posuke/ninti.html
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この回答へのお礼

御回答有難うございます。
参考になりました。

お礼日時:2002/11/19 21:23

ご質問を読む限り、ringo-25さんの意見はしっかりしていらっしゃるし、意味も良くわかるしご自分をとても把握していらっしゃる様子。

どちらかというと、「頭の回転早い人」という印象です。ご質問のように悩んでおられるように受け取れません。(笑)
ご質問に書かれたように、そのままご友人に言うのはどうですか?
「心臓がドキドキしたり、鳥肌がたったりすることは確かなのですが、どうも精神的な内容に関してはうまく言葉が浮かんでこず・・」とそのままの表現で十分話題性があります。精神的な表現はなにも、「いやぁ~よかったねぇ~!最後のシーンなんかさぁ~・・・!」などと無理にやる必要はないですよ。
表情に少し変化をつけるようにさえ努力なされば、印象はずいぶんかわると思います。
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この回答へのお礼

私は頭の回転なんか早くないです(笑)

確かに、
>「いやぁ~よかったねぇ~!最後のシーンなんかさぁ~・・・!」などと無理に・・・
なんて私が言えばきっと不自然だと思います(笑)
無理してるのは見苦しいですものね。
少し自身が持てました。有難うございました!

お礼日時:2002/11/19 21:42

 私の友達でringo-25さんのような人がいます。


 本人はそのことを気にしていないようなのでいいのですが、私は友達の意見というのはとても聞きたいものなので、「どのように感じたか」「どこがおもしろかったか」などを言葉にしてくれない友人のことを少し残念に思っています。
 「おもしろかった」「楽しかった」などの言葉は発してくれるし、遊んでいても楽しそうな様子なのでいいのですが、やはり具体的な言葉がないと、こちらにとっても「楽しい」や「おもしろい」がその場限りのものになるので悲しいです。だって、もし「私はあのシーンのあの言葉に感動したよ」などと言ってくれたらその人の感性とかがもっとわかるし、それを別の時にも思い出せたりするのに・・・。
 ringo-25さんが演奏会の時に挑戦なさったように、言葉をみつけようとする訓練が効果的なのではないでしょうか。「演奏に集中できないから途中でやめた」とありますが、それなら終わってから「どのように感じたか」を人に話せるくらいに自分の中でまとめてみるとか、文章にして書いてみるとか、してみてはいかがでしょう?
 それでも言葉がでないなら、ボキャブラリーが少ないってことはないですか?もしそうでしたら、本を読むといいかもしれません。本の中には「自分はこう言いたかったんだ」と思えるような上手な表現があったりします。
 頑張って下さい!
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この回答へのお礼

私の知り合いも、私が意見を詳しく言わないのに対して「あれれ?」と不意打ちを食らったような表情をしますので、なんとなくreika1979さんのおっしゃりたいことがなんとなく分かります。
訓練になるかと思って日記も付けているんですが、、、なかなか難しいです。
どうも有難うございました。

お礼日時:2002/11/19 21:19

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