映画のエンドロール観る派?観ない派?

初めて質問させてもらいます。よろしくお願いします。

質問がタイトルの通りです。私は、漢字の起源、歴史や成り立ちに関してはマニアに近い興味があります。しかし、現代、日本語を書面にて表現するには、漢字の使用は必須かと聞かれたら、どうかなぁと思ってしまう自分もいます。

もちろん、こらが何も新しい疑問ではありません。戦後、漢字(の弱点とされたところ)が間接的に敗北の原因の一つであって、漢字は廃止するべきだという動きがありました。○○○り新聞でさえ漢字廃止を呼びかける社説を載せたほどの勢いでした。(詳しくは「漢字と日本人」、著者高島俊男氏)

言うまでもなく漢字を残すことになりました。ところで、今はどうでしょうか。より能率的な表記法があれば、漢字使用を徐々になくしても良いと考える方々はいらっしゃるでしょうか。もしいらしゃいましたら、どの(ような)表記法がお薦めでしょうか。

尚、「より能率的な表記法」というのは、決して西洋文化に由来する「アルファベット」か「ローマ字」を特定するつもりはありません。現存する表記法も良いし、完全に新しく考案した表記法も結構です。

歴史的・文化的・学問的・教育的・芸術的・科学的など、あらゆる分野や社会全体のニーズを考慮した上でのご意見、是非お聞かせ下さい。


参照:「漢字と日本人」

http://www.amazon.co.jp/%E6%BC%A2%E5%AD%97%E3%81 …

A 回答 (18件中1~10件)

 


このはしをつくるきじゅんをめいきしてください

さて、貴方は何をしますか?
 

この回答への補足

同音異議語の使い分け問題は大きな課題ですね。この点に関しても、他の回答者が指摘してくれるだろうの課題に関しても、後で纏めて補足します。

補足日時:2014/07/06 18:01
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この回答へのお礼

早速のご回答、ありがとうございます。

お礼日時:2014/07/06 18:00

 日本語は漢字がないと成立しない言葉だと思います。


 あんぽじょうやくって、ひらがなで書いたら何のことかサッパリわかりません。
 疑問に思われたら会社の文書をすべてひらがなで書いてみてください。
 会社の同僚でもいったい何のことか分からないと思います。
 新聞などきっときっと今の10倍ほどの紙面になるでしょうね。
 今の日本語は明治以来、外来語を日本語に翻訳しながら完成した言葉です。これを簡単に変えることは不可能だと思います。
 自由、平等、社会、経済、法律、会社、国家、憲法、議会、全て明治時代に訳された言葉です。(韓国でも中国でもこの言葉を使っています。)
 これらの言葉をどう表現するか?不可能だと私は思います。

この回答への補足

はい、他のご回答の方向性を見てから補足します。

補足日時:2014/07/06 19:24
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この回答へのお礼

早速のご回答、ありがとうございます。

お礼日時:2014/07/06 18:01

 


漢字を捨てると言う事は、韓国人と同じ過ちを犯すと言う事

ハングルで
この人を고문にします
漢字で書くと
この人を拷問にします
この人を顧問にします

貴方の성명を教えてください
貴方の姓名を教えてください
貴方の声明を教えてください ・・・・日本語でも混乱する

キム・ヨナは연패した
キム・ヨナは連覇した
キム・ヨナは連敗した

貴方は이상です
貴方は理想です
貴方は異常です
 
 

この回答への補足

「漢字を捨てると言う事は、韓国人と同じ過ちを犯すと言う事」

これがどうして過ちだったか、詳しく述べてくれるとありがたく思います。

補足日時:2014/07/06 21:19
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。

お礼日時:2014/07/06 19:23

「日本語を書面にて表現するのに、漢字は必須か。



答: 必須では ありません。かな文字だけで表現可能です。

日本語は平仮名 (片仮名) で 50種類前後の文字を扱っています。これで「世界中のあらゆる森羅万象の全部を表現することが可能」です。

アルファベット言語圏では、アルファベット 26文字だけで「世界中のあらゆる森羅万象の全部を表現することが可能」です。よって、アルファベットより種類の多い平仮名で表現できないことは矛盾を発生させます。ゆえに表現可能です。

これは客観的に導出された論理的事実であり、主観的要素の及ぶ範囲は残されていません。

具体例:
このはしをつくるきじゅんをめいきしてください

この ブリッジを つくる きじゅんを めいき してください。
この チョップスティックスを つくる きじゅんを めいき してください。

わたしはせいかてんではたらいています。

わたしは はなやで はたらいています。
わたしは かしやで はたらいています。
わたしは やおやで はたらいています。

こうえんにひとがあつまっている。

パークに ひとが あつまっている。
じょうえんに ひとが あつまっている。
じつえんに ひとが あつまっている。
レクチャーに ひとが あつまっている。

そのきかいがあればせいこうするでしょう。

その チャンスが あれば サクセス するでしょう。
その チャンスが あれば セックス するでしょう。
その マシンが あれば サクセス するでしょう。
その マシンが あれば セックス するでしょう。

なお、ふてぶてしさをかくさずに申しますと、私は あらゆる反論を熱望しています。しかしながら、一切の客観的要素が排除されているいじょう、反論は物理的に不可能と想定されます。「1 + 1 = 2」に反論することが不可能であることと同一です。

この回答への補足

「私は あらゆる反論を熱望しています」

私もそうです。どうなるか、楽しみにしています。ありがとうございます。

補足日時:2014/07/06 21:30
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。

お礼日時:2014/07/06 21:22

 


この ブリッジを つくる きじゅんを めいき してください

この ブリッジを つくる 基準を めいき してください
この ブリッジを つくる 規準を めいき してください

ところで、ブリッジって写真の物ですよね
 
「日本語を書面にて表現するのに、漢字は必須」の回答画像5

この回答への補足

「私は あらゆる反論を熱望しています」

私もそうです。どうなるか、楽しみにしています。ありがとうございます。

補足日時:2014/07/06 21:31
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。

お礼日時:2014/07/06 21:31

No.5さんに一票。



No.4さんのご意見によると、たとえばご意見中の
「一切の客観的要素が排除されているいじょう、反論は物理的に不可能と想定されます。」
という文もひらがなとかたかなで「より能率的」に表記できる、ということになります。私にはできませんが、もしできると言うなら見てみたいものです。

No.4さんがおっしゃるように、可能と言えば可能かもしれません。ただそのためには文字数が膨大なものになるでしょう。英語にしても、アルファベットだけで表記されていますが、同じ内容を表すのに日本語よりも多い文字数が必要な場合が多いのではありませんか。

というわけで、「日本語を書面にて表現するのに、漢字は必須か。」という質問に対する私の答えは「必須ではない。しかし現代と同等に能率的に表現するには必須である。」
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この回答へのお礼

バランスの取れたご回答、ありがとうございます。参考にさせてもらいます。

お礼日時:2014/07/07 07:07

質問の矛盾について:


質問のタイトルには「日本語を書面にて表現するのに、漢字は必須か」と記述されています。一方、質問の本文には「より能率的な表記法があれば、漢字使用を徐々になくしても良いと考える方々はいらっしゃるでしょうか」と記述されています。この2つは別の質問であり、混乱の元になっています。どちらを質問したいのか、改めて補足入力していただけないでしょうか。私は質問のタイトルについて回答しましたが、本文の内容とは大きく相違しています。つまり、私は本文には 一切 回答していません。

----------------------------------------
質問:「日本語を書面にて『効率的に』表現するのに、漢字は必須か?」

答: いいえ。文字種別を増加させることで言語が効率的になるのなら、あらゆる言語は数千種類の文字を保有しなければいけません。しかし、現実には、そうなっていません。前述したとおり、アルファベット言語圏は 26文字の言語で対応しています。「文字種別の多さ」と「該当言語の効率性」はトレードオフの関係にほかならず、優劣を判別しうる内容には なりえません。なお、個人的には、26種類は少なすぎると考えています。しかし、それなら何種類が適正なのか、という点において、明確な定義が表明できません。ゆえに、漢字の優位性の主張は無意味です。

----------------------------------------
質問: 平仮名、片仮名だけでは、同一の文字に多くの言葉が定義され、判別困難で不便になりませんか? たとえば「はし / ブリッジ」には多くの意味が存在します。

答: 不便になります。しかし、漢字文化の肯定には直結しません。前述したとおり、「数千種類の表意文字の使用による判別の容易性」は漢字の長所に すぎません。一長一短の物事について長所のみを取り上げることは無意味です。該当する問題であれば、「ぎし ブリッジ」「はし」「りっきょう」「しゃりょう れんけつぶ」「コントラクト ブリッジ」「セブン ブリッジ」「レスリング ブリッジ」「ネットワーク ブリッジ」「せんたん」「きれはし」「すみ」「かど」「ふち」「へり」「すみっこ」「はしっこ」「てっきょう」「きょうりょう」「まるきばし」「つりばし」「はねばし」「さんばし」などで使い分けるしかありません。

この回答への補足

こちらの補足で、まず、#2 と #5 の補足にて私の不慣れのために他の補足の言葉を入れてしまったことを謝罪したいのです。ご回答者様には大変失礼いたしました。これから、同じ間違いを繰り返さないように気をつけます。

 さて、uuuuu8u8888uuu様の言葉を引用すると:
.....
質問の矛盾について:質問のタイトルには「日本語を書面にて表現するのに、漢字は必須か」と記述されています。一方、質問の本文には「より能率的な表記法があれば、漢字使用を徐々になくしても良いと考える方々はいらっしゃるでしょうか」と記述されています。この2つは別の質問であり、混乱の元になっています。
.....

 うん、矛盾と言われても仕方がありません。でも、矛盾よりも説明不足かもしれません。戦後の漢字使用論争において、廃止促進者は大体漢字の能率上(場合によって、「効率上」も)の問題(とされた課題)を廃止するべき理由として論じました。私の頭の中では、どうも、漢字の使用が必須ではないと考えている 21 世紀に生きている方々にとっても、能率・効率が最も大きいな問題と勝手に決め付けてしまったように思えます。

 ということで、「どちらを質問したいのか」に対して、それはタイトルの通り「日本語を書面にて表現するのに、漢字は必須か」の方です。#4 のご回答、そしてこちら #7 のご回答でその質問にご返事してくれて、ありがとうございます。

補足日時:2014/07/07 07:10
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この回答へのお礼

再度のご回答、ありがとうございます。

お礼日時:2014/07/07 07:08

昔の電報には漢字が使えずカタカナ書きでしたが、緊急の重要な要件を伝えることもできましたので、日本語の書面作成に漢字が絶対に必要かと問われれば、必ずしもそうではないと考えます。

(カタカナのテレタイプというものも1970年代の職場にはありました)

ただし、同音異義語が多い日本語の特徴を考えると、効率的に誤解が生じないような文書を作成するには漢字を文章の中に使用するのが便利で、その意味では必須だといっても過言ではないと思います。当分の間は漢字かな混じり文の天下が続くことは確実で、70年代には前述のテレタイプから打ち出されるカタカナの文章を、普通の漢字かな混じり文に書き直す仕事もありました。その方が読み易く誤解が生じにくいためです。

昔から有名な例文ですが、カタカナだけの「アスルスバンニコイ」という文章の場合、ある人は、あすは(昼間)留守だから晩に来いという意味だと理解し、別の人は、あす留守番に来いという意味に理解するようなことが起こり得ます。

漢字が使えれば、前者は「あす留守晩に来い」後者は「あす留守番に来い」と一目瞭然です。カタカナだけならば「アスルス、バンニコイ」「アス、ルスバンニコイ」と読点を適切な位置に打つなどの工夫が必要でしょう。

回答者は漢字廃止論者ではありませんが、ワープロやパソコンで文書を作成するようになって「字を正確には知らない漢字」や「漢字で書くつもりではなかった言葉」も漢字に変換してくれるようになり、文章の中で漢字が占める割合が手書き時代より高くなっている傾向には懸念を抱いています。何でも漢字で表記すればよいというものでもなく、自ずから読み易く誤解が生じにくい適切なバランスがあるように考えます。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。参考にさせてもらいます。

お礼日時:2014/07/07 07:12

 もしかりに「かなもじだけ」で、にほんごのぶんしょうをつづるとしたならばどうなるか、いちどおためしになってみてください。


 もう既にご存知とは思われますが、日本語が最初に書き文字として成立したのかそれとも話し言葉として生成されてきたのかを理解するには、発音と表記音の関係に着目せねばなりません。
 上代特殊仮名遣いとされる万葉仮名は一文字一音の原則が適用されていることも知られています。それに対し、その後の仮名遣いがどう変化したかを調べれば、必ずしも一文字一音の原削が適用できないことも事実でしょう。
 いろは四十七文字にも「い・ゐ」「え・ゑ」「お・を」「は・わ」があります。けれども発音は同じであっても、それを文の中で使うとなれば違いがあることもお気付きでしょう。助詞の「を」を「お」と書く用例はありません。となれば逆に発音すらも実際には異なっていたとの可能性が浮上してきます。こうした状況を単に能率的との言葉だけで解決することが出来るでしょうか。答はノーです。
 「オーデコロン」が“ eau de Cologne”であり、この“Cologne”もドイツのKölnをフランス語表記したものであることも知られていますが、この単語一つをとっても「イー・エイ・ユー、ディー・イー、シー・オー・エル・オー・ジー・エヌ・イー」と個別の文字の発音で読んでも意味が通じるでしょうか。
 文字が言葉を表すための手段であることを考えてみるならば、効率よりもそれがもつ意図と意味に重心を億法が大切かと存じます。

 因みに『漢字と日本人』は僕も読みましたが、この本を書いた人物は「言葉」を理解していない、理解できないと同時に我田引水的な論理展開をかなり無理して使っている人物であるとの印象を受けた記憶もあります。
 逆に『かなづかいの歴史』今野真二著、中公新書や同じく今野氏による『日本語の考古学』岩波新書新赤版No.1479をお読みになることをお勧めします。

この回答への補足

「漢字と日本人」の批評、ありがとうございます。なぜこの質問で同書籍を紹介したかと言いますと、戦後の漢字使用に関する議論が分かりやすく書いてあるためです。

補足日時:2014/07/07 07:13
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。参考にさせてもらいます。

お礼日時:2014/07/07 07:13

ご質問者様は、日本語ネイティブの方ではないようなので、それを前提に書いてみます。



まず、ご質問の表現が適切とは言えないと思われます。
「日本語を書面にて表現するのに、漢字は必須か。」ですが、「話し言葉としての日本語を書き言葉としての文字で表現するのに漢字が必須か?」ということかも知れません。

さて、ご存じのように、日本語の書き言葉の表現には、漢字、平仮名、カタカナ、特殊文字、数式文字、その他(時には英字そのものも)があります。
これらを複合的に使用することで、書き言葉(読み言葉でもある)として効率的(全体の文字数が少なくなり)で、読み易い(表意文字としての漢字の利用、カタカナによる外来語の識別、オノマトペ、分かち書きを不要にすることでの文字数の削減と一覧性、その他)日本文が作れます。
このような機能は日本語に特徴的で、日本の文化の成立過程の中で歴史的に構成されてきて、いまや完成形に近づいているとすら言えると思われます。
しかし、他の角度から見れば(とくに外国人から見れば)日本語はいかにも混乱して統一性のないいい加減な言語に思われる可能性もあります。

また、その一方で、日本語ネイティブの人間にしても、ある程度の年代になって一人前になったはずの日本語の使い手ですら、知らない漢字や知らない表現は少なくありません。日本人ネイティブのはずの、たとえば、50代、60代の人達でも日本語を十分に使いこなしているとは必ずしも言えない現実があります。
歴史的にはこの不効率を国家的損失として、日本でも英語を公用語化しようとしたこともあります。

現在も矛盾を抱えたまま経緯していますが、急に「漢字は必要か」という問題提起をしても、何かが突然変わることはなさそうです。
小学校から英語教育に力を入れることに決めた文科省が、本当に英語能力(とくに話す・聴く)を子供たちにつけさせようとしていますが、自己表現力・主張力、論理構成力、異なった意見に対する自尊・他尊、などの力をどのように育てるのか見えて来ません。それらが欠けると英語能力といっても表面だけになりそうです。
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この回答へのお礼

丁寧かつ非常に参考になるご回答、ありがとうございます。ちゃんとした補足を書くのに少し時間がかかりますが、必ずアップします。

お礼日時:2014/07/07 17:38

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