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努力はなんのためにあるかと訊けば、「うまくなるため」とか「夢を叶えるため」と言う人が多いと思います。
確かに努力しないと成長はないでしょう。夢をかなえるには努力は必要です。
しかし、努力すれば必ずうまくなるとは限らないし、努力したって夢はかなわない方が多いです。
なので、努力の意味はうまくなるためや夢をかなえるためが本質ではない気がします。

僕は努力の真の意味とは「かっこよくなるため」だと思います。
逆上がりができない子が練習して逆上がりができるようになるとその子はカッコいいと誰でも思うでしょう。
上手くなろうとして夢に向かって頑張っている人はみんなキラキラしています。
たとえ上手くなれなくても夢をかなえられなくても努力してきた人はそれだけで輝いて見えます。
誰でもどんな人でも努力すれば絶対今よりもかっこいい自分になれます。

「今の自分にかっこよくなるため」が努力の真の意味だと思います。


こんな僕の考え方について皆さんはどう思いますか?
皆さんならば、努力は何のためかと訊かれたらどう答えるでしょうか?

A 回答 (11件中1~10件)

容易にできないことをできるようにするのには、それなりの試行錯誤や、鍛練が必要です。

ただ、そういう行為の末できるようになったり、あるいは研究とか社会貢献などで何かを世の中に提供できればそれはその人だから達成できたということによる感謝の意があるでしょう。その過程がどうだろうというのは、「他人ができなかったこと、あるいは簡単になしえないことを頑張った末に成功した」からであって、「努力」というのはその結果をなし得るのに必要な経費だとかんがえるからです。逆に言えば、超天才が努力なしで何事にも成功したというのであれば、それはそれで「その人ゆえの頭脳をもってしてなしえた」のだから尊敬されるのであってどちらも本質的には変わりはないです。


「努力」という行為自体が評価されるのは、あくまで教育論的場面の話です。結局超天才とはいってもすぐになんでもできるようになるはずもなく、さらに超天才や超人が簡単にできる範囲の話であればさらにその上の難題、課題というものがついて回るので、その先に行くためには骨身を削る部分が必要になるのです。要するに、誰しもがそういう「努力する」という課程を経て栄光つかむわけで、その過程に対してある程度抵抗なくこなせる人間が将来成功するわけです。言っちゃ悪いが、勉強や仕事ができない人間とできる人間の生活習慣っていうのは間違いなく傾向があって、ダメな方ってのはたいてい怠け癖があったり、メリハリがないとかすぐにギブアップするとかそういうのが多いのは間違いありません。(むろん例外あり。)そういう意味でも、努力をするということがたとえ、自分のカッコよさを磨くのだろうがなんだろうが、教育的には評価されるわけです。

小さいころならば、「夢をかなえる」というのはあくまで努力とか根性でもいいでしょうが、年が上がるにつれて「努力」や「目標」というのに計画性や実行性が求められます。つまり、単に努力したことがいいのではなくて現実にできるだけの勝算を考慮に入れた「努力」であってしかるべきということでしょう。
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>努力してきた人はそれだけで輝いて見えます。


これは間違い。

>誰でもどんな人でも努力すれば
これは間違い。

>「今の自分にかっこよくなるため」が努力の真の意味
まっすぐの誠実のまなこを通せるのならこれは素晴らしい。
ほぼ不可能でしょう。不可能と言っているわけではない。
求めたら徹しなさい。
結果が悪かったらといって泣き言を言ってはいけない。
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私は子供の頃に勉強ばかりしていました。

それは勉強だけがクラスで一番になれたからです。それが自分にとって得意なことだからです。勉強する努力に苦痛感はありませんでした。スポーツの練習の方が苦痛でした。

希望の大学に入り、興味のある好きなことだけ勉強しました。大学院を卒業し、興味のあることが仕事にできる会社に入りました。会社でも興味のあることだけを研究開発してきました。多くの特許を取り会社にも貢献してきました。働きながら工学博士にもなり大学でも講義をしていました。幸運にも取締役にもなり、最近リタイヤしました。

スポーツは若い頃に父親に教えてもらったゴルフだけ。趣味は30年ほど続けている陶芸だけです。とにかく自分が得意だと思うことしかやりません。

苦手なことは上手くなれませんでした。だから得意なことだけしてきました。得意なことは熱中してしまうタイプです。同じことを毎日毎日やっているのです。その方が人生が楽だったのです。何のために努力したのかはわかりませんが、得意なことがさらに得意になるのはうれしいことです。努力することが好きだったのだと思います。
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”誰でもどんな人でも努力すれば絶対今よりもかっこいい自分になれます。


     ↑
そんなことはありません。
努力したって結果が出ないことがある、という
ことは自分で指摘しているではないですか。

努力したって格好良くなるとは限りません。
努力して、怪我して格好悪くなる場合だって
あります。
努力しても格好が良くならない場合は、もっと
格好悪いです。

だから、質問者さんの言葉を借りれば、
格好良くなるため、というのは努力の本質では
無いと思います。



”皆さんならば、努力は何のためかと訊かれたらどう答えるでしょうか? ”
      ↑
1,他に方法が無いから。
 才能も無い、運も、親の七光りも期待出来ない。
 そんな人間が並以上の存在になるためには
 努力の他、方法が無い。

2,努力する、それ自体が尊いと考えるから。
 質問者さんも指摘していますね。
 努力しているひとは光っています。
 それは努力しているからです。
 格好が良くなる云々は結果に過ぎません。
 努力するという行為そのものが格好良いからです。
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生物とは、環境におけるエントロピー増大(カオスな方向に


向かう)が淘汰として機能し、そのエントロピー増大に抗して、
新陳代謝によって存続する反応系として発生:進化する
ものです。
つまり生きる事は、環境(エントロピー増大=惰性)への反力
=反エントロピーであり、努力そのものなのです。
より大きく「反エントロピー」である=効率よく、快適に、より
大きく・強く協力し、努力する事、それが生きる事であり、それ
に反する行動や考えは淘汰される事によって、個人の考えに
よらず全体は常にその方向を指向するのです。
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今より出来るようになるため。



昨日の自分より今日、今日の自分より明日
わずかでも成長すると嬉しいですね。

1年あれば続けていけば、全く変わって行くことに楽しさを感じます。
毎日着実に積み重ねることには、裏切られません。

方向性は、大切ですけどね。
闇雲な努力は、ドツボにはまりますから。
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努力してる様でも本人にとっては微塵も努力とは思わないぐらい、楽しく夢中になる人の努力に勝るものはありませんよね。


努力してカッコイイとか、夢を叶えるためとか 形や理屈から入っても それも努力ですが、結果が伴わないとどうしても挫折しがちです。
その点、前者は楽しい訳ですから結果の有無はあまり考えず、自然とその蓄積が身を結ぶ確率は断然高くなるでしょう!
よって努力の形状や意味合いには人それぞれの価値観があり色々あると思いますよ。
自分のためだけの努力の範疇ではカッコイイで済まされる場合もありますが、例えば妻子がいる失業者が努力しても就職が中々決まらない場合はカッコイイという境地どころか窮地に立たされますよね。
よって結果無くしての努力の過程や行為のみをカッコイイというひとくくりでは終わらない場合もあり、努力の主旨や意義を一概に一言では表現できませんよね。
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少しずれるかもしれません。

努力とはできることを丁寧にやることでできないことをやろうと焦ることではないとすれば、大方努力は誤解されていると思います。つまり出来ないことをやろうと焦ることを努力と思っている人が多いように思います。こういう努力はかっこよくないと思う。できることを丁寧にすることが努力ならば、こういう風に生きているのはかっこよいと思う。努力するのはできることを丁寧にするためと言える。
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果たしてそうでしょうか?



格好よくなる為の努力もあるけれど そんなのに関係無い努力もある筈です・・

例えば し尿汲み取りの仕事やゴミ収集車の仕事・・努力しないと出来ない仕事だが格好が良いとは とても言えない・・

努力とは・・・を もっと探求すれば違った事が見えてきますよ
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頑張れたっていう、自信ですかね。


今回は結果が出なくても、やる前より確実に成長できたという確信。
質問者様の「かっこよく」と本質的に同じかも。

あとは、こんなに努力をしたってことは、
自分はこの事が、本当に好きだったんだ、こういう事にやりがいを感じる人間だったんだと
自分がどういうタイプの人間かを知れる、ヒントでもあるかと。
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