グッドデザイン賞を受賞したウォーターサーバー >>

日本に今のようなガラスっぽい鏡が伝わったのは、いつごろなんでしょうか。

また、今のような鏡がない時代は、どうやって、髪をセットしたり、化粧をしたり、してたんでしょうか。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (8件)

「ガラスっぽい鏡」とありますが、鏡というのはガラス製品です。


ガラスの裏に銀を塗布したものが基本です。
古い物の中には水銀を塗布したものもあります。

日本にガラス製の鏡が紹介されたのは、キリスト教を伝えたザビエルが持ってきた物が初めてとされています。

今のようなガラスの鏡がなかった時代には金属の表面を磨き上げて顔などを写してしました。
現在の姿見のような大きなものはありませんでした。
一般には、明治時代になってガラス製のものが普及するまで使われ続けました。
神棚などの中央に乗っている丸い金属の板はこの鏡の模型です。

金属を使う前は水を使っていただろうとされています。
池の淵に立って自分の姿が写るのを知ってから水たまりや大きな容器に水を入れたものなどに写していたのだろうとされています。
お化粧や髪のセットには難しいでしょう。
お互いに相手に化粧を施したり、髪をセットしていたのでしょう。
出来上がりの確認には使えたでしょう。

詳しくは下記のサイトをご覧下さい

はじめに「鏡の歴史」
w-wallet.com/kagami.html

東京都鏡商工業協同組合-ガラス鏡の歴史-
www.mirror.or.jp/data/history2.html

ガラス鏡の歴史は歪みのない板ガラスの製造技術の歴史だと思ってもいいでしょう。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

詳しい説明ありがとうございます。
質問の仕方が悪かったのですが、こうした回答を望んでおりました。

しかし、金属製の鏡とは、どの程度、姿をしっかりと映すことができるのでしょうか。

現在、100円金一などで金属製の薄い鏡を扱ったますが、その程度の映す力はあったのでしょうか。

お礼日時:2014/11/24 11:51

No.4です


わざわざお礼を記入頂きありがとうございます
お礼の中に金属製の鏡はどの程度写ったのかというご質問がありました。
100円ショップの鏡がどの程度かは生憎知見がありません。(スミマセン)
金属を磨いた場合についてはyou tubeで以下の動画をご覧下さい。
青銅鏡を復元した際の動画です。

古代青銅鏡は魔鏡
投稿者SankeiNews
魔鏡の話はべつとしまして、磨き上がられた銅鏡がどの程度写るのかがよくわかります。
さすがに現在のガラス製に比べると像が歪むのと輪郭がややぼやけますが、実用上は充分に役にたっていたでしょう。
ステンレスの流し台などよりはましな感じです。
すぐに錆が出て曇ったでしょう。
手入れは大変だったと思います。

江戸時代に関しては以下のようなサイトがあります。

江戸散策 第17回 クリナップ
cleanup.jp/life/edo/17.shtml
抜粋
 『鏡研ぎ』は、曇った鏡をぴかぴかに磨いて町を回った。現在の鏡は、ガラスに銀メッキしてさらに加工が施され保護されていて長期間の使用に耐えられるが、当時の鏡は青銅の上に水銀をメッキしたに過ぎず、しばらくするとすぐ曇ってしまった。鏡研ぎは、表面を砥石で研ぎ直し、水銀、みょうばん、ざくろや梅の酸などを塗って磨きあげた。簡易的な水銀メッキをしたのである。

水銀をメッキしていたとはいえ、どの程度写っていたかは、何分にも写真がない時代ですので浮世絵で勘弁して下さい
you tubeの動画です。

600 More Japanese Prints (Ukiyo-e, 浮世絵)
投稿者:WORLDTRIPS
鏡に映った顔などを描いた絵があります
所用時間13:56の動画です
11:33 豊国作 浮世五色合
12:14 歌麿筆 風流子宝合
12:25 歌麿筆  
12:35 歌麿筆 
13:17 歌麿作 12:25と同じ絵です
絵が替わる速度が非常に早いので注意して下さい。
画面直下の時間経過のインジケーターをクリックして時間を合わせて画像を停止してご覧下さい。

いかに浮世絵とは言え、ろくに写りもしないものを日常的に使ってはいなかったでしょうし、絵師も絵には描かなかったでしょう。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

再び、詳しく、適切な回答をしていただき、ありがとうございます。

紹介してくださった動画を見てみましたが、思っていたよりもはるかに
しっかりと映っているようでした。
化粧ののりとか肌のキメとかまではわからないかもしれませんが、自分の容姿レベルが
わからないというようなレベルではないと思いました。

浮世絵でもしっかりと映った感じでかいてありましたね。

勉強になりました。

ありがとうございました。

お礼日時:2014/11/27 18:29

日本人は猿真似以上に、技術革新も得意でした。


江戸中期には、多様な国産ガラス製品が産出、普及されました。
金魚養殖が盛んになると、金魚鉢もよく売れたようです。
手鏡程度の物なら、中流の町民も所持していました。
古代の神獣鏡などは中国から送られた物ですが、それを真似た鋳物が「ぼう(にんべんに方)製鏡」で、弥生時代の遺跡から発掘されています。
最高の物は白銅製で「真澄の鏡」とも言われます。
銅鏡といわれるものも、多くは白銅製でした。アカガネ(銅)では、写りがよく有りません。
やや身分の高い人は、付き人に化粧も着替えも、髪梳きも任せていました。
親子や姉妹で整え合ったりもしたようです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。

白銅というと、今の百円玉や50円玉のような素材なんですね。

あれでは、ろくに姿を映すことはできないし、化粧や髪のセットをすることについても、今の人の感覚だと「不可能」でしょうね。

古代、中世の人は、自分のルックスがどのレベルなのかも自分では判断できてなかったのかもしれませんね。

お礼日時:2014/11/24 12:02

要するに鏡の歴史ということなのでしょうね。


いつごろから使われ、それがどんな材質などであったかの。
水鏡とはおもしろいですね。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ありがとうございます。

質問の仕方が悪かったのですが、水鏡、金属鏡の話は知っておりました。

しかし、水や金属の鏡で、化粧や髪のセットができるのかと不思議に思って質問した次第です。

お礼日時:2014/11/24 11:57

江戸時代の鏡ですが、金属をみがいたものが、一般に普及していました。

ただし、ガラス製よりは写りがよくないです。が、鏡屋がいたるところにあり、都会ではみがいてくれたりしたので、床屋、花街などではとくに不自由しなかったようです。
鏡磨きという職人が存在して、道具をもって街中をながしていました。当然、床屋とか花街なとにはたくさんいます。ガラスではないですが、そんなに鏡に不自由はしていなかったようです。

ガラスの鏡は戦国時代に南蛮人が伝えてきました。
当時の欧米、とくにヴェネチアのような先進国では、板ガラスがあたりまえの存在で、その裏から銀をぬった鏡は、ポピュラーな品物だったといいます。

銀を塗る技術が確立していなかった時代では、板ガラスを裏から黒で塗りつぶします。それで表から見ると、ほぼ鏡として普通につかえるんです。

金属をみがいた鏡は、古代から存在して、呪術などで使われました。鏡に映る姿に、様々な解釈を加えたわけです。でも、普通に身だしなみにも使ったようで、ローマ帝国の遺跡から、よく出るといいます。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

詳しい説明、ありがとうございます。
勉強になりました。

板ガラスを裏から黒で塗りつぶせば、それなりに映せそうですね。

金属の鏡とは、どの程度、映す力があったのでしょうか。

インターネットで昔の金属の鏡を検索しても、全く何も映らないような物ばかりヒットするのですが。
http://www.ywkagaminosekai.com/kagami/k-rekisi.h …

お礼日時:2014/11/24 11:55

 鏡の無い時代は無かったのが正解です。



 鏡は銅鏡を磨いていた時代からありましたし、鏡を作る技術が無かった時代は水鏡という方法がありました。つまり、器に水を入れて、水面の反射を利用して自分の姿を映し出す方法で、洗面器に自分の顔が映るのと同じ理屈です。

 銅鏡を使っていたのは有力者だけで、大部分の女性は水鏡の時代が長く続いていたと思われます。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2014/11/24 11:43

たいがいの人は水鏡でした、


それ以外だと、銅製の円盤を磨き上げた鏡面ですが
これは高いものでした。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2014/11/24 11:42

鏡はかなり前からありました…


何せ卑弥呼の時代には既に伝わってましたから

この時代の鏡もちゃんと今のように姿が映る鏡でしたよ


鏡が無い時代は縄文ぐらいですから
その頃の人類が身だしなみを気にしていたのでしょうか?
    • good
    • 0
この回答へのお礼

卑弥呼が鏡を使っていたことは知っていますが、金属製の鏡だったと聞いています。

どの程度、映るものなのかわからなかったので、質問させていただきました。


百円金一で、薄い金属製の鏡(アルミ製?)を扱ってますが、古代、中世の鏡でも
あの程度の移す力はあったのでしょうか。

お礼日時:2014/11/21 15:40

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q戦国時代の人々の名前について

司馬遼太郎の国盗り物語を読んだのですが、すこし感覚が掴めなかったので質問させてください。

戦国時代の人々の一般的な名前はどういったものなのでしょうか。
たとえば武将でいえば武田信玄、織田信長、明智光秀の呼び名は有名ですが、これらの名前って現代の人たちが理解しやすいように略した名前ですよね。
武田信玄は徳栄軒信玄
織田信長は織田上総介信長
明智光秀は明智十兵衛光秀
といった感じで、苗字+名前の形式ではなく、ミドルネーム?みたいなものはどういう規則であるのですか?
ある人は御屋形、ある人は信玄公、ある人は信玄様とさまざまな呼び名で統一されなかったのには意味があったのでしょうか。

ある身分の人ならば織田様と呼び、ある身分の人は、弾正忠様と呼び、ある身分の人は信長様と呼んで良いなんていう規則もあったのでしょうか?

また農民とかならば、個人を特定するような名前自体存在しなかったのでしょうか。
小説で読んだ中では志乃とかお清とか名前はみかけたので、名前がないということはあるでしょうが、人々の命名規則等は存在したのでしょうか。
(苗字は名乗ってはいけないとか、こういう名前を使ってはいけないとか言う規則はあると考えています)
(また、将軍の姓を使った織田とかは名乗れなかったと思います)

苗字を名乗れるのは、どういう身分の人たちなのでしょうか。
小説の中で山崎屋とか商人の人々には名前があったと思うのですが、村里の人々での苗字はみかけませんでしたし。

質問がわかりづらいかも知れませんが、
1.身分によって相手を呼ぶときの名前に対し厳しい制約は存在していたのか。
2.庶民(農民、商人等)の人々の名前についてどういう命名規則があったのか。
(農民は名前のみ、商人は苗字(店の名前)のみ、武士は苗字+名前を名乗ることができたなど。)
3.また、命名規則があればどのような名前が多かったのでしょうか。
(農家の男なら五平、六平。女なら志乃、清など)
の3つ教えてください。
よろしくお願いします。

司馬遼太郎の国盗り物語を読んだのですが、すこし感覚が掴めなかったので質問させてください。

戦国時代の人々の一般的な名前はどういったものなのでしょうか。
たとえば武将でいえば武田信玄、織田信長、明智光秀の呼び名は有名ですが、これらの名前って現代の人たちが理解しやすいように略した名前ですよね。
武田信玄は徳栄軒信玄
織田信長は織田上総介信長
明智光秀は明智十兵衛光秀
といった感じで、苗字+名前の形式ではなく、ミドルネーム?みたいなものはどういう規則であるのですか?
ある人は...続きを読む

Aベストアンサー

質問1については、先の回答者さんが答えておられるので、2と3について・・・

時代は少し古くなるのですが、建武の新政が行われた1334年に、若狭の国・太良荘(たらのそう)で、地頭の交代を請求した一揆の起請文には、惣村に属する農民・59名の署名が書かれています。

それを例にあげますと・・・
この一揆のリーダーだったと思われる僧実円・僧禅勝といった僧の名の付く人が6名、大山貞重・中原吉安・物部宗弘といった姓と実名のある人が6名、この内3名は花押も持っていて、グループの中では上層の身分の人たち、名主クラスです。

次に中大夫・平大夫・五郎大夫など大夫が付く人が10名・・・中介・江介・三郎介など介の付く人が6名、「大夫」や「介」は古代の令制の官位の呼び方ですが、すでにこの時代には農民が、一定の年齢に達した時、幼名から改名する際に使用していたようです。

新検校・惣別当・安寿など名の付く人が3名・・・「検校」や「別当」「安寿」などは、ご存知のように本来、寺院や荘園・官庁の役職名ですが、やはりこの時代ではすでに農民のレベルでも名乗っています。

次に、かい丸・牛丸と「丸」の付く人が2名・・・「丸」は本来、幼名に使用する文字ですが、牛飼いなどの運搬業に携わる人は、成人しても使用していたそうです。

平細工・孫太郎細工と「細工」と付く人が2名・・・彼らは手工業の職人だったと思われます。

残り24名は、この時代の農民の一般的な名前と言える物・・・藤内・源内・中江・孫太郎・孫二郎・彦二郎・平二郎・藤二郎・弥二郎・中三郎・惣四郎・孫五郎など、この中の「彦」や「孫」や「弥」は全国的に使用されている最も一般的な文字です。
「平」「源」「藤」「中」は貴族の姓を名前に取り入れています。
その後につく二郎や三郎というのは、お察しの通り、大抵は出生順の「○郎」と付けたようです。
彼らは、小百姓層の人たちです。

以上、先にも書かせていただいたように、これらの名前はすべて、中世の惣村の農民の名前・・・一揆の起請文の署名です。
女性の名がないのは、一揆の場合の署名は、一家の家長が代表して行う事が多かったためだと思われます。

長々と書いてしまいましたが、少しは参考になりますでしょうか?

質問1については、先の回答者さんが答えておられるので、2と3について・・・

時代は少し古くなるのですが、建武の新政が行われた1334年に、若狭の国・太良荘(たらのそう)で、地頭の交代を請求した一揆の起請文には、惣村に属する農民・59名の署名が書かれています。

それを例にあげますと・・・
この一揆のリーダーだったと思われる僧実円・僧禅勝といった僧の名の付く人が6名、大山貞重・中原吉安・物部宗弘といった姓と実名のある人が6名、この内3名は花押も持っていて、グループの中では上層の身分...続きを読む

Q夜着に使っていた白い着物の名称

時代劇の大奥のシーンなどで、夜寝る時に着ている白い着物は、着物なのでしょうか、長襦袢なのでしょうか、それとも夜着とした全く別ものなのでしょうか?
以前から気に入っていたのですが、その着物の名称も分からず、調べようも無いまま今まで来てしまいました。
知っている方がいらしたら、是非教えてください。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

>>時代劇の大奥のシーンなどで、夜寝る時に着ている白い着物は、着物なのでしょうか、長襦袢なのでしょうか、それとも夜着とした全く別ものなのでしょうか?

普通に「寝巻き」で良いのですよ。
また、「寝衣(しんい)」とも呼びます。

なお、良く菱形のような白い透けた柄がありますが、
「工事繋ぎ(こうじつなぎ)」や「紗綾形(さやがた)」多く用いられました。

紗綾形:
http://haruusagi.gozaru.jp/NewFiles/photoshop-pattern.html

Q紅を「さす」について

口紅をつける事を紅をさすといいますが、
この紅をさすの、さすは漢字を当てるならどの漢字が適当なのでしょうか?
知っている方いたら教えてください。

Aベストアンサー

「差す」では?

「光が差す」、「赤みが差す」などと同じなのではないかと思います。

Q日曜って銀行振り込みできますか?

 土日祝日って銀行振り込みできますか?
 あとやっぱり平日でも振込みができるのって5時までですか?

Aベストアンサー

 他の方が答えているとおり、普通の銀行は送金手続きは出来るけど、着金は翌営業日(月曜)と言うのが普通です。平日の午後3時以降の扱いも同じで、送金手続きは出来るけど、着金は翌営業日。

 ジャパンネットバンクは、ジャパンネットバンクに口座を持つ同士。郵便局は、郵便局に口座を持つ同士の振り込みは、土日祭日に付いても平日と同じく、振り込みと着金が即日に実施されます。

Qもし現代人が江戸時代で1ヶ月生活するとしたら、何で困るでしょうか?

空想の話で恐縮です。

時代小説を読んでいて時々思うのですが、もし今の日本人がタイムマシンか何かで数百年前の江戸時代に戻り、そこで1ヶ月ほど当時の一般庶民の家に滞在するとしたら、何で困ると思われますか? あるいは何も困る事はないでしょうか?

例えば食事。 衛生状態は今ほど清潔ではなかったはず。 もしかして最初の食事で腹痛や下痢をおこし、ギブアップになるでしょうか? それとか味付け。 現代人の口に合うでしょうか? 我慢しないで1ヶ月食べ続ける事に何も問題ないでしょうか? それとか、今のように肉食はそんなにしなかったはず。 せいぜい鳥や兎の肉くらいでしょうか? あと、お酒もそうですね。 現代人に飲めますか?

匂い。 どうでしょうか? 当時の家の中や、町全体、一体どんな匂いがしていたでしょうか? そして1ヶ月間、現代人に耐えられるでしょうか?

風呂。 現代人が躊躇なく当時の銭湯に入れますか? 当時は毎日入っていたんでしょうか?

トイレ。 現代人に当時のトイレで大・小できるでしょうか? 特に女性の場合。

人によって感じ方が違うと思いますが、上に挙げた以外で 「1ヶ月滞在するとしたら、おそらく大多数の現代人にはこれが苦痛だろう、あるいは無理だろう」 と考えられるのは、どんなものでしょうか?

空想の話で恐縮です。

時代小説を読んでいて時々思うのですが、もし今の日本人がタイムマシンか何かで数百年前の江戸時代に戻り、そこで1ヶ月ほど当時の一般庶民の家に滞在するとしたら、何で困ると思われますか? あるいは何も困る事はないでしょうか?

例えば食事。 衛生状態は今ほど清潔ではなかったはず。 もしかして最初の食事で腹痛や下痢をおこし、ギブアップになるでしょうか? それとか味付け。 現代人の口に合うでしょうか? 我慢しないで1ヶ月食べ続ける事に何も問題ないでしょうか? ...続きを読む

Aベストアンサー

 下級武士のご新造さんの一日(朝のみ)。
(1)最初にご新造が起床、用便を済ませます。汲み取り便所だから臭いですね。蛆が湧いています。ハエが便所に限らず、そこいらじゅうブンブン飛び回っています。しゃがんでウンコ・オシッコするのはきついですぞ。
(2)次に井戸端で洗顔します。釣る瓶で水をくみ上げて、その水で洗顔、大体は外の吹きさらしですから、これからの季節は寒いですぞ。
(3)朝食の準備にかかります。井戸端で味噌汁の実にする大根を洗い、米を研ぎます。台所の水がめに水を張ります。ブリキのバケツではなく、木の桶で運びますから重たい。道具は何でも重たくて大変。飯炊きの釜や薬缶もアルミ製のものはありません。みんな鉄か瀬戸物です。
(4)カマドに火を着けます。火打ち石でやります。なかなか火が着かず難しいです。火吹き竹で空気を送り込んでやっと景気よく燃え出しました。飯を炊きます。一人当たり三匹の目刺をあぶります。
(5)雨戸を開けます。障子はみな紙です。ガラスではありませんので、吹き降りの日だと雨戸を閉めないといけません。昼間でも暗いです。
(6)家族そろって朝食。
(7)食器などを洗います。油の着いた食器を洗うのは大変です。ママレモンはありませんのでギトギトがなかなか取れません。水道の水でジャージャーやるわけのもいきません。
(8)井戸端で盥で洗濯します。これも大変です。

・・・女性は大変でしょう。田舎の明治生まれの女は、以上のようなことをやっていました。江戸時代とそんなに変わりません。電気(裸電球)とマッチだけが江戸時代よりマシなだけです。

>「1ヶ月滞在するとしたら、おそらく大多数の現代人にはこれが苦痛だろう、あるいは無理だろう」 と考えられるのは、どんなものでしょうか?
・・・夏場の暑いときに一ヶ月滞在すれば、参るでしょう。
・網戸がないので蚊に食われる。
・ハエがブンブン飛び回る。食卓の食べ物にハエがたかる。
・冷房や扇風機がないので暑い。雨の日は雨戸を閉めるのでこれも暑い。
・便所が臭く、人の体も臭い。
 夏場でいいことは、行水などで女性の裸を見る機会が多いことくらいかな。

 下級武士のご新造さんの一日(朝のみ)。
(1)最初にご新造が起床、用便を済ませます。汲み取り便所だから臭いですね。蛆が湧いています。ハエが便所に限らず、そこいらじゅうブンブン飛び回っています。しゃがんでウンコ・オシッコするのはきついですぞ。
(2)次に井戸端で洗顔します。釣る瓶で水をくみ上げて、その水で洗顔、大体は外の吹きさらしですから、これからの季節は寒いですぞ。
(3)朝食の準備にかかります。井戸端で味噌汁の実にする大根を洗い、米を研ぎます。台所の水がめに水を張ります。ブリキ...続きを読む

Q戦国時代の服装

戦国時代~安土桃山時代の服飾に触れている資料を探しています。武士だけでなく、女性、庶民や僧侶などまで網羅しているものはないでしょうか

Aベストアンサー

やっぱり、このサイトじゃないでしょうか・・・
有名なので、もうご存知かも知れませんが・・・

http://www.iz2.or.jp/fukushoku/f_disp.php?page_no=0000100

Q室町時代の鏡って?

室町時代の「手鏡」とはどのようなものなのですか?
検索しましたが、調べ方がヘタなのか、なかなか出てきません;

画像の資料を探しています!(画像が無ければ文字で説明していただいても全くかまいません!)

よろしくおねがいします。

Aベストアンサー

http://www.mirror.or.jp/data/history1.html

上記に、小さな手鏡がのっています。室町期のものと思われます。

Q拘らず・関わらず??

すみません。以前から気になっていたので正しい答えを教えていただけないでしょうか。

「かかわらず」という言葉の漢字変換なのですが,
例えば

 雨が降ったにも「かかわらず」,彼は傘を差さずにやってきた。

というような文の場合,正しいのは「関わらず」「拘らず」どちらでしょうか。

国語辞典で調べてみたのですが,よく分からなくて(+_+)
すみませんがよろしくお願いします。

Aベストアンサー

「物書き」のひとりです。

まず、重要なことですが、「関・係・拘」のすべてが常用漢字ではありますが、その音訓表に「かか(わる)」がないことです。常用漢字は、「こうしなくてはいけない」といった性格のもではありませんが、一応、すべての文章を書き表す場合の指針ではあります。音訓表に無いものの代表的なもの(よく使われるもの)として「全(すべ)て」「画(えが)く」「〇〇に依(よ)れば/拠(よ)れば」などが思いつきます。

本件の「関・係・拘」に関して言えば、「係」に「かか」の読みが認められているのみです。それも「かかわる」でなく「かかる」です。「人命に係(かか)る問題」「係(かか)り結び」など。前者は、「人命にかかわる問題」のように表記されることもありますが、この場合(常用漢字の基準では)「係わる」でなく「かかわる」です。

結論としては、「それにもかかわらず」などにおける「かかわらず」は仮名書きが無難でしょう。漢字の場合は「拘わらず」が正しいといえます。ただし、パソコンでは「関わらず」と変換されることが多いようですネ。

漢字の場合、「関係」という言葉があるように、「関わる」と「係わる」の用法はほとんど区別がつきません。一般的に言えることは、「関わる」「係わる」は肯定的にも否定的(「関わらない」「係わらない」)にも使いますが、「拘わらず」は、肯定的に用いられる例が少ない、ということです。

ただし、肯定的な「拘わる」が誤りだと言っているのではありません。念のため。

「物書き」のひとりです。

まず、重要なことですが、「関・係・拘」のすべてが常用漢字ではありますが、その音訓表に「かか(わる)」がないことです。常用漢字は、「こうしなくてはいけない」といった性格のもではありませんが、一応、すべての文章を書き表す場合の指針ではあります。音訓表に無いものの代表的なもの(よく使われるもの)として「全(すべ)て」「画(えが)く」「〇〇に依(よ)れば/拠(よ)れば」などが思いつきます。

本件の「関・係・拘」に関して言えば、「係」に「かか」の読みが認められてい...続きを読む

Q創価学会って実際、なんですか?(長文です)

婚約した途端、彼に家族全員創価学会だと告げられました。

隠されていた事がかなりショックでしたし、私は創価学会についてよく知りません。
でも、結婚するなら入信するよう、彼の家族は言っています。

私がショックで、彼が脱会してくれなければ、結婚をやめるというと、しょうがないね、と言われました。
彼は熱心な学会員ではないらしいのに、です。

私の家族は浄土真宗(一応)ですが、彼が創価学会ということについても何も反対していません。

ただ、友人知人が、もし私が入会するなら、私とはもうつき合えない、と言います。人に聞いてみても、創価学会に対して良い感情を持つ人はいないようです。

私自身、学会には色々矛盾を感じています。
でも、彼にそこを聞いても、世間の間違った思い込みだと言われます。

私は仏教には関心があるのですが、創価学会も仏教なんですよね?
それなのに、私には学会員が何を信仰して、何を目的としているのか
さっぱりわかりません。
学会員に聞いても、よくわかっていないようなのですが…
しかも仏教の教えについて批判さえしています。

それでは、創価学会とは一体なんなのでしょう?

そして、どうして非学会員のほとんどが学会を毛嫌いするのでしょう?

学会の方、非学会の方、両方の意見が聞きたいです…

婚約した途端、彼に家族全員創価学会だと告げられました。

隠されていた事がかなりショックでしたし、私は創価学会についてよく知りません。
でも、結婚するなら入信するよう、彼の家族は言っています。

私がショックで、彼が脱会してくれなければ、結婚をやめるというと、しょうがないね、と言われました。
彼は熱心な学会員ではないらしいのに、です。

私の家族は浄土真宗(一応)ですが、彼が創価学会ということについても何も反対していません。

ただ、友人知人が、もし私が入会するなら、私と...続きを読む

Aベストアンサー

困りましたね・・・
現在私は学会員ではありませんし、過去会員だったこともありません。そもそもが宗教自体に頼ろうとは思っていないので、将来も恐らく入信しようと思うことはないでしょう。
ただ、過去自分が担当していた仕事上のお付き合いから、中央のかなりの地位の方々や地方組織の然るべき方、また一般の会員の方々に至るまで、様々なお立場の方々を存じ上げておりましたので、投稿させていただきました。
仕事でしたので、かなり冷静に見つめてきたつもりです。
長くなりそうですが、お付き合いください。

創価学会は日蓮正宗各寺の信徒団体(各寺檀家の、寺をまたいだ横のつながり)だったものが、異様に大きく膨れたものです。本来の教義についてはNo.5様のおっしゃるとおり、オウムのような悪い考えではありません。どちらかというと、むしろ世界の平和を求めている宗教です(と、彼らは言っています)。
歴史的にはそもそも「日蓮」自体が排他的だったそうですし、「日蓮正宗(大石寺)」は「日蓮宗(身延山)」と袂を分かち日蓮の教えを正しく受け継いだはずですが、本来、日蓮正宗寺院の檀家であった創価学会は本山(大石寺)のご僧侶とも袂を分かち、もう10年位前に破門になっています(学会の仕切る葬儀には僧侶がいません)。
つまり、本来の日蓮正宗からも離れ、特定の個人崇拝になって、ますます排他的・独善的になっているということです。

私は仕事上のお付き合いでしたので、部外者の目で内部のことを見聞きする機会がとても多くありました。守秘義務がありますので、ここでその一つひとつを例示するわけには参りませんが、特定の個人とその周辺を中心にした組織の仕組みには、私個人としては首肯できないものがありました。No1様のおっしゃる「巨悪」が真実かどうかは存じませんが、さもありなんと思うところがあるのは確かです。

逆に、日常生活レベルではいいこともあります。
毎日朝晩、正座して背筋を伸ばして腹から声を出してお題目(南無妙法蓮華経)を唱えれば、冬場に風邪を引きにくくなる程度のご利益はあるのではないでしょうか。まぁこれは冗談です。
学会では地域の会員達の集まり(各地の「会館」で行われるものと、もう少し狭い範囲の「地域の世話役」の自宅で行われるものとがあります)が頻繁に行われます。
組織も年齢、性別や職業(学生・主婦含む)で複合的になっていますので、複数の会合に出席することもあるようです。
昨今隣近所のお付き合いも減り、また、2世代3世代が一緒に暮らす大家族ではなくなりましたので、年寄りの知恵の伝承もなされず、例えば子育てをするヤングミセスにも苦労が多いと聞きますが、学会の地域での会合に出ることにより、フラストレーションが解消される、例えば子育ての先輩の知恵が伝承される、困った時に助け合える、何よりも同じ価値観を持つ仲間がいるなど、町内会やご近所付き合い的な効果により、彼らはとても明るい生活を送っています。

学会員は、それぞれ「仕事」と「家庭」の他に、地域社会でも熱中できる対象を持っているわけですから、それはそれで幸せなんだろうな、ちょっとうらやましい人生かもしれないな、などとふと思うことがあります。

これを、「だまされている」というのは簡単です。でも、これが宗教なのです。
創価学会に限らず宗教は皆そうなのですが、信じない人から見れば全く理解できません。価値の尺度が異なるので、私たちの判断基準と合わないのです。
インチの物差し(学会)とセンチメートルの物差し(一般)ではゼロ以外に一致する個所はありません。
偶然2本の定規の線がそろう所もあります。そこが一般社会との窓口です。
ですが、ゼロからの長さは同じでもインチとセンチですから、お互いに相手の尺度で測らなければ、やっぱり何だかよくわからないのです。
お香典を全部持っていってしまうのも、インチの世界に入って見れば、地元組織として一種の互助会的に対応していると言い換えることも出来ます。

一般に毛嫌いされるのは、「あなたのため」と、学会の考えを強要するように感じさせるからです。実は彼ら一般会員は善意なのですが、センチの領域に入ってこようとしないからです。
これは最初に書いた日蓮自体の排他的な歴史の流れと、第二次大戦中の弾圧への反動もありますが、昭和40年代ごろの全国的に行われた強引な折伏(これにより大きな組織になった)が、「学会は・・・」という評価を定着させてしまったことが大きいでしょう。

試しにインチの世界に入って見れば(1~2ヶ月一緒に活動して見れば)ひょっとすると何か分かるかもしれません。
ただ、No1様ご指摘のような、裏と表までは見分けられないでしょうが・・・
いやなら戻ってこられるうちに戻ってくればいいのですが、おそらくその時は彼とはお別れしなければなりません。きっと「金縛り」から逃れる時のように、思い切った動きが必要でしょうから・・・。みんな良い人たちだし、結構楽しいし、このままでいいやと思えば、あなたには新しい世界が開ける代わりに、今のお友達とは縁遠くなる可能性があります。

今の状態のままで結婚なさっても、ご両親が熱心な学会員であればいつかは入信することになるか、さもなければ価値観の相違に耐えられなくなるかのいずれかのような気がします。

困りましたね・・・
現在私は学会員ではありませんし、過去会員だったこともありません。そもそもが宗教自体に頼ろうとは思っていないので、将来も恐らく入信しようと思うことはないでしょう。
ただ、過去自分が担当していた仕事上のお付き合いから、中央のかなりの地位の方々や地方組織の然るべき方、また一般の会員の方々に至るまで、様々なお立場の方々を存じ上げておりましたので、投稿させていただきました。
仕事でしたので、かなり冷静に見つめてきたつもりです。
長くなりそうですが、お付き合いくだ...続きを読む

Q天皇の側室について

平成天皇、昭和天皇、大正天皇、明治天皇、、、、の中にも側室(二号さん)の子どもであった人が複数いると某雑誌に書かれていましたが、それは誰でしょうか。

 その場合、その側室である女性はどういう人だったのでしょうか。側室の人も公表されて系統図に残るのでしょうか。

Aベストアンサー

今上天皇
皇后・正田美智子…父:日清製粉社長 正田英三郎
側室なし

昭和天皇
皇后・良子女王(香淳皇后)【今上天皇の生母】…父:久邇宮 邦彦王
側室なし

大正天皇
皇后・九条節子(貞明皇后)【昭和天皇の生母】…父:従一位大勲位公爵 九条道孝
側室なし

明治天皇
皇后・一条美子(昭憲皇太后)…父:左大臣従一位 一条忠香
側室 権典侍・葉室光子…父:権大納言 葉室長順
    典侍・橋本夏子…父:橋本實麗
    権典侍・柳原愛子【大正天皇の生母】…父:権大納言 柳原愛光
    権典侍?・園祥子…父:園基祥

孝明天皇
女御・九条夙子(英照皇太后)…父:従一位関白 九条尚忠
側室 典侍・中山慶子【明治天皇の生母】…父:従一位権大納言 中山忠能
    典侍・坊城伸子
    典侍・藤原(堀川)紀子

仁孝天皇
贈皇后・新皇嘉門院 藤原繁子…父:関白 鷹司政熙
女御・新朔平門院 藤原祺子…父:関白 鷹司政熙、義父:関白太政大臣従一位 鷹司政通
女院・新待賢門院 藤原雅子【孝明天皇の生母】…父:正親町実光
側室 権典侍・観行院 藤原経子《和宮 親子内親王の生母》…父:橋本実久
    典侍・藤原研子…父:甘露寺国長

光格天皇
中宮・新清和院 欣子内親王…父:後桃園天皇
女院・東京極院 藤原婧子【仁孝天皇の生母】…父:勧修寺経逸
側室 内侍:菅原(東坊城)和子
    藤中納言局 藤原(葉室)頼子
    菖蒲小路局 藤原(姉小路)聡子
    小侍従局 藤原(富小路)明子

とりあえずちょっと遡って、正妃(皇后およびそれに準じた立場の人)と子供を生んだ側室を列挙してみました。

明治天皇の側室は、典侍、権典侍という身分のある「女官」です。
御所や皇居内に局や部屋をもらい、天皇の身の回りの世話(という仕事)をしていたと思われます。
天皇の子を妊娠した女性は、実家に帰って出産することが多かったようですが(お産は「穢れ」とされていたので、宮中で出産することはできなかったようです)、その後は、また「女官」として生涯宮仕えであり、天皇の子は、実際に自分が産んでも自分の子ではない-ということで、自分の子供にも「仕える」という形だったようです。

私も蛇足ながら…。
#2さんがお答えのように、今の天皇陛下(時々、名前を使って明仁天皇-という表記をされることもありますが)のことは、「今上天皇」、「今上陛下」というのが正しいですね。
明治以降の慣習からすれば、将来、「平成天皇」と言われるのでしょうか、51代の「平城天皇(へいぜいてんのう)」と紛らわしいような気がするので、本当に「平成天皇」になるのかなぁ-と思っています。

今上天皇
皇后・正田美智子…父:日清製粉社長 正田英三郎
側室なし

昭和天皇
皇后・良子女王(香淳皇后)【今上天皇の生母】…父:久邇宮 邦彦王
側室なし

大正天皇
皇后・九条節子(貞明皇后)【昭和天皇の生母】…父:従一位大勲位公爵 九条道孝
側室なし

明治天皇
皇后・一条美子(昭憲皇太后)…父:左大臣従一位 一条忠香
側室 権典侍・葉室光子…父:権大納言 葉室長順
    典侍・橋本夏子…父:橋本實麗
    権典侍・柳原愛子【大正天皇の生母】…父:権大納言 柳原愛光
 ...続きを読む


人気Q&Aランキング