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冬戦争のとき、フィンランド軍はソ連軍と比べて質・量ともに遥かに劣っていたにもかかわらず連戦連勝して戦車を何台も捕獲したりしていますが、一体どうやって戦車を捕獲したのですか?

A 回答 (5件)

真冬のフィンランドに行って、極北からスノーモービルでロシア国境が見えるところまで行ってきた経験がありますが、多分にもれず軍事にも興味ありました。



フィンランドの戦場は森が多く、その多くは道が一本でしかも舗装されていませんでした。冬戦争のとき、気温は零下40度になったそうですが、とにかくソ連軍は不確かな地図(作戦地図が完成したのが、冬戦争が終わったあとという体たらくです)しかないので、その一本道を進軍するしかありません。

フィンランド兵は地元出身者中心に勝手知ったる森で待ち構え、先頭のトラックと、最後尾のトラックを攻撃して、動けなくさせます。このときできれば野戦炊飯車に数発撃ち込むそうです。

ソ連兵は森に追跡に入っても、スキーで逃げたフィンランド兵を補足できるわけもありません。で、先頭と最後尾のトラックがやられた部隊は、道で立ち往生です。戦車も装甲車も。

夜になると、零下40度になります。もし野戦炊飯車がやられていたら、温かい物を口にすることすらできません。寒空の下で凍傷患者がでると、移動すらできなくなります。なので、装備を捨てて、歩いてソ連兵は退却せざるをえません。

残ったソ連製装備は、雪の作業になれたフィンランド軍が、こわれた車両はさっさと修理して、こわれていない車両はさっさとエンジンを起動させて、もっていってしまう、というオチです。
戦車も、装甲車も、マキシム機銃4丁つんだ対空トラックも、もっていき放題です。

ヘルシンキの軍事博物館に、ソ連軍のフィールド・キッチンがありました。200人分のスープが作れるそうです。ただし、釜の部分に穴があいていなければ、ですね。

フィンランド軍の作った陣地にやってくるように、デタラメな標識をたてたり、極めつけはロシア語ができるフィンランド兵がソ連軍の服を着て、ウソの道を教えたりしたそうです。
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この回答へのお礼

おお、まさか現地まで行った人がいたとは・・・


しかし一本道+森+マイナス40℃って・・w
攻めるロシア兵の方が可哀想ですね。

お礼日時:2014/11/07 03:42

これを教訓(戦訓?)に自衛隊ではスキー訓練に力を入れています。



雪国育ちなので、子供の頃や最近の帰省の時に訓練風景を見ました。
スキー技術は確かなもので、上級者はジャンプ台下のスロープを
つま先しか止めて居ないスキーで上手に滑走します。テレマークと云う
リレハンメル冬季五輪の開会式の光景と同じ滑り方です。
隊員の話では、冬季訓練は常にスキーなので誰もが上手になるとの
事です。

スキーブームも去り関さんとしたゲレンデで訓練している部隊を
見ましたが、完全な保護色です。
まっ白いゲレンデに分隊が立ち止まっていても、200~300m離れると、
斜め上から見下ろしてもそれほど目立ちません。林に入ると、広葉樹林
でも、黒色の露出部分(銃と顔と靴だけ)は木の幹や枝と同化して識別し
にくくなります。針葉樹林では見つけ出すのがかなり困難です。

背中に背負った装備の他に4人程度で1台の橇を引いていますので
徒歩だけの歩兵と比べてより多くの装備を運べるそうです。

移動速度は徒歩より早く、足場の悪い雪上では徒歩の2倍以上の
速さだそうです。

他の回答にもある様に、フィンランドでは、拠点間を繋ぐ一本道があり
その周辺は広大な森です。安全圏で待ち伏せし、攻撃離脱し、閉じ込められ
混乱した敵を再び攻撃する方法で戦果を上げたようです。

基本的には、
フィンランド軍に対する過小評価、
ソビエト軍の自信過剰、
フィンランドの道路事情と雪による厳しい条件、
フィンランド兵の戦意の高さ、
ソビエト兵士の戦意の低さ、等
によるソビエトの必然的な敗北です。

再侵攻時には、ソビエトは部隊を編成し直して対応しています。

「モロトフカクテル」昔良く聞いた言葉ですが、出典が冬戦争だとは
全く知りませんでした。
戦意の無いソビエト兵に対するモロトフ(ソビエト指導者)からの
ありがた~い熱い贈り物と云う皮肉だったんですね。
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この回答へのお礼

自衛隊もスキー訓練をしていたとは知りませんでした。頼もしいですね。

お礼日時:2014/11/10 03:28

冬戦争でフィンランドは300両以上の戦車、装甲車両、その他の装甲された車を


捕獲したとされています。

次の対ソビエト戦の時にはT-37/T-38 (42両), T-26 (34 両) そして Vickers
(25 両)からなる戦車部隊を準備しています。
http://www.soviet-empire.com/ussr/viewtopic.php? …

これから推測するに、捕獲車両300両以上の内少なくとも42+26=68両は戦車です
(捕獲したものが全て使える訳ではないので)。

どう捕獲したのかと云うと、敗れたソビエト軍が放棄したものが多いようです。
Porlammi motti (Vyborgの南東)ではソビエトライフル部隊3ディビジョンが
降伏し55両の戦車が捕獲されています。Ladoga湖の戦いでは第168ライフル部隊が
退却し戦車8両を放置しています。これを合わせれば63両で、単純に68両の殆どです。

フィンランド軍の対戦車装備は貧弱で、開戦時には対戦車砲が100門強で、フィンランド
軍は色々と工夫しなければ成りませんでした。最も効果的だったのは火炎瓶で、
「モロトフのカクテル」と云う呼び名が生まれたのはこの時です。
火炎瓶は常備兵器として量産されました。
火炎瓶で撃破された戦車は捕獲・再利用とはならない訳です。

ソビエト軍の問題点は、戦車と歩兵と航空機の協動が原則でしたが、北の密林と
厳しい寒さと道路の悪さで、スキーと寒中装備が無く動きの遅い歩兵の集団から
戦車が離れる事が往々にして起きたようです。離れた戦車は火炎瓶の餌食に成った
ようです。攻撃したフィンランド兵はスキーで早逃げです。保護色の白色の軍服に
包まれて。
又フィンランド歩兵は退却時に地雷を敷設して行き、これがソビエト歩兵に極度の
緊張をもたらしたとされています。歩兵の遅れが戦車の孤立となるわけです。

まとめると、初期の戦闘で投降や敗走したソビエト軍が放置した戦車が捕獲された
と云う事の様です。
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この回答へのお礼

>最も効果的だったのは火炎瓶で、「モロトフのカクテル」と云う呼び名が生まれたのはこの時です。

火炎瓶が効果的だったとは意外です。
モトロフカクテルってロシア人のモトロフさんがつくったカクテルかなと思っていたのですが、フィンランド人がつくったものだったんですか。

スキーって戦争でも使うんですね。

お礼日時:2014/11/07 03:36

当時の戦車は50cmの段差を越えられなかったですから


深さ50cmの落とし穴を作れば動けなくなりますから、簡単に鹵獲できました
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この回答へのお礼

そうだったんですか(゜Д゜;)

お礼日時:2014/11/07 03:29

マンネルヘイム元帥率いるフィンランド軍が根性でソ連の戦車を捕獲した。

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