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No.8ベストアンサー
- 回答日時:
討ち入りし易いようにしたというよりは、結果として討ち入りがし易くなった、ということです。
御曲内よりは市中の方が大挙して押し入るには容易です。
屋敷替えは単なる事務処理でしょう
赤穂事件がいろいろ取沙汰されるのは、浅野長矩が「遺恨があった」と言うだけで何に対する遺恨なのかという点が不明なことが原因でしょう。
結果として現代でもこのようなご質問がでてきます
幕府の加担を否定する推定理由
幕府が討ち入りに加担しなくてはならない積極的な理由がありません。
浅野長矩は幕命で切腹させられたのであって吉良義央に殺された訳ではありません。
しかも斬り付けたのは浅野長矩であって吉良義央は被害者です。
切腹を下命した理由はあくまでも殿中抜刀です。
つまり法理論上吉良義央を主君の仇とする根拠がありません。
この辺りの考え方は当時の側用人柳沢吉保の政治顧問であった荻生徂徠が書き残しています
今四十六士、其の主の為に讐を報ずるは、是侍たる者の恥を知る也。己を潔くする道にして其の事は義なりと雖も、其の党に限る事なれば畢竟は私の論也。其の所以のものは、元是長矩、殿中を憚らず其の罪に処せられしを、またぞろ吉良氏を以て仇と為し、公儀の免許もなきに騒動を企てる事、法に於いて許さざる所也。今四十六士の罪を決せしめ、侍の礼を以て切腹に処せらるるものならば、上杉家の願も空しからずして、彼等が忠義を軽せざるの道理、尤も公論と云ふべし。若し私論を以て公論を害せば、此れ以後天下の法は立つべからず
吉良義央は旗本です幕臣即ち徳川家の直臣です。
浅野長矩は外様大名です。
徳川家の家臣で構成された幕府が、同じ徳川家の家臣である吉良を敵視する徳川家に対峙する外様の家臣団に便宜を図る必要性などどこにもありません。
それこそ不忠者ということになります。
幕府というのは合議制に基づいた官僚組織です
浅野長矩の処分は、主君である綱吉が下して老中が合議の上で認めた形となっています。
殿中で抜刀した以上は切腹は当然という裁決です。
以前にも殿中で抜刀して切腹になった人間はいます。
屋敷を本所に移して討ち入りさせ易くするなどという小手先の合意が成り立つとは考えられません。
そんなに討ち入りをさせたいのなら本所などという街の真ん中ではなく入谷でも早稲田でもいくらでも場所はありました。
江戸とはいえ当時は田畑の広がるのどかな農村地帯でした。
だれにも邪魔されません。
万が一火が出ても延焼のおそれがありません。
事件の性格からしても、後日の取り扱いからしても、浅野の家臣団の行為は幕府の裁定に対する異議の申し立てということになります。
当時播州浅野家再興願いが出されています。
再興願いを却下したら討ち入りなどという暴挙にでるという予測はできません。
事前に老中は知っていたという説があるようですが、知っていれば止めるのが当然の判断です。
集団で市中の旗本の屋敷を襲うなどという行動を認めるような幕僚はいないでしょう。
江戸の治安を乱す討ち入りを認めて利益を得る老中などいなかったでしょう。
(陰謀史観の人間がどんな理屈をつけるかは知りません。)
屋敷替えの推定理由
義央は事件後の翌年3月に、高家肝煎職の御役御免願いを自ら提出しています
役を退けば日々登城する必要はありませんから呉服橋門内の御曲内に居住している必要はありません
本所で拝領した屋敷も以前は5000石の旗本松平信望が住んでいた屋敷です
高家とはいえ吉良は4200石です。
無役の旗本の屋敷としては相当な優遇処理です
本所は旗本や御家人が沢山住む武家の町です
津軽家をはじめ大名屋敷もあります。
武家は町奉行や代官の支配は受けません。
治安維持の岡っ引きや奉行所の役人が居ようがが居まいが関係ありません。
所詮彼らは屋敷には入ることは勿論のこと手出しができません。
日本橋の町人が引っ越した訳ではありません。
自分の身は自分で守るのが武家であれば当然のことです。
その本所でも松坂町は両国橋の目と鼻の先です。
本郷や麻布などよりも遥かに大手門に近い場所です。
両国橋の界隈というのは江戸有数の繁華街でした。
とやかく言われるような場所ではありません。
現在でも吉良邸の一部が再現されて区の観光名所となっています。
吉良邸跡 - 墨田区観光協会
visit-sumida.jp/spot/SpotDetail/tabid/60/pdid/478/catid/6/De...
一度足を運ばれればどんな場所かわかります。
12月に入って隠居願いを出して義周に家督を譲りました。
隠居してから本所へ行ったわけではありません。
要は幕府の担当役人には意図も無ければ落ち度もなかったということです。
丁寧なご回答真にありがとうございます。
よく分かりました。すっきりしました。
>義央は事件後の翌年3月に、高家肝煎職の御役御免願いを自ら提出しています
>役を退けば日々登城する必要はありませんから呉服橋門内の御曲内に居住している必要はありません
>本所で拝領した屋敷も以前は5000石の旗本松平信望が住んでいた屋敷です
>高家とはいえ吉良は4200石です。
>無役の旗本の屋敷としては相当な優遇処理です
>本所は旗本や御家人が沢山住む武家の町です。津軽家をはじめ大名屋敷もあります。
なるほど、納得しました。
No.7
- 回答日時:
そもそも刃傷松の廊下の事件の時点から間違ってるんだし 笑
浅野内匠頭は「吉良上野介に遺恨あり!」と言って切りつけてはいないのです
最近の研究じゃ 浅野は欝病で事件の前から奇行が目立っていたそうです
おそらく吉良に切りつけたのもその延長でしょう
だからこそ
「敵討ち」と言って吉良を打った47人は切腹になったのです
そもそも吉良は被害者で 浅野の敵じゃないんだから
ご回答ありがとうございます。
>そもそも吉良は被害者で 浅野の敵じゃないんだから
まさにそのとおり。なるほど、ガッテン!! ガッテン!!
No.6
- 回答日時:
江戸庶民は別として幕府の重臣達には討ち入りを助ける気など無かったと思います。
そのようなことを許したら幕府の威信に係わる問題だからです。幕府重臣は浪人が本気で討ち入りするとは思っていなかったと思います。本気で阻止しようとすれば奉行所役人を要所に配置できたはずです。屋敷替えは吉良の隠居による通常の処置です。吉良も身の安全を本気で考えていたら、自分の子が養子縁組で上杉藩の藩主になっているのですから、米沢の城に隠居すれば良いのに本気で討ち入りがあるとは思っていなかったのでしょう。
No.5
- 回答日時:
少し時計の針を先に進めた場面から始めましょう。
討ち入りの後、浪士たちは身分に分かれていろんな藩に預けられたのですが、彼らは皆な国賓なみの丁寧な扱いを受けたんですね。そして身分が上の者から下の者まで、日本中の藩から「ウチで預かりたい」という声が殺到しました。結局彼らは全員切腹となったのですが、切腹は決して死刑ではありません。武士としては「名誉が守られた」ことになるのでですね。これは現代人の感覚ではちょっと理解しがたい部分でもあります。討ち入った浪士を受け入れることができなかったので、各藩は浪士の弟子やら一族やらを代わりに争って雇い入れたのです。つまり、彼らはスーパーヒーローとして扱われたんですね。なんとなれば、毎年この季節(実際は旧暦ですから太陽暦にすると1月末なんですけど)になるとどこかのテレビ局でほぼ毎年「年末スペシャル時代劇」が放送され、内容はなにひとつ変わらないのに飽きずに日本人は忠臣蔵を見るのです。日本人の琴線に触れまくっているわけですね。
さて、時間軸を討ち入り当日に戻します。当時の江戸というのは、夜中になると木戸が閉められて通行できないようになっていました。どうしても通りたい者は木戸の横の小さい扉から出入りするのですが、その場合は木戸番の許可を貰わないといけませんでしたし、怪しい人物がいたら木戸番は速やかに奉行所に届ける義務がありました。
赤穂浪士たちはこの木戸を「火消である」といって潜り抜けました。実際、大名火消はいたのでそのことそのものは不自然なことではなかったのです。
でもね、でもね、考えてみてくださいよ。「火消」っていいながら、槍を持ってるんですよ。そりゃ大槌はわかりますよ。取り壊すのに必要でしょう。でも、槍は不自然でしょう。鎖帷子を着ていた人もいて、鎖帷子ってのは歩くとチャリチャリ音が出るのです。だから歩く様子から鎖帷子を着ていることに木戸番が気づかないのも不自然ですよね。でも、届出をした木戸番はひとりもいないのです。そして、「なぜ通したんだ」あるいは「なぜ奉行に届けなかったんだ」と問い詰められた木戸番もいなかったのです。
そこから考えると、木戸番に対して「槍を持った火消が通ったら、まあ、うまく取り計らえ」くらいの少なくとも暗黙の了解があったと考えた方が自然です。
また、赤穂浪士が江戸に入ったときは、なんと江戸市民たちが「どうも赤穂浪士が江戸に入ったらしい」と噂していたのですね。しかし、それに対して幕府が岡っ引きなどで取り調べた記録は残っていません。なんとなれば、将軍のお膝元でチャンチャンバラバラをやられるのですから、市中で騒動を起こすのは本来なら未然に防ぐのが幕府と奉行の仕事です。江戸の治安が乱されることには違いないですからね。しかし、赤穂浪士は幕府から身を隠す様子はなかったのです。
もうひとつ。私にはどうしても不自然な話があるのです。
討ち入りが起きると赤穂藩士が隣家に向かって自分たちは赤穂浪士で討ち入りをしている、騒がしくて御免なさない、と声をかけるんですね。それに対して隣家の土屋主税が「どっちにも味方しない」といいながら高張り提灯を掲げ、壁には弓手を配置して「壁を越えてくるやつがあれば容赦なく撃て」と命じているんですね。ドラマや芝居でも必ず出てきますが、これはどうも本当の話のようです。
でね、これ、どう考えても手際が良すぎますよね。夜中に突然ドタバタが始まって、弓矢を用意しろといわれて速やかに弓矢が出てくる。しかも、弓ってのは誰でもできるわけじゃないですから、弓の使い手がなぜかその場に充分揃ってもいたわけです。
ついでにいえば、高張り提灯。ドラマや芝居にもあるように、竹や棒で高く掲げられるようになっています。そんなもんが速やかに出てきたのも変ですよね。しかも「偶然にも」その高さは壁を越えて確認するのにちょうどいい高さでもあったわけです。
どう考えても、弓矢も、弓手も、高張り提灯も、事前に用意しておかないとそんなにスムースに動けません。土屋さんとこは主税さんも家臣も、まるで動揺してないわけですよ。なんと武士の鑑でしょう(すっとぼけ)。
そして「どっちも味方しない」といいながら、この場合で逃げるやつがいるとしたらそりゃ吉良邸の藩士しかいやしません。赤穂浪士は死ぬ覚悟で討ち入っているわけですからね。現実問題としてどっちの味方をしているのか、という話です。
「未必の故意」という言葉があります。状況証拠は、未必の故意だらけですよ、赤穂事件は。もちろん未必の故意ですから、それを証明するものも存在しないのです。これこそが歴史ミステリーの面白さですね。
ご回答ありがとうございます。
状況証拠から見れば幕府が間接的に関与したということですね。
この点に関しては納得しました。
>彼らは皆な国賓なみの丁寧な扱いを受けた
>日本中の藩から「ウチで預かりたい」という声が殺到しました。
疑い深い私は、素直に納得できません。
浪士たちの待遇は各大名家で異なったらしく、
「細川の 水の(水野)流れは清けれど ただ大海(毛利甲斐守)の沖(松平隠岐守)ぞ濁れる」という狂歌が残っています。
浪士たち46人は、即刻4大名家に預けられました。
討ち入りが、幕府の裁定に不満であるという理由なのか、赤穂浪士の高家吉良に対する恨みから出たものか、幕府は見極めるための時間が必要でした。
もし、幕府の裁定に不満であるとの理由で討ち入りしたのであれば、軽々に当家でも預かりたいと申し入れするには相当な覚悟が要るでしょう。
赤穂と吉良の私闘であっても幕法違反です。
「ウチで預かりたい」という声が殺到したという根拠を教えてくださいませんか。
>「火消」っていいながら、槍を持ってるんですよ。
確か、何本かを箱に入れて運んだという証言があったと思います。
高張り提灯も疑問です。
棒と提灯さえあれば、いざというときには棒の先に固定すればよいのでは、と想像しています。
No.3
- 回答日時:
だとすれば、討ち入り後の幕府の処罰はおかしいですし、
むしろ、殿中での刃傷沙汰を起こされたやつも幕府の目の届くところに謹慎しとけ、という意味での吉良の屋敷替えとか、
討ち入り対策で、すぐ主君の浅野の仇をうちにくる大石内蔵助ら家臣の動きも察知しやすいように、と幕府の目の届くところにしたかった、とかのほうが自然でしょう。
幕府は赤穂浅野家のお家断絶もできているのですから、討ち入りさせるまでもなく、やろうと思えばいくらでもつぶせる権限があるのですから。
ご回答ありがとうございます。
「幕府は赤穂浅野家のお家断絶もできているのですから、討ち入りさせるまでもなく、やろうと思えばいくらでもつぶせる権限がある。」ということですね。なるほど。
No.2
- 回答日時:
結果論で、本当に討ち入りが決行され成功すると予想していた人はいないでしょう。
どちらかと言うと、討ち入りメンバーが一人欠け、二人欠けでうやむやになるか、吉良側が阻止に成功の可能性が高いというのが、当時の事前情報からの予測でしょう。
リーダーの大石さん、ネコ被ってましたし。。
松の廊下の事件で、吉良にも悪い点があったので少しペナルティを与えるかと、担当者の独断だったと思います。
ご回答ありがとうございます。
「吉良にも悪い点があったので少しペナルティを与えるかと、担当者の独断だった」ということですね。なるほど。
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