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日本では、哲学とは学問のカテゴリーに過ぎず、科学や医学とは別の扱いをします。
そのため、このカテゴリーでも「哲学は役に立たない」と言う認識のコメントが多々見られます。


アメリカではすべての学問においての博士号は、Doctor of Philosophyです。
しかし、wikiではこのPhilosophyとは哲学を示しているのではなく、広く学術一般を意味していると書いています。この辺の説明も、日本的に哲学を馬鹿にしている姿勢が見受けられます。


私はこの説明に疑問を抱きます。

そもそも、哲学とは「広く学術一般を意味している学問」だったのではないでしょうか?

哲学の原点は疑問の答えを導く学問だと思います。特に、当時の学問では対処出来ないような疑問に向き合う学問であり、今で言えば宇宙科学や最新医療を研究している人たちと同じ事をしていました(社会的地位はその当時は必ずしも高くないが)。

だからこそ、アメリカでは科学者も医学者もDoctor of Philosophyなのだと思いますが、この考えは間違っていますか?

A 回答 (2件)

単純に、欧米では学問をするものは必ず修めるべき常識として、哲学を頂点としてそれにより得られる論理的思考を要する「リベラルアーツ」という一群の学問があって、それが一般教養として身についていることが前提でこそ、そこから派生した学問を修める博士号を得られる、



という中世以来の思想を引き継いでいるからかと思います。

リベラル・アーツ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%99% …

ただ、日本では、大学の一般教養でこのような素養を養う、という意識までは導入できておらず、とりあえず人文科学・社会科学・自然科学を全部やりましょうねー、という形でしか提示されないので、学生も哲学の必要性にまで思い至らないのです。

特に、三学(トリウィウム)といわれる、文法学、論理学、修辞学、というのは、ディベートや演説において欧米では専門のアドバイザーがつくくらいに重要視されるのですが、日本はこれらをないがしろにしています。これでは、そのさらに上位概念となる抽象的な思考、哲学を論じる技術を持っている人間そのものが育たず、おのずと日本での哲学の発展も限られてしまうのでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

リベラル・アーツを例にしたほうが質問文がわかりやすかったです。書き直します。

お礼日時:2014/07/15 15:05

哲学とは形而上学であり絶対真を求める学問であり、医学や天文学は科学という形而下学であって、これは絶対神ではなく、計測、観察可能な事象を綜合し、演繹的に正しいと判定する学問であり、それ故に科学で得られる真実は新しい事実が明るみに出ると覆される可能性があるので、哲学側は科学が論理的に一段低い学問であるという立場を取ります。

そして欧米の学界はこの考え方を支持しますから理学博士、工学博士では位が低いとされます。ですから哲学博士という称号を欲しがるのですよ。しかし、哲学で言う絶対真はそれを真であると証明する手立てがありません。証明するにはその手段、つまり尺度のようなものを絶対であると認める必要がありますから堂々巡りになってしまう筈です。ですから日本では哲学を学ぶのは少し風変わりな人という印象になってしまうのが日本の風土と言ってもよく、従って哲学博士というのは必要ないのです。ただ、欧米流が正しいのか日本流が正しいのかは神しか決められないですよね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>医学や天文学は科学という形而下学であって、これは絶対神ではなく

私の「当時の学問では対処出来ないような疑問に向き合う学問であり、今で言えば宇宙科学や最新医療を研究している人たちと同じ事をしていました」と言うコメントからそう思われたのかもしれませんが、私の主張する哲学とは、「広く学術一般を意味している学問」の事です。リベラルアーツはそういう事ではないでしょうか。と言う質問で言い方が悪かったので、一度締め切って再投稿します。

お礼日時:2014/07/15 15:09

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