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本当の自由とはなんだと思いますか?

矛盾を含んだものだと思いますか?

A 回答 (9件)

”本当の自由とはなんだと思いますか?”


    ↑
やりたいことが出来るのが、本当の自由です。
殺したいから殺す、HしたいからHする、
食べたいから食べる、死にたいから死ぬ。
これが本当の自由です。

しかし、本当の自由では、社会は成り立ちません。
それで、自由には義務が伴う、などという
もっともらしい理屈を編み出して、本当の自由を
制約しようとしているだけです。


”矛盾を含んだものだと思いますか? ”
   ↑
社会と共存させようとするから矛盾を含んで
しまうのです。
社会などに囚われない自由こそ、本当の自由です。
そして、そんな自由を手にしたひとはいまだかつて
存在しませんでした。
絶対権力者がそれに近いですが、彼とて、百%
自由であった訳ではありません。
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真の自由とは、重い責任に裏打ちされたものであると思います。



”お隣さんの自由”とかち合わなっても戦争にならないような、交渉能力を含んだものでもあります。
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鳥の翼が空気との親和性に秀でているなら、人の英知は闇との親和性に優れている。

翼は羽ばたき、英知は輝くからである。

解らないこと(闇)を考える(照らす)ならば、それが英知に生きることであり、この世界の自由であると考えました。
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>本当の自由とはなんだと思いますか?


>矛盾を含んだものだと思いますか?
⇒以下のとおりお答えします。

A.自由と、自由に似て非なるもの
「本当の自由」を享受していると認められるためには、少なくとも遵守すべきことが2つあると思います。
(1)結果を引き受ける:自由の行使の結果は必ず自分が引き受けること。子どもには、ある点で自由がないのは、結果を引き受けないからである。
(2)周りを配慮する:自由の行使に当っては、自分の周りを配慮すべきである。いくら自分の自由だからといって、高速道路でノロノロ走っていたら後続車の迷惑になるし、人ごみの中でぶっ飛ばしたら事故になる。周りを配慮しないのは自由でなく「勝手」というものである。勝手は自由と似たところがあるが、全然違うものである。

B.2種類の自由
一口に自由と言っても、その中味は大きく分けても2つある。
(1)「○○からの自由」:例えば、不当支配からの自由、暴力的拘束からの自由、強制的使役からの自由などなど。日常生活では、例えば、押し売りなど、かなりすれすれの自由への圧迫を感じることもありますね。
(2)「○○への自由」:例えば、学ぶ自由、表現の自由、サークル活動の自由などなど。例えば、「秘密保護法」によって、この自由のある部分が奪われるというような懸念はないのだろうか…。

C.Discendo liberior. 「学ぶことによって、より自由に。」
蛇足ですが、大変意味深いことだと思いますので追加します。ヨーロッパの図書館などに書かれていることがあります。Discendo liberior.「学ぶことによって、より自由に」。我々は、学ばない状態では、偏見・妄念・迷信などによってがんじがらめに拘束されている〔=Bの(1)〕。しかし、我々は学ぶことによって、その桎梏を解き、より自由になれる、ということのようです。

お尋ねの「本当の自由」とは、上の「A(1)(2)両方を満たし、B(1)(2)の両方とも享受できる場合」の自由がそれである、と思います。ただ、Cで見たように、「何もせずには真に自由であり、真なる自由を享受できるとは限らない」とも考える次第です。

以上、(主観的ですが)ご回答まで。
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 こんばんは。




 自由は ひとがそれぞれ人生において世の中においてほぼ絶対的に独りでありしかも意志自由を持っていること このことが互いにひとしいことにより成り立っています。

 それぞれ自由――あるいはむしろ孤独――であることが互いにひとしいゆえに ひとは平等であり対等である。

 そこから 友愛だとか慈悲だとか言われることがあり それにつられて互いに助け合うかどうかは これも 自由意志にまかせられています。


 ということは 
 ★ 本当の自由とはなんだと思いますか?
 ☆ と問うとき 問題は 関係性です。人と人との社会的な関係 これが 自由であるかどうかを決めるものと考えられます。



 結論を先に言うならば:

 相手の人がまだなお不自由であるとき・つまりいくら努力してもその思い通りに仕事も生活もならないとき その相手に足りないところを明らかにして伝えたり 出来ることとしてお手伝いする。これを自分の自由に優先させる。

 このようにしてつねに生きること これが 自由という動態であり過程である。と考えます。

 
 じっさいには出来ないこと――自分にもまた相手にも――があるときには 自分の自由を先立たせます。その過程で またあらたな情況や局面が現われるかも分かりません。


 相手の自由を優先するということ。また そのように振る舞う人間をつくって行くこと。このような人間が多くなること。――これが 人間の成す自由です。
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 一般論としては、矛盾を含んでいるとは思いませんが、「本当の自由」という概念は何を基準に置くかによって異なるでしょう。

あなたが自由だと思っている社会や日本あるいは今の世の中に生きている限り「自由」というのもにはじつは制限が生じています。こうしてあなたが今考えている行為そのものにだって「日本語」とか「思考力」というあなた自身のもつ能力による「自由の制約」があるわけで、私や別のだれかが「自由」に考えているそれと同じかどうかはわかりません。

 また、一般的な社会でいう自由意思とか自己責任ということがいわれるわけですが、人間の自由意思というのもは思っているほど自由(=自己決定権がある)ではありません。社会やあなた自身が生まれ育った環境による価値観によって意思決定というのはゆがめられているのです。宗教団体とかがその辺を巧みに操って信者を加入させたり、商品を販売するときにその辺の心理をうまく利用して購入させたりする手段は様々なことろで活用?されています。とはいっても、これらは「本当の自由ない」とする根拠とするのはやや強引な論理展開かなあと思います。それだけ、「自由」の定義は難しく、曖昧かと思います。
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無垢。


はに濁点のかには分からない。決して分からない。
聞かなかったことにしてください。
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人は、認識できないものを、意志する事はできない。


また、短絡的欲求は、延長上に他の欲求と対立して、
充足量の最大化を阻害する。
真の自由とは、環境の深い認識と、自己の長期的分析
によって成る。
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自由は、弾圧や束縛、不自由ではない状態です。

本当というのは、一般に誰かが述べたまたは作った自由に対して、それは正しいと思わず、それに対して自分が理想として求めるものや、自分の行動によって自分の色に染める状況や行動、結果を本当の自由といいます。

これは、個人(もしくは組織団体)の主観の問題であるため、Aさんの主観からみた本当の自由と、BさんがAさんの話を聞いたときの自由に対するBさんの印象とは、異なるものです。
即ち、本当の自由とは、現在の社会なり世界にある自由の価値観に対して自分はこうは思わない、こうあるべきと言う主張が本当の(本来あるべき)自由ですから、矛盾を含むと言うよりは、誰かの想像の箱庭にあるか、またはその箱庭を実際に再現したものとなるでしょう。


尚、世界に一人しか人がいないなら、己の自由は本当の意味で自由ですが、多くの人がいる中での自由は極めて曖昧で脆弱です。たとえば、何かを食べる自由があるとすれば、その何かを守る自由もある。
本当に皆が望み正しい自由というのは、現実には存在しません。かならずどこかしらの自由に対する考え方の違いを持っています。ある組織や人の考える自由を世間で評価させ安定させるには、圧倒的多数がこれこそ自由だと思うか、これは弾圧だとか、圧政だとか考えるか・・・その違いがどのぐらいの割合であるかにより、不自由な部分を飲んでも自由が多いと思わせれば、それが自由の定義となります。

本当の自由と呼ばれるものの多くは、今の自由という概念が、自分または多くの人にとって実際には不自由な状況だと思っているから、出てくる考え方です。ただし、それが果たして自分(またはこれを提唱した組織)以外の人に評価されるかは別の問題です。
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