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 日本語におけるハ格とガ格について その成り立ちを問い求めます。

 (日本語論であるにもかかわらず 外国語カテに挙げるのは 英語などとの対照をもくろんでいるからです)。


 なぜなら

 ( a ) 太郎ハ 花子ガ 好きだ。

 これは まづは

 (α)  《Aハ Bガ Cナリ。 / Cスル。》の構文

 と捉えますが このハ格とガ格の用法は 一筋縄では解けないと考えられるからです。次のようにまったく違ったふたつの解釈が 文脈を別とし得れば ふつうに・そして互いに自由に対等に できるからです。

 ( a-1 ) 《 Aガ Bヲ 好く》という解釈例: 
  ・ 太郎が好きな相手は 花子だ。

 ( a-2 ) 《 Aヲ Bガ 好く》という解釈例:
  ・ 太郎を好きなのは 花子だ。


 言いかえると ハ格もガ格もそれぞれ同じように 主格(主語格)としてのガ格かまたは対格(目的語格)としてのヲ格かを意味しうるからです。
 言いかえると 文の意味連絡を確かめ明らかにする前の段階では ハ格もガ格(ガ格一般)もともにその意味は確定しない。こういうことになります。

      *

 そこで このように第二次の解釈作業を必要としてその結果明らかになる意味連絡のかたち――そのような文型――を 英文にならって次のように規定します。

 (ω) S(主格)‐V(述格)‐O(対格).

 すなわちこの言わば線形としての論理的な意味を示す S-V-O なる文型は 日本文の( a )文例が 解釈例の( a-1 )および( a-2 )として そのみづからの構文の中に含む文型である。言いかえると 次のようになりましょうか。


 (α) 《 A‐ハ B-ガ C-ナリ。 / C‐スル。》なる構文 ~~~~

   《 A-ハ       B-ガ         C-ナリ 。》
   中心主題‐ハ格  関係主題‐ガ格  論述主題‐述格・法活用(断定法)

   ○ ( a ) 太郎ハ 花子ガ 好きだ。
   ・ 話し手は 《太郎》を中心主題として提出した。
   ・ そのあと中心主題にかかわる関係主題を《花子》として引き出した。
   ・ そのふたつの主題について 答えを出すとするなら 《好きだ》という内容とかたちで提示した。
   ・ この段階では――文脈のことを別とし得れば―― まだ文の意味が明らかではない。あとで分かることとしては ( a-1 )および( a-2 )の可能性をもって両義的である。
   ・ すなわち この(α)の構文は 全体として非線形の構造を有していて その中に事後的に相転移して行くべき線形の文型(ω)をも宿している。

  ○ (ω) S(主格)‐V(述格)‐O(対格).~~~~~~~~
  ( a-1 ) 《 Aガ Bヲ 好く》という解釈例: Taroh loves Hanako.
   ・ 太郎が好きな相手は 花子だ。

  ( a-2 ) 《 Aヲ Bガ 好く》という解釈例: Hanako loves Taroh.
   ・ 太郎を好きなのは 花子だ。
   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

     *

 どうしてこういうあいまいな(=つまり両義的・多義的な)表現が日本文で起こるのか?
 ハ格もガ格も もともとは主題をただ主題として提示するために用いられているものだからか?

 もしそうだとしますと それらハ格がみちびく中心主題(A)やガ格で承ける関係主題(B)のそれぞれと 論述部の主題(C)ないしその論述格(‐ナリ。 / ‐スル。)との意味上の連絡は 二の次だから。と考えられて来ます。

 つまり 文の構造は ハ格とガ格の両者ともが二重の用法を持つことによって成り立っている。こう考えられます。

 すなわち両者ともそれぞれ 《一次として 〔単なる〕主題の提示 という用法》と《二次として 論理的な意味連絡の確定をみちびく用法》とを担い得て その構造が二層から成っていると考えられます。

 あらためて示せば:

 (α) 《 A‐ハ B-ガ C-ナリ。 / C‐スル。》なる非線形構文 ~~~ 

  (α‐1) 一次として 主題提示の層
  《 A-ハ       B-ガ         C-ナリ 。》
   中心主題‐ハ格  関係主題‐ガ格  論述主題‐述格・法活用(断定法)

  (α‐2= ω) 二次として 線形論理の層
  《 (ω) S(主格)‐V(述格)‐O(対格).》
   ・ A love〔s〕  B.
   ・ B  love〔s〕  A.
  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

       *

 言語表現を扱うにあたって 日本文とたとえば英文とを比較対照するというとき この基礎としての事実を捉えておくなら 何かと便利ではないか。

 というよりも 英文に慣れ親しんでいる表現者は なぜ 日本語では彼のように言い表わし此のようには表わさないのかといった問題についてよく分析しうるのではないか。との予測をもって まづはこの基礎の問題を問いたいと考えます。

 言いかえると 英文は 単一層の線形論理だけで表現していて 《あそび》が無いと思われる。主題提示をおこなう《あいさつ》が無いと見られる。とき その余裕というのは 表情や果ては人格によっておぎなっているのだろうか? 

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A 回答 (6件)

No.2さんが書かれているように「好きだ」という語が、動詞というよりは形容動詞であることから生じている問題のように思います。

同じ構造の文で「好きだ」の代わりに「愛している」という動詞を使って

太郎は花子が愛している

としたら、( a-1 )の解釈はあり得ないはずです。また同じ構文で「太郎」の個所に非生物(例えば「アイスクリーム」にしましょうか)を当てはめて

アイスクリームは花子が好きだ

としても、やはり( a-1 )はあり得ません。
※この構文は、単文だと少し不自然な気がしますが、たとえば「このアイスクリームは花子が好きだから買って行こう」といった複文にすると、わりと日常的な構文のように思います。

一方、「花子」の方を非生物にして

太郎はアイスクリームが好きだ

とすれば、今度は( a-2 )の解釈があり得なくなります。
したがって、

太郎は花子が好きだ

という文に両義性が生じるのは、「好きだ」などの好悪を表す語が人間などの生物を対象として使われる場合に限った特殊なケースであり、助詞の問題ではないと言えるでしょう。こうして考えていくと、こういう特殊な例文ひとつを取り上げて、助詞「は」と「が」は二重の用法を持っているとか、英文には余裕がないとか論じるのは、拡大解釈が過ぎるように思います。
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この回答へのお礼

 てん‐てまりさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。


 そうですね。
 ★ No.2さんが書かれているように「好きだ」という語が、動詞というよりは形容動詞であることから生じている問題のように思います。
 ☆ それは そうなんです。問題は そういう狭い表現形式の場合であるけれど 二重の SVO 文型を表わし得るというところにある。と思うんですが どうでしょう。

 つまりぎゃくに言えば 英文には この形容動詞の場合に二重の格関係を一文で表わし得る構文はないではないか。というものです。

 ですが 一文で二重の格関係を表わし得るという問題は いま別としましょう。
 あらたな問題は こんどは ハ格やガ格がいづれも SVO 文型における格の役割を決まったかたちで担わないということ ここにあると考えます。

 早く言えば ハ格もガ格も それが文における意味連絡において主格であるか対格であるか いづれも一次的には決まっていないということだと思います。二次的にそれが決まるということ。


 ☆☆(趣旨説明欄) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 (α) 《 A‐ハ B-ガ C-ナリ。 / C‐スル。》なる非線形構文 

  (α‐1) 一次として 主題提示の層
  《 A-ハ       B-ガ         C-ナリ 。》
   中心主題‐ハ格  関係主題‐ガ格  論述主題‐述格・法活用(断定法)

  (α‐2= ω) 二次として 線形論理の層
  《 (ω) S(主格)‐V(述格)‐O(対格).》
   

   〔・ A love〔s〕  B. 〕
   〔・ B love〔s〕  A. 〕
  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ この二層構造が それです。(α‐2= ω)の解釈の二重性は いまはもう別とします。動詞(愛している)を使うと 一重の意味しか持たないと捉えた上での話です。


 


 つまり 英文との対照が成され得る問題として すなわち:
 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 同じ構造の文で「好きだ」の代わりに「愛している」という動詞を使って

  ( b )太郎は花子が愛している

 としたら、( a-1 )の解釈はあり得ないはずです。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ ということをまづみとめた上でのことになります。
 すなわち

   ( b-1 ) 太郎ハ :中心主題格
   ( b-2 ) 太郎ヲ :ヲ格=対格

 この二層構造を 日本文は含み持っています。という問題点になります。 
 言いかえると

   ハ格:(α‐1)主題格(=ハ格の固有の用法)
      (αー2= ω)対格(=ハ格が二次的にになう役割)

 というふうに 格の表示としては 二重構造となっている。のではないでしょうか? ときには ハ格が 主格( S )にも成り得ます。



 ★ こうして考えていくと、こういう特殊な例文ひとつを取り上げて、助詞「は」と「が」は二重の用法を持っているとか、英文には余裕がないとか論じるのは、拡大解釈が過ぎるように思います。
 ☆ すなわち この点 どうでしょう?

 たとえば フランス語では 主題格の用法があるように見えます。英文はすっかりなくなっているかに見えます。

  ( c ) 時は金なり。

  ( c-F ) Le temps, c'est de l'argent.
      ( The time, it-is 〔 some 〕money.)

  ( c-E ) Time is money.

日本文は おそらく
 
  ( c-1 ) 時ハ 〔時ガ〕 金なり。

 と言っているかたちなのだと思われます。同じく フランス文にも 《時ハ》という主題格の表示があります。(ハ格のような専用の格活用を持たず 言わば裸で語を言い出している。言わば絶対格で 主題格を提示しているかたち)。
 どうでしょう? 拡大解釈に過ぎますか?

 
 

お礼日時:2014/07/21 00:15

#3です。

補足です。

>>☆ (i) まづ ビッグは ヂョンにはかからないのですよね。

    いえ、かかる、という読みと、かからない、という読みとの両義性があるので、例に挙げた訳です。僕は英語ネイティブではありませんのでこのあたりでお後と交代します。
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この回答へのお礼

 なるほど。そうなんですか。

 まづは ご回答をありがとうございます。


 そうなると どうなりますか。わたしは ネイティヴでないだけでなく 生活経験がありませんので。
 まづあらためて:

 ★★ (回答No.4) ~~~~~~~~~~~~~~
 5。  御質問3:
    英文は 単一層の線形論理だけで表現していて 《あそび》が無いと思われる。主題提示をおこなう《あいさつ》が無いと見られる。とき その余裕というのは 表情や果ては人格によっておぎなっているのだろうか?


     She loves big George and John 「彼女は大きいジョージとジョンを愛している」

     と言う英文があります。この場合ジョージがでかいのは分かりますが、ジョンのでかさは分からない、そうすると、「あそび」とかやっぱりありそうです。勿論表情などでジョンがチビだとは補えるでしょう。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ (あ) ヂョーヂについては ビッグだとはっきり言ったが――ということは つねにビッグをヂョーヂにはニックネームのごとく付けて言う場合とは違うということですね―― ヂョンには 同じくそう言ったような・いや 言わないようなあいまいな感覚を意図して表わそうとした。そういうアソビが表現可能だし じっさいに用いられている。こう見た場合 どうか?

 (い) 広義のと言うべきかどうなのか これは アソビですね。表現の多義性を意図してあらわそうとしている。

 (う) ただ あきらかなことは 格関係じょうのアソビではないですね。ヂョンも ビッグ・ヂョーヂと同じように―― and John のあとにあらたな文がつづけられていないかぎり―― 対格に立っています。愛するの対象です。これは そのかぎりであいまいではない。ですね。

 (え) ということは 修辞学的なというのでしょうか 英文も 言語表現としてあいまいさなるアソビ・多義性なる余裕を持ち得る。ということでしょうか。


 (お) ここから どのように・どの方向へ議論をみちびけば よいでしょう? 

 (か) つまり 言語外の表情やしぐさや果ては人格どうしの信頼関係に 文表現のゆたかさ・深さ〔の現われ〕を頼るというのではなしに 言葉じたいによっても表わし得る。ということ。

 (き) あっ。ひとつヒラメキました。そういうあいまいな表現の場合にはですね 英語話者たちはたいてい そのあいまいさをただしなさい・はっきり分かるように表現しなおしなさいと言うのではありませんか? そういう意味では 志向性として 和文と英文とのあいだにやはりαとωとの違いのごとくかけ離れたところがあるように思われますが どうでしょう?

 (く) いや 分かりません。もっといろんな表現の例つまりそこにおいて表現の妙が見られるような文例が あるかも分かりません。

 (け) 取りあえず わたしの(司会者としてのような)言い分は ここまででしょうか。広くみなさんにも お知恵拝借となりたいと思います。

お礼日時:2014/07/21 09:19

    #4です。

愚見の説明です。

    「は」と一緒で格助詞が消える例  (が + は > は)
       ここは、私の行った小学校です。

    「は」と一緒で格助詞が消えない例 (で + は > では)
       ここでは、そう言いません。

     他にも「*この人がは、鈴木さんです」、「*ピアノをは、弾きます」とは言えませんが、「ここまでは、東京です」「あそこからは、神奈川です」とは言えます。
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この回答へのお礼

 つづいてのご回答をありがとうございます。


 そうですね。違いがはっきりするように 異論のみをつづってまいります。


  ・ ここは、私の行った小学校です。
  = ここハ 〔ここガ〕 私の行った小学校です。

 という初めの《 A‐ハ B-ガ C-ナリ。 / C‐スル。》なる構文であるように思います。


  ・ ここでは、そう言いません。
  = 〔わたしたちハ ここガ 活動するおもな場所ですガ〕 ここデ‐ハ そう言いません。

  すなわち
  ・ わたしたちハ ここガ 活動するおもな場所です。
  ・ ここ( A1 および A2 )ハ 〔ここ( B1 )ガ〕 われわれの活動するおもな場所です( C1 および B2 )ガ ここデ‐ハ そう言いません( C2 )。

  その心は:

  (あ) 《 A‐ハ B-ガ C-ナリ。 / C‐スル。》なる構文が 基礎を成す。(これは ことばについての日本人の心なのではないか)。

  (い) デ(にて)は 処格です。こまかいことは省きますが デ格のほかに ヲ格(対格)にニ格(与格)やカラ格(起点格)・ヘ格(方向格)などがあるというのは 基本的に言って 関係第二主題を提示するガ格から内発的に派生したものと理解しています。
 (基本的には 主格( S )‐対格(O)‐述格(V)の格関係をさらにくわしく意味連絡するために必要とされたのだと)。

  (う) そしてこの場合の――《ここデ‐ハ》の――ハ格は 第一中心主題を提示するハ格から やはり派生して現われた格活用で 言わば副次主題を提示するハタラキを持つと捉えます。取り立て格ですね。基礎構文におけるハ格の用法とは おもむきを異にするはずです。

 ★ 「ここまでは、東京です」「あそこからは、神奈川です」とは言えます。
 ☆ これらのハ格は 第一および第二のほかに副次的な主題として《ここまで》や《あそこから》なる文成分を取り上げそして取り立てる(強調する)役目を果たすものと見られます。


 だいたい こんな感じでしょうか。

お礼日時:2014/07/21 08:43

1。

初めに、既存(い)と(ろ)、ならびに僕の愚見(は)を
    (い)  「は」は副助詞
    (ろ)  「が」、「を」、「で」、などは格助詞
    (は)  格助詞の「が」、「を」は、副助詞があると姿を消す。
 
2。  次に、格助詞「が」の意味
    1 動作・存在・状況の主体を表す。
    2 希望・好悪・能力などの対象を示す。
    http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/34931/m0u/% …

3。  ご質問1
    どうしてこういうあいまいな(=つまり両義的・多義的な)表現が日本文で起こるのか?

    2の国語辞書の説明で
    太郎が(主体)花子が(対象)好きだ。
    太郎が(対象)花子が(主体)好きだ。

     の2文ができ、両者とも形が同じだから両義的です。これに僕の愚見(は)を適用すると
    太郎は(主体)花子が(対象)好きだ。
    太郎は(対象)花子が(主体)好きだ。
    
     当然その結果も両義的だからだとおもいます。

4。  御質問2
    ハ格もガ格も もともとは主題をただ主題として提示するために用いられているものだからか?

    上記2のように、「が」は主体と対象の両者を指すからだと思います。

5。  御質問3
    英文は 単一層の線形論理だけで表現していて 《あそび》が無いと思われる。主題提示をおこなう《あいさつ》が無いと見られる。とき その余裕というのは 表情や果ては人格によっておぎなっているのだろうか?

     She loves big George and John 「彼女は大きいジョージとジョンを愛している」
     と言う英文があります。この場合ジョージがでかいのは分かりますが、ジョンのでかさは分からない、そうすると、「あそび」とかやっぱりありそうです。勿論表情などでジョンがチビだとは補えるでしょう。
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この回答へのお礼

 えすぴーえす700さん お早うございます。ご回答をありがとうございます。


 やさしいと思われるところからまいります。
 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~
 5。  御質問3
    
     She loves big George and John 「彼女は大きいジョージとジョンを愛している」

   と言う英文があります。この場合ジョージがでかいのは分かりますが、ジョンのでかさは分からない、そうすると、「あそび」とかやっぱりありそうです。勿論表情などでジョンがチビだとは補えるでしょう。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ (i) まづ ビッグは ヂョンにはかからないのですよね。

 (ii) そうしますと この場合は話し手が ただその人間をヂョンとだけ言いたかったし 言った。というだけではないのでしょうか? 

 (iii) つまり:
 ★ ジョンのでかさは分からない、そうすると、「あそび」とかやっぱりありそうです。
 ☆ というふうに 大きさについては触れているようで触れないようにしたという自由度の問題ではなく そうではなく ただヂョンという人間をも ビッグ・ヂョーヂとともに愛している。と言ったに過ぎないと見ることは出来ませんか?
 
 (iv) ヂョーヂについては おそらくいつもビッグを付けて呼ぶならわしだったという恰好です。

 (v) すなわち結論としてですが この場合のヂョンの大きさがあいまいであるのは・そしてその意味で《あそび》があるように見えるのは 文型としての余裕なのではなく そうではなく 話し手の表現に際しての恣意性によるのではないでしょうか?


       *


 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~
 2。  次に、格助詞「が」の意味
    ▲1 動作・存在・状況の主体を表す。
    ▲2 希望・好悪・能力などの対象を示す。
    〔* ・・・(つまり そのほかにも説明があるようです。〕
 ~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ (vi) ガ格について――ハ格についてもですが―― 根本的に定説とは違った見方を持っています。

 たとえば

   ( d ) 象ハ 鼻ガ 長い。

 という文例があります。これは 基本的に言って 次のような自己表出による表現だと考えられます。

  ・ まづ話し手に 《象》が 第一主題として思い浮かんだ。
  ・ これを中心主題としそれをめぐって ひとつの関係する主題として 《鼻》を取り上げた。
  ・ これらふたつの主題について おのれの判断を論述主題として示した。
  ・ ちなみに 初源の《文》は 《象 鼻 長(なが)。》であったかも知れません。

 (vii) 言いかえるなら――そしていまの仮説は 言語としての歴史的な進展からは一たん離れてのように 思弁的につくろうとしてはいますが―― ただ自己表出しただけの文・《象 鼻 長(なが)。》は 一つひとつの言葉が 言わば宇宙遊泳しているようなものです。このような混沌たる文の世界に 座標を据える。関係性をあたえる。格子を添えてやる。

 (viii) それが ハ格であり ガ格であると見ます。(論述主題には 格活用ではなく ひとつの最終の判断――法( mood )活用――が添えられます)。

 (ix) たとえばここで 別様に

  ( e ) 長いハ 象ガ 鼻。

 という文例を挙げることが出来ます。《 A‐ハ B-ガ C-ナリ。 / C‐スル。》なる非線形構文に従った例文です。ここでも ガ格は 基本的に言って 関係第二主題の語を承けているのだと見ます。

 (x) そのあとです。ハ格やガ格が 文の(文なる判断を確定するための)意味連絡のあり方を示すようになるのは。
 長いハは 定義(規定)主格(S)になりますが 象ガは この場合 論述主題の鼻に対する属格となります。象ノ鼻という意味およびかたちになり ノ格です。ガ格は 用言に連絡することも 体言につづいて行くことも 自由であり可能です。

 (xi) ハ格とガ格の自由さは 初めに主題提示としての座標の役割を負わされたところから来ると見られます。つまり ハ格もガ格をも添えていない初めには 文は 統語論的な意味連絡からまったく自由に表出されそのまま表現されている。ゆえだというのが 仮説の骨子です。

  自由表出としての文: T1・・・T2・・・T3・・・Tn

 (xii) ちなみに 
  
   ( e-1 ) 象ガ 〔持つ〕鼻
  
 とすれば このガ格は 
 ▲1 動作・存在・状況の主体を表わします。

 (xiii) さらには
 ▲2 希望・好悪・能力などの対象を示す。
 ☆ 場合というのは

   ( e-2 ) 〔わたしハ〕象ハ 鼻ガ 触りたい(= T3=P )。

 のように論述主題( T3=P ないし T4=P )をつくるときに 文における意味連絡を確定するために結果的(二次的に)現われる用法です。

 日本語としての《 A‐ハ B-ガ C-ナリ。 / C‐スル。》なる基礎構文は あくまで基礎( basis )を成しています。
 

      *


 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~
 3。  ご質問1
    どうしてこういうあいまいな(=つまり両義的・多義的な)表現が日本文で起こるのか?

    2の国語辞書の説明で
    太郎が(主体)花子が(対象)好きだ。
    太郎が(対象)花子が(主体)好きだ。

     の2文ができ、両者とも形が同じだから両義的です。これに僕の愚見(は)を適用すると
    太郎は(主体)花子が(対象)好きだ。
    太郎は(対象)花子が(主体)好きだ。
    
     当然その結果も両義的だからだとおもいます。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ つづいて直後(No.5)に補足説明をもいただいています。

 (xiv) わたしの印象では 
 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~
 1.・・・
  (は)  格助詞の「が」、「を」は、副助詞があると姿を消す。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ なるご見解は 当てはまるときだけではないというように見られます。

 (xv) まづ

  ( a-1 ) 太郎は(主体)花子が(対象)好きだ。
  ( a-2 ) 太郎は(対象)花子が(主体)好きだ。

 この文例の成り立ちは 上の第二段落でおこたえし得たと思います。

 (xvi) そうして これらのハ格は ガ格をともなわせようとする話し手の判断のもとに席をゆづるのか?――わたしの印象では ハ格もなおも存在しているのだ・そして省略されたに過ぎないのだと見ます。すなわち:

 ( a-1-1 ) 〔太郎ハ〕太郎が(主体)花子が(対象)好きだ。
 ( a-2-1 ) 〔花子ハ〕太郎が(対象)花子が(主体)好きだ。

 (xvii) すなわち 後者は もともと別の文であったように思われます:

 ( a-2-1 ) 〔花子ハ〕太郎が(対象)花子が(主体)好きだ。
  < ( a-3 ) 花子ハ・花子ガ(主格) 太郎ガ 好きだ。



       *


 日本語の構文は よく出来たものだと思わずにはいられません。
 歴史的な変遷から一たん離れて いわゆる文法事項を捉えようとしたわけですが その歴史事実をシャッフルしてしまってのごとく 根底に流れる言語としてのあゆみ( basis )を何とか引き出せないか。こういうコンタンでいますが どうでしょう。


 おまけです:
 ・ 〔わたしハ〕 こういうコンタンでいますガ どうでしょう。

お礼日時:2014/07/21 08:17

「好きだ」というのは動詞ではなく形容動詞の類ですから、「花子が」は必ずしも主格を表すわけではありません。

形容詞/形容動詞について対象を「が格」で示すのは普通のことで、「が」がもともと所属を示していたことを考えると(「君が代」の「が」とか)、英語の「形容詞+of~」に類似の属格的表現ではないでしょうか。

素人のたわごととして読んでいただければ結構ですが、英語に遂語訳すると

As for Taro (主題提示), (he:強制的に省略) (is:形容詞に吸収) fond of Hanako.. となります。つまり(a-1)ですね。

(a-2)はどうなんでしょう。絶対に成立しないというわけではないかもしれませんが、「太郎を花子は好きだ」の方がまだわかりやすいです。普通は「花子が好きなのは太郎だ」でしょうね。
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この回答へのお礼

 うーぶりさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。


 たぶん 次のようなところに問題点があるのではないでしょうか? つまり:
 ★ (a-2)はどうなんでしょう。絶対に成立しないというわけではないかもしれませんが、「太郎を花子は好きだ」の方がまだわかりやすいです。普通は「花子が好きなのは太郎だ」でしょうね。
 ☆ であろうと思われるにもかかわらず: 

  ○ ( a ) 太郎ハ 花子ガ 好きだ。

   ( a-2 ) 《 Aヲ Bガ 好く》という解釈例: Hanako loves Taroh.
    ・ 太郎を好きなのは 花子だ。

 が成り立ってしまう。 It is Hanako that loves Taro. でしょうか。が 成立してしまうという構文ですね。

 つまり 英文では――語順によるという単純な事由からでしょうが―― 考えられないことですよね。
 つまり 英文は 単一層――意味連絡の線形論理――のみから成る。つまり 価値評価を別としたほうがよいのか・からめてもよいのか分かりませんが ふところが浅いですよね? 日本文にくらべて。

 その単一論理で アイ・ラヴ・ユー。とでも言おうものなら まるでピストルでも突きつけて愛の告白をしているようなものだとまで思われて来ませんか?







 ★ As for Taro (主題提示), (he:強制的に省略) (is:形容詞に吸収) fond of Hanako.. となります。つまり(a-1)ですね。
 ☆ このご説明について・つまり ガ格が 属格(ノ格)の用法があったということがらにちなんでの解釈について そのようであるとも思えるのですが いまひとつしっかりとは腑に落ちていません。保留とさせていただきます。




 わたしは 外国語にかんして 生活感覚においては知らない人間です。そこで 英文にかんするいま上に挙げた特徴などについても みなさんから 果たしてどうなのか。これをおしえて欲しいと思っています。

お礼日時:2014/07/20 21:26

で、ご質問は何ですか。



また、「は格」なんてものはありません。
「格助詞」のついたのを「__格」と言うんです。
助詞「は」は「格助詞」ではありません。
「副助詞」です。
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この回答へのお礼

 そうですか。それは 失礼しました。


 ご回答をありがとうございます。


 つねに定説や少数の異端の説に倣ってだけ議論をする必要はないでしょう。でも そうでないと 情報交換しがたいということでしたら 失礼しました。


 趣旨説明で理解しがたいということでしたら 仕方ありません。せっかくですが あしからずお引き取りください。

お礼日時:2014/07/20 14:13

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