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タイトルで出した以外にも、飛鳥(あすか)、宗像(むなかた)、伊達(だて)などたくさんあります。これらは、はるひ(あるいは「しゅんじつ」)、ひちょう、しゅうぞう、いたちとは読まないです。このように普通の漢字の読みからは、知らない限り、まったく読めないものが多々あります。
なぜ、こういうことがあるのでしょうか?

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A 回答 (5件)

「飛鳥」を「あすか」と読むのは、「春日(かすが)」と同じで、枕詞による当て字によります。



大和国の明日香(今の奈良県明日香村の付近一帯)という地名にかかる枕詞が「飛ぶ鳥の」でした(だから「とぶとりの明日香の里」などと言ったのです)。
そこから「飛鳥」=「明日香(あすか)」という連想が出てきて、「飛鳥」と書いて「あすか」と読むようになったそうです。

ちなみに、『全訳用例古語辞典』(学習研究社)によると、「明日香」の枕詞が「とぶとりの」になったのは、「天武(テンム)天皇の時代、赤い鳥を献上した者があったので、明日香にあった宮殿の『浄御原宮(キヨミハラノミヤ)』に『とぶとりの』を冠して、『飛鳥浄御原宮(トブトリノキヨミハラノミヤ)』と改めた」ことによるそうです。

なお、枕詞とは、和歌などに見られる修辞の一つで、特定の語句の上につけて句調を整える語のことです。多くは五音になります。
たとえば、「光」という言葉の前に枕詞「ひさかたの」、「神」の前に「ちはやぶる」とつけ、「ひさかたの 光のどけき 春の日に……」「ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川……」などと使います。
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この回答へのお礼

素晴らしい!
疑問が解けました。ありがとうございます。

お礼日時:2004/05/31 00:43

「飛鳥」「春日」については、#2さんの参考ページが詳しいですが、こちらのページでは古代朝鮮語の「村(スキ)」に由来していると書かれています。

(それをさらに遡ると「囲まれた土地」という意味になるのかも知れません)
http://ww5.et.tiki.ne.jp/~koremaru/chimei/kaihox …


「宗像」はかつてその辺りを治めていた豪族の名前の「胸肩」から来ており、地域名としては、「古事記」「日本書紀」では「胸肩」「胸形」、奈良時代は「宗形」と表記され、平安時代以降は「宗像」と表記されるようになったそうです。
(もともと「宗」は「むね」、「像」は「かたち、かたど(る)」と読みますので、「春日」「飛鳥」のように特殊な読みということではないと思います)
http://www.page.sannet.ne.jp/kuranosuke/munakata …

なお「むなかた」という名前については、、マオリ語の「偉大なる神託を下す(神)」を表す「ムナ・カタエ」から来ているという説があるそうです。
http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/koten02.htm
(※(3)天真名井での「ウケヒ」の項参照)


「伊達」は昔は「いだち」または「いだて」と呼んでいたそうです。
http://www2.harimaya.com/date/dt_roots.html

「いだち」は「イ・タヂ」であると書かれたページがありましたが、
(下記ページ資料→素稿→<朱の234>)
「タヂ」が「蛇」または「虎杖」(イタドリ)を意味する(<朱の234>)ということ以上のことは書かれていないようで詳細は不明です。(もしかしたら見落としがあるかも知れません)
http://www.platz.or.jp/~hvhy/
(参考:上記サイトを「タヂ」で検索した結果)
http://www.google.co.jp/search?as_q=%E3%82%BF%E3 …


なお「大阪」は坂道の坂が語源のようです。
http://www.elrosa.com/tisen/90/90060.html

例に挙げられた地名だけ見ても、色々なパターンの由来があって面白いですね。

参考URL:http://ww5.et.tiki.ne.jp/~koremaru/chimei/kaihoxx/kaiho19.htm,http://www.page.sannet.ne.jp/kuranosuke/munakata …
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この回答へのお礼

ありがとうございます。とても参考になりました。
そうでしたか、宗像や伊達は、春日や飛鳥とは違うでき方をしていたのですね。
ムナカタがマオイの言葉からという説は初めて知りました。

ちなみに、なぜ、「あすか」の枕詞が飛ぶ鳥なのか?
あるカルト系のページを見たのですが、そこでは、アスカとは、飛行場の意味とありました。面白すぎますね。

お礼日時:2004/05/29 00:18

〔「春日」の表記は「かすが」にかかる枕詞「春日(はるひ)」を当てたもの〕



(1)奈良市春日野町の春日神社一帯の称。また、奈良市およびその付近の称。

(2)福岡県北西部の市。福岡市の南に接する住宅都市。

三省堂提供「大辞林 第二版」より
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
そうすると、飛鳥ですが、「あすか」にかかる枕詞が飛鳥ということになるのでしょうね。きっと。
さて、宗像や、伊達はどうなのでしょうか。

お礼日時:2004/05/27 22:47

「春日 語源」で検索したところ、下記のようなサイトがヒットしました。



”春日”の他にも”飛鳥”の語源も載っておりますのでご覧になってみて下さい。

参考URL:http://www.inetmie.or.jp/~jin/ASUKAG.htm
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
このページの情報で少しわかりました。あ+すか、か+すか、なんですね。面白い。大阪も、きっと、お+すか、だったのではないでしょうか。
つまり「すか」というのが、ポイントですね。
そういえば、今、思い出したことがあります。
ナスカの地上絵で有名な「ナスカ」ですが、「ナ」というのは no という意味で、「すか」は、場所。従って、ナスカとは、どこでもない場所という意味であると。

お礼日時:2004/05/27 22:40

かすがは言葉遊びのような感じです。


かすがの枕詞が春日(はるひ)なので、かすがを春日と書くようになったそうです。

参考URL:http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A4%AB …
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
ただ、「かすが」とは一体なんなのか?
なぜ、「かすが」の枕詞が春の日なのかが、まだわかりません。

お礼日時:2004/05/27 22:32

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  これは、誰かの説明であったのか、わたしが勝手に考えたのか記憶がはっきりしないのですが(おそらく誰かの説明です)、人間が「葦」であるということの比喩は、ナイルの河畔に生える葦は、強い風が吹くと、弱いために、すぐしなって曲がってします。風に抵抗できない。いや抵抗せずに、しなって敗北するのである。しかし、その他方で、偉大な樫の樹などは、風が吹くと、しなることはせず、抵抗するので風に勝利するが、しかし、繰り返し風が襲って来た時、何時か強い風に倒され、根元から折れてしまうのです。しかし、賢明に自らの分を知る「葦」は、風が吹くとそれに身をまかせてしなり、逆境のなかで、一見屈服したように見えるが、しかし、風がやむと、徐々に身を起こして行き、再びもとのなにごともない姿に戻って微風に揺れているということが、人間への「比喩」の意味だったはずです。
  
  少しの風が吹くとしなり、風の前屈して曲がるが、風が去ると、また元のように立ち上がる。人間とはこのように、自然や運命の暴威に対し無力であるが、それに従順に従い、そして暴威をくぐり抜けて、また元のように、みずからの姿で立ち上がる。自然界のなかでたいへん弱く、簡単に風にしなるが、柔軟性があり、運命にも暴威にも屈しない。そして何よりも、「考えることができる」すなわち「精神を持つ」ことで、ただ、自然の力、暴威として、力を無自覚に揮う風に較べて、遙かに賢明で、優れた存在である。……このような意味の比喩ではなかったかと思います。
  
  この葦の比喩は、パスカルという人がどういう人だったかを知ると、パスカル自身のことのようにも思えて来ます。パスカルは、四十に満たないで亡くなっています。彼は、少年の頃から神童と言われたのですが、病弱で、一生、病気や身体の苦痛とたたかいながら、思索し実験し、研究し、晩年は、修道院に入って信仰生活を送ることを決意して、自分自身でも、そのことについて、悩み考えつつ、世を去りました。パスカルは、自分に襲いかかる不条理な病や、身体の不調などと、「たたかう」というより、それを受けて耐え、病の苦しみのなかで思索や研究を続け、「精神」において、自然が与えた病の暴威などを、乗り越えて生涯を送った人だとも云えるのです。
  
  暖めた流動食でないと、喉を通らないというようなこともしばしばあったということは、解説書などには必ず記されているはずです。弱々しい「葦」のように、襲って来る風に身をまかせつつ、思索した精神、それがパスカルなのでしょう。パスカルは「人間とは、運命に従順であるが、しかし、精神で、運命に抵抗し、不屈の意志で、思索することで、運命や自然の暴威を乗り越える自由の存在なのだ」という意味で、この言葉を記したのではないかとも、思えるのです。
  

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去し...続きを読む

Q本日天気晴朗ナレドモ波高シ……は何故名文なのか?

東郷平八郎が丁字戦法を使ってバルチック艦隊を破った時、
秋山参謀という人が東京にこんな打電をしたそうです。

「敵艦見ユトノ警報ニ接シ 連合艦隊ハ直チニ出動 コレヲ撃滅セントス、
本日天気晴朗ナレドモ波高シ」

高木彬光先生の歴史小説の中で「名文中の名文」と謳われていましたが、
どうもしっくりきません。

だって、単なる指令と天候を伝える平叙文じゃないですか。
これだけシャープに必要なことをまとめた、ということが
賞賛されているのでしょうか?

教えてください。

Aベストアンサー

この電文はロシアの大艦隊を迎え撃つ前に打電されたものです。大国ロシアを相手に小国日本が寄せ集めの軍艦で海戦を挑む直前の決意を示したものです。

名文として後に有名になったのは
1.先ず海戦に勝ったこと。(負けたら名文も残らない)しかも世界が驚く一方的といってもいいくらいの勝利をおさめた。
2.これから出撃します。と短く報告すると同時に海の実戦経験者だけに分かる短い言葉で、これから起こる戦闘がどのようなものになるかをうまく伝えているからです。

つまり、兼ねて準備していた連合艦隊は予定どおり、故障艦も脱落艦もなく、直ちに出撃し敵を撃滅することを前文で伝えています。後半の天気の文章も海軍の現場の人にはいろいろな情報を伝えています。即ち、本日は天気に恵まれ海上の見通しは非常に良い。砲撃戦に理想の天気である。しかし、海上には高波が見られるので、魚雷艇などを使った細かな作戦を実行するには難がある。本日の戦いは砲撃で決着がつくだろう。

ようやく近代国家の仲間入りをしたばかりの日本の存亡を賭けた戦いを前にして、七、五調の短い電文でこれだけの情報を送れるのは名文でなければ出来ません。しかし、これが決意表明ではなく作戦の変更や指示を仰ぐ電文であれば、決して名文とはいえないでしょう。読む人によって理解が異なるような文章は戦時に使用すべきではないでしょう。やはり戦争に勝ったということと決意表明の電文だったからこそ後世まで語り継がれたのでしょう。

この電文はロシアの大艦隊を迎え撃つ前に打電されたものです。大国ロシアを相手に小国日本が寄せ集めの軍艦で海戦を挑む直前の決意を示したものです。

名文として後に有名になったのは
1.先ず海戦に勝ったこと。(負けたら名文も残らない)しかも世界が驚く一方的といってもいいくらいの勝利をおさめた。
2.これから出撃します。と短く報告すると同時に海の実戦経験者だけに分かる短い言葉で、これから起こる戦闘がどのようなものになるかをうまく伝えているからです。

つまり、兼ねて準備していた連...続きを読む

Q舌の先などにプツッとした痛いできもの

舌を噛んだり傷つけたわけでないわけではない時に、時々舌の先等に、小さい見えるか見えないか程度のプツッとした凄く痛いできものができます。あれはなんですか?

よく、食べ過ぎたりして胃が悪い時に出来る、と祖父母なんかに聞かされた気がしますが・・・。

実際、出来たときは、疲労時というか、心身どちらか一方でも過度に疲労したかな?少し食べ過ぎ?と思い当たることもあります、が、毎回ではありません。

あれは何で、どんな時に出きやすくなりますか?
また、予防策、出来てからの対処法など教えて下さい。
病院に行くほどひどくならないので、これまでそれで病院に行ったことはなく、だいたい1週間程度で治りますが、出来るととても痛いです。

Aベストアンサー

口内炎が舌にできたものだと思いますよ。私も子供のころからしょっちゅうできます。舌にできるとものすごく痛いんですよね(T_T)

原因はストレス、栄養の偏り(特にビタミンB不足)、睡眠不足、口の中の不衛生、胃の不調や風邪の時などの体調不良時などさまざまだと思います。
私はできてしまったら薬を塗って早めに就寝して睡眠を十分にとること、食事後や口の中が痛いときなどとにかくうがいをして口の中を清潔に保つこと、ビタミンBを取ることを心がけています。

よくできるならひどくないと思ってても一度医者に行ったほうがいいかもしれません。薬をくれるので次にできたときにも便利ですし原因もわかるかもしれませんよ。

Q九分九厘で「ほとんど」の意味だが、何故「割」ではないの?

子どもの頃から疑問に思っていることなんですが、
「九分九厘」というのは「ほとんど全て」という意味ですよね。
ところで小数点以下第一位は「割」ですよね。
0.99ならほとんど全てですが、
0.099というのは一割にも満たないことになるんですが…。
どうしてこういう言い方をするんでしょうか?
「九割九分」と言うべきなんじゃないかと思うんですけど…。
いつも細かいことに拘ってすみません!

Aベストアンサー

#3さんが正解です。(#1さんも間違いではないですが)

「分」は
歩合の単位としては、「割」の下で"1/100"の意味
になりますが、それとは別に
"1/10" の意味もあるためです。
これは尺貫法が元になってます。

「分」を1/10の意味で使っている言葉としては
質問の「九分九厘」、#3さんが例に挙げられた「五分五分」のほか、「腹八分目」とかがありますね。
“条件を満たして、不足がないさま”を「十分(じゅうぶん)」というのも、
十分=(1/10)×10=1
ということから来ています。(そういう意味で#1さんも正解な訳です)

参考URL:http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A4%D6&kind=jn&mode=0&base=61&row=1


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