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ロシアの歴史に詳しい方にお願いします。
ソビエト連邦が崩壊に至った本当の理由を教えてください。
よろしくお願いします。

A 回答 (7件)

もう少し具体的に書いてみるか



石油ショックに伴う原油高のころ、ソ連の原油算出は好調であり相当額の外貨を稼ぐことができていた
その外貨を使ってソ連は不足する食料を輸入したり東欧諸国への援助を行っていた

が、ソ連の体質として新しいものは作れるけど日頃のメンテナンスに関しては手を抜きがちであることなどから原油の産出設備の老朽化に伴う産油量の低下と石油ショックの反動から来た原油安(価格が半分以下に暴落)により外貨収入が激減した

その結果、輸入食料が十分に確保できなくなり食料需給が逼迫していった
産油量の減少に伴い、社会主義諸国へ格安で供給していた原油を満足に供給できなくなり東欧諸国の経済も変調を来し始めた

更に、当時のレーガン大統領の制作SDI構想に対抗するためにソ連側も軍備増強に資源や資金を回す必要が生まれてますます市民経済の混乱が増して行った

その結果として、ソ連単独で他の社会主義諸国を支えることができなくなり
東欧諸国のソ連離れを留めることができなくなった

その流れは東欧諸国だけではなく、ソ連を構成する連邦内共和国にも波及していったんだね

君がなにかの陰謀論の材料などを求めているのか知らないが
特にそういうネタを揃えなくても歴史的な資料を集めれば答えは出てくると思うけど・・・
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
陰謀論の材料は考えてませんが、やっぱり経済が関係してるようですね。

お礼日時:2023/01/05 20:36

>ソビエト連邦が崩壊に至った本当の理由を教えてください。



破産。
ソ連および衛星国の経済を、ソ連本体を中心にして維持してきたが、ルーブルにソ連が主張する程の価値はなくなっていた。一説には対ドルレートは公定と実勢で3倍の差があったと言われている。

ソ連はそれを必至に支えた。衛星国は自国通貨を同じ手法で支えたが、ロシアからの返済返済は、ルーブルを実勢レートで確保して返したらしい。
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国策で行う共産主義経済が自由経済主義に経済発展の競争に


負けたのです。
共産主義は貧富の差が無い平等の社会なので給料は能力に応じた
制度でなく皆、同じ給料です、昼間からウオッカを飲んで働かない
労働者が沢山生まれてのです。


北朝鮮や中華人民共和国をみれば、お判りになる様に
政治体制は王族に代って共産党になっただけなのです。
統制・監視された生活では、息が詰まりますよね。
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米国に負けたのが本当の理由です。




1,そもそも社会主義という制度が 
 経済発展には適さない制度だったのです。

2,それで、ソ連の経済が苦しくなり
 そこを、米国のレーガン政権が
 軍拡競争を仕掛けました。

 米国の軍事費を拡大したのです。
 ソ連も拡大せざるを得ません。
 やがて経済力の劣るソ連が限界に来ます。


3,そこへゴルバチョフが登場して
 このままではダメだ、ということで
 社会主義を緩め、自由を認め、資本主義に近づいた政策
 を採るようにしました。
 
 これが崩壊のきっかけになったのです。
 社会主義で締め付けていて、それで、かろうじて保って
 いた社会だったのに、
 それを緩めて自由にしたので、あっと言う間に
 崩壊した訳です。

 具体的にはゴルバの政策に反対する派が
 クーデターを起こそうとしたのですが、国民の支持が得られず
 不発に終わり、改革急進派のエリツィンが
 政権を握るに至りました。

 其の後を継いだのがプーチンさんです。
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この回答へのお礼

わかりやすい解説ありがとうございます。
ペレストロイカとグラスノスチに政策の舵を切ったことが、やはり大きなきっかけのようですね。

お礼日時:2023/01/03 09:09

歴史に本当の理由などは存在しないです。

 嘘の理由、偽の理由、裏の理由、表面的な理由も、ないです。 理由というものがないのです。
ガンで死んだ、交通事故で死んだ、金銭的事情で学校を中退した、性格の不一致で離婚した、圧倒的戦力差で負けた、など、「理由をつけて」いるように見えるフレーズは作れるのですが、同じ状況になっても、同じ結果が生じるケースはむしろ少ないです。 その理由付けで自分が納得できた気分になって、ストレスフリーになったり、次の課題に取り組めるのであれば、理由付けの効果はでるのでしょうが、そんな理由付けなどせずにありのままで事態の把握/理解をした方がイイです。

ローマが発展した理由、ローマが衰退した理由、ゲルマン諸国が起きた理由、絶対王制が出来た理由、植民地獲得帝国主義がはびこった理由、市民革命や共産革命が起きた理由、江戸幕府が長く続いた理由、幕府が倒れて明治政府が富国強兵西洋文明取り入れに奔走した理由、アメリカが独立した理由、第二次大戦後植民地が独立し欧州で共同体が出来た理由など、「理由」は自分の中での理解の簡易化でしかないです。

ソビエト連邦の瓦解の前に、国の成立、王制から臨時政府、ロシア社会主義ソビエト共和国、そして連邦の成立、 国って何だというところから、、、
ロマンス諸国、ゲルマン諸国、民族と国、民族国家、


> ソビエト連邦が崩壊に至った

自分の関心の方向、関心の焦点?で理解するのが、比較的簡単で都合が良いです。 
もしも、経済社会情勢と政治動向という視点を持っているのであれば、
https://www5.cao.go.jp/keizai3/sekaikeizaiwp/wp- …
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
素晴らしい回答で腑に落ちました。
歴史は調べれば調べるほどわからなくなりますね。

お礼日時:2023/01/03 08:29

宇宙ロケットや弾道ミサイルなどのロケット技術や軍事技術は、最初は米国以上の部分もあって対抗できたが、民生技術など国の経済基盤を成長させることが出来なかった。



国家経済の成長率が劣れば、共産主義思想そのものに疑問符が付く。
疑問符が付くだけなら良かったが、現実に財政難に陥り、資源を持たない東欧衛星国へのへの経済支援も滞り始めた。

そのために東ドイツは、西ドイツに支援を仰ぎ始め、それをソ連も容認せざるを得なくなった。
さらにはソ連自体も、財政立て直しのためには民主化が必要と、書記長に就任したゴルバチェフが大改革を断行し始めたが、急進的過ぎたためか、却って経済が大混乱に陥り、東欧はベルリンの壁破壊で象徴される東西ドイツ融合など民主化が一気に噴出。ソ連自体も崩壊してしまった。

結局のところ、ソ連の経済的不振と崩壊が、ソ連の軍事力維持や同盟諸国への経済支援を不可能にしてしまったことになるが、一般には共産主義型の経済体制がその根本的原因と理解されている。

このソ連型の経済不振は、中国やベトナムといった共産主義国にも波及し、両国の資本主義経済導入を促進させているが、今後は共産主義との兼ね合いで、真の民主化に舵を取り切れるかが問題となっている。また、北朝鮮も三代目の金正恩が資本主義経済導入に積極的な意思を見せているが、核問題等もあって周辺関係諸国から警戒されて協力を得られず、経済不振が継続している。
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本当も何も・・・・・


ソ連式社会主義体制の維持ができなくなったから・・・・

東欧諸国が離れていって東欧諸国との物資交易が成り立たず
食料も工業製品も手に入りにくくなれば不満はたまりますね
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