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諸行無常とされるこの世界の中で、ありとあらゆるものが変わってゆくこの世界の中にあって永遠に変わらないものとは何か。
真の意味において変わることのないもの、永遠不変なものは存在するのか。
もし究極的な意味において永遠不変なものがあるとするなら、それは宇宙の法則を除いて他には有り得まい。
そのように考える以外ないのである。
そのように考える以外ないということは、そのことを信じようとするのではなく、またそのことを願うわけでもなく、ただただそのように考える以外ほかにないということである。
そして永遠不変なものは確かに存在し、それは宇宙の法則であり、宇宙の法則を除いて他には有り得ないのであれば、宇宙の法則が神であると結論する以外ない。
更にこの永遠不変なる宇宙の法則が万物の根源であることを知れば、神は万物の根源、宇宙の法則であるアルケーを除いて他には存在し得ないことも分かるのである。
万物の根源、宇宙の法則、アルケーの神を除いて如何なる神も存在しない。
これにて何も問題はあるまい。
 
 

A 回答 (16件中1~10件)

愛です。


これに噴飯覚えるものが居るということは承知しています。
その者は未だ学ばずにいるという人のなのです。そのものが呼ぶ。それもそれ。
人を殺してはいけない。人を傷つけてはいけない。
賢さから成るのです。いかほどの人が理解できるでしょうか。
強制はしません。しかし嫌でも人を害してはいけない。
分からなくてもその人の為なのです。
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「頑迷」さ。

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>電磁気学においては無限遠点によってゼロ電位を定義しています。



自然界には無限円点が無いから、電位がゼロになることは無い、というのが物理学の教え。
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確かに宇宙の根源的法則は不変です。

ただし、この宇宙が存在している上での話です。
すでに宇宙物理学者などはこの宇宙以外の宇宙がこの宇宙と同じ法則が通用しているのか、或いは別の法則があるのかという問題に取り組んでいます。
つまり、他の宇宙においても同じ法則が成り立ったとしても、それはあくまでもその宇宙の法則とこの宇宙の法則が同じ定理であったというだけで“同じ”であるとは限らないのです。

次にこの宇宙の法則がドコまで不変であるかについても現在のところ不明です。変わるという確証も替わらないという確証も無い。ただ、私達は不変の法則が存在するだろうと仮定しているだけです。

第三にその宇宙の根源である法則がなんであるか、未だ見出してはいない。
なんら具体性も無い根源をカオスと呼ぼうが、コスモスと呼ぼうが、アルケーと名づけようが、エホバと名づけようが自由ではありますが、本質は全て同じものをさしているのだと思う。でもいずれも何も具体性の無い概念でしかないのです。それはまるでブラックホールを説明しているのにその周辺の現象を説明しているのと同じ。やれ「X線が放出している」だの、やれ「後ろを通った惑星が歪んだからそこにあるんだ」だのと同じことです。
まだまだ根源そのものを見ているわけではないです。

それに比べると、科学や多くの宗教が根源を点として捉えているのに対し、仏教では悟りによって宇宙そのものになると考えている。つまり根源の法則に逆らうでもなく意図するでもなく、法則その者を受け入れる存在となり一体化すると説いているから、いい悪いではなく理想的現実だといえます。
神道に至っては根源の法則に限定せず、今の宇宙の現象をありのままに受け入れるだけですから、より現実的です。
両者共に、ある意味では探求を放棄しているとも言えますけど、そもそも根源を見つけたからと言って何が変わるのでしょうか?ほんの100年ソコソコの生命サイクルにおいて、大した影響も無いでしょう。
そんな事に躍起になるのなら、今の現実、今の瞬間を感謝すれば、それ自体根源に触れているといえるわけです。
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時間認識知性としての考えではそれは「今」という瞬間だ。


永遠という時に中で今だけが絶対なのだ。
君達は過去が絶対だと思っているからクルクルパーなんだよ。
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この回答へのお礼

 
>永遠という時に中で今だけが絶対なのだ。

永遠の時間の中で今現在という時間は特別なものではないんだよ。
全ての時間が今現在なんだよ。
そんなことも理解できない君はやはりただの変態だったね。
 

お礼日時:2014/11/11 23:24

相対主義と絶対主義みたいですね。



不変というわけでないですけど、芸術などは古くても価値は時を越えるものもありますし、流行品は次の時期にはすたれてますね。

自然犯もかわりにくいものでしょうか?


自然の真理はそうでしょうか。
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この回答へのお礼

 
>不変というわけでないですけど、芸術などは古くても価値は時を越えるものもありますし、流行品は次の時期にはすたれてますね。

わたしはよく思います。
なぜベートーベンの音楽を超える音楽は未だに現れないのかと。
なぜミケランジェロやレオナルドダビンチの絵を超える芸術作品は生まれないのかと。
もしかすると音楽や絵画など芸術の世界には進歩発展というものはないのではないかと考えたりもします。
 

お礼日時:2014/11/11 22:39

>つまり真の数学とは物理数学のことなんだよね。



物理数学? そんなものは無い。

物理は自然界を相手にする学問。
数学は自然界を相手にしない学問。

なんら共通項はありません。


自然界(形而下)を相手にしない数学において形而上で無限集合が定義できるからと言って、物理的な(形而下の)世界に無限が存在しないことが理解できない人間は物理と数学の違いが理解できない。
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この回答へのお礼

 
>物理数学? そんなものは無い。


物理数学はあります。
自然界(形而下)を探求すればするほど「宇宙の法則は数学的である」、「数学は宇宙の法則を表す言葉である」ってゆー言葉の意味が分かるよーになります。

例えばこんな話があります。
かつてマクスウェルは自ら導きだしたマクスウェル方程式が真空中にあっては波動方程式に生まれ変わることに気付いた。マクスウェルはこれを基に電磁波の存在を予想したが、その電磁波はヘルツの実験によって物理的に存在することが証明されたのである。
これなどは「宇宙の法則は数学的である」ことを示す一つの例です。


>自然界(形而下)を相手にしない数学において形而上で無限集合が定義できるからと言って、物理的な(形而下の)世界に無限が存在しないことが理解できない人間は物理と数学の違いが理解できない。

電磁気学においては無限遠点によってゼロ電位を定義しています。
無限は単なる形而上の概念ではなく、自然界に存在します。
 

 

お礼日時:2014/11/11 17:43

無(=不確定性無限)の潜在的な認識可能性の変移


(時間的流れ=記憶=過去)において、相対的に無の
闇は光の風(感受表面における量子相互作用)となり、
その向うに空間的広がりを予測する事において、自我
仮説(記憶=過去=超光速)と空間仮説(予測=未来=
光速下)は相補分化していると言える。

つまり現在から過去と未来は対発生し、それを時系列
化する事で、「過去から未来への時間の流れ」は感じ
られているのであり、「現在から過去と未来は対発生」
しているならば、“永遠”に意味はない(それは先入的
な絶対時空を想定している)。
ちょうど、「宇宙は半径138億光年だ」としても有限な
大きさかというと、その138億光年彼方のビッグバン
当時の姿は、光速で遠ざかっているので、絶対に到達
できない=無限であるとも言えるのと同じ。
「永遠=不変=完全=絶対」といったものを排除した
ところに宇宙(無だと分からない事が有)は生じている。
「永遠に変わることのないものとは何か」の回答画像9
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アルケーの神イコール宇宙の法則イコール数学、と言っているように思いますが、そう受け止めてよいでしょうか。


アルケーとは人の道のさんにとっては数学だったんですね。

果たして数学は心をどう表現するのでしょう。
物理的世界が全てで、それを宇宙と言うならば数学はアルケーだったかと思うけど、それでは心を棄ててしまう事になり、それは“数学”が関わる事が出来ない事を意味している様です。

精神は時空間を“超えて”いるんじゃあなかったのではないですか?
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 永遠に変わることのないものとは、宇宙の存在そのもの、と言いたい。



 その宇宙に於いて千変万化する現象は、法則といえる規則性?があり、それを数学としてあらわせる部分もある、と受け止めるのが正しいと思います。

 数学が宇宙、ですか?
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この回答へのお礼

 
>永遠に変わることのないものとは、宇宙の存在そのもの、と言いたい。
 
宇宙なくして宇宙の法則は有り得るのか。
また宇宙の法則なくして宇宙は存在できるのか。
いずれも否である。
宇宙なくして宇宙の法則は有り得ず、また宇宙の法則なくして宇宙は存在できない。
何故なら宇宙と宇宙の法則は一体であり、これを分離することは無意味だからである。
 

お礼日時:2014/11/11 01:02

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