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江戸時代の武士は相当暇だったと聞きました。
鎌倉時代の武士も同じように暇だったのでしょうか?

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A 回答 (5件)

 鎌倉時代の武士は今風に言えば零細自営企業の社長ですから会社拡大のために


年中、忙しかったと思いますよ。とは言え現代とは比べものにならないほどゆっくり
生きていたでしょうけど。

 江戸時代の武士が暇なのは幕府の政策です。
 例えば江戸の町を統治する役所が南北の町奉行所でしたが、勤務は南北が1ヶ月交代。
勤務しない片方は完全休業で、万が一にでも仕事をすれば厳しい処罰が。
 すべての役職が複数で、日常において幕政をとりしきる老中も数人、月当番でした。

 要は1人の人間に大きな権限が集中して幕府を脅かす権力を手にしないようとの策略。
結果、日本独特というか総無責任体制ができあがりました。
 
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この回答へのお礼

Nebu3さん、回答ありがとうございます

会社拡大といっても所領は戦が無いと増えないのでは?面積あたりの収穫を増やそうと努力していたってことでしょうか?

なるほど江戸時代の武士が暇なのは政策上の理由だったんですね。
戦が無いからだと思ってました

回答ありがとうございました。またお願いします

お礼日時:2014/09/09 07:35

http://www.kepco.co.jp/insight/content/lounge/lo …

寿命が短かったから忙しかったんだろうなぁと

平安・室町期の15~16歳、
江戸中期の約20歳、後期の約37歳と、
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この回答へのお礼

tanuki4uさん、いつも回答ありがとうございます。

平安時代の寿命が犬並みですね。短すぎませんか?

回答ありがとうございます。またお願いします。

お礼日時:2014/09/09 07:28

>鎌倉時代の武士も同じように暇だったのでしょうか?


組織体制が出来上がり平和で暇を持て余していたお江戸のお武家さんとは違いました。
お江戸のお侍さんとは違い武士としての仕事が山ほどありました。

鎌倉時代は教科書的には武家政権ができて安定した時代という印象があります。
せいぜい蒙古襲来ぐらいが事件という印象です。
国家の統治という観点からしますと、内実は相当にゴタゴタした時代でした。
平安時代の王朝政治の矛盾といいますか制度が崩壊していった時代でした。
古い制度が制度疲労をおこして機能不全となる一方で新しい組織が未熟な過渡期でした。

公家権力側の土地の支配権は荘園と呼ばれる私領と朝廷が支配する公領が残っていました。
朝廷の内部も院宮分国制というものが存在していました。
これをひっくるめた荘園公領制と呼ばれる状態が続いていました。
そもそも守護、地頭と呼ばれる武士が、鎌倉幕府の家臣としての御家人と呼ばれる身分を持ちながら、一方で朝廷や荘園の管理も請け負っているという状態でした。
早い話が誰が誰へ年貢を納めるのか、誰がいかなる権利で年貢を集めるのか、その年貢は誰のものか、ということがモザイクのように入り乱れていました。
当然揉め事が起きます。
領民である農民側も大人しくはしていませんでした。
農耕地が広がるにつれて農民どうしの境界争いが頻発しました。
これの仲裁やら弾圧やらに駆り出されました。
自分達の集落で不都合があれば領主である武家の基へ直ちに押しかけました。
兵農分離が徹底していませんから、農耕をしながら武器の取り扱いに習熟した連中が沢山いました。
謡曲の鉢木に登場する佐野源左衛門尉常世や蒙古襲来絵詞を作らせた竹崎季長のような連中もいました
これを武士本来の武力で解決していましたから、それ相当に忙しかった時代です

そもそも鎌倉幕府というのは、朝廷の支配下の基で東国を統治する地方政権という位置づけで始められたものです。
北条政権も十三人の合議制という合議制でした。
結果として時が経つにつれて権力闘争が頻発しました。
承久の乱のように公家勢力と武家勢力との権力闘争もありました。
宗教界では、京都や奈良の古い仏教に対抗する、後に鎌倉仏教と呼ばれる新興宗教が勃興していました。
これ等の取り締まりも求められました。
自分の領地の問題を解決するだけではなく、このようなの上層部の争いにも駆り出されていました。
領地を支配しながら官僚としての務めを果たし、無事に子供を育てて引き継いでいくためには相当に忙しい時代でした。

中央政権から任命さることなどなかった戦国時代の武士とは本質的に違っていました。
歴史用語として、同じ大名でも守護大名、戦国大名と区別して議論されるのはこのためです。
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この回答へのお礼

ichikawaseijiさん、いつも回答ありがとうございます

なるほど揉め事がたくさんあった時代だったんですね。
江戸時代みたいなイメージで見てました。

回答ありがとうございました。またお願いします

お礼日時:2014/09/09 07:40

大名から一兵卒まで全部武士だからな~。


もう少し詳細に質問してください。
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この回答へのお礼

Key_Aさん、あんまり難しく考えずに
上から下まで大雑把でいいんで

お礼日時:2014/09/09 07:31

武士と言ってもいろいろな階層があるので一概には言えませんが、


秀吉の刀狩りより以前の時代は兵農分離がされていませんでした。

つまり江戸時代以前の武士の大半は普段は農作業に関連したことをして、いざ戦時になったら武器をとって戦います。
だからそれほど暇とは言えなかったでしょう。
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この回答へのお礼

jkpawapuroさん、いつも回答ありがとうございます。

農作業してるなら忙しそうですね

回答どうもありがとうございました。またお願いします

お礼日時:2014/09/09 07:22

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Aベストアンサー

朝廷というのは天皇を頂点とした政府のことですが、ここが日本全国を完全に支配していたのはせいぜい平安時代までで、その後紆余曲折はありますが、鎌倉時代、室町時代、戦国時代(この時代は全国を支配した政権はありません)、安土桃山時代から江戸時代まで、ほとんどは武士が支配することになります。
ただ、ややこしいのは武士が支配していた時代でも一貫して朝廷は存在していたことです。幕府の長は征夷大将軍ですが、これは形式的には天皇の部下なんですね。ただ、現実には天皇が将軍を自由に選べるということはほとんどなく、武士に言われるがままに任命していたわけですから、実権は武士の側にあったということになります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%81%E5%A4%B7%E5%A4%A7%E5%B0%86%E8%BB%8D
これを端的にお子さんに説明するのは難しいかもしれません。
ただ、今の天皇陛下も政治的な実権はまったくなくて象徴として存在しているわけなので、それとちょっと似ているというような説明は、できるかもしれませんね。(今でも首相を任命するのは天皇と決まっています。ただし天皇が首相を選ぶことはできず、国会が選んだ人を形式的に任命するだけです)

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