No.3ベストアンサー
- 回答日時:
改名ではなくて、分裂ですよ。
ソ連は飛びぬけて大きいロシア共和国とその他の民族の共和国(ウクライナ、ベラルーシ、カザフスタン、リトアニア、エストニア、ウズベキスタン、グルジアなど)の連邦国家でした。
各共和国は、いつでも連邦から脱退して独立できることになっていました。
しかし、現実には、社会主義国は独裁体制で、誰も親分のロシア共和国のトップであるソ連共産党書記長には逆らえなかったのです。
逆らえば、個人であれば政治犯として収容所に入れられたり、拷問を受けたり、処刑されたり、あるいは事故に見せかけて暗殺されたりしました。
また、各共和国には、その共和国以外の地域出身の多数のソ連軍の兵士と戦車や武器が配備されており、ソ連共産党本部に逆らえば、街ごと戦車によって即座に蹂躙(じゅうりん)される体制になっていました。
恐怖と暴力で国民を押さえつける体制でした。
しかし、少ないながらよい点もありました。
社会主義計画経済なので、失業者がおらず、さほど上質なものではありませんでしたが、国家が暖房つきのアパートを配給し、自動車や家電製品なども申し込めば数年待たされはするものの、確実に入手できました。
年金制度はしっかりしており、それゆえに老後の生活も保障されていました。
それゆえに、ソ連の体制に心から忠誠を誓い、自国に誇りを持っている人も多数いました。
言論の自由、移動の自由、入出国や広範囲にわたる旅行の自由がない体制でしたが、生活はそれなりに保障され、自由主義世界のように、失業者やホームレスがあふれることもなく、1929年以降の世界恐慌にも、巻き込まれませんでした。
しかし、人権弾圧は激しく、特にスターリン時代は、ちょっとした理由で多くの人が処刑され、民族ごと縁もゆかりもない数千km以上離れた地域に集団移住させられた人々も多数いました。
また、国家が定めた計画に動員され、各地で新たな農地や灌漑用水路、石油化学コンビナートなどが建設されて行きました。
そういうわけで、人権上の多数の問題を抱えつつも、経済はそれなりに発展してきたわけです。
ところが、1960年代以降になると、厳しい自由競争で技術革新が進む自由主義世界が、次々とハイテク技術を応用した民生用商品を生み出し、社会主義陣営とは比べ物にならないほどの勢いで急速に経済発展していきます。
そうしていつの間にか、社会主義陣営は自由主義世界に大きく後れを取り、商品の質、価格、生産効率、企業の経営の合理性などで、全く自由主義世界に太刀打ちできないレベルのまま取り残されていくことになりました。
また、ソ連経済を発展させる原動力のひとつである油田開発も、国営企業ばかりで競争がないため技術革新が進まず、計画通りに進まなくなりました。
また、もう一つの柱である農業も、干ばつや熱波、水源の枯渇などによって、計画を大幅に下回る状況が続くようになりました。
そこで、ソ連は、スパイなどを使って自由主義世界の最先端技術などを盗み、後れを取り戻そうとしますが、そのような方法では、所詮焼け石に水でした。
こうして、ソ連の体制を維持発展させてきた経済基盤が危機的な状況を迎え、ソ連ご自慢の社会保障制度や完全雇用体制を維持することが困難になって行きます。
当時ソ連名物だった、商品不足で商店の前に防寒着をまとった一般市民が長蛇の行列を作って順番待ちをする光景は、日本のテレビCMでもパロディ化されるなど、ソ連にとっては国辱的な事実だったため、外国人が撮影することは厳しく禁止されていました。
長年政権のトップの座にあって、経済の改革を怠ってきたブレジネフ書記長が亡くなり、後継のチェルネンコ書記長は高齢で1年ほどで死去、その後を受けたアンドロポフ書記長が危機感を持って政治経済改革に臨みましたが、こちらも高齢のため短期間のうちに死去xしました。
こうした政治の最高中枢の老害のため、ソ連経済はますます自由主義経済に差をつけられ、ソ連崩壊への足音がひたひたと迫ってきていました。
そんな中登場したのが、真の改革派のゴルバチョフ書記長だったのです。
ゴルバチョフは、自国の危機を痛感しており、ソ連市場かつてない大胆な改革を始めます。
ペレストロイカ(改革)とグラスノスチ(情報公開)を2大スローガンとして、彼は徐々に言論の自由を認め始めます。
また、各地のソ連共産党支部の官僚的な体制を解体し、無能で単なる権力へのイエスマンでしかなかった共産党幹部を次々と要職から解任していきます。
そして、ソ連史上初めて国民の選挙で国家の最高指導者を選出する制度を確立し、ゴルバチョフは初代大統領になりました。
しかし、この言論の自由化は、彼の立場をも徐々に危うくしていきました。
各地で国民のソ連共産党独裁体制に対する不満が噴出していくことになります。
更に、チェルノブイリ原子力発電所の大爆発事故や、黒海周辺での大地震でソ連時代に建設された集合住宅だけが壊滅的に倒壊し、帝政ロシア時代の古い建物が無事であったことなどもあって、国民の怒りはゴルバチョフに向かうようになりました。
彼は経済改革も断行しようとしますが、これもまた結果的に彼を追い詰めていく要因になりました。
競争原理などの自由主義経済の良いところを取り入れようとしたのですが、その結果急激な物価上昇と一部の悪徳商人による買い占めや市場支配が横行し、競争力のない国営企業は、破綻し始め、給与収入を失う国民が続出します。
激しい物価上昇は、庶民の生活を破壊し、年金生活者を路頭に迷わせることになりました。
こうした自由化の副作用もあり、社会主義体制への回帰を目論む保守派が、1991年に突然ゴルバチョフを拉致し、黒海沿岸のとある場所に幽閉してしまいます。
しかし、首都モスクワでは既にゴルバチョフによって抜擢された改革派のエリツィンが国民的人気を博して実験を掌握しており、保守派が籠城すビルを戦車で砲撃し、投降させます。
ここに、ソ連が再び社会主義国家へ戻る道は消滅し、政治経済の自由化が進められることが決定的になりました。
ゴルバチョフは、自由主義世界から見れば、悪魔のように見えた旧ソ連の体制を終わらせ、東西冷戦を終結させた世界的な功労者ですが、ソ連国内では旧体制の良いところをことごとく破壊してしまった人物として人気がなくなってしまいました。
エリツィンは、そんな彼に代わってソ連の2代目大統領に就任し、ロシア共和国をはじめ、各共和国が独立することを認めます。
私の知り合いにその当時現地で育った人が数人いますが、口々にあのころは生活が非常に大変だったと言っています。
ソ連時代は、国民はみな公務員だったので給料をもらっていましたが、あっという間に物価が数倍以上に跳ね上がり、給料だけでは家族を養えなくなったそうです。
そこで、まだ小中学生ぐらいの年齢の子どもの中にも、家計を支えるために学校へ行く以外の時間はほとんど働きづめになる例が多かったそうで、私の知り合いのうちの一人は、自分には思春期の楽しい思い出が全くないと言っています。
アパートの家賃もうなぎ昇りで、数年間の間に数十回いじょうという驚異的な回数の引っ越しを余儀なくされた国民が都市部を中心にかなりいたそうです。
自由化に伴い、アパートの家主になった人たちが、容赦なく家賃の劇的な値上げを繰り返したからなのだそうです。
こうしてソ連は分裂していったわけですが、社会主義体制下で稼働していた企業や工場はほとんど倒産し、その工業技術が非常に遅れたものが大半だったことが明らかになりました。
これでは、自由主義世界の商品にかなうはずもなかったのです。
但し、軍事技術だけは見るものがあったようで、ソ連は自由主義国より貧しいのに無理して軍備増強に励んでいたこともわかります。
そうした欠点の積み重ねが、ソ連経済を崩壊に追い込んだのでしょう。
言論の自由化、民主意的な選挙制度の導入との相乗効果で、各共和国は独立への道を進んだのでしょう。
現在の中国指導部は、ソ連と同じ国家分裂の道は歩むまいと必死ですが、民主化と分裂は、たぶん不可分なのでしょう。
No.2
- 回答日時:
政治体制が変わったからです。
ソビエト連邦、正しくはソビエト社会主義共和国連邦は1912年のロシア革命によって帝政から社会主義共和国になったものです。
社会主義共和国とは、現在の中国がまだ維持している政治形態で共産党の一党独裁政治が特徴になります。
民主主義国家と違って、選挙によって代表が選ばれる選挙制はほとんど取られず、共産党の委員会組織が、町・地方・中央などの各単位にあり、最高指導組織は党中央委員会で最高指導者は第一書記長とされていました。最後の第一書記長は有名なゴルバチョフ氏であり、彼の時代にソ連は崩壊しました。
ソビエト連邦で誤解が大きいのはソビエト連邦=ロシアではない、ということです。
ソビエト連邦は連邦という名のとおり、いくつかの国や自治州の集まりで、共産党が支配する共産イデオロギーを共有する国々の連邦、がソビエト連邦(ソ連)であり、建前上は各国に自主権がありました。
また、ポーランドや東ドイツなどいわゆる東欧と呼ばれた諸国は、ソ連には参加していないものの事実上ソ連の属国であり、資本主義国家である西ドイツやフランス・イギリスなどからソ連を守る緩衝地帯として機能していました。これを冷戦構造というのですが、現在でも北朝鮮と韓国の38度線に同様の緩衝地帯があり、北朝鮮と中国の関係は当時の東欧とソ連の関係と酷似しています。
ソ連の中で最大でかつ最初の共産国家がロシア帝政から革命で誕生したロシア・ソビエト連邦共和国(ロシア連邦共和国)になります。帝政時代のロシア国はヨーロッパからシベリアまでの大きな国土とその中に自治州などをもっていたため「ロシア国」という1国でありながら、すでに連邦制でありました、つまりソ連は連邦国家、その中のロシア連邦共和国も連邦国家であったのです。ソ連にはロシア連邦共和国のほか、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国やカザフ・ソビエト社会主義共和国など15の国家が連邦に参加していました。
このソ連は189年のベルリンの壁崩壊によって、終焉が始まりました。まず東欧と呼ばれた各国家がソ連の指導から事実上解放されたのです。
この事態を受けてソ連は、共産党一党独裁から民主的な政治体制に移行する改革(ペレストロイカ)を模索し始め、当時のソ連第一書記長であったゴルバチョフは、情報公開(グラスノスチ)などを進めると共に、共産党一党独裁を改め共和制大統領に就任します。
そして、ソ連内の各共産国も共和制などに変革できるよう新しい連邦制度を準備したのですが、これが守旧派のクーデター(8月クーデター)で新しい制度に移行することができなくなってしまいます。
これによってソビエト連邦は連邦制を維持できなくなり、ソ連は消滅します。ロシアはこの時点で共産主義から共和制への手続きを取っていましたので、(ソ連大統領ではない)初代ロシア大統領のエリツィンがクーデターに対抗し、後処理をしてロシアを共和国へと変えて生きます。
またエリツィンはゴルバチョフ以上の改革急進派だったため、ロシア共和国を掌握後、ロシア共産党の活動禁止とソ連邦のうち有力であるウクライナ・ベラルーシの指導者と会談し、この3カ国のソ連邦脱退と新しい連邦制度である「独立国家共同体(CIS)への加盟を決定します。
このCISの発足をうけて、ソビエト連邦は崩壊しゴルバチョフは1991年12月25日にソビエト連邦大統領を辞任する形で、ソ連が終焉します。
さて、ではどの時点でソ連がロシアになったかというと、日本では1991年の12月26日以降ということになります。
当時のニュースではロシアというよりCISという言葉のほうが盛んにつかわれたのですが、ソ連の多くの国が事実上ロシア連邦国家として吸収されたことにより、今ではロシア=ソ連の後継国家とされています。
しかし、日本以外の特に欧米では、ロシアは帝政時代からロシアであり、ソ連と呼ぶのは特別な場合だけでずっとロシアであったといえます。
最近のウクライナ問題についても日本では「ソ連時代からロシア連邦の一部だったウクライナが独立したがっている」という文脈で語られますが、欧米の歴史からすれば、ウクライナはソ連時代も独自の国家であり、常に西欧に親しみを抱いていたいた経緯があるため、ソ連崩壊後からすぐにEUに参加したい意志をもっており、EUも歴史上ずっと独立国(自前の意識をもつ国家)として扱ってきたのです。
ですから、欧米にしてみればロシア=帝政ロシア・ソ連の中の最大国家であるロシア連邦であり、ソ連=ロシア連邦やウクライナなどを含む共産主義国家の集まりとしての認識のほうが強かったといえます。
このあたりの経緯を知らないと、日本語や英語でロシアの検索をしたときに、記載されている内容にズレが生じてしまいます。
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