プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

手作りアートを製作している者です。
今回、作品の一部に仏像を差し込もうと考えました。いわゆる遊び感覚でありパロディーとも言えるかもしれません。また多少のデフォルメを施すこともあるでしょう。
そこでお聞きしたいのは、仏像や仏画などを自分の作品に取り入れる場合の注意点です。
これだけはやってはいけないというタブー・禁忌はあるのでしょうか? こちらでは他意は無いつもりでも仏陀や仏教を冒涜したと受け取られることもあるかもしれません。 もちろん、あからさまに貶める意図はないのですが、少し軽く扱っている、あるいはおちょくってると捉えられて反感を買う恐れはあります。
イスラム教の場合には、アッラーはもとより預言者ムハンマッドを視覚可することは最大級のタブーであり製作者の命にかかわることは重々承知しております。 他方、キリスト教では数多の聖像が作られ、またそれへのオマージュやパロディも世に溢れていますが、節度のある“弄り”ならばある程度までは容認されているように感じますが,如何でしょうか?
私は何も仏像をバランバランにして血糊を付けるような毒々しい作品を意図しているわけではありません。
どなたか、知識のある方からの御指導を頂けたら幸いです。また、仏像ではなく、お釈迦様ではない僧侶の像なら制約は少ないのでしょうか。
どうか宜しくお願いいたします。

A 回答 (4件)

ご質問に近い回答が潜んでいるかどうかは解りませんが、小生が学生の時、薫陶を受けた東京藝大奈良研究室の所長で、藝大彫刻科教授の西村公朝先生の著書『運慶 仏像彫刻の革命』をご紹介いたします。


藝大古美術研究旅行(通称=古美研)の折りに、西村先生の講義が毎日あり、仏像毎の特徴、約束事を学びました。西村先生の博識には唯々驚いた記憶があります。その他にも著書があります。参考にして頂けましたらと思います。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございました。
ご紹介頂いた書は私には少々敷居が高いようにも思えますが、一度手に取って紐解いてみたいと思います。

お礼日時:2014/09/12 17:09

自分の描いた絵は、自分に返ってきます。


自分がOKだと思えば、OKなのではないでしょうか?

様々な宗教が混在した作品を描く人もいますし、
批判されるのが怖ければ、公開しなければいいのです。

「ちょっと、問題があるかなぁ」
と思えば公開しなければいいだけです。
「仏像・仏画に対するタブーについて」の回答画像3
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございました。
ただ、自分がOKだと考えている基準が世間とはかなりズレているようにも思えて少々不安だったのです。 批判そのものは怖くはないのですが、仕事として考えて場合には損失を考慮しないわけにはいkませんから。

お礼日時:2014/09/12 17:12

んん~~・・・



本来の仏教は偶像崇拝を禁止していたのです。

まぁ、現代では誰も其処を突っ込まないので、今更感ですがw

別に好きにすればいいのでは?

どうせ美術等と言うモノは、観る者・作る物の丁々発止の喧嘩です。

他人に尋ねる様なヘタレの時点で、自己承認の為の手段以外の何物でもないのは明々白々です。

理想的な形は私にもありますが、私の言う通りに作ったのであれば、貴方の作品ではないでしょう?

泥を食む覚悟も無く芸術を語るのは、何の為です?
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この回答へのお礼

御回答感謝。

>本来の仏教は偶像崇拝を禁止していたのです。

それは知っています。

質問の中には明記しませんでしたが、私はそうした雑貨の製作と販売を行う会社を経営しています。
商品として受容されるかどうかや流通性については事前に最重要項目の一つとして深く検討しなければなりません。

また、「アート」という言葉を用いましたが、芸術性への拘泥などありません。

>どうせ美術等と言うモノは、観る者・作る物の丁々発止の喧嘩です。
>泥を食む覚悟も無く芸術を語るのは、何の為です?

従って、あなたの小便臭い芸術論など無益なのです。 何かを訴えたいのかも知れませんが、質問に相応しない回答しかできないのなら無視しておけばいいのです。 ヘタレだとか自己承認だとかと仰られておりますが、このような場所にひねもす張り付いて自意識をぶっ散らかす行為からは、満たされることが無かったであろうあなたの底暗い自己承認願望が見てとれます。 まさにヘタレのかまってちゃんですね。

> 理想的な形は私にもありますが、私の言う通りに作ったのであれば、貴方の作品ではないでしょう?

前記した通り、あなたの小便臭い芸術論には興味はありませんし、そんなものは私にとっては(現実社会に生きる他の多くの人にとっても)一片の価値もありません。 何か構想があるのなら、さっさと製作して世に出せばいいのではありませんか? 世に出す行為は、ネットの中でおもちゃの刀で辻斬りごっこをすることではない事くらいはあなたでも理解できるとと思いますが。

兎にも角にも、一日も早い御快癒を心より祈っております。

お礼日時:2014/09/12 17:33

仏像、仏画、あるいは周りの観る目を意識する。



この時点で芸術ではありません。

何かを制作するのは、強い欲求に駆られて表現したいからするのです。
その表現において仏像・仏画が不可欠であるとするならば、なんのためらいもないはずです。

もし、様々な事を勘案し表現するのであれば中途半端な表現しかできないことになります。

作品の評価は勝手に観る側がすればよいだけです。
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この回答へのお礼

御回答感謝。



質問の中には明記しませんでしたが、私はそうした雑貨の製作と販売を行う会社を経営しています。
商品として受容されるかどうかや流通性については事前に最重要項目の一つとして深く検討しなければなりません。

また、「アート」という言葉を用いましたが、芸術性への拘泥などありません。

従って、私がこの場で質問した目的は、芸術論を戦わせることではありません。


中途半端な表現であっても、それが、仮に世間の一部であったとしても世間に流通して商品雑貨として採算性を持たせるべく私は経営者として腐心しておるのです。

私の質問にも不備はあったでしょうが、回答者様の御回答は、聊か的外れであり私の求めていたものとは異なっております。

お礼日時:2014/09/12 17:40

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