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海外でも日本でも、どちらでもかまいません。
デカダンスの作家、作品、
もしくは「頽廃」をキーワードにした作品など、
教えてください。

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A 回答 (2件)

デカダンス、デカダンと呼ばれるものは、


19世紀後半に現れた退廃、耽美、唯美的で悪魔的な芸術の傾向で、
すでにお答えのあがっているボードレールを嚆矢に、

ランボー(詩集「地獄の季節」「イルミナシオン」)
マラルメ(詩「牧神の午後」)などの詩人、

ユイスマンス(小説「さかしま」)
オスカー・ワイルド(小説「ドリアン・グレイの肖像」)などの作家、

また、ワイルドの戯曲「サロメ」の挿絵を書き、
みずからにも「美神の館」という小説のあるオーブリー・ビアズレー、
あるいは画家のギュスターヴ・モローなどが思い浮かびます。

音楽でも、ワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」はこの傾向が顕著です。
単独で演奏される「前奏曲と愛の死」だけでも、その蠱惑的な毒にあふれています。

日本では初期の谷崎潤一郎、詩人の佐藤春夫の小説「田園の憂鬱」は、この傾向が濃厚と思います。

なかんずく、ユイスマンスの「さかしま」は『デカダンスの聖書』と言われています。
http://www.siesta.co.jp/aozora/archives/000513.h …

参考URL:http://www.siesta.co.jp/aozora/archives/000513.h …
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この回答へのお礼

参考URLとともにとても参考になりました。
文学のみならず音楽や美術の分野もかいていただいたのがとてもうれしいです。

お礼日時:2004/06/24 18:40

デカダンスと言われて浮かぶのはボードレールというフランスの詩人ですね。



退廃的な雰囲気の漂う作品だと思います。
【パリの憂鬱】や【悪の華】などが出版されています。

参考URL:http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0773.html
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この回答へのお礼

ボードレールがデカダンスというのは知っていたのですが、なかなかよい翻訳の本に出会えない状態です。
ともあれ、ありがとうございました。

お礼日時:2004/06/24 18:41

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Q耽美派などの小説について

「耽美」、「悪魔」、「退廃」、「神秘」、「抒情」・・・。
相反するところもあるかも知れませんが、以上のような主義に当てはまるような小説を探しています。
僕が好きなのは、連城三紀彦や小池真理子。
その世界に通じるものがある作家として、あまり読んだことはありませんが、谷崎潤一郎や三島由紀夫、澁澤龍彦などが挙げられると思います。
文章が美しくて、濃密な世界観のある小説に憧れます。
初めは静かに物語が進行していって、後半あっという展開を見せてくれる作品は、特に大好きです。

皆さんの中で、そのような系統の、お勧めの作品があれば教えてください。
できれば現代の日本の作家が良いのですが、「これは絶対オススメ!」というものならば、翻訳ものでも、多少時代的な作家でも構いません。
現在、本屋で手に入るものなら・・・。
皆さんにご指導いただいて、自分の読書のカテゴリーの視野を広げたいと思っています(^^)゛

あまりたくさんあると迷ってしまうと思いますので、ご自分の中で3つぐらいまで選択して教えていただければと思います。

色々と制約(?)が多くて申し訳ありませんが、何卒よろしくお願いいたします。
皆さんの回答を、心よりお待ちしています。

「耽美」、「悪魔」、「退廃」、「神秘」、「抒情」・・・。
相反するところもあるかも知れませんが、以上のような主義に当てはまるような小説を探しています。
僕が好きなのは、連城三紀彦や小池真理子。
その世界に通じるものがある作家として、あまり読んだことはありませんが、谷崎潤一郎や三島由紀夫、澁澤龍彦などが挙げられると思います。
文章が美しくて、濃密な世界観のある小説に憧れます。
初めは静かに物語が進行していって、後半あっという展開を見せてくれる作品は、特に大好きです。

皆さ...続きを読む

Aベストアンサー

平野啓一郎「日蝕」(神秘、悪魔)
読み返すたびに味がでてくる作品です。少し文章が難しいですが、魔女狩りや錬金術、キリストなど神秘的な要素が盛りだくさんでした。現代の小説なのですが、文体は古風で少し難しく感じました。

小川洋子「密やかな結晶」(退廃)
小川洋子は短編が多いのですが、これはめずらしく長編小説です。この小説に限らず、小川洋子のほとんどの小説、短編が退廃的な雰囲気で一度読んでみることをおすすめします。

小松左京「ゴルディアスの結び目」(悪魔)
これはSF小説なのですが、心に棲みついた悪魔を題材に内的宇宙の広大さ、そして深層心理の先にある集団的無意識を描いています。悪魔そのものを描いている小説は珍しいと思うのでのせておきます。質問者さんの趣向とは少し違うかもしれません。

J.G.バラード「沈んだ世界」(退廃)
これもSF小説です。熱帯になり、海水面が上がり、沈んでいく世界を描いています。よくあるハリウッド映画のように沈んでいく世界を科学者が救ったりする話ではありません。沈んでいく世界に最後まで佇む一人の人間の退廃的な物語です。

4つ挙げさせてもらいましたが、個人的に小池真理子は登場人物の性格がどろどろすぎて気持ち悪くなってしまい、苦手です。
質問者さんの意図する退廃と私の意図する退廃は内容が違うかもしれません。
参考にしていただければ幸いです。

平野啓一郎「日蝕」(神秘、悪魔)
読み返すたびに味がでてくる作品です。少し文章が難しいですが、魔女狩りや錬金術、キリストなど神秘的な要素が盛りだくさんでした。現代の小説なのですが、文体は古風で少し難しく感じました。

小川洋子「密やかな結晶」(退廃)
小川洋子は短編が多いのですが、これはめずらしく長編小説です。この小説に限らず、小川洋子のほとんどの小説、短編が退廃的な雰囲気で一度読んでみることをおすすめします。

小松左京「ゴルディアスの結び目」(悪魔)
これはSF小説な...続きを読む

Q人間は考える葦である とは?

ふと頭をよぎったのですが、、
「人間は考える葦である」とはどういう意味なのでしょう? また誰の言葉なのでしょう? 簡単な質問ですみません。 よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去しました。
  
  残された膨大なメモを元に、パスカルが計画していた著作に似たものを編集することも考えられたのですが、とても、それは無理なので、断片集として、計画のまとまりや、内容の関連性などから、おおまかに断片メモを整理してまとめて、一冊の本に編集したのが、『パンセー』です。当然、パスカルの死後出版されましたし、内容は、緩やかなつながりで、長短の断片文章が並んでいる構成です。従って、本のなかの文章はパスカルのものですが、本は、パスカルの「著作」とはちょっと云えないでしょう。ほとんどできあがっていて、足りない部分などを、他の文章で補ったりして、計画通りかそれに近い本を作ったのならともかく、当初の計画とは違う、「箴言集」か「随想集」のような本になってしまっていますから。
  
  それはとまれ、「葦」が弱いものの代表として人間の比喩に取り上げられているのは事実ですが、何故「葦」だったのか、という疑問が起こります。例えば、「人間は考える蟻である」とか、「人間は考える蝶である」とか、また「人間は考えるクローヴァーである」とか、幾らでも考えられます。
  
  これは、誰かの説明であったのか、わたしが勝手に考えたのか記憶がはっきりしないのですが(おそらく誰かの説明です)、人間が「葦」であるということの比喩は、ナイルの河畔に生える葦は、強い風が吹くと、弱いために、すぐしなって曲がってします。風に抵抗できない。いや抵抗せずに、しなって敗北するのである。しかし、その他方で、偉大な樫の樹などは、風が吹くと、しなることはせず、抵抗するので風に勝利するが、しかし、繰り返し風が襲って来た時、何時か強い風に倒され、根元から折れてしまうのです。しかし、賢明に自らの分を知る「葦」は、風が吹くとそれに身をまかせてしなり、逆境のなかで、一見屈服したように見えるが、しかし、風がやむと、徐々に身を起こして行き、再びもとのなにごともない姿に戻って微風に揺れているということが、人間への「比喩」の意味だったはずです。
  
  少しの風が吹くとしなり、風の前屈して曲がるが、風が去ると、また元のように立ち上がる。人間とはこのように、自然や運命の暴威に対し無力であるが、それに従順に従い、そして暴威をくぐり抜けて、また元のように、みずからの姿で立ち上がる。自然界のなかでたいへん弱く、簡単に風にしなるが、柔軟性があり、運命にも暴威にも屈しない。そして何よりも、「考えることができる」すなわち「精神を持つ」ことで、ただ、自然の力、暴威として、力を無自覚に揮う風に較べて、遙かに賢明で、優れた存在である。……このような意味の比喩ではなかったかと思います。
  
  この葦の比喩は、パスカルという人がどういう人だったかを知ると、パスカル自身のことのようにも思えて来ます。パスカルは、四十に満たないで亡くなっています。彼は、少年の頃から神童と言われたのですが、病弱で、一生、病気や身体の苦痛とたたかいながら、思索し実験し、研究し、晩年は、修道院に入って信仰生活を送ることを決意して、自分自身でも、そのことについて、悩み考えつつ、世を去りました。パスカルは、自分に襲いかかる不条理な病や、身体の不調などと、「たたかう」というより、それを受けて耐え、病の苦しみのなかで思索や研究を続け、「精神」において、自然が与えた病の暴威などを、乗り越えて生涯を送った人だとも云えるのです。
  
  暖めた流動食でないと、喉を通らないというようなこともしばしばあったということは、解説書などには必ず記されているはずです。弱々しい「葦」のように、襲って来る風に身をまかせつつ、思索した精神、それがパスカルなのでしょう。パスカルは「人間とは、運命に従順であるが、しかし、精神で、運命に抵抗し、不屈の意志で、思索することで、運命や自然の暴威を乗り越える自由の存在なのだ」という意味で、この言葉を記したのではないかとも、思えるのです。
  

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去し...続きを読む

Q太宰治と志賀直哉の確執について

最近太宰治の「如是我聞」を読んだのですが、その中で太宰が志賀のことを名指しでけちょんけちょんにけなしていました。
ウィキペディアで調べたところ、太宰が最初に「津軽」の中で志賀を批判し、それに立腹した志賀が太宰をけなす発言をし、だんだんエスカレートして遂に「如是我聞」が発表されたということらしいのですが、この対立の経緯について詳しく知りたいのです。
参考になる書籍やHPがあったら教えてください。また、上に書いたこと以外のことをご存じであれば教えてください。お願いします。

Aベストアンサー

こんにちは

太宰は「津軽」で、蟹田町に行った時に旧友達が太宰を囲んで宴を開いてくれた
時のことを書いています。その中で、当時、大作家として名を馳せていた"五十
年配の作家"(志賀直哉と名指しはしてないが「神様」と呼ばれている、と書い
たことで明白)について聞かれ、人の悪口を言って自分を誇るのは甚だいやしい
ことだが、と前置きしながらも、世間も文壇も、その大作家を畏敬に近い感情で
評価していることに、一種、腹立たしい感情を持っていたのか、彼の作風を厳し
く批判しています。きっと志賀直哉自身にというより、彼に象徴される世間の偏
った高尚趣味(と太宰は思っている)若い作家達の彼へのとりまき、へつらい、
に嫌悪感を抱いていたのかもしれません。(やっかみも少しはあったかもしれま
せん)(^^) それを読んだ志賀直哉が、座談会の席上で仕返し(?)に
太宰の作風をけなすなどしてバトルが始まったようです。

でも、私は、ことの発端は、有名な、太宰と井伏鱒二との確執のような気がします
。井伏は太宰が故郷青森から上京した時から頼っている文壇の先輩であり、私生
活でもいろいろと面倒をみてもらっていた作家です。太宰は候補になっていた第
一回芥川賞を逸したり、その後もあの手この手で受賞の依頼をするなどしても
(川端康成におねだりの手紙を書いたりしていますね)思うように行かず、また
女性問題等でもトラブルがあるなど、徐々に生活に行き詰まりを感じ、
薬物中毒に陥ったりしていきます。
井伏も当時は貧乏作家で、さほど将来を嘱望されるような作家ではありませんでした。

そんな中、井伏が「ジョン萬次郎漂流記」で直木賞を取りますが、
その作品に盗用が見られるとし(後に大傑作とされる「黒い雨」にも盗用
論争)それに嫌悪した太宰が、井伏批判、そしてその背後にある文壇、世間、そ
の象徴である"老大家"の志賀直哉批判、と日頃の不満が発展し、たまりにたまったうっぷんを
はき出すように、意を決して「如是我聞」を発
表するに至ったのではないでしょうか。
遺書には「井伏さんは悪人です」とありますね。

「如是我聞」で太宰は「その者たち(老大家)の自信の強さにあきれている。
……その確信は……家庭である、家庭のエゴイズムである」などと言ってますが、
私は、津軽の名家に生まれながら真の家庭的愛情に恵まれなかった太宰の本音が
そこに伺えるかなぁという気がしています。

「如是我聞」は、死ぬ数ヶ月前、心中した山崎富栄の部屋で、
新潮社の編集者、野平健一が口述筆記し、死後に発刊されていますね。

参考文献といえるかどうか判りませんが、「ピカレスク」(猪瀬直樹・小学館)
にはとても興味深いものがあります。

私見ですが書いてみました。

こんにちは

太宰は「津軽」で、蟹田町に行った時に旧友達が太宰を囲んで宴を開いてくれた
時のことを書いています。その中で、当時、大作家として名を馳せていた"五十
年配の作家"(志賀直哉と名指しはしてないが「神様」と呼ばれている、と書い
たことで明白)について聞かれ、人の悪口を言って自分を誇るのは甚だいやしい
ことだが、と前置きしながらも、世間も文壇も、その大作家を畏敬に近い感情で
評価していることに、一種、腹立たしい感情を持っていたのか、彼の作風を厳し
く批判しています。き...続きを読む


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