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今回は三大欲求と云うテーマで、理性に於ける欲求と情感に於ける欲求に付いて質問をして、頂いた回答から一応私なりの答を出せたので、回答者の皆さんには感謝して居ります。

精神の働きとして理性と感情と意志のあることは一般の知識となって居る様なので、三つめの意志に付いても考えて見ていたら・・・
この三大欲求というテーマを"意志"にぶつけることは出来るんだろうかという疑問が生じ、端(はな)から躓いてしまいました。

意志とは力、或いはそうした意味でのエネルギーと思えるからです。欲求という感じではないですよね。
生命には生きる力があって、その事を生きようと云う意志(力)があると表現できますが、・・・ここまで考えてきたら、それならば生きようとする意志は、生きたいと云う事じゃないかと思ったのです。

生きたい。これは欲求ですよね。
そうすると意志には生きたいという欲求が有る、と言えることになります。

そこで質問です。
後二つ、何かしたいという欲求の何かとは何でしょうか。
後二つ、何かありませんか。

今の処、私は全く思いつくことが有りません。
お知恵拝借。宜しくお願いいたします。

質問者からの補足コメント

  • 無意識的に生きようと云う生物としての"意志"の入り込む余地は全くなさそうですね。

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/08/15 22:35
  • "存在"的なものが現れていますね。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/08/15 22:37
  • 意志とは抗う動力!

    ああ、
    まだ、よく分からない・・・

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/08/15 22:39
  • 人間は社会を造って生きるものだ、という考えを元にして物事を考えた事の無かったことを知りました。
    だから質問には、人間を動物として見た場合は、と言った思いが無意識的にあったんだろうと思います。

    人間は社会を造る。これは意志の働きに依るものだ。と云う事ですね。

    No.5の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/08/15 22:56
  • 感想などを補足欄に書いて見たので、思う処があったら聞かせてください。

    No.7の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/08/15 23:04
  • 結論が出ました。
    いつものように例えを使っての説明になります。

    以前にもここで使った事があったかと思いますが。人の心の働きである"理性・感情・意志"の三つは馬車に例えられると思うのです。

    理性と感情は車輪で、意志は馬に当たると。
    そして理性は判断、感情は反応、意志は力、という作業をするとします。

    そうすると理性と感情は、車輪に右、左と云った違いが有るように、判断と反応という違いは有るけれど、車輪と云う"役目"は同じなんだと思えます。
    でも意志は進む力だから、作業は力の行使であって、理性と感情とは"役目"が違いますね。

    役目が違うと気づいたら、意志に対しても理性や感情と"同等な"三つの欲求を探そうとしていた事が、辞書に有る定義を要求の一つに挙げることに違和感を感じたり、前置きを付けたくなったりしていたんだ、と分かったんです。・・・今夜また(寝なきゃいけない)

      補足日時:2015/08/17 02:02
  • 日にちが空いてしまって気の抜けた感が有りますが、取り戻して整理説明してみます。
    一つ前の補足の続きです。

    "同等な"とは「生物としての意志」(回答№5のkoxさんの表現を借りました)と云った意味合いです。
    意志と云う言葉をこの意味でしか捉えていなかったんです。
    でも、辞書に依れば・・・と云われてみて考えているうちに、人間の意志の中に社会性は欠かせない事なのかも知れないと思えるようになって、"意志"に対する考え・視点、が変わったんです。

    そうしたらこれは縦型と云えるかも、と思いつきました。(縦型社会・横型社会なんて言葉は知って居ました)
    生物としての意志から社会的意志へという流れは縦型と云えるなぁと思ったんです。
    そしたら必然、次の段階は"精神性"になりますね。

    それに対して、理性や感情の"要素"は横型と云えるのではないでしょうか。

    次へ続けます。

      補足日時:2015/08/21 08:07
  • 理性や感情の要素が横型として意志を縦型とすると理性と感情で平面を作り、意志が加わって立体となる。嗚呼、存在。。
    存在は立体。立体は3。3は安定。安定=存在。五徳(三本足の)は多少足の長さが違っていても安定する処からの連想です。
    と、まあ、ちょっと脇にそれてしましましたが。

    本題に戻って、考えをまとめると「生物として・人間として・神仏として(ちょっと語弊があるかも、或いは誤解されるかも)」となって、結論が出ました。

    1.生物として生きようと云う力。
    2.人間的社会を造ろうと云う力。
    3.精神的な向上心と云う力。

    なんか、もう一工夫必要かなとは思いますが今はこう結論しました。

    次の補足欄へ。

      補足日時:2015/08/21 08:38
  • 最後です。
    今回は大収穫でした。
    こうした結論を出せたのも皆さんが寄せてくれた回答があったから、です。
    回答者様の多くは表現の違いこそあれ、意見は一致していたと思います。

    そして特にpg8さんとhakobuluさんには大感謝です。
    私の意識を掘り起こして下さって本当にありがとうございました。
    当たり前の視点ではお二方が私にとってのベストアンサーとなります。

    でも視点を変えて見れば一つ選べます。
    選んだのは、答えを導く要素を示したkoxさんの回答№5です。
    1.生物としての意志
    2.社会的動物としての意志
    3.動物とは違う人間としての意志

    その視点は・・・『一回こっきりの潔さ』。

    皆様、本当にありがとうございました。

      補足日時:2015/08/21 09:02

A 回答 (15件中11~15件)

「意志」というものは、「欲求」に思想的規範を課したものと


思うので、「欲求」の一部には違いないと思います。

ただ、「意志的三大欲求」という風に分類するのはとても難しい。

1 生きたい
2 自己完結したい
3 創造したい

かな??
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この回答へのお礼

pg8さんへのお礼の後になりました。
急いでウィキを見たので、意志と云う心の働きに付いての見方が少し違ってきたような気分でいます。

そんな気分で頂いた回答に摂すれば、なるほど、これも言えてるかも知れないと思えます。

新たな思いが一つ浮かんだんですが、意志とは無意識的ではないか?と云う事でした。
もっともこうしてしまえば、理性だって感情だっていちいち意識している訳ではない、なんて叱られそうですが。

でも、欲求に思想的規範を課したもの、であるならば"無意識的"とは云え無くなってしまいますね。

ありがとうございました。

お礼日時:2015/08/15 22:29

物質の持つエントロピー増大は、崩壊=淘汰として、


進化を導き、個体たる生命に「生きる意志」を与える。

生きる事は;
1.肉体を維持するための、生理的に生きる欲求(食欲、睡眠欲など)
2.心としての宇宙を維持するための、認識の深まり(好奇心、知識欲)
3.1と2をつなぐ、物質循環や交配といった環境との相互作用(愛、他我)
といった多面性を有する。
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この回答へのお礼

人の持つ理性とか感情とかは「生きる意志」の中に含まれるのでしょうか。

ありがとうございます。

お礼日時:2015/08/15 17:23

1. 自己還帰


 2. 他者感化
 3. 大道無門

 1. わたしがわたしみづからを自覚するというのは たいていおのれの心・おのれの意志とはちがった生き方をしていると気づき 悔やしがるとき。
 よって わたしは わたしがわたしでありたいと欲する。自己へ到来しようとする意志。

 2. 自己到来が曲りなりにも出来たら その人間性をとうとび 他者にも同じような人間性を求めがちになる。
 ときには 他者に感化したいというまでに心がたかぶる。脱線はしなくなったと思うかも知れない。ただし 道草が多くなる。

 3. 挫折しつつ 人間のさまざまな心のあり方にまなび すでにおのれのハカラヒを自然に削り落として行く。白紙と化す。
 タブラ・ラサ。大道無門。自然法爾なるわが意志。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

相変わらず難しいです。
感想を持てたら補足欄に書き込みます。

ありがとうございました。

お礼日時:2015/08/15 13:53

問いかけが間違っていれば、正しい答えには到達出来ない。

それが、自明の理です。
「意志」とは抗う動力ですよ。時には「欲求」にも抗います。また、「意志」に適うよう抗えたからと言って「欲求」が消失する訳でも無い。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

「意志」の捉え方が違うよ。間違った解釈をしているよ。との注意ですね。
生き物が生きようとしているのを、それは「意志」という力が働いているからだ、と見てはいけないと。

とりあえずこのように受け止めてみましたが。
この解釈も間違っていますか。

あることに抗うように働く力が「意志」なのであって、助力的は動力は「意志」とは云わないんですね。
反動こそが「意志」であると。

なるほど。
新種を発見した気分です。刺激を受けました。

幼稚な質問に高級な回答、ありがとうございます。

お礼日時:2015/08/15 13:50

生きている証を残したい。


やたらと自分の銅像を建てたがる心理みたいな
次世代の生命を生み、育てたい。
母親が自分の命を捨ててでも、子供を守る母性本能のような
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

心には潜在する意力が有る、と言っているように思いました。

ありがとうございます。

お礼日時:2015/08/15 13:35

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