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私はアスペルガー症候群を医師より診断され、障害者手帳の3級を持っているものです。
いつもは自分の思考や行動と、定常発達の方との感覚や考え方の違いの「差分」を洗い出すような意図の質問をさせてもらっています。
今回は、ちょっと思考遊戯というか、気分転換を兼ねた軽くお遊び的な質問です。お付き合い願えれば幸いです。

自分と世界・社会との関連性というか、接続性の問題です。
私は、自分がこの世界の中心であり、主役であると考えています。
理由は簡単で、自身の外部に触れるためには、自分という感覚器を通さないといけないからです。自分という存在を認識できなくなった時点で、自分にとって世界は意味をなさなくなると考えています。すべての出来事は(自分にとっては)主観を通さないと確認も接触もできないことで、純粋な客観や、本当に相手と全く同じ思考・気持ちを共有できることはありえないと考えています。

世界とは、私個人の物で、他の誰か個人の物であり、その積み重ねが社会を構成していると思っています。ただ、個々の違いを明確に意識すると、とても不便なので便宜上同じ世界・同じ思考を共有していると、仮定しているに過ぎない。
本質は個々の世界の似た部分を重ね合わせて「たぶんこうであろう」という推測を積み重ねた、思いのほか脆くて儚い幻想の産物なのだろうと思うのです。
人類一つ、皆兄弟などという言葉は、比喩だとしても気持ち悪く、疑わしいものに見えてしまいます。

皆さんは、自分と世界の関係性について、どのように考えておられますか?
また、私の世界観は自己中で傲慢なものだと思いますか?
アスペルガー者の他者を理解できないが故の独善と思われますでしょうか?

ちょっとした遊戯ですので、お気軽に自分はこう思うというところを教えて頂ければ、嬉しく思います。

よろしくお願いします。

A 回答 (2件)

kisaragi056さん、こんばんは。


kisaragi056さんは、とても哲学的でいらっしゃいますね。

私の自分と世界の関わりは「偽善と義務」といったところでしょうか。
生まれてから初めて触れる世界はほとんどの場合、家族・家庭だと思います。
私にとって家族=義務です。愛情・友情=自己満足(私はこれを偽善と捉えています)。
もちろん私自身もそれに含まれていますし、偽善と義務がなければ世界が成り立たないのではと思っています。

kisaragi056さんの言う通りきっとみんな自分中心にしか世界を見れないと思います。自己中でも傲慢でもないと思います。
お遊戯の答えとして、楽しんでいただけたでしょうか?
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

本格的に哲学など習ったことも無く、我流ですが、考えることは楽しいです。回答も興味深く読ませていただきました、
私の考えることに、近い位置におられるのかなと、感じました。
私も無償の善意は存在し得ないと考えておりますので。義務と偽善については分かると思います。すべては自己のうちに完結すると。

回答m楽しませて頂きました。ありがとうございます。

お礼日時:2015/03/03 07:59

>自分と世界・社会との関連性というか、接続性の問題です。



接続性という言葉を持ってこられたあたり、相当な知性の方と見受けました。

私にとって世界は、もっと雑駁なもので、私が認識するからこそ世界は存在する、死後の世界なんて考えること自体無意味なのでそんなものは存在しない、しかし自分は不死とは思えない、よって少なくとも自分が生きている間、世界は存在し、それは自分のためにある、と考えています。しかしこの考え方は少し危険で、若いころ次々に病気をしたころ、世界が薄っぺらなベニヤ板に書いた絵のように見えて、その裏側を見ないようにするため必死になったことがありました。いまは世界は果てしなく続く宇宙そのもので、ホーキングの最近の研究によると宇宙は複数個ある、その数は10の500乗個あるということになっていて、世界の物理学の大勢もそれを認める方向にある、その10の500乗個全てにまさに接続する、広大無辺の世界、それは私が創造したものであり、私のためにあり、私がいなくなればそれらは意味をなくし、消滅すると結論しています。他人なんて知らない、どうでもよい、単なる登場人物、他人の世界観なんて語るに値しない、聞くいかなる必要性も認めないとおもっています。よって私には質問者の言う社会も、社会を構成する積み重ねも不要です。

私はアスペルガーと言われたことはありません。近くにそのような人もいません。そんなことはまあ、あまり問題ではなくて、私は最近4つめの大きな謎の存在に気付かされてあまりのその衝撃の大きさにまだ立ち直れないでいます。昨年のノーベル文学賞はフランスの作家パトリック・モディアノに与えられました。それまで私はこの作家について何も知りませんでした。アマゾンで代表作の一つ「暗いブティック通り(Rue des Boutiques Obscures)」の日本語訳を取り寄せ、読んでみました。その解説に書いてあったのですが要はこの作品は「私とは何者か」という問いかけであるという1行に飛びあがりました。私にはこれまで3つの謎がありました。宇宙の大規模構造とミクロ構造(相対論と超ひも理論)、生命、知性(脳、神経科学)の三つでありました。そこにそういうことを考えている自分自身が実は何もわかっていないということをパトリック・モディアノは突きつけてきたのです。

さすがはノーベル賞、いくつも謎を解いて、次は私がもらおうと心ひそかに決めました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

私は浅学の身です。spring135様こそ学が深くていらっしゃる。
最近の物理学では多元宇宙理論が主流なのですね。私は古い知識しか持ち合わせが無いのですが、無数の平行宇宙が同時に存在しえるという考え方は、不安になるので苦手でしたが、今は主流なのですね。

自分とは何かという問いかけも、深いものがありそうです。私は未だに自分が存在しているかどうかの辺りで苦戦しております。いつか、その辺りにもケリをつけれるといいのですが。

回答ありがとうございました。楽しませて頂きました。

お礼日時:2015/03/03 08:07

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