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某知恵袋で回答がなかったので、質問させてください。

「すべての運動には原因がある。かつ、宇宙には運動している物体がある」と仮定する。ある運動の原因にもまた原因となる運動があり、無限に原因を遡行できる。しかし、無限の因果を経ることはできないので、「運動している物体がある」ことと矛盾する。無限遡行を食い止めるには、原因のない運動が必要となる。だが、これは「運動には原因がある」ことと矛盾する。ゆえに、「すべての運動には原因がある。かつ、宇宙には運動している物体がある」という仮定は誤りである。つまり、「原因のない運動がある」か、「宇宙に運動している物体はない」か、それらいずれもである。

おかしいところがあったら教えてください。

A 回答 (17件中1~10件)

#11です


表題の「神の存在あるいは世界の非存在を証明しました」に、触れていなかったので、追記しておきます。

「無限遡行」を恣意的に禁止するかどうか?にて表題は変化しえます。
無限遡行を許可する場合、表題は「神の非存在あるいは世界の存在を証明しました」
となります。
#11ではあえて明記しませんでしたが、「宇宙を存在せしめる何か」をたとえば「神」と表現したとすれば、その「何か」を生み出した「何か」は、「神」を越える存在となります。「神は越えられるべきものではない」として「無限遡行」を恣意的に禁止することは、「神」という概念を最上位に設定しようとする意図が見え隠れしています。「無限遡行」を恣意的に禁止しなければ、「宇宙を存在せしめる何か」をたとえば「神」と表現した途端に、その「神」を生み出した(越える)「何か」が想定され、さらにその「何か」を「神」と新たに設定した途端に、さらに越える「何か」が想定されていくということです。

人間の思考の範囲内に神を想定する限り、上述の理論にからめとられてしまって「神の存在証明」を行ったつもりになっていても、裏返せば(いや、正当に論じてしまえば)「神の非存在証明」を行ってしまったということになってしまいます。

しかしながら、無理やり恣意的に「無限遡行」を禁止する必要(人間の思考を制限する必要)はありません。「無限遡行」を禁止せずに「神の存在」を否定しない方法があります。

神という存在は人間が「こうであろう」と思考しうるあらゆるものでは「ない」とすることです。神が存在しえたなら、貧弱な人智での思索の範囲内にて定義し得るものであろうはずがありません。「人智を越えた存在たるべき」です。
このような思索方法は「否定神学」と呼ばれています。

別サイトの「教えて」系に下記がありました。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question …
上記サイトでも記述されているように「言葉の神学」(すなわち論理的思考を含む人智の世界での神学、肯定神学)に神を留め置かない思索になります。
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No.15, 誤字を訂正したものです:



No.13の続きです:
質問者さんの議論が正しい場合は、次のように論理化できるでしょう。
いくつか仮定を導入します:

仮定1:ニュートン力学のように単純化された宇宙である

仮定2:ある一定以上の時間間隔δ>0があり、すべての運動が他の運動に与えるのにかかる時間はδ以上である

仮定3:時間には始まりがあり有限である

以上の仮定では、質問者さんの議論は正しく、「すべての運動には原因がある。かつ、宇宙には運動している物体がある」からは矛盾が導けるので、

「ある運動には他からの作用がない」あるいは「宇宙には運動している物体がない」

が導けます。「宇宙には運動している物体がある」がすでに実証されているので、「ある運動には他からの作用がない」が導けます。エネルギーを自ら発するもの、ビッグバンのようなものですかね、、、、。

これは、神の存在証明ではなく、「他からの作用がなく自分で動くものがある」ことの証明ですね。
あくまでいくつかの仮定の下ではの話ですが、、、。
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No.13の続きです:


質問者さんの議論が正しい場合は、次のように論理化できるでしょう。
いくつか仮定を導入します:

仮定1:ニュートン力学のように単純化された宇宙である

仮定1:かならずある一定以上の時間δ>0があり、すべての運動が他の運動に与えるのにかかる時間はδ以上である

仮定2:時間には始まりがあり有限である

以上の仮定では、質問者さんの議論は正しく、「すべての運動には原因がある。かつ、宇宙には運動している物体がある」からは矛盾が導けるので、

「ある運動には他からの作用がない」あるいは、「宇宙には運動している物体がある」

が導けます。「宇宙には運動している物体がある」がすでに実証されているので、「ある運動には他からの作用がない」が導けます。エネルギーを自ら発するもの、ビッグバンのようなものですかね、、、、。

これは、神の存在証明ではなく、「他からの作用がなく自分で動くものがある」ことの証明ですね。
あくまでいくつかの仮定の下ではの話ですが、、、。
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結局、神は存在し、世界はないということですか?

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>無限に原因を遡行できる。

しかし、無限の因果を経ることはできないので、
>無限遡行を食い止めるには、原因のない運動が必要となる。

時間を有限としても、原因となる運動から結果となる運動へ影響するのにかかる時間に、正の下限がないなら、有限の時間内でも、可算無限の無限遡行はありえます。

例えば、ある時点を0とします。運動1が時刻1秒に起き、運動1の原因となる運動2が1/2秒に起き、、、、運動kの原因となる運動k+1が1/2^(k+1)秒になりと、、、。こうして時間0の後に無限個の運動がありえます。

「すべての運動には原因がある。かつ、宇宙には運動している物体がある」状態が、有限時間内の可算無限個の運動としてモデル化されてますでしょう。単純なモデルですが、、、。

(No.11さんの回答への追加みたいなもんですが)
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他回答者さんの言われるとおり、僕も仮定がおかしいとおもいます。

2つともの仮定じたいがいくつかの証明されてない仮定をもとにされているので矛盾した結果になるのは当然です。それを矛盾しているからその反対になるはずって強引すぎです。
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「無限の因果を経ることはできない」という段階で、少なくと1つの推論が抜け落ちています。


「宇宙というものが無限遡行を許可しうる無限の過去を持つか、時間軸がループしている(たとえば円環を描いている)場合」
この場合、無限遡行は可能なので、「運動している物体がある」ことと矛盾しません。

さらに言えば、その前段階で少なくとも二つの仮説を立てておられます。一つは「物体が宇宙に対して運動しているということを相対的に認識しうる別の物体ないし認識主体が存在している」ということです。しかしながら別に宇宙内部に存在するものが複数でも1個でも今回のご質問の大勢に影響はありません。

問題はもう一つの仮説です。
宇宙に物体が1個のみであれば、運動しているかどうかすら不明になるかもしれません。有名な思考実験で、マッハのバケツというものがあります。水を入れたバケツを回転させると遠心力で水がバケツの淵にそって上昇し、中心部分がくぼみます。バケツが静止していて宇宙全体が回転している場合でも、このような現象がおこるというのがマッハの主張です。すなわち、「宇宙」という存在を想定した段階で、「宇宙全体」を運動させる何か(もっと端的に言えば宇宙を存在せしめる何か)をも想定しなければなりません。さらにその「何か」を生み出した「何か」といった具合に無限遡行が生み出されます。ここで無限遡行を禁止するのであれば、「宇宙は存在しない」という結論も採択可能となってしまいます。

この場合もまた、無限遡行を許可しうる「無限の過去を持つか、時間軸がループしている(たとえば円環を描いている)場合」であれば、「宇宙は存在する」として何ら矛盾は生じないでしょう。

そうして、このような思考はさらに上位(含意)のレベルでの思考実験で永遠に繰り返されうるものです。

最後に、別の視点での重要な仮設を考慮すべきです。
そもそも物質には多くの性質が付随しています。物質が存在することと付随する性質とは同時生起です。どちらが原因でどちらが結果ではありません。さらに、量子力学の世界では、エンタングルメント(量子もつれ)という性質があり、因果関係として捉えるべきではないEPR相関という関係があります。
すなわち、宇宙が生じた時点ないし物質が生じた時点で運動も(因果関係ではなく相関的に)同時に生じたという考え方もありだということです。
そういう意味からすれば、「原因のない運動がある」はありです。ちなみに、絶対零度では物質は静止すべきはずですが、量子揺らぎ(不確定性)のために(「一般的な概念で言うところの原因」のない)運動が常に生じているとのことです。
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"無限の因果を経ることはできないので"


    ↑
ここが誤りです。
概念と事実を混同しています。

無限てのは概念です。
現実の物理世界には、無限は存在しません。
沢山有る、途方も無く沢山ある、というだけです。

だから、概念上因果を遡ることは出来ませんが
現実には可能です。
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全ての存在は、量子的な不確定性に基づいており、無限に


詰め込むと存在確率の山が平らになって、無と等しくなる。
この「絶対無=不確定性無限」において、その無限の闇に
認識体の仮定断面の運動(プランク定数hの収束の時系列化
=物体収縮=宇宙膨張)を想定すれば、相対的に無の風は
光になり、認識体はその光の向うに、自己の補完(相補的
不確定性)としての宇宙を認識するのである。
自我仮説(記憶=時間の流れ=過去=超光速)と空間仮説
(予測=空間の広がり=未来=光速下)の相補分化。
つまり、自己存在成立のための必要として(不確定性原理
の相補性に基づく)環境は認識される。

相対性理論の4次元ミンコフスキー空間時空において、
時・空軸は虚数関係にあり、空間軸と時間軸の等距離点で
相殺され、“ゼロの面”が生じます。
それが「ライトコーン」、即ち光量子の形成する面であり、
光速以下の領域(未来)と超光速の領域(過去)を分ける
界面原点なのです。
そこにおいて全ての素粒子が、原理的に超弦(量子定常波
=光速)に還元される時、存在の依存する時空的広がり=
非光速性は、物事を階層現象表面的に(=いい加減に)捉え
る事で二次的に派生している幻想に過ぎないのだ(不確定性
原理において、確定しようとすると無限不確定に発散する
(=無)ことの回避)。
即ち、「何か有るんじゃないの?」という疑問(自我仮説)の
相補として生じた時空仮説に対して、「本当はないんだけどね」
という無の射影として、量子=存在は生じていると言える。
無いとは分からない事が有なのだ。
「神の存在あるいは世界の非存在を証明しまし」の回答画像9
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具体的な哲学(史)や固有名がないので多くの回答が出てくるかと思いますが、


私の受けた印象を率直に述べたいと思います。

論理的な展開としては、あながち間違っていないと思います。
ただし、
それはトートロジーであるがゆえの正当性であるかとおもいます。

つまり思考実験だとしても質問にあるような展開は実証性に乏しいというか、
ほぼ宗教の世界に近いとも言えます。
同じような論理展開で神を存在することもできそうです。

また「反証可能性」がないとも言えます。

具体的には<原因を遡行できる>ことはどのように行えばいいのでしょうか?
これは科学の分野でもまだまだ解明されておりません。

量子力学に「不確定性原理」があります。
これは観察するモノに対して観察者は決してそのモノを「純粋」に見ることはできないとする原理です。
例えて言うなら、水の温度を図ろうととして温度計を入れると水の温度は変化してしまいます。

ではどのようにして物事は観察していくか?

そうして取り入れられたのが確率・統計という考え方です。
詳しくは「エントロピー」などの概念を調べてもらうと分かりますが、
世界は全て確率的に成りなっていると捉えるといいかもしれません。

また「カオス」というワードも80年代に話題となりましたが、
これは決定論的な式であるのに、わずかな初期値で全く違う値が導きだされるという理論です。

つまり神がいなくてもあらゆる複雑な世界を構築できるとも捉えることができます。
そしてそれらは全て確率的に存在する。

No4さんの言うようにニュートン力学とその後の世界では
「原因」と「結果」の考え方は全く違います。

※何が言いたいかというと、
質問にあるようなトートロジーを乗り越えるために、
ニュートン力学以降の物理学が構築されたということです。

ただし、現代物理学の現状での結論はやはり「神はいない」に近いかと思われます。
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