dポイントプレゼントキャンペーン実施中!

ニュースを見ていて、聞くに堪えない犯罪があります。
死刑判決が出ることは稀だし、そもそも単に死刑になるだけでは、被害者が受けた恐怖、痛みに比べてあまりに不公平だと思ってしまいます。

最近では、3歳の子供をうさぎのケージに入れていたという虐待事件。
死刑でなくてもいいので、両親に、やっと体育座りができるだけのスペースに3ヶ月監禁して数日ごとに食事を与える罰を負わせて欲しいです。
少し前の川崎の中1殺害事件。
犯人に、寒い夜の川で泳がせて、縛って、年上の男数人に殴る蹴るの暴行を受けて欲しいです。

死刑でなくてもいいのです。
加害者に、自分の行ったことが相手にどのような絶望をもたらしたか、身をもって知ってほしいのです。

現実的にはありえないのでしょうが、感情的には毎回そう思ってしまいます。
なぜ目には目をではいけないのか、論理的に教えて頂けませんか?

A 回答 (10件)

感情をベースに社会を運営してはいけないからです。



>加害者に、自分の行ったことが相手にどのような絶望をもたらしたか、身をもって知ってほしいのです
そのような処罰感情は自然なものだとは思いますが、だからと言って感情自体に正当性があるわけではありません。
    • good
    • 3
この回答へのお礼

感情をベースに社会を運用してはいけない。

簡潔かつ納得できるお答えでした。
ありがとうございます。

お礼日時:2015/05/01 17:10

けっこう殺し方を考えるのも面白い。

後は自動車事故の中でも飲酒ひき逃げをどうするか考えてみようか。目隠しをさせて、いやさせないで、グランドでクルマで追いかけまわして轢き殺すか。あるいは酩酊まで飲酒させて、一定速度で走るブレーキのないクルマを規定時間走らせる。無事生きて帰ってこれるか。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

私が想定していたのは、虐待や監禁暴行などの、罪のない被害者が長期間に渡って恐怖や痛みや絶望を味わった残虐な事件のみに関することで、交通事故や、例えばナイフで刺し殺した、などの殺人は対象外と思っていました。
犯人に死んでほしいというより、死ななくてもいいので、同じ絶望を味わせたいという気持ちからでした。

でも残虐でない殺人なんてありませんし、線引きできるはずないですよね•••

お礼日時:2015/05/02 20:26

醜い事件が多く、質問者様の考えは理解できます。



自分も同じ事を考えました。
例えば、数カ所殴られ、刺されて殺害された場合
その傷を解析して、機械で同じ様に加害者に再現させる。

ただ、目には目を、歯には歯をの精神は
やられたらやり返せではないんです。
やられた分以上にやってもいけないし、それ以下でもいけない。

だから、いきなり刺されて殺された人の罪に
これから刺すと言う事を宣言して、刺すののは刺されるという
恐怖を与える事で、それ以上の罰を与える事になる。

それと、3歳の子供をうさぎのケージに入れて、最後は死亡した
この罪の罰としてどうしますか。
同じ様にゲージに入れて、食事も数日で一回しか与えないとして
3ヶ月後に死亡しなかったらどうするのですか。

それと、感情論の罰は被害者の誰の感情での罰を与えるのでしょうか。
加害者に罰を与えられる人は被害者しかいないのです。

殺されてしまった人はもういない、家族の感情でしょうか。
子供が殺された人はどう思うのでしょうか。
何人も殺された家族はどう思うのでしょうか。

自分は、家族が殺された時にこの事をいう自信は絶対にありませんが
でも、加害者が心底罪をを悔いて謝罪してくれる事を望みます。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

そうですね。全く同じ苦しみを与えることは不可能ですね。

皆さんのお答えを読んで、同じ目に合わせてやりたい!と思うのはただ感情的になっているだけだと分かりました。
溜飲は下がるかもしれませんが、後味の悪さが重なって、いい社会にはなりませんよね。

お礼日時:2015/05/02 20:17

感情的に「目には目を」はすごくわかります。



が、それを赦してしまうと最初の被害者が加害者に、最初の加害者が被害者となり延々と互いにやり合うことになると思います。「目には目を」ではありませんが、最初の加害者には刑事罰などが科されるでしょうしそれを持って罰とされるのではないでしょうか。

個人的に「目には目を」はあってもいいと思いますが、実際運用するとなると難しいでしょう。
拡大解釈で殴り合いで負けてやられたから殺してやる。これは正当な報復だという日本人が出てくる事は容易に想像できます。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

みんな犯人を憎む気持ちは同じなんですよね。

でも実際目には目を、が横行すると憎しみの連鎖で殺伐とした世の中になってしまうから、法律で刑罰にセーブをかけているのかな。
考えさせられました、ありがとうございました。

お礼日時:2015/05/02 20:10

刑事罰のことしか、考えてないだけじゃないですかね?


言い換えれば、被害者や遺族の救済は、「目には目を」では、達成されないのですよ。

すなわち「目には目を」は同害報復法であると同時に、「目には目をもって償う」と言う同害賠償法でもあって、被害者は加害者に同じ危害を加えても良いですが、それと同時に、加害者の賠償も、そこで完了します。

一方、日本などの法律は、刑法違反に該当すれば、刑事罰に加えて民事賠償も請求される二重構造です。
当然、死刑囚にも民事の損害賠償請求は可能で、死刑が執行された後は、死刑囚の相続人に高額な賠償が請求されることになります。
死刑にならない殺人犯などは、たとえ出所出来ても、自己破産するくらいしかないだろうし。
死ぬまで、何らか社会的制裁を受けることになる場合が殆どで、加害者は生き地獄を味わうケースが多いです。

刑事責任と民事責任の二階建ては、加害者が「殺されて終わり」と言う仕組みに比べると、結構えげつない仕組みです。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

そうなのですか?
目には目を、以上に加害者が苦しい人生を歩んでいるのだと思うと納得できるのですが。

ひどい犯罪を犯した加害者ほど、法律から守られ、住所を変えて名前を変えて、被害者のことなど考えず賠償からも逃げて、のうのうと生きているイメージでした。

被害者が受けた苦しみと同レベルの苦しみを、方法は違っても受けていることを願います。

お礼日時:2015/05/01 17:16

貴方がその刑罰の執行人になって貰えますかね



『年上の男数人に殴る蹴るの暴行を受けて欲しいです』

その暴行をふるう人間の精神的肉体的な負担は、どうするの?
貴方の心さえ晴れれば、後は他人の事だから関係ない?

社会的なコストを考えたら非現実的すぎ
    • good
    • 0
この回答へのお礼

執行する人間の負担を考えて、そんな刑罰はできない、というのはちょっと違う気がします。
あまりに残虐な犯罪の場合、広い世の中、いくらでも「自分がやります」という人がいる気がするのですが。

ちなみに、私は、現実的にはありえないということは分かった上で、なぜいけないのかが自分でうまく説明できないため、納得できる答えを頂けたらと思っています。

お礼日時:2015/05/01 17:07

加害者の家族に逆恨みさせないためには「法律だから仕方ない」と思わせることも必要。


加害者の家族にとっては被害者より加害者の方が重要であり、命は等価値ではない。
「目には目を」では加害者に重すぎる罰が与えられたと感じ、恨みが次の犯罪に繋がる。
法律で定めた基準で罰すれば、恨みは軽減できる。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

確かに、自分の身内が残虐な犯罪を犯したら、こういう人間になるまでにいろんな悲劇があった、と情状酌量を求めてしまうかもしれません。
法律はすでに殺された被害者より、今生きている加害者に沿っているということでしょうか?

お礼日時:2015/05/01 16:59

目には目をでよいです。

ただ死刑は楽すぎるので、例えば、死ぬまで福島の放射能汚染処理の仕事をやらせて世間に貢献させるべきです。
    • good
    • 4
この回答へのお礼

私も死刑にはこだわりません。
世の中に貢献させるのもいい案かも知れませんが、現在生きている人のために利用することになるので、被害者の気持ちが浮かばれない気がします。

お礼日時:2015/05/01 16:50

私も個人的な感情としては、目には目をと思ってしまいます。


特に昨今の身勝手な凶悪犯罪を見ていると憤りを強く感じます。
しかし、今日本が国際社会で生きて行くには「目には目を」を採用できないんです。
「目には目を」を実現しようとすると、例え殺さなくても、どうしても残虐な刑罰がうまれてしまいます。
憲法第36条で残虐刑を禁止しており、他には国際人権規約、拷問禁止条約でも同様に残虐刑を禁止しているんです。
従って、「目には目を」を実現しようとすると、憲法を改正して各条約からも脱退することになります。
もしそうすれば日本の国際的立場はどうなるでしょう。
かなりの非難をあびることになり、世界的に孤立することも考えられます。
という訳で「目には目を」ではいけないんですよね。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
目には目をではダメなのか?というのは世の中の残虐な犯罪全てにおいて感じることなので、日本の法律や国際的立場を超えた視点で教えて頂きたいのです。

お礼日時:2015/05/01 16:47

基本的には賛成なんだけど、不都合もあるんだよね。

例えば、少年に子どもを殺されたら、犯人に子どもが生まれてから同じ歳で殺す。これが己の犯罪を犯人に知らしめるには一番効果的だろう。
だけど、無理だよね。
    • good
    • 6
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
遺族と同じ思いをさせようとすると罪のない加害者家族に害が及んでしまうので、殺された被害者と同じ思いをさせたいと考えていました。

お礼日時:2015/05/01 16:30

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!