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新聞の俳句のコーナーを良く見るのですが、沖縄や南半球に住む人の俳句を見たことがありません。
冬にサトウキビ畑を飛び回るツバメについて俳句を作りたいのですが、共感が得られるのでしょうか。
投句しても無駄でしょうか。

A 回答 (3件)

無駄なことはありません。

俳句は その短い言葉の中に 思いを込めることです。
色々 ルールみたいなものはあると思いますが、気にしないで行きましょう。

投稿すると、投稿先によっては 色々な評価や助言が得られます。
沖縄にはあまり今までその慣習が無かったので少ないのです。
江戸時代までは、ある意味別の国でした。(九州の島津が支配するまで いわば独立国です。流球王国が有ったのですから。)
南半球は日本とは国が違うので、よほど日本好きでないと いないでしょう。

駄作です。
内なんちゅ、キビの間に 汗キラリ。(昔はキビを刈り取るのも大変だったと思います。)
白砂や、遠くに見ゆる 慶良間かな。(沖縄南部の海岸から慶良間ー渡嘉敷島 見えますかね?。)
これでも俳句と言えば俳句かも?
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コラム「南風」 俳句は難しくない


2011年8月11日
 俳句は、決して難しくない。楽しいものである。はがきや手紙などを書くのと同じだと考えてよい。
 同窓の友や職場OBの友に俳句を勧めると、異口同音に「自分には文才がないから俳句はとても作れない」と返ってくる。謙遜であろうが残念である。
 私に文才があったわけではない。俳人となった今、必要に駆られて筆を執っているだけなのだ。まだまだ修行中の身である。
 55歳までは、俳句とは無縁の技術者であった。サークルに通い、定年後にはカルチャー教室へ入門して俳句を学んだ。
 郊外へ吟行に出ても初心の私には、句を作る要領がつかめないころの1句。
 「峰雲を眺め一句も成らざりき」  章
 「峰雲」が、夏の季語。未熟な私には1句すら完成させることができず、苦し紛れにできた句である。
 それでもカルチャー教室へは、毎週3句を提出した。今では1日に10句以上作れるまでになった。
 文才がなくても俳句を習えば、誰にでも理解できる。あとは、ケ・セラ・セラの楽な気持ちで道は開けるものだ。
 「一句詠み時には泳ぎケセラセラ」  章
 「泳ぎ」が、夏の季語。俳句を詠み、たまに泳ぎ、なるようになるさ、という諦観の句。俳句は風景や心情など何を詠んでもよい。
 沖縄の俳句には史跡、戦跡、城跡、石碑、墳墓、御嶽(ウタキ)、拝所(イベ)、祝女(ノロ)、ユタ、神事などの語が散見され、固くて難しく見えがちである。
 「馴染みにくい神社仏閣など古いものだけをなぜ詠むのか。広く周りに目を向けよ」とは、俳人で論客の藤田湘子(ふじたしょうし)の言葉である。私も全く同感だ。
 「愛されずして沖遠く泳ぐなり」  湘子
 湘子の青春時代の寂しさを「沖遠く泳ぐ」で簡明に描写した秀句である。
(宮城章(みやぎあきら)、俳人協会幹事)

※琉球新報 より \(^^;)...

NHK俳壇で、ブラジルから投稿されてた方いました。ガンバレ( ^^) _旦~~

この回答への補足

えっ、ブラジルですか?
もし覚えていらっしゃるのなら、どんな句だったか教えていただけませんか。
いつ頃放送されたのかでもいいです。
よろしくお願いします。

補足日時:2015/01/26 17:16
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無駄ではありません。

古い時代に、俳句や短歌を創る文化がなかっただけであり、質問者さんが新しい作風を創作すればいいのです。他者の共感が得られるかどうかは分かりませんが、あなたがご自身の境地を表現できるなら、それでいいのだと思います。
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