今回は三大欲求と云うテーマで、理性に於ける欲求と情感に於ける欲求に付いて質問をして、頂いた回答から一応私なりの答を出せたので、回答者の皆さんには感謝して居ります。
精神の働きとして理性と感情と意志のあることは一般の知識となって居る様なので、三つめの意志に付いても考えて見ていたら・・・
この三大欲求というテーマを"意志"にぶつけることは出来るんだろうかという疑問が生じ、端(はな)から躓いてしまいました。
意志とは力、或いはそうした意味でのエネルギーと思えるからです。欲求という感じではないですよね。
生命には生きる力があって、その事を生きようと云う意志(力)があると表現できますが、・・・ここまで考えてきたら、それならば生きようとする意志は、生きたいと云う事じゃないかと思ったのです。
生きたい。これは欲求ですよね。
そうすると意志には生きたいという欲求が有る、と言えることになります。
そこで質問です。
後二つ、何かしたいという欲求の何かとは何でしょうか。
後二つ、何かありませんか。
今の処、私は全く思いつくことが有りません。
お知恵拝借。宜しくお願いいたします。
No.6
- 回答日時:
「意志」というものは、「欲求」に思想的規範を課したものと
思うので、「欲求」の一部には違いないと思います。
ただ、「意志的三大欲求」という風に分類するのはとても難しい。
1 生きたい
2 自己完結したい
3 創造したい
かな??
pg8さんへのお礼の後になりました。
急いでウィキを見たので、意志と云う心の働きに付いての見方が少し違ってきたような気分でいます。
そんな気分で頂いた回答に摂すれば、なるほど、これも言えてるかも知れないと思えます。
新たな思いが一つ浮かんだんですが、意志とは無意識的ではないか?と云う事でした。
もっともこうしてしまえば、理性だって感情だっていちいち意識している訳ではない、なんて叱られそうですが。
でも、欲求に思想的規範を課したもの、であるならば"無意識的"とは云え無くなってしまいますね。
ありがとうございました。
No.3
- 回答日時:
1. 自己還帰
2. 他者感化
3. 大道無門
1. わたしがわたしみづからを自覚するというのは たいていおのれの心・おのれの意志とはちがった生き方をしていると気づき 悔やしがるとき。
よって わたしは わたしがわたしでありたいと欲する。自己へ到来しようとする意志。
2. 自己到来が曲りなりにも出来たら その人間性をとうとび 他者にも同じような人間性を求めがちになる。
ときには 他者に感化したいというまでに心がたかぶる。脱線はしなくなったと思うかも知れない。ただし 道草が多くなる。
3. 挫折しつつ 人間のさまざまな心のあり方にまなび すでにおのれのハカラヒを自然に削り落として行く。白紙と化す。
タブラ・ラサ。大道無門。自然法爾なるわが意志。
No.2
- 回答日時:
問いかけが間違っていれば、正しい答えには到達出来ない。
それが、自明の理です。「意志」とは抗う動力ですよ。時には「欲求」にも抗います。また、「意志」に適うよう抗えたからと言って「欲求」が消失する訳でも無い。
「意志」の捉え方が違うよ。間違った解釈をしているよ。との注意ですね。
生き物が生きようとしているのを、それは「意志」という力が働いているからだ、と見てはいけないと。
とりあえずこのように受け止めてみましたが。
この解釈も間違っていますか。
あることに抗うように働く力が「意志」なのであって、助力的は動力は「意志」とは云わないんですね。
反動こそが「意志」であると。
なるほど。
新種を発見した気分です。刺激を受けました。
幼稚な質問に高級な回答、ありがとうございます。
お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!
似たような質問が見つかりました
- 哲学 情欲のない生殖とは どういうことか? 19 2023/02/18 18:41
- 哲学 感性は 理性よりもえらい。 6 2022/04/03 10:15
- その他(就職・転職・働き方) 非常識じゃないですよね… 2 2022/04/20 12:15
- 宗教学 現代のお経(←私の勝手な解釈です)の極一部分を、、、 1 2023/04/19 15:25
- 哲学 体 対 心 9 2023/01/31 18:01
- 哲学 ウソの問題 理論編:《虚数人間》の成り立ちについて 2 2022/05/23 22:25
- 哲学 意識と認識との区別を! 25 2023/05/12 14:31
- 哲学 アウグスティヌスの《さとり》:情念編から伸びて・・・ 16 2023/04/28 19:39
- 心理学 自分の意見をハッキリ言いすぎる人も自分の意見を全く言えない人も共通して、他人との折り合いのつけ方を知 4 2023/06/07 23:33
- 哲学 人は神と連続してつながっているか? 2 2022/08/30 14:18
おすすめ情報
デイリーランキングこのカテゴリの人気デイリーQ&Aランキング
-
しないと子供ができないのに、...
-
人間は何故本能よりも理性を尊...
-
「理性を抑える」ってどのぐら...
-
生きていくのがつらくても、そ...
-
高2倫理の範囲で質問です。 プ...
-
なぜ情欲を劣情とするのか?
-
カントの考える自由
-
人はなぜ争うのか
-
本能が壊れた動物である人間
-
「腹が立つ」という感情はどこ...
-
縄文人的原始心性――プロト歴史...
-
純粋な疑問 昔の人はどうやって...
-
悟性とは? 頻出現代文重要語70...
-
みなが質問文に忠実な答えなど...
-
カントの純粋理性と実践理性に...
-
知性とは何か
-
あまり痛くない死に方をおしえ...
-
どこかでひっそり死ぬ方法はあ...
-
早く死んで楽になりたいです。 ...
-
飛び降り
マンスリーランキングこのカテゴリの人気マンスリーQ&Aランキング
おすすめ情報
無意識的に生きようと云う生物としての"意志"の入り込む余地は全くなさそうですね。
"存在"的なものが現れていますね。
意志とは抗う動力!
ああ、
まだ、よく分からない・・・
人間は社会を造って生きるものだ、という考えを元にして物事を考えた事の無かったことを知りました。
だから質問には、人間を動物として見た場合は、と言った思いが無意識的にあったんだろうと思います。
人間は社会を造る。これは意志の働きに依るものだ。と云う事ですね。
感想などを補足欄に書いて見たので、思う処があったら聞かせてください。
結論が出ました。
いつものように例えを使っての説明になります。
以前にもここで使った事があったかと思いますが。人の心の働きである"理性・感情・意志"の三つは馬車に例えられると思うのです。
理性と感情は車輪で、意志は馬に当たると。
そして理性は判断、感情は反応、意志は力、という作業をするとします。
そうすると理性と感情は、車輪に右、左と云った違いが有るように、判断と反応という違いは有るけれど、車輪と云う"役目"は同じなんだと思えます。
でも意志は進む力だから、作業は力の行使であって、理性と感情とは"役目"が違いますね。
役目が違うと気づいたら、意志に対しても理性や感情と"同等な"三つの欲求を探そうとしていた事が、辞書に有る定義を要求の一つに挙げることに違和感を感じたり、前置きを付けたくなったりしていたんだ、と分かったんです。・・・今夜また(寝なきゃいけない)
日にちが空いてしまって気の抜けた感が有りますが、取り戻して整理説明してみます。
一つ前の補足の続きです。
"同等な"とは「生物としての意志」(回答№5のkoxさんの表現を借りました)と云った意味合いです。
意志と云う言葉をこの意味でしか捉えていなかったんです。
でも、辞書に依れば・・・と云われてみて考えているうちに、人間の意志の中に社会性は欠かせない事なのかも知れないと思えるようになって、"意志"に対する考え・視点、が変わったんです。
そうしたらこれは縦型と云えるかも、と思いつきました。(縦型社会・横型社会なんて言葉は知って居ました)
生物としての意志から社会的意志へという流れは縦型と云えるなぁと思ったんです。
そしたら必然、次の段階は"精神性"になりますね。
それに対して、理性や感情の"要素"は横型と云えるのではないでしょうか。
次へ続けます。
理性や感情の要素が横型として意志を縦型とすると理性と感情で平面を作り、意志が加わって立体となる。嗚呼、存在。。
存在は立体。立体は3。3は安定。安定=存在。五徳(三本足の)は多少足の長さが違っていても安定する処からの連想です。
と、まあ、ちょっと脇にそれてしましましたが。
本題に戻って、考えをまとめると「生物として・人間として・神仏として(ちょっと語弊があるかも、或いは誤解されるかも)」となって、結論が出ました。
1.生物として生きようと云う力。
2.人間的社会を造ろうと云う力。
3.精神的な向上心と云う力。
なんか、もう一工夫必要かなとは思いますが今はこう結論しました。
次の補足欄へ。
最後です。
今回は大収穫でした。
こうした結論を出せたのも皆さんが寄せてくれた回答があったから、です。
回答者様の多くは表現の違いこそあれ、意見は一致していたと思います。
そして特にpg8さんとhakobuluさんには大感謝です。
私の意識を掘り起こして下さって本当にありがとうございました。
当たり前の視点ではお二方が私にとってのベストアンサーとなります。
でも視点を変えて見れば一つ選べます。
選んだのは、答えを導く要素を示したkoxさんの回答№5です。
1.生物としての意志
2.社会的動物としての意志
3.動物とは違う人間としての意志
その視点は・・・『一回こっきりの潔さ』。
皆様、本当にありがとうございました。