プロが教えるわが家の防犯対策術!

私は、安倍総理の70年談話に向けての世論が、おかしい方向に向かっているのを危惧し、何が本当に正しいかを見極めるために、ずっと関連書を読んだり、テレビを見たりして勉強してきました。
しかし、このサイトの関連質問に対する回答にも、著しく違和感を覚えるものがほとんどであり、一体どうなっているのか、モヤモヤを払拭出来ないでいます。

こうした中で、いよいよ明日8月14日、総理の70年談話が発表されるのですが、これに先立ち、以下の質問につき、皆さんにご回答をお願いしたいと思います。

1.日本が、戦争中、中国・韓国に対して行ったことは、「侵略」、「植民地政策」に他ならないと思うのですが、如何ですか?

2.欧米列強もかつて植民地政策を展開していたとしても、第一次世界大戦のあと、平和への枠組みである国際連盟を創設し、戦争再発の抑止に努力していたにもかかわらず、それを破って、戦争を始めた元凶は、枢軸国(日・独・伊)であり、その点で、我々には理はないと思いますが、如何でしょうか?

3.中国・韓国等周辺の国々に対して、戦争中損害と迷惑をかけたことを反省する気持ちはありませんか?

4.反省とおわびは付随するものでしょうか? 或いは別物でしょうか?

5. いつまで、日本は謝らなければならないのか?という人が多いですが、どう思いますか?
なお、謝罪に期限を設けるとすれば、その後は忘却の彼方に押しやり、風化させても良いということでしょうか?

6. 安倍総理は、よく「未来志向」と言う言葉を使いますが、未来は過去や現在があってのものではないのですか?

7. 又、日本が戦後70年間、国際社会の模範として、よくやってきた、と世界の人々に言うだけで、人々は聞く耳を持つと考えますか?

8. 従軍慰安婦は、でっち上げやねつ造と、声高に主張し、韓国に対して逆切れしている人が多いですが、一体何なんでしょうか?

9. 明仁天皇が、日本の戦没者だけではなく、近隣諸国の犠牲者にも心を寄せ、二度と戦争をしない国になるよう、願い続けられていることをどう思いますか?

10. 最後に、本やテレビを見る限り、近隣諸国と穏当に共存する賢明な道を示唆する意見が多いのに、なぜ、当サイトを含め、ネットでは、嫌韓/中の意見が多いのでしょうか?

まだまだいくらでも疑問が出てくるのですが、この位にしておきます。

質問者からの補足コメント

  • 昨夕、かたずを飲んで、安倍総理の談話を聞きました。
    私が危惧したような内容ではなく、以下理由を述べるように、おおむね及第点をつけられそうな内容で、本当にほっとしました。

    早速、本質問にも回答されている皆さんが、質問/回答された次の質問
    安倍総理 戦後70年談話を発表”痛惜の念” http://oshiete.goo.ne.jp/qa/9044397.html
    に回答しようとしましたが、今見たらクローズされていたので、ここでコメントします。
     
    1)安倍総理の談話には、過去の総理の談話のように紋切り型の談話ではなく、もっと具体的、且つ聞く者に理解させ、語りかけようとする努力が見られました。そのために、談話は約3400文字で、過去の村山談話(約1300字)や小泉談話(約1100字)を大幅に上回りましたが、多くのことを盛り込むために、「長くなる」のは良いことだと思います。(次の補足に続く。)

      補足日時:2015/08/15 16:32
  • 2)過去の談話でキーワードとされた「植民地支配」「侵略」「反省」「おわび」の文言自体はすべて盛り込んでいましたね。一部には、「反省」「おわび」について、これまで繰り返し表明してきたが・・・歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものである、と言う文言が、自分を主語にしない間接話法のような形で、物足りないと主張する向きもあるようですが、まあここは一応及第点では?
    3)大戦に先立つ19世紀以前の欧米の植民地政策から明治維新後の日本が刺激を受けて、日露戦争を起こしたが、それがアジア・アフリカの人々を勇気づけたこと、その後、第一次大戦の悲惨な結末から世界が学び、国際連盟を創設したこと、しかし、欧米諸国の植民地経済を巻き込んだ「経済のブロック化」の流れの中で経済的に追い詰められた日本はその連盟から離脱したことなど、日本だけでなく、欧米諸国も遡上に乗せ、「等身大」の歴史に言及したのは、良かったと思います。

      補足日時:2015/08/15 16:53
  • 4) 国際連盟の脱退により、日本が次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていったこと。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行ったことをしっかりと指摘し、「戦火を交えた国々の若者たちや無辜の民」、「戦場の陰に、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たち」、「何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実」にもしっかり言及し、「言葉を失い」、「断腸の念を禁じ得ず」、「深い悔悟の念」を覚えると言葉を重ねたことで、「従軍慰安婦」など具体的な案件名や国名を名指さなくても、少しでも、アジアの人々にも気持ちが伝わったのではないかと思います。
    5)戦後のわが国の平和への歩みを今後とも続け、将来に亘って不戦の誓いを述べたことは、これこそ安倍総理の強調する「未来志向」の面目躍如たるものと思いました。
    (続く)

      補足日時:2015/08/15 17:24
  • 6) 戦後日本の立ち直りのために、多くの国が恩讐を超えて支援してくれたことについて感謝したのは良かった。
    7) 一つだけまだ自分の中でわからないのは、「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。」と言いながら、その後で「しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。」と発言していること。確かに、総理の気持ちにも、又、多くの日本国民にも、そろそろ「謝罪」に区切りを付けたい、と言う気持ちがあるのはわかりますが、今後、中韓でも、日本でも世代が変わっていく中で、どのように歴史を引き継いでいくべきかは、もっともっと議論すべきと思います。

      補足日時:2015/08/15 17:34
  • 以下、私が、本年6月以降読んだ、関連テーマに関する本を挙げておきます。
    質問(10)に書いた通り、これらから得られた私の考えと、皆様の回答とのギャップに苦しんでいます。
    矢部宏治『戦争をしない国~明仁天皇メッセージ~』
    半藤一利 井上亮編『いま戦争と平和を語る』
    東郷和彦『 歴史認識を問い直す-靖国・慰安婦・領土問題-』
    東郷和彦、波多野澄雄編『歴史問題ハンドブック』
    服部龍二『 外交ドキュメント歴史認識』
    粟屋憲太郎・田中宏・三島 憲一・広渡 清吾・望田 幸男・山口 定『戦争責任・戦後責任―日本とドイツはどう違うか』
    白井聡『永続敗戦論』
    内田樹・白井聡対談『日本戦後史論』
    内海愛子、大沼保昭、田中宏、加藤陽子『戦後責任』
    内田 雅俊『和解は可能か~日本政府の歴史認識を問う~』(岩波ブックレット)
    朴裕河著・佐藤久訳『和解のために~教科書・慰安婦・靖国・独島から』

      補足日時:2015/08/15 17:48
  • 【関連テーマでの質問/回答】
    (私の質問):oshiete.goo.ne.jp/qa/8949141.html, oshiete.goo.ne.jp/qa/8966608.html
    (私が回答した質問):oshiete.goo.ne.jp/qa/9033883.html (No.10), oshiete.goo.ne.jp/qa/9025707.html (No.9), oshiete.goo.ne.jp/qa/9030745.html (No.14), oshiete.goo.ne.jp/qa/9031029.html(No.7), oshiete.goo.ne.jp/qa/9041968.html (No.16), oshiete.goo.ne.jp/qa/9043173.html (No.12), oshiete.goo.ne.jp/qa/9042027.html (No.15)

      補足日時:2015/08/15 18:32

A 回答 (24件中1~10件)

63歳主婦です。



沢山の皆さんの回答を読まれてすこしは、スッキリされましたか?

私の手元に

■日本はこうして100年の歴史を歩んだ
ー欧米列強とアジアと日本の近現代史ー

というのがありましたから、抜粋してみますね。
oozora2000さんの、何かお役に立てるといいのですが、、。

①欧米諸国による植民地化の時代

300年から500年という長いあいだ、欧米諸国による植民地支配により、
アジア・アフリカの諸民族は非道な搾取に疲弊し苦しんできました。
発端は、大航海時代にスペイン、ぽるとがるがアジアの物産獲得のために
世界進出したことに始まります。
世界の全域を2分割して互いの進出範囲を決め、南北アメリカ大陸、アジア、アフリカなどの地域に進出していきました。
米大陸では、原住民が、スペイン、ポルトガルのの侵略によって奴隷化され虐殺されました。
その結果、激減した労働力を補うためにアフリカの黒人が奴隷として米大陸に連れて行かれました。
また、北米大陸への英仏の進出が早かったため、オランダは北米大陸を諦め、アジア、とりわけインドネシアに進出しました。
ここからインドネシアの苦渋の歴史が始まります。
一方、イギリスは、北米大陸やインドの植民地独占により豊かになり、産業革命が起こりました。
そのため原材料確保の植民地支配に一層拍車がかかり、アジアの植民地化が急速に、より広範囲に展開されました。
インド全域の支配だけでなく、東南アジア、中国、オーストラリア、オセアニアなど、次々に進出して行きイギリスは空前の経済発展を遂げました。 イギリスの発展に刺激された他のヨーロッパ諸国は、自らも産業革命を起こし、まだ進出の余地があったアフリカの争奪戦が始まりました。
産業革命による大量生産の出現は、大量の資源が必要となり、
その生産地である植民地の獲得欲を、欧米諸国は異常に増大させていったのです。
資源の獲得のためには、手段を選ばない非人道的な行為で、原住民の有色人種を抑圧し、特には死滅に追い込むこともありました。
欧米では、アメリカ独立戦争やフランス革命に象徴されるように、キリスト教の精神に基づいて「自由、平等、博愛」といった理想主義が高く掲げられ、近代国家が作られて行きました。
しかし、この理想主義はあくまでも欧米社会のものであって、自分たちを
繁栄させる資源の獲得をするための原住民には適用されるものではありませんでした。
このような植民地政策によって、清は植民地ではないものの欧米の支配下にあり、第二次世界大戦には、アジアで独立を保っていたのはわずか日本とタイの二ヶ国だけでした。
有色人種の中には、長い植民地支配の中で、いつしか有色人種は白人より
劣っているという列島意識が根付き、民族の誇りや独立の気概が失われて行きました。


②勇気を与えた日露戦争の日本の勝利

明治38年(1905)に日本がロシアにしょうりした「日露戦争」。
開戦当初、日本以外の国では、近代化を進めてわずか40年の極東の小国
日本が大ロシア帝国に勝てるとは思っていませんでした。
日本の勝利は、植民地支配で苦しんでいる人や人種差別下にあった人たちに独立の気概と勇気を与えました。
親日国として有名なトルコでは「東郷通り」などの名前がつけられ、子供に「トーゴー」や「ノギ」の名前をつける人が今でもいると言います。
日露戦争は、有色人種国家(日本)独自の軍隊による、白人種国家(ロシア)に対するきんだいにおいて初となる勝利でした。


③日本が提案した「人種差別撤廃」

国際会議において「人種差別撤廃」を明確に主張した国は日本が世界で
最初です。
第一次世界大戦後に開催されたパリ講話会議(1919年)において、
日本代表は、国際連盟の規約に「人種差別撤廃」を盛り込もうとの画期的な提案を行います。
しかし、国際連盟規約委員会の出席者16人中、11人の賛成を得たにもかかわらず「全会一致ではない」というウィルソン議長(アメリカ大統領)
の判断で否決されました。
この「人種差別の撤廃」の提案は、会議開催国フランスをはじめ、多くの国から共感をよびました。

④朝鮮と台湾の日本編入

イギリス、フランスなどの西洋列強が世界規模で植民地化を進め、いわゆる帝国主義時代のただなかで、日本は西洋列強による日本の植民地化に強い危機感を抱き、吉田松陰をはじめとする維新の志士たちの燃えるような意思と努力によって明治維新を達成し、日本は独立を全うし、西洋に伍するアジア唯一の近代国家になりました。
明治期、日本は朝鮮半島の混乱と日本への脅威をめぐって清国と戦った日清戦争、アジア征服への野望を持つロシアと戦った日露戦争、ともに
勝利して日本国の独立を維持し、そしてアジアでは突出した国力を持つ日本は、アジアへの責任を持つに至りました。
日清戦争によって、それまで清国の附属地とされていた台湾が日本の統治となり、その後朝鮮戦争が日本の領土となりました。
台湾はそれまで清国の領地とされていましたが、清国自身は台湾を「化外の地」(支配が及ばない地)として放置したままで、台湾は原住民(高砂族)と中国から渡った中国人たちの単なる居住地にすぎませんでした。
そのような地に、日本は台湾総督府を置き、巨費を投じ、ダムを建設し、
学校を作り、日本の領土として、その発展に尽くしました。
だからこそ、今でも日本の統治を体験した台湾人たちは、かつて日本人で
あったことを誇りに思い、日本を懐かしみ、日本の善政を高く評価し続けています。
朝鮮は、歴史的に中国大陸に勃興した諸王朝の属国として扱われ続けてきましたが、清朝末期には国としての機能麻痺をおこし、遂に明治43年、挑戦国王との間で日韓併合条約が結ばれ、朝鮮半島は日本の領土の一部となりました。
この併合には朝鮮半島の開発に多額の費用が掛かるため、日本国ないかも反対がありました。
事実、当時の日本の国家予算の半分近くを使い、インフラ及び教育などあらゆる分野に投資しました。
西洋列強の植民地政策と日本の台湾・挑戦の植民地政策は全く違ったものでした。
西洋は植民地をただ自国の富のため収奪の地とのみ考えていたのに対し、
日本は台湾や朝鮮を自国の領土と考え、日本列島と同様に、その地を開発
し、その地に住む人々を日本国民として扱い、その生活を豊かにしようとしたのです。

⑤満州建国と中国大陸の軍事進出

このように日本の考え方は一貫していました。
昭和に入り、中国大陸の北方、北東アジアの地域に日本は満州国を建国しました。
これは決して侵略などではありません。そこは、荒涼とした無主の地であり、匪賊や馬賊の横行する地域であって、そこに住む住民はいつ匪賊の
襲撃を受けるかわからない、一日として安心して暮らせる土地ではありませんでした。
その地に、漢人、朝鮮人、満州人、蒙古人、日本人の五族が平和に暮らすことを謳った「五族協和」を「建国の理念」とする「理想国家」が建設されたのです。
しかし、日本が大東亜戦争に敗北したことによって満州国もすがたを消してしまいました。
中国大陸の中央部は「中原」と呼ばれてますが、ここに十七世紀、北方民族である女真族が攻め入り清朝国を樹立し中国全土を支配します。
しかし、その後、清朝末期の十九世紀から二十世紀初頭にかけて西洋列島が押し入り、アジア・アフリカの地の地域と同じように、清国内には、
西洋列強の租借地(植民地)があちこちにでき、ロシアは旅順、大連、
ウラジオストク、ドイツは膠州湾、イギリスは九竜島と威海衛、フランスは広州湾、アメリカは出遅れたため、中国大陸ではなくフィリピンとグァムを支配しました。
そのやり方は実に卑劣なもので、イギリスなどは、植民地であるインドで栽培したアヘンを中国人に売りつけて巨万の富を得、清王朝がその取り締まりに出ると武力で清を屈服させました(アヘン戦争)
日本は明治期、多くの日本人が海外に移住し、朝鮮、中国のみならず、アメリカ、南米などにも多くの人が渡りました。中国大陸では治安が極度に悪化ししており、日本人居留民の保護が絶対に必要でした。
そのため、日本政府は、居留地に日本軍を派遣していました。
蒋介石率いる国民党とソ連指導下の中国共産党の覇権争いが激化し、
中国国内の治安がますます乱れました。
その中で、日本人居留民を標的にした事件が相次ぎ、不本意ながら日本軍は居留民保護の規模を拡大せざるを得なくなり、遂に広大な中国大陸に
戦線が拡大しました。
しかし、、大東亜戦争の敗北によって日本軍と日本人居留民は中国大陸の地を離れざるを得なくなったのです。

⑥日米開戦と大東亜戦争
ー日本は自衛と有色人種の解放を求めて戦ったー

日米開戦に至るまでの間、日本とアメリカが戦争になることに反対し、外交交渉により平和的に解決することを最も強く願われていたのが昭和天皇
でした。
しかし、日本の天皇は、内閣が決めたことを拒否する権限を大日本帝国憲法でお持ちではありません

開戦から半年のうち、日本軍は、長く東南アジアを植民地として支配していた欧米諸国の軍隊を次々と打ち破りました。
そして「大東亜民族の解放」を掲げて戦いました。

それまで数百年に渡って白色人種の奴隷として、また奴隷のように従わなければならなかった有色人種にとって、同じ有色人種である日本人の軍隊が、ものの見事に白色人種の軍隊を撃破して行く姿をまのあたりにしたことは、彼らに独立への希望を抱かせることに繋がったのです。
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この回答へのお礼

残念ながら、依然としてほとんどの回答に納得が行かず、モヤモヤは益々深まりました。そして、それでも尚、読み続け、且つ考え続けることが大切であるということに思い至りました。

まあ、欧米列強が歩んできた帝国主義の時代の最後に、日本が、その流れに乗っかりつつも、一味違うアプローチで、一石を投じたことは事実のようですね。
人種差別撤廃を提案したり、朝鮮や台湾の近代化に貢献したことは、日本だからこそできたことでしょう。

つくづく、日本の歴史は、世界の大きな歴史の流れの中で、全体的に見極める必要があると感じました。それを気づかせて下さった、ということで、このご回答にベストアンサーを差し上げることにします。

お礼日時:2015/09/09 22:30

お礼ありがとうございます。


現実を理解して下さい。理解できていない状態は、どちらですか発展がまるで違う現象が現実に起こります。食べる為に努力(学習)が出来無いのです。その為、実質乞食生活になるしかないのです。現実を告げるとヘイトスピーチとかぼかし始める訳があるのです。
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この回答へのお礼

再度有難うございます。
申し訳ありませんが、書いてある日本語の意味が・・・ちょっと理解できません。
私は、食べるためではなく、真実を理解したいという気持ちで、色んな本を読んだり、人の話を聞いて、勉強しています。間違っても、自分の都合の良いように歴史を歪曲して、相手国にヘイトスピーチを浴びせるような愚は犯したくありません。

お礼日時:2015/09/09 22:34

こんな内容でで世論を誘導しようとするとは卑怯ですね。

あなたは半島・大陸出身者ですか?それとも偽善者?
一つづつご回答します。


1.間違いなく侵略、植民地政策です。国の主権を奪ったことは大きな間違いでした。しかし内政は李朝鮮と比べるとはるかにマシでした。イギリス→インドのような圧政ではありませんでした。

高い水準の文化を提供し、教育を充実させ、公衆衛生を改善しました。平均寿命は劇的に改善しました。朴正煕元大統領も日本式教育に感謝する旨仰っていました。

日本統治前の李朝鮮は現在の北朝鮮のようなものでした。プラスとマイナスを比べると、一概に否定できません。


2.戦争を起こしたのは、日本、ドイツといった国単位の枠組みではありません。世界中に潜在した社会主義者・共産主義者です。ドイツはヒトラー単体の国家社会主義で戦争に突入しました。

戦前の日本陸軍には大量の共産主義者が侵入していました。日本陸軍の皇道派、統制派は両方社会主義勢力です。またアメリカ政府内にもコミンテルンのスパイが大量に侵入していました。

裏で手を引いていたのはソ連です。日本陸軍をわざと中国と衝突させ、アメリカのスパイと協力してわざと戦争に誘導しました。アメリカに日本を叩かせ、隙を見て日本を侵略するつもりでした。

近衛文麿も、東条英機も、松岡洋右もみんな社会主義者です。昭和天皇は戦争に反対していました。

戦争の当事者である陸軍出身者は戦後、大量に日本社会党・共産党に入り、何食わぬ顔で戦争を非難し始めました。実に卑怯な連中です。そして今度は平和を追求するフリをして日本の安全を脅かしています。朝日新聞がその例です。


3.中国では戦闘を行ったので、迷惑をかけています。韓国では戦闘を行っていないので、迷惑をかけていません。
それなのに必要以上に反省しました。お詫びもしました。賠償もしました。清算は終わったので、未来志向で行きたいと思います。
世界の平和に貢献するために、まず中国が行っているチベットへの侵略行為と、北朝鮮の核開発を糾弾したいと思います。
彼らは日本の過去を非難しておきながら、リアルタイムで自国民や周辺地域に人権侵害を繰り返しています。絶対に許してはなりません。


4.質問の目的が意味不明です。相手の弱みに付け込んで脅すチンピラのような質問ですね。すでに反省しています。お詫びもしています。


5. 質問の目的が意味不明です。日本は必要以上のお詫びをしてきました。東南アジアの各国の首脳は日本これ以上謝罪する必要はないと言っています。日本は東南アジアにも軍を進めましたが、日本人が優しかったので好意を持たれています。台湾も日本に心を寄せています。


6. 質問の目的が意味不明です。安倍首相は過去があって現在や未来があることを理解した上で発言しています。ドイツの首相も同じような表現を使っていますが、どこからも非難されていません。


7. 聞く耳を持つと思いますし、現に聞く耳を持たれています。PKOなどで日本が国際平和に多大な貢献をしてきた実績は高く評価されています。サンフランシスコ講和条約などで、すでに日本は敗戦国としての賠償は終了しています。


8. でっち上げです。ねつ造です。朝日新聞が認めて謝罪しています。逆切れなんてとんでもない。あなたこそ何なんですか?


9. 今上陛下におかれては、敗戦国の象徴としてのお立場を熟慮されての行動と思います。心苦しい心中をお察しいたします。
明仁天皇などと名前で呼ぶのは失礼です。何様のつもりですか。やはり外国出身者ですね。


10. 中国・朝鮮は世界でも稀に見る性格の悪い民族です。それが本音です。ネット上では自由に発言できます。ただそれを言っても何も始まらないので、各国首脳は建前で大人の対応をしています。


以上ご回答いたしました。
日本の一番の失敗は、中国朝鮮と関わった事です。

質問者様は勉強不足なところがお有りのようです。都合の悪い事実でも理解するようにすれば、モヤモヤも晴れるでしょう。
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この回答へのお礼

こういう言い方をされると、反感を覚えるばかりです。
私は、元々あまり中国や韓国のことを生理的に好きになれない60代の日本人で、近親者に中国や韓国の人はいませんが、何代も前の先祖も含めれば、そちらから来た人もいるかもわかりません。多くの日本人もそうだと思います。一体、それが何なんでしょう? 未だに、朝鮮半島出身者のことを「半島(から来た)人」とか「ザイニチ」とか呼んで卑下する風潮があるようですが、私はこういうのを大変恥ずかしく、醜く感じます。

さて、本題の回答を見ると、2で、戦争を起こしたのは、国単位ではなく、社会主義者だとか、多くの質問に意味不明と回答されていることは、到底受け入れることは出来ません。しかし、一面の真理はあるとも思いますので、参考にはさせて頂き、時間を取って頂いたことには感謝します。

お礼日時:2015/09/09 22:33

まず結論から入ると、日本は「ハングルの普及」「衛生状態の改善」「植林」「ダムの建設」など、近代化を行いました。



日本が行った朝鮮統治の実績
<<封建的諸制度、因習の廃止・禁止>>
  ・身分制度とそれに伴う特権や差別の廃止 (身分制度廃止令は併合前だが、実際は後)
    奴婢の解放 (人口の30%)
    両班の特権廃止
    女性の解放(名前を奨め、再婚を許可)
    衣服の自由化、瓦屋根や二階建て以上の家屋の制限を撤廃
  ・因習の廃止
    人身売買の禁止
    宦官(睾丸の腐割)の禁止
    纏足の禁止
    少女を妓生とすることを禁止
    呪術的医療の禁止(朝鮮巫術の禁止)



<<近代的経済法制の導入>>
  ・私有財産の保障(所有権制度の整備)
  ・土地測量と地籍の確定 (墳墓など0.05%位が未申告地として残った)
  ・近代的企業制度と商法の確立
  ・通貨制度の整備
  ・度量衡の統一
<<近代的社会制度の導入>>
  ・罪刑法定主義を徹底(私刑の禁止)
  ・残虐刑を廃止
  ・行政の単位をそれまでの一族から、家族(氏)に規定(これが創氏の目的)
  ・家長の権限を制限
  ・地方の行政長や議員の選挙による選出
<<教育・医療の近代化と普及>>
  ・小学校5,000校以上、大学など1000校以上を建設


 ・ハングルの整備と普及
  ・西洋医学や衛生思想の普及、疫病の防除と罹患者の隔離、医療施設の整備
<<社会基盤の整備>>
  ・道路、橋、鉄道(4000km)、港湾の整備、電源開発
  ・治水事業による耕地拡大と農業の近代化
  ・大規模な植林(6億本)
これらの諸政策の結果、次のよう成果があった。
  ・1920・30年代GDP平均成長率4%(1920年代の世界経済は2%以下、日本は3%強)
  ・1人当り国民所得が1910年の40ドルから倍増
  ・日本資本の大量流入(統治期間総額で80億ドル)による通信、運輸、都市の発達
  ・耕作地の拡大(246万町から449万町まで)
  ・米の反当り収穫量が0.5石から1.5石まで3倍増
  ・農産物、工業製品の輸出の急増 (内地で半島米の輸入反対運動が起こった程)
  ・人口が1300万人から2600万人に増加
  ・平均寿命が24歳から56歳に
  ・識字率が61%を超えた(1944年時、併合時は4%程度と推定されている)
このように日本は朝鮮の近代的統治により多くの負担を払ったのです。
それによりどれだけの朝鮮人が利益を享受したでしょうか。
しかし日本は大東亜戦争に敗戦しました。
朝鮮人は敗戦国民になりたくなかったので、日本に手のひらを返し、自らを「戦勝国民」と位置づけました。
韓国政府も政権を運営する為に、又自分たちの歴史が誇れるものでは無いことに気づいたので
偽りの歴史を教えはじめたのです。

日本が、韓国を植民地政策と言いますが、植民地にしてこのような事をしますか?
韓国を植民地にしていなかったという事です。
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この回答へのお礼

日本が朝鮮統治の間に、朝鮮社会のために尽くした中には、本当に沢山の項目があるのですね。中でも、ハングルの普及に日本が尽くしたことは、もっと今の韓国人に知られても良い事ですね。丁寧に挙げて頂き、感謝します。

お礼日時:2015/09/09 22:36

政治家になる前は、志し清らかなれど、いざ立候補、当選の運びとなりにけり、党内外に揉まれ、当初の志しはやがて消え失せ、長い者に負かれろです。

そしてそこで培ったノウハウを、自公園連立での今回の騒ぎなので素。
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この回答へのお礼

そうですね。政治の世界でも、自分の理想・理念や信条の追求とばかりには行かず、どうしても党利党略や保身に走る面がありますね。

お礼日時:2015/09/09 22:32

No.19です。



字数オーバーしましたので、続きを、、、。


⑦戦後に本からの克服
ー日本人しての誇りを取り戻そうー


大東亜戦争は日本の敗戦で終わりましたが、その後、アジアの人々は日本軍の勇敢な戦いに鼓舞され、再びアジアを植民地にしようと押し寄せてきたアメリカやイギリス、オランダ等の軍隊に対して、独立戦争にたちあがりました。
その独立戦争には、祖国に本に帰らず、現地の人々と共に戦った数多くの日本軍人もいました。
インドネシアでは約2000人、ベトナムでは約800人などと言われています。
昭和30年、第一回「アジア・アフリカ会議」がインドネシアで開催され、西欧の植民地支配から独立したアジア・アフリカの29カ国が参加しました。
ことし、2015年4月、その60周年の会議が開かれました。
参加国は80カ国以上にのぼりました。
このようにアジア・アフリカの国々が次々と独立を果たす原動力となったのが、日本だったのです。
しかし、日本人はそうした事実をほとんど知らされていません。
それは、アメリカの占領軍(GHQ)が行った日本弱体化政策(日本人に
犯罪意識を刷り込む計画)が日本人に深く植え付けられているからです。
GHQはみ、占領終了後も未来永劫にわたってアメリカの属国として
日本をつくりかえるため、日本民族から記憶を奪い、精神を破壊し、徹底的に日本人を洗脳しました。それは、報道規制をはじめ、検閲と言論統制、神道指令、公職追放、日本の国家指導者を裁いた極東国際軍事裁判(東京裁判)、日本国憲法の押し付けなどかあります。
特に日本国憲法は、日本を弱体化してアメリカの意にそうようにとの指針のもと、GHQの20代〜50代のスタッフがわすが10日間ほどでそうあんしたもので、その中には一人として、憲法学者も国際法に通じた専門家も入っていません。
現在、安倍晋三首相が「憲法は国の基本であり、日本人自らの手で
かきあげていくことこそが、新しい時代を切り拓いていく」として
憲法改正に着手していますが、その大きな一歩は、必ず日本人としての
”自信”と“誇り”を取り戻すきっかけにつながると思います。




oozora2000さんも、初めて知ることもあったのではないでしょうか?

お役に立てればさいわいです。
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この回答へのお礼

4回答連続のスペースを使って、貴重な時間を私のために割いて頂いたことに感謝します。
色々なことを教えて頂いたことには感謝しますが、上にも書いたように、歴史には、大抵、「陽」の面もあれば「陰」の部分もあり、全て良いことづくめ、とは考えられません。私は、今後も読み、考え、悩み続けることで、安易にこのテーマについては、結論を急がないことにいたしました。

お礼日時:2015/09/09 22:31

63歳主婦です。



西洋列強の東南アジアの植民地政策と、日本の朝鮮・台湾の植民地化

は、全く違うものです。

西洋は、植民地をただ自国の富のための収奪の地とのみ考えていましたが

、日本は台湾や朝鮮を自国の領土と考え、日本列島と同様に、

その地を開発し、その地に住む人々を日本国民として扱い、

その生活を豊かにしたのです。

そうでなければ、日本の国家予算の半分以上も朝鮮半島のために使いませんよ。
その当時の朝鮮半島は、くにとして、まとまりのない未開の地でした。

そこに、日本の国家予算の半分以上も使ってインフラ整備を行い、

学校を作り教育が整ってなかった朝鮮半島に学校をつくったのです。

それは、ご存知ですよね?

どうしてそのことから、目を逸らすのでしょうか?

7)ですが、「謝罪」を戦争を知らない次世代に背負わせてはいけない

ということだけを言うと、また、中国、韓国がやかましく突ついてくるで

「だけどまあ、過去の歴史に向き合わなくてはいけない」というのは、

安倍さんとしては、日本だけが反省すべきことでもないよ。

白人諸国も反省しなさいよ」といっておられるのではないですか?

あの当時の、白色人種による黄色人種にたいする非道な搾取も

問われなければなりませんからね。

沢山の本を読んでおられるのですね。

ついでに、そこまで勉強されておられるのなら

明星大学戦後教育史研究センターの

勝岡寛次さんの本を読まれると、貴方の疑問は即、解決すると思いますよ。

読んで見てくださいね。
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この回答へのお礼

西洋は、植民地をただ自国の富のための収奪の地とのみ考えていましたが、日本は台湾や朝鮮を自国の領土と考え、日本列島と同様に、その地を開発し、その地に住む人々を日本国民として扱い、その生活を豊かにした・・・確かにその面は否めないですね。どうしてそこまで日本は、彼らに貢献したんでしょうか?

今回の安倍さんの談話では、最初の方に、日露戦争の勝利がアジアの人々を勇気づけたとか、帝国主義の時代に欧米列強も植民地主義に走ったといったことを述べたのは、日本だけではなく彼らも反省すべきだったということでよかったと思います。

尚、勝岡寛次さんの本ですが、是非読ませて頂こうと思い、本屋や図書館の在庫チェックもしましたが、どうもタイトルを見ただけで反感を覚え、読む気になれません。既に、その後も、他の本を次々に読んでおり、優先順位が後にならざるを得ません。それと、歴史を論ずる場合、一言で「歴史を等身大に見よう」と心がけたとしても、その歴史的事実をどちらのサイドから見るかによって、色んな考え方があり、夫々に一理があると考えられるので、「即、解決する」という筋合いのものではないと考えますし、もし、それが出来るのなら、まずそれは疑ってかかるのが、反知性主義に陥らない道だと考えます。今回の質問では、「モヤモヤを何とかしたい」と言いましたが、今では、それは土台無理とあきらめています。

お礼日時:2015/09/09 22:29

63歳主婦です。



貴方は、だいじなことを忘れています。

「大東亜戦争で、確かに日本は東南アジアに進撃した。

しかし、進撃した地域は、英領、米領、欄領、仏領であり、

いずれも既に、白人諸国によって侵略され尽くした植民地ばかりであった。
フィリピンとか、マレーとか、インドシナとか、ビルマ(ミャンマー)

とかいっても、それは単なる植民地の地域名に過ぎず、

日本軍が一時占領したのは、白人侵略領土そのものでした。

侵略地を解放のため「進撃」したのです。

これがどうして「日本の侵略」になるのでしょうか?

白人諸国は、日本を撃滅後、直ちに元の姿に取り戻そうとしたが

、そうはいかなかった。

ひとたび、日本軍の進出によって白人支配からの解放をを、

すなわち独立の味を知った彼らは、

二度と植民地住民であることを拒み決して、

二度と植民地の住民であること背んぜず、

一切に民族独立の旗を挙げ始めました。

東南アジアの住民が独立国として国名を持てるようになったのは、

日本が戦った時以来です。

もちろん、インドも独立した。

白人侵略国はその殆ど全てを失ったのです。

十六世紀以来の世界侵略の歴史に終焉をもたらしたのは

日本軍のおかげなのです。

日本は、英、米、欄、仏と戦ったのです。

ただ、その戦場が東南アジア地域であり、住民中、侵略国側に駆りたてら

れたものが、戦火の犠牲になったことは致し方ない。

しかし、これをもって全般的に日本軍から受けた損傷というのは

真実を歪曲するものです。

現に、インドシナ、マレーシア、ミャンマーその他は、今でも、日本軍

に親愛と信頼を持っています。

日本によって独立を勝ち取ったとする正当な認識は必要でしょう。

先の、大東亜戦争の日本軍の進撃によって

白人諸国から侵略されて植民地化されていた東南アジア諸国は

独立できたのです。

日本という国が、偶然、極東に勃興した。

そして日露戦争でロシア帝国と一戦を交えて勝った。

このことは、単に日本、朝鮮、中国を白人諸国からの侵略から

救ったばかりでなく、欧州最大最強のロシア帝国自体が、

このため崩壊した。

それによって、アジア諸国の植民地化は解放されたのです。

世界史は日本が変えたのです。

日本無しに世界の有色人種の独立と自由はありえなかったのです。

こういうことも頭に入れて置かれた方がいいとおもいます。
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この回答へのお礼

このあと、連続投稿を頂き、ご親切に有難うございます。
私も同年代の男性ですが、どうやら考え方は、反対方向に向かっているようですね。

なるほど・・・日本軍の進撃したのは、既に、白人諸国によって侵略され尽くした植民地ばかりだったので、それは、「侵略」ではなく、「解放」だったのですね。
だから、戦後、彼らは独立し、日本に感謝していると。
そういう筋立てについてもよくその経緯を勉強する必要がありますね。

お礼日時:2015/09/09 22:27

戦争は中途半端に降伏するとこうなるんですねえ。

やるなら滅亡覚悟で玉砕あるのみですから!!!モヤモヤは日本が存続する限り永遠ですよ。
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この回答へのお礼

やるなら徹底的に戦うべきだったという欲求不満が、今でも残っているのですか?往生際が悪いと言われるのも覚悟しているのですか?

お礼日時:2015/09/07 19:59

もう一度マトモな歴史を学びましょう。

それ以外に貴方に対して語るべき言葉はありません。
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この回答へのお礼

以前、宗教関連のカテで、ご回答に大変共感を覚えましたが、今回に関しては、「ハイ、そうですか?」と素直にうなづくことは出来ません。

ここ数か月の間、このテーマに集中して、多くの本を読んだ結論が今の私の考えなので、この考えを改めるには、相当のエネルギーを要します。今後とも、より色んなアプローチの本などで勉強し、考えを補強しようとは思っています。

お礼日時:2015/09/07 19:57

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