
No.4ベストアンサー
- 回答日時:
「ガラスっぽい鏡」とありますが、鏡というのはガラス製品です。
ガラスの裏に銀を塗布したものが基本です。
古い物の中には水銀を塗布したものもあります。
日本にガラス製の鏡が紹介されたのは、キリスト教を伝えたザビエルが持ってきた物が初めてとされています。
今のようなガラスの鏡がなかった時代には金属の表面を磨き上げて顔などを写してしました。
現在の姿見のような大きなものはありませんでした。
一般には、明治時代になってガラス製のものが普及するまで使われ続けました。
神棚などの中央に乗っている丸い金属の板はこの鏡の模型です。
金属を使う前は水を使っていただろうとされています。
池の淵に立って自分の姿が写るのを知ってから水たまりや大きな容器に水を入れたものなどに写していたのだろうとされています。
お化粧や髪のセットには難しいでしょう。
お互いに相手に化粧を施したり、髪をセットしていたのでしょう。
出来上がりの確認には使えたでしょう。
詳しくは下記のサイトをご覧下さい
はじめに「鏡の歴史」
w-wallet.com/kagami.html
東京都鏡商工業協同組合-ガラス鏡の歴史-
www.mirror.or.jp/data/history2.html
ガラス鏡の歴史は歪みのない板ガラスの製造技術の歴史だと思ってもいいでしょう。
詳しい説明ありがとうございます。
質問の仕方が悪かったのですが、こうした回答を望んでおりました。
しかし、金属製の鏡とは、どの程度、姿をしっかりと映すことができるのでしょうか。
現在、100円金一などで金属製の薄い鏡を扱ったますが、その程度の映す力はあったのでしょうか。
No.8
- 回答日時:
No.4です
わざわざお礼を記入頂きありがとうございます
お礼の中に金属製の鏡はどの程度写ったのかというご質問がありました。
100円ショップの鏡がどの程度かは生憎知見がありません。(スミマセン)
金属を磨いた場合についてはyou tubeで以下の動画をご覧下さい。
青銅鏡を復元した際の動画です。
古代青銅鏡は魔鏡
投稿者SankeiNews
魔鏡の話はべつとしまして、磨き上がられた銅鏡がどの程度写るのかがよくわかります。
さすがに現在のガラス製に比べると像が歪むのと輪郭がややぼやけますが、実用上は充分に役にたっていたでしょう。
ステンレスの流し台などよりはましな感じです。
すぐに錆が出て曇ったでしょう。
手入れは大変だったと思います。
江戸時代に関しては以下のようなサイトがあります。
江戸散策 第17回 クリナップ
cleanup.jp/life/edo/17.shtml
抜粋
『鏡研ぎ』は、曇った鏡をぴかぴかに磨いて町を回った。現在の鏡は、ガラスに銀メッキしてさらに加工が施され保護されていて長期間の使用に耐えられるが、当時の鏡は青銅の上に水銀をメッキしたに過ぎず、しばらくするとすぐ曇ってしまった。鏡研ぎは、表面を砥石で研ぎ直し、水銀、みょうばん、ざくろや梅の酸などを塗って磨きあげた。簡易的な水銀メッキをしたのである。
水銀をメッキしていたとはいえ、どの程度写っていたかは、何分にも写真がない時代ですので浮世絵で勘弁して下さい
you tubeの動画です。
600 More Japanese Prints (Ukiyo-e, 浮世絵)
投稿者:WORLDTRIPS
鏡に映った顔などを描いた絵があります
所用時間13:56の動画です
11:33 豊国作 浮世五色合
12:14 歌麿筆 風流子宝合
12:25 歌麿筆
12:35 歌麿筆
13:17 歌麿作 12:25と同じ絵です
絵が替わる速度が非常に早いので注意して下さい。
画面直下の時間経過のインジケーターをクリックして時間を合わせて画像を停止してご覧下さい。
いかに浮世絵とは言え、ろくに写りもしないものを日常的に使ってはいなかったでしょうし、絵師も絵には描かなかったでしょう。
再び、詳しく、適切な回答をしていただき、ありがとうございます。
紹介してくださった動画を見てみましたが、思っていたよりもはるかに
しっかりと映っているようでした。
化粧ののりとか肌のキメとかまではわからないかもしれませんが、自分の容姿レベルが
わからないというようなレベルではないと思いました。
浮世絵でもしっかりと映った感じでかいてありましたね。
勉強になりました。
ありがとうございました。
No.7
- 回答日時:
日本人は猿真似以上に、技術革新も得意でした。
江戸中期には、多様な国産ガラス製品が産出、普及されました。
金魚養殖が盛んになると、金魚鉢もよく売れたようです。
手鏡程度の物なら、中流の町民も所持していました。
古代の神獣鏡などは中国から送られた物ですが、それを真似た鋳物が「ぼう(にんべんに方)製鏡」で、弥生時代の遺跡から発掘されています。
最高の物は白銅製で「真澄の鏡」とも言われます。
銅鏡といわれるものも、多くは白銅製でした。アカガネ(銅)では、写りがよく有りません。
やや身分の高い人は、付き人に化粧も着替えも、髪梳きも任せていました。
親子や姉妹で整え合ったりもしたようです。
ありがとうございます。
白銅というと、今の百円玉や50円玉のような素材なんですね。
あれでは、ろくに姿を映すことはできないし、化粧や髪のセットをすることについても、今の人の感覚だと「不可能」でしょうね。
古代、中世の人は、自分のルックスがどのレベルなのかも自分では判断できてなかったのかもしれませんね。
No.6
- 回答日時:
要するに鏡の歴史ということなのでしょうね。
いつごろから使われ、それがどんな材質などであったかの。
水鏡とはおもしろいですね。
ありがとうございます。
質問の仕方が悪かったのですが、水鏡、金属鏡の話は知っておりました。
しかし、水や金属の鏡で、化粧や髪のセットができるのかと不思議に思って質問した次第です。
No.5
- 回答日時:
江戸時代の鏡ですが、金属をみがいたものが、一般に普及していました。
ただし、ガラス製よりは写りがよくないです。が、鏡屋がいたるところにあり、都会ではみがいてくれたりしたので、床屋、花街などではとくに不自由しなかったようです。鏡磨きという職人が存在して、道具をもって街中をながしていました。当然、床屋とか花街なとにはたくさんいます。ガラスではないですが、そんなに鏡に不自由はしていなかったようです。
ガラスの鏡は戦国時代に南蛮人が伝えてきました。
当時の欧米、とくにヴェネチアのような先進国では、板ガラスがあたりまえの存在で、その裏から銀をぬった鏡は、ポピュラーな品物だったといいます。
銀を塗る技術が確立していなかった時代では、板ガラスを裏から黒で塗りつぶします。それで表から見ると、ほぼ鏡として普通につかえるんです。
金属をみがいた鏡は、古代から存在して、呪術などで使われました。鏡に映る姿に、様々な解釈を加えたわけです。でも、普通に身だしなみにも使ったようで、ローマ帝国の遺跡から、よく出るといいます。
詳しい説明、ありがとうございます。
勉強になりました。
板ガラスを裏から黒で塗りつぶせば、それなりに映せそうですね。
金属の鏡とは、どの程度、映す力があったのでしょうか。
インターネットで昔の金属の鏡を検索しても、全く何も映らないような物ばかりヒットするのですが。
http://www.ywkagaminosekai.com/kagami/k-rekisi.h …
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