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第二次世界大戦でどこの国が一番レーダー技術が進んでましたか?
また日本と欧米のレーダー技術はどれくらい差がありましたか?

A 回答 (8件)

実は、アメリカのレーダーは、日本人の開発したレーダーです。



日本軍はあまり重要視してなかったので、実戦配備が遅れました。

八木・宇田アンテナ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%BC% …
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他の方が既に回答されているようにレーダー技術では英国がトップで、その技術供与を受けてアメリカも並んだ感じです。



ドイツが科学技術的に進んでいたように錯覚しがちですが、ことレーダーに関しては夜間戦闘機で比較する限り英国の夜間戦闘機がレドーム内にレーダーを収めて空気抵抗を軽減できていたのに対して、独軍夜間戦闘機は一見物々しいものの、空気抵抗が大きいレーダーアンテナを機首に露出させざるを得ませんでした。

また英国と日本のレーダーの性能差については、わかりやすい例えで艦載の水上レーダーの比較がありますが、日本の水上レーダーが探知圏内に入った敵の艦上機群をぼんやりと雲のように一まとめにとらえるのがやっとだったのに対して、英国の水上レーダーはビスマルク追撃戦時(1941年の段階)で、ビスマルクの主砲弾である38cm砲弾の軌跡を捉えることが出来ており、WW2終結の頃には巡洋艦の15~20cm砲弾の軌跡すらトレースできていたようです。
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大戦初期はイギリスです。


先の方の回答にもあるようにポリエチレンの開発により、
大出力のマグネトロンが実用化され、波長の短い電波(マイクロ波)を強く放射することが可能になったからです。
その技術は同盟国のアメリカに供与され、太平洋で日本の戦闘機や船舶に甚大な被害を与えました。

波長の短い電波を使用すれば、潜水艦の潜望鏡のような小さな目標でも探知可能になります。さらに目標までの距離や方向性の精度が高まりますから、レーダーの情報だけで射撃を行うこともできます。
飛行に搭載されたレーダーで比較すると、
イギリスは1939年にマイクロ波のレーダーを飛行機に搭載しています。
アメリカは1940年代初頭に、波長3cmのレーダーを搭載
ドイツは敗戦間近の1945年にやっと波長9cmのレーダーを飛行機に搭載していますが生産数は25台程度だったと思います。
ドイツ空軍は波長の短いレーダーを持っていませんでしたから、アンテナも長いものが必要になります、ドイツ軍のレーダー搭載機は昆虫の触覚のようなアンテナを機種に搭載したものが多数あります。大きなアンテナは飛行機の最高速度や燃費を低下させました。
ドイツのレーダーは周波数固定式のため、イギリス軍の妨害電波で無力化されることもありました。

日本は飛行機に搭載できるマイクロ波のレーダーは実用化できませんでしたが、
船舶用にマイクロ波のレーダーを制作しています。昭和17年に試験使用され波長は10cm
19年には主要艦艇に装備され、5km程度までなら、潜水艦の潜望鏡も探知可能でした。
このレーダーは戦後捕鯨船に搭載されて日本の食料不足解消に活躍しました。
その他、ドイツのウルツブルグレーダーの設計図と技師をドイツから招き、日本でコピー生産を行いましたが、真空管などの品質管理が遠く及ばず、1台のみが完成
(ドイツでは4000台が可動)

当時のレーダー開発で大きな役割を果たしたマグネトロンも八木アンテナも、1920年代には日本は非常に進んだ研究をしていました。
1927年に東北大の岡部金治郎は、世界で初めてマグネトロンによるマイクロ波の安定した発信に成功しています。それまでの24cmの波長までしか発信できなかった電波を3cmまて短くしています。
「第二次世界大戦でどこの国が一番レーダー技」の回答画像6
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当然の事ですが英国です。


その技術が米国に伝えられ、そこで大量に製造され、組織的に実戦に投入されています。
英国の技術レベルは、大戦末期には艦船や航空機からUボートの潜望鏡やシュノーケルを
探知できるほど高いものでした。

ドイツと日本は大幅に遅れていました。ドイツは地上設置型レベルに留まり。
日本では大戦末期に大和等の大形艦船や夜間戦闘機月光への搭載が始まったばかりでした。

その理由は、皆さんが安いプラスチック製品やポリ袋でお馴染みのポリエチレン樹脂が
1930年代に英国の化学会社ICIにより発明された事です。
この樹脂は高周波特性に優れレーダーに活用されました。他方、日本では工業的な合成も
できませんでした。

http://www.satokasei.co.jp/pe/pe.html
http://www.geocities.jp/chasukechan/nk-646.htm
http://madaka.web.fc2.com/plastics4.htm

戦争技術の根底に横たわる基礎技術力の問題です。

撃墜されたB29の調査に行き、日本には無い透明樹脂製の風防ガラスを見て、日本は
負けたと確信した先生の話。終戦の日後に、軍の依頼で開発中のレーダー装置を
地中に埋めた経験者の話を想い出しました。もし米軍がそのレーダーを掘り起こして
いたら、その旧式さに腹を抱えて笑ったのではと思います。

軍事オタの武勇談的解説は眉に唾して愉しんでください。
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実用的なレーダーで言えばドイツですね。


当時のドイツは技術大国で、科学、工学、物理学、医学など、全てドイツが最先端でした。

ゆえに、昔はカルテなんかは全部ドイツ語でしたし、
PHなんかもドイツ語でペーハーって読みました。
(今はアメリカ読みのピーエッチが主流です)

ただ、近代レーダーの基礎を築いたのは日本の八木アンテナです。
この発明は日本ではマイナーでしたが、欧米では評価され、向こうで広まったのは皮肉なことです。


次に日本とアメリカのレーダーの差ですが、艦船用積載水上レーダー、対空レーダー共に実はほぼ差がありませんでした。
『ことレーダーに限って言う限り』探知距離も探知精度も大差ありませんでした。

違ったのは高精度レーダーの生産力と、レーダー連動のコンピューターシステムでした。


日本は、資源不足と生産力の低さから、レーダーの様な高度な電子機器を大量に作る事が不可能でした。
そんな物を作る余裕があるなら、数の上での圧倒的劣勢をすこしでも埋めるため、軍艦や飛行機、戦車の生産に回されました。

そして後半部、高度なレーダーを実戦で運用し続ける米軍は、その大量の実戦データからレーダーの更なる有効な運用法を行い始めました。

即ちレーダー連動システムです。
レーダーを単に索敵のみに使うのではなく、レーダーで捕捉した敵に向かって目視(光学)照準ではなくレーダーで照準を合わせる技術です。

レーダーを大量に実戦運用し、その大量の実戦データから誤差を修正していき、ついには光学照準を超える精度を確保しました。

レーダー(電探)っていうと正確無比なもののように思われますが、昔は光学の方が精度が高かったのです。

電探は島影や気象条件により簡単にゴースト(実在しない影)を生み、米軍が存在しない日本艦隊に対して砲撃を行なった例はいくつもあります。

つまりレーダーは、『なんか探知範囲内に敵らしきものがいるかもしれない…』
レーダー射撃も、夜間や悪天候時にやむを得ず行う(だいたいこの辺かも…的な)性質のものでした。

それを大量の実戦データをフィードバックして、実用的な射撃レーダーとして運用したのが米軍でした。

ゆえに高性能のレーダーを一個だけ作る、という条件ならほぼ同じでしたが、数を揃える事や運用、周辺システムという面では米軍に一歩譲ったと言わざるを得ない状況でした。
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戦前の技術開発の時点では、世界をリードするようなレベルであった <-八木アンテナなんか



が、開戦後は工業力の違いや優先順位の違いによって、あっという間にドイツや米英にひっくり返された
日本も一応実用化はしていたが小型化には苦労したようで、陸上設置型が主で艦載型も大型艦に僅かに搭載される程度

後に、夜間戦闘機の月光にも対空用のレーダーが搭載されたが・・・・
まともに使えるたのは殆どないとの話もある
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1940年頃の時点では、イギリスだったでしょうね。

1945年なら、アメリカでしょう。

>日本と欧米のレーダー技術はどれくらい差がありましたか?

今のパソコンとファミコンくらいの差ですかね。あるいは、もっとあったかもしれません。
1940年のいわゆるバトルオブブリテンのとき、イギリス空軍はレーダーを用いてドイツ軍機を探知し、無線でスピットファイアを誘導して迎撃しました。そしてドイツ空軍はそれに対抗してーダー波を攪乱するため、空中にアルミ箔を撒くという「電子戦」が既に行われていました。
一方、日本は海軍が誇る最新鋭戦艦である大和級にも当初レーダーは搭載できませんでした。日本のレーダーは信頼性が低くて、誤作動も故障も多いし「敵機が来た」ということは分かっても、「どの方向から来た」という情報を正確につかむのは困難でした。
レーダーっていうとあの丸いディスプレイにピコーンってなりますが、あれはアメリカ軍が開発したもので、日本のレーダーは単なる波形で、その波形の位置や大きさで方向や高度などを読み取るわけですが、職人芸なみの熟練技が必要だったので軍人からは「こんなものは使い物にならん」と相手にされなかったのですよ。
とにかく当時の日本の電子技術や精密機器の質の悪さは今からは信じられないほどお粗末なものだったのです。しかも縦割りの官僚主義で陸軍と海軍ではそれぞれにレーダー基地を作ったので、近い場所にそれぞれのレーダー基地があったりして、アメリカ軍の戦略爆撃調査団に戦後、「バカじゃねーの」っていわれてしまいました。
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言葉で表現することは難しいと思いますが、あえて言うのであれば、連合軍の飛行機にはすでに無線機がありましたが、日本軍にはそれがまだありませんでした。



連合軍にはレーダーがありましたが、日本軍にはまだそれがありませんでした。

工業力にはかなりの差があったようです。

1941年頃のアメリカはすでに町に車が普通に走っていましたが、日本の道路にはまだ車はほとんど走ってはいなかったという話は聞いています。

飛行機の数、戦車の数、戦艦の数、車の数、すべての武器や兵器の数で連合軍が圧倒的だったみたいです。
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