dポイントプレゼントキャンペーン実施中!

「出る杭は打たれる」ってよく聞くじゃん。出る杭とは優秀で立派な人の例えで、打たれるは攻撃を受けることの例えです。つまり、良い人は攻撃を受けて苦痛だから損だ、こういう内容で、昔から多くの人が使っている有名な言葉だと思います。

さて、誰が出る杭を打つのでしょう?受動態の日本語になってますが、これを能動態の英語に直すと、
◯◯ attack(s) an excellent person.
◯◯には何が入るでしょう?People of all over the world(世界中の人々)かな?Friend(友人)かな?Assessor(審査員)かな?

友人が打つのだと仮定すると、目的は何でしょう?打つと得する理由があるから打つのでしょうか?
その目的は、その打つと得する理由は、、、
良い人が2人居て、両者の関係は友人だが、どちらがより良い人かを競い勝負している。んで、差が付いて、一方の優性が目立つと、他方は負けてしまう。だから、他方はそいつを打ち、そいつの優性を上から抑え込んで、相対的に自分が優性に立ち勝とうとしているのでしょうか?

目の前に良い人が居て、そいつを打つか、それとも何もしないか、人は自由に選ぶことが出来ます。そこで前者を選ぶ人の多い社会は良い社会ですか?何となく、格差是正の効果があって公平で良い社会のようにも見えます。しかし、良い人は色々と良い仕事をして、誰かの要求を叶え機能し貢献し作り出し役に立っているから良い人なのであって、全体の幸福を考えると良い人を打つことはマイナスかもしれない。

出る杭を打つことは良い事?これは正義?

良い職人が(経済的に)得をする、これは良い事だと思います。しかし、良い職人が良い仕事をして消費者が恩恵を受けて、だけど、その恩恵の対価が高すぎて、多くのお金を良い職人に消費者が支払っているのは悪い事ですかね。これだと、良い職人の高利得の財源が過剰な消費者負担になります。

だから、出る杭を打つことは、良かったり悪かったり、ケースバイケースなのでしょうか?

A 回答 (5件)

”出る杭は打たれる→誰が打つ?”


   ↑
世間です。

欧米にはキリスト教の神様がいますが、日本には
そんなものはおりません。

その代用が「世間」なのです。
世間に申し訳ない、世間に顔向けができない、の
世間です。

この世間により、日本の秩序が保たれているのです。



”出る杭を打つことは良い事?これは正義?”
    ↑
ワタシは良いことだと思います。

能力がある人など、極少数です。
大多数の人は、能力などありません。
だから、何時の時代でも何処でも庶民が圧倒的多数
なのです。

能力主義は、そういう一部の能力がある人を優遇する
社会です。
しかし、出る杭を打つ社会は、圧倒的多数の庶民に
優しい社会です。
のび太が、主人公になれる社会なのです。

出る杭を打つ社会は能力のある人にとっては
やりにくい社会です。
しかし、能力のある人は冷遇しても何とかやって
いけます。
無能な人は、優遇しないとやっていけません。

キリスト教のような宗教がない日本では、
出る杭を打つのは良い社会だと思います。
    • good
    • 0

被害者感情が高まった人の救いの言葉が「出る杭は打たれる」という場合もしばしば。


「私は正しいのに、やっかみから私が攻撃を受けている」と悲劇のヒロインとなることがその人にとっての救いの道。そうやって自分の心を守っている。
    • good
    • 0

●出る杭を打つ人


・追い越されるのを良しとしない上司・上層部
・出世や成功を妬む同僚・後輩
・出来ることを鼻にかけたために嫌われた人

●出る杭を打つメリット
・出た杭の増上慢をたしなめるため
・組織の調和を保つため

●出る杭を打つデメリット
・組織や個人の向上・利益のチャンスを逃す
・優秀・有能な人材をつぶす・逃す
    • good
    • 1

ケースバイケースでもあるし、ある人にとって「良い事」「正義」が別の人にとっては「悪い事」でしょうね。




「出る杭は打たれる」には、二つの意味があります。

一つは、「差し出たことをする」意味。
この場合、「良い事」ではありませんよね。
ですから、差し出た行為によって迷惑を受けた相手、不快に感じた人たちが打つでしょう。
「出る杭」となった人が、ある観点では加害者となっていますから、被害者が逆襲するわけですね。
「出る杭」であった本人、あるいは周囲から見ている人にとって、差し出た行為の内容が良いものであったとしても、迷惑を受けた相手にとっては悪いものであるのは、別段、珍しい話ではないでしょう。

もう一つは、ご質問にある「優秀な人が攻撃を受ける」意味。
ただし、この場合の「優秀」は「良い」と同義ではありません。
頭角を現す、他より抜きんでているということに過ぎません。
ですからライバルが打ちます。
打たれることで、「出る杭」であった優秀な人は、さらに磨かれて優秀になるかもしれませんし、打つためにはライバルも自分を磨く必要があるかもしれません。
こうなれば、「出る杭を打つ」行為は、互いを切磋琢磨していく良い行為だと言えるでしょう。
互いの足を引っ張る行為になってしまえば、目的を見失っていますから悪い行為でしょうね。


ご質問の例でいえば、「どちらがより良い人かを競っている友人」は、悪い例だと思います。
というよりも、問題の本質を見誤った偽善者たちと言うべきかもしれません。
「良い人間」というのは、なるものであって、相対評価で順位づけをするべきものではないし、そのために相手を自分より下にしようとした時点で、良い人間とは言えないでしょう。

もう一つの、良い職人の例は、現実によくありそうなパターンですね。
もっとも、現実には、やっかみから「出る杭が打たれる」パターンになりそうですが。
そこで、「出過ぎた杭」にまで成長すると、人間国宝になったりして、その人だけではなく周囲も引き上げることになります。
個人的には、良い仕事に対して高額の報酬を払うことは悪いことだとは思いません。当然の事です。
もっとも、高額のものしかなくなって、廉価なレベルの品がなくなってしまえば困りますけれど。
    • good
    • 0

無能の上司。

    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!