準・究極の選択

意図が伝わらなかったようなので、少し詳しく回答しなおそうと思いましたが、回答が
ブロックされているので、自分で質問してみます。
質問は初めてなので、よろしくお願いします。

違和感という言葉は、感じるという動作を表しておらず、何か変だなという感覚を表します。
一方で、例えば実感のように、場面によっては感覚、またある場面では動作を意味する言葉も
あります。

実感は、動作も意味するので、実感するというように、いわゆるサ変動詞化が可能です。
これに対して、動作を意味しない違和感は、違和感するのような言い方ができません。

つまり、「違和感を感じる」は重言ではなく、「何か変だなと感じるを感じる」であり二重表現だ、
という批判は成立していません。
(将来、違和感が動作も意味するようになり、違和感するが普通になれば、この批判も成立しますが。)
また、違和感を覚えると言い換えたところで、この場合の覚えるは感じるという意味なのですから、
もし違和感を感じるが二重表現なら、何の解決にもなっていません。

少なくとも現在「違和感を感じる」に目くじらを立てている方は、「違和“感”を“感”じる」と、
“感”がほぼ連続しているからいけないとか、感覚は感じるのが当然なのだからいけないという
理由なのでしょうか。
そのような方たちは、例えば「普段着を着る」「痛みを感じる」等にも、目くじらを立てて
いらっしゃるのでしょうか。

A 回答 (10件)

その回答は件の質問にありますね。


>目くじらを立てていらっしゃるのでしょうか。
目くじらを立てているかは人によるでしょうね。
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この回答へのお礼

早速のご回答、ありがとうございます。

どういう理由で目くじらを立てていらっしゃるのか、そしてそれはほかの言葉にも適用していらっしゃるのかを
お聞きしたいと思い、質問しました。
言葉足らずで申し訳ありません。

お礼日時:2015/08/16 16:32

違和感という言葉は、「ちぐはぐな感じ」という意味です。


違和感を感じるという言葉は「ちぐはぐな感じを感じる」という意味になります。
「感じる」という動作が「感じ=感覚」という言葉にかかっています。
「感じる」という動詞は「感覚を起こす」という意味です。
つまり、違和感を感じるという言葉は、「ちぐはぐな感覚という感覚を起こす」という意味になります。
ですので、誤った表現だとされています。

余談ですが、普段着は「日常的に着る衣装」という意味です。
「普段着を着る」の「着る」という動詞は「衣装」にかかっています。
「衣装を着る」という意味ですので、「違和感を感じる」とは全く別の問題です。
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この回答へのお礼

御回答、ありがとうございます。

またしても言葉足らずで、すみません。
「普段着を着る」は、「違和“感”を“感”じる」と、“感”がほぼ連続しているからいけないと
おっしゃる方に向けた例でした。
ぷりんたい様には、「痛い感覚という感覚を起こす」になると思われる、「痛みを感じる」に
ついて、御意見をお寄せいただければ幸いです。

お礼日時:2015/08/16 17:55

>違和感という言葉は、「ちぐはぐな感じ」という意味です


これに疑問が残ります。
敢えて言い換えれば、が省略されています。
違和感、単独で名詞です、感(感じる)が主体ではなく、違和が主体です、違和と表現される内容を持ったものに対する反応、を名詞で表せば違和感となる。
ちょっと、こじつけ過ぎかな。
達成感は達成する(した)感じ、と分解できます、それこそ何の違和感もなく。
違和感は違和する(した)感じ、と分解するには相当抵抗があります。
もし、違和感というものを感じます、としたら?、「というもの」前の言葉、ならず文章をも、その内容をまとめて名詞化しますね、その名詞化されたものを、感じる、名詞化された内容が食べ物であれば、食べる、乗り物であれば、乗る、感じることができる内容なら、感じる。
違和感を感じないように思います、おっと、違和感がないように思います、ですね、でも前の表現のほうが感じはよく伝わります。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございました。
御礼が遅くなってしまい、申し訳ありません。

違和感の使い方の一つは、例えば、空腹に対する空腹感のような使い分けかな~と思っています。
実際にお腹がすいた場合は、「空腹を感じる」ですけれど、実際にはそうではないのに、何らかの原因でお腹がすいたように感じる場合、
「空腹感を感じる」と言うような。

ちょっと御回答から話がずれてしまいました。すみません。

お礼日時:2015/08/20 19:03

痛みというのは、「肉体的・精神的な苦痛」という意味ですので、「痛みを感じる」は「苦痛の感覚を起こす」という意味になり、そのまま使えます。


「苦痛感」という言葉がもしもあったとしたら、「苦痛感を感じる」は誤りです。「苦痛の感覚という感覚を起こす」という意味になりますから。
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この回答へのお礼

再度御回答くださり、ありがとうございます。
御礼が遅くなってしまい、申し訳ありません。

苦痛というのは、感覚の一種かと思います。
ここでは、「違和感」は感覚か動作かという話ですので、例としての痛みも、感覚と明確にしたほうが考えやすいのでは
ないでしょうか。

お礼日時:2015/08/20 19:19

1.なぜ「違和感を感じる」に違和感を覚えるのか?



わたしの場合ですが、「カン(感)」が間を置かず立て続けに現れるため、語感的にどうしても違和感を覚えてしまうからだと思います。
単なる感覚のみならず、「違和感」とは「しっくりしない感じ」のことですから、「違和感を感じる」は「しっくりしない感じを感じる」という意味的な重言になるという理由も、むろんあります。
「感じを感じる」は、どう考えても重言でしょう。
というか、重言に関して論じる場合、これは言わずもがなの理由なので、あえて言うまでもないことと思います。
『違和感という言葉は、感じるという動作を表しておらず、何か変だなという感覚を表します。』
とのことですが、そうすると、「違和感を感じる」は「何か変だなという感覚を感じる」という表現なのだから、不自然ではない、ということですね。
一理はあると思います。むしろ、非常によくわかります。
しかし、「何か変だなという感覚を感じる」ということは、取りも直さず「何か変だなと感じる」ということを意味しないでしょうか。
そうだとすれば、「何か変だなと感じること」取りも直さず「違和感」なのですから、「違和感を感じる」は、やはり、明らかに「二重表現」と判定せざるを得ないと思うのです。
「何か変だなと感じる」をわざわざ「何か変だなという感覚を感じる」と言う。
「馬から落ちた」をわざわざ「馬から落馬した」と言う。
構造が似ていませんかね。

2.「違和感を覚える」は目くじらを立てるほどのものではない、と感じるのはなぜか?

1では色々申し上げましたが、「違和感」は、「何か変だなという感覚」という意味をすでに超越していて、「何か変だと思うこと自体」を指している、という無意識的な認識が私たちの中にあるようにも思われるからです。
つまり、「違和感を感じる」と言う場合の「違和感」の「感」は無いものとして解釈されているのではないか、という解釈。
このような感覚が無意識的にせよ存在するのなら、それを敢えて否定する必然性もないだろう、といった感覚がどこかにあるからだろう、という気がします。

3.>違和感を覚えると言い換えたところで、この場合の覚えるは感じるという意味なのですから、もし違和感を感じるが二重表現なら、何の解決にもなっていません。

なるほど。一理あるかもしれません。
ただ、言葉が違えば意味やニュアンスは微妙に異なります。
たとえ、同じような意味の語であっても、同一の語でなければ、仮に重言と評価されたとしても、特に違和感は発生しないのではないか、という気がします。
その意味で、十分な解決になるとは思いますが、検証したわけではないので、これに関しては感想を述べるに留めておきましょう。
しかし、あえて一言だけ。
たとえば「共感を感じる」は動名詞ですから、質問者さんの論理でいくと違和感があるということになると思います。
しかし、「共感を覚える」は違和感が発生しないと思うのですがいかがでしょうか。

4.>「違和“感”を“感”じる」と、“感”がほぼ連続しているからいけないとか、感覚は感じるのが当然なのだからいけないという理由なのでしょうか。

前者については1で触れましたので後者についてお答えいたします。
『感覚は感じるのが当然なのだから』ではなく、『違和感は感じるしかないものだから』と申し上げたと思います。
おそらく例外はあるでしょうが、「○○感」という熟語の宿命として、基本的にそう言えるのではないか、と思いついた、ということです。

5.>そのような方たちは、例えば「普段着を着る」「痛みを感じる」等にも、目くじらを立てていらっしゃるのでしょうか。

わたしの場合であれば、立てていません。
・普段着を着る。⇒仕舞う・買う・たたむ・縫う・着せる・デザインする、など。
「着る」以外にも様々な動作の対象となり得るからではないか、と4に関連して推測したわけです。
「痛みを感じる」が、なぜ重言の対象となるのか、よくわかりませんので、これに関してはコメントを控えさせていただきます。
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この回答へのお礼

御礼が遅くなりまして、申し訳ありません。
質問に対する真摯な御回答、ありがとうございました。

「感じを感じる」のが、なぜ「どう考えても重言」なのかが理解できないところでして、
困惑しています。
重言とは、同じことを繰り返して言うのだと思うのですが、違うのでしょうか。
“感じ”という、“モノ”を感じるというのが、同じことを言っているとは思えないのです。
字面に引きずられないように、「○○な感覚を感じる」でもやはり同じなのでしょうか。

「『何か変だなという感覚を感じる』と言う」ことについてと、2につきましては、違和感の使い方の
一例をNo.3の方への御礼に書いておりますので、御参照いただけると幸いです。

共感という言葉は、動作を表す場合も、感覚を表す場合もありますから、間違いではないと思います。

違和感がそうであるのでしたら、痛みという感覚も、同様に感じるしかないもののように思います。
(耐えたり、忘れたり等もできますよ、という次元の問題ではないと思いますので。)
「違和感は感じるしかないものだから」となりますと、「痛みを感じる」も、「感じるしかないもの」
という次元では、論理的にはいかがなものかとなってしまうかと思いまして。

失礼かとは思いましたが、いくつか思ったことを書いてしまいました。御寛恕ください。

お礼日時:2015/08/22 16:03

「違和感を感じる」



「違和感」という言葉の構造は……と考えると、むずかしい話になります。
 質問者と同様の考え方をする人も多いようです。
 詳しくは下記をご参照ください。
【「違和感を感じる」というのは間違いだと言われますが】
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question …


 当方は言葉の問題はできるだけ簡単に考えようとしているので、むずかしい話はパスします。
 重言は「誤用」ではないでしょう。
 ただ、うんと単純に考えて、「違和感を感じる」は「感」の文字が重複するので避けるべきだと思います。
 もっと微妙な例に
「被害を被る」「(消費者の)立場に立つ」「犯罪を犯す」
 などがあります。これらは重言を避けるのはむずかしいでしょう。
「違和感を感じる」の場合は、ほぼ同じ意味の「違和感を覚える」に言いかえるのが無難かな、と思います。
 厳密に考えれば、「違和感を感じる」は重言ですし、「違和感を覚える」も重言風ですが……。
「違和感を感じる」に関して、当方も質問をしたことがあります。
【「違和感を感じる」という表現についてどう思いますか。】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8931064.html
「誤用」と断定している人もいますが、根拠はないようです。

 ちなみに「普段着を着る」は微妙ですが、同族目的語(↓参照。「歌を歌う」「着物を着る」の類い)では……。ただ、「普段着を着る」は比較的簡単に言いかえができる気がします。書きかえ方は前後の文脈(これも「重言」)。「着る」を使わずに「普段着だった」「普段着で出かける」などなら自然でしょう。
「痛みを感じる」は、なぜ問題になるのかわからないのでパスします。



 重言に関して詳しくは下記をご参照ください。
【重言の話4(第1稿)】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-863.h …
 以下は一部の抜粋(これも重言)。
==============引用開始
【1】不注意もしくは無神経の例
  1)だいたい60字ぐらい
  2)古来から
  3)第1回目
  4)まず第1に
  5)1階~3階までは
 ※1)~5)に関しては下記参照。
【伝言板 板外編4──重言の話3】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-59.html

  炎天下の下→炎天下/炎天のもと
  一番最初→最初/一番はじめ
  ダントツの1位→ダントツ/断然トップ/大差の1位
  過半数を超える→過半数に達する/半数を超える
(略)

162【重言の話5──「まず第1に」「違和感を感じる」】(2010年04月17日)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1176. …
(略)


【2】重言っぽいが直せない
(略)
【伝言板 板外編4──重言の話3】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-59.html

  4)違和感を覚える?
  事前予約
  最後の切り札  


【3】動詞などによって主語などが限定されるため、重言っぽくなる例
(略)


【4】同族目的語
  着物を着る?
  旅行へ行く?
  寝言を言う?
  ひと言で言う

  歌を歌う
  走者が走る 
==============引用終了
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#5です。


重大なタイプミスがありましたので、訂正させていただきます。(理解していただいたとは思いますが、念のため)

×
2.「違和感を覚える」は目くじらを立てるほどのものではない、と感じるのはなぜか?


2.「違和感を感じる」は目くじらを立てるほどのものではない、と感じるのはなぜか?
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この言葉について、私の思ったことです。

 ちょっと見方の違う意見もあるので読んで見て下さい。ただ、私はまったくのど素人ですのでそのつもりで対応をお願いします。

”普段着を着る””痛みを感じる”は間違っていませんし、それほど汚くはありませんが、もっとよく表現しようとすれば”痛みが走る”や”痛みに襲われる”など痛みがどんな感じなのかを含めて表現することもできます。

また、”葬式に普段着を着て出席すると違和感を感じさせますか?”のような表現ですと日本語が美しくなりません。”葬式に普段着で出席すると違和感を与えてしまいますか?”というように言うほうが綺麗になると思うわけです。

私は、普段のコミュニケーションで他人の表現に対して目くじらを立てる必要はないと思っています。内容が大事ですから。一方で、その人物の表現力を察する物差しになると感じてしまいます。
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#5です。



>「感じを感じる」のが、なぜ「どう考えても重言」なのかが理解できないところでして、困惑しています。
>“感じ”という、“モノ”を感じるというのが、同じことを言っているとは思えないのです。

たしかに、「歌を歌う」「犯罪を犯す」などの場合はおっしゃるとおりですね。
これは、わたしも重言とは思いませんし、違和感も覚えません。
しかし、「感じを感じる」はどうでしょうか。
たとえば「安心感」は「不安がなく、心が安らかな感じ。」のことです。
「安心感を感じる」は、「不安がなく、心が安らかな 感じを感じる」という意味になりますが、違和感を覚えますね。
または、オリンピックで金メダルをとった選手が「快感を感じます」と言ったら・・・。
やはり、違和感を覚えるでしょう。
ただ、#5でも申し上げましたが、「違和感」は「違和を感じる」という意味上の役割を超越して、ひとつの単語として認識される場合も多いような気もします。
「~を感じる」という意味を意識しないで使えるほどに、という意味で。
そのため、目くじらを立てるほどではない、というのが私のスタンス。
しかし、わたしは使いません。
正確に言うなら、使わないように気をつけている。

>字面に引きずられないように、「○○な感覚を感じる」でもやはり同じなのでしょうか。

具体例がないと一概には断定できませんが、違和感を覚える場合がほとんどではないか、という気がします。

>違和感の使い方の一つは、例えば、空腹に対する空腹感のような使い分けかな~と思っています。
実際にお腹がすいた場合は、「空腹を感じる」ですけれど、実際にはそうではないのに、何らかの原因でお腹がすいたように感じる場合、
「空腹感を感じる」と言うような。

「何となく空腹だと感じること」が空腹感なので、胃の中に食物が実際に入っていてもいなくても、同じ場面で使えるように思いますけどね。
ただ、これも目くじらを立てるほどではない、に分類して良いという気はします。

>共感という言葉は、動作を表す場合も、感覚を表す場合もありますから、間違いではないと思います。

わかりました。
ここは、わたしが勘違いしていました。
申し訳ありません。
動作を表わさない場合にはオーケーということですね。

>違和感がそうであるのでしたら、痛みという感覚も、同様に感じるしかないもののように思います。
(耐えたり、忘れたり等もできますよ、という次元の問題ではないと思いますので。)
「違和感は感じるしかないものだから」となりますと、「痛みを感じる」も、「感じるしかないもの」という次元では、論理的にはいかがなものかとなってしまうかと思いまして。

なるほど、一理あると思います。
ただ、これは、わたしの申し上げた意図とは違います。
そもそも、おっしゃっておられるように、『重言とは、同じことを繰り返して言う』ことですし、私としても、それを否定しているわけではありません。
「痛み」と「感じる」は「同じこと」ではありませんから、全く問題はありません。
「痛み=痛みを感じること」ではないですよね。
しかし、「違和感=違和を感じること」なのですから、「感じる」と同じことだと捉えるのが自然ではないか、という立場です。

以上のようなわけで、
「違和感」に違和感は覚えるが、あえて目くじらをたてるほどのことはないと考えている。ただ、自分では使わないように気をつけている。
「普段着を着る」「痛みを感じる」には違和感を持っていない。
ということです。

因みに、「○○感を感じる」という表現は、ウィキでは、
「慣例上許容されているもの」に分類されており、さらに、その中で「すでに使用が定着しているもの」に下位分類されているようです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8D%E8%A8%80
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「違和」に調子が崩れることや周囲の状況に合わないことという意味があります。


「違和感」はしっくりしない感じ。また、ちぐはぐに思われることといった意味があります。
違和の2つ目の意味から「違和を感じる」=「違和感」ですね。
上記の一文を「違和感を感じる」へ適用すると「違和を感じるを感じる」と表現できます。
明確な二重表現ですね。
「違和感がする」が妥当な表現でしょうね。

一方「普段着を着る」の場合「普段」には状況という性質はありますが衣服としての性質はありませんので「普段"着"」の着と「”着"る」の着は意味が違い二重表現には当たりません。
「"痛み"を感じる」の場合”痛み”を変換すると(日本語ではあまり使わない表現ですが)「痛いを感じる」と表現でき「痛いを感じるを感じる」となり明確な二重表現になります。
この場合も「痛みがする」が妥当な表現でしょう。

「漢字が同じ≠意味が同じ」なので二重表現かどうかは必ずしも簡単に分類できるものではありません。

二重表現が排除された歴史は第一に「紙の無駄」、第二に「文章が読みにくくなる」という点にあります。
歴史的に紙は同面積の金箔に匹敵する価値のあるもので相手から送られてきた手紙を読み終わったら墨を洗い流して同じ紙に返信を描くといった事が行われていたほどです。
読みにくくなるという点では「違和を感じるを感じる」と書かれると1つ目と2つ目の感じるのかかる先が同じなのか別なのか判断しなければなりません。
そういった理由から二重表現は避けるべきとされてきたわけです。
一方で文学では「昔々」や「安らかに安らかに」のように意味を強調する為に二重表現を使ったりします。
さらに言葉は生き物で時代と共に変わりゆくものです。

確かに二重表現は気づき次第直した方が相手に優しい物ではありますが、ブロックされるような争い事に発展している事に違和"感"を"感"じます。
二重表現は敬語の間違いと同じで気づいた時に後からそっと「直したほうがいいよ」と伝えるような類の物であって、間違っているから即NGというものでもないはずです。
二重三重表現でも意味は伝わりますからね。
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