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小乗仏教と大乗仏教ついて、他の資料や、既出の質問と回答などは読みました。
ちょっと詳しすぎて、長文すぎて、分かったような分からないような、分かったような?

ほんの、ポイントを1つだけでいいのです。
「小乗仏教は、おのれの内側から悟るもの、大乗仏教は“ご利益がありますように”の他力本願。」
これ正解ですか?

A 回答 (5件)

小乗とは小さな乗り物。

自分のみ悟ればそれでよし。
大乗とは大きな乗り物。自分の悟りを他者にも分け与えようとするものです。
故に自行化他、自利利他の教えと言われる所以です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
とても分かりやすいです。

お礼日時:2015/10/16 17:25

言い方を変えれば、小乗仏教(彼らは上部座仏教という)は、厳しい修行を積んだ


僧侶だけが救われ、庶民は彼らに功徳を施すことで多少良い因縁を得るもので、
大乗仏教は、誰でも深い信心をもって真言(マントラ)を唱えれば救われる、
というものです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
上部座仏教でも、庶民は得るものがあるのですね。
ありがとうございます。

お礼日時:2015/10/16 17:30

たぶん 「小乗仏教は“おのれの内側から”悟るもの、大乗仏教は“ご利益がありますように”と他力本願するもの」ではないと思います。


「小乗仏教は悟ることを目指す」というものでもないようです。「悟る」の意味をどう考えるのかにもよると思いますが、悟ることを願ったというのではないと思います。禅などで悟るというような意味では、悟ることを願っていたわけではないようです。【涅槃(輪廻からの解脱)に到るというようなことを願って、「如是我聞ーこのように私は聞きました」という言葉で始まる釈迦様の教えを理解しその教えを忠実に守ろうとした人々】を、後代で【自分たちを大乗と評価した人々】が小乗(あんた達の車は小さい)と呼んだようです。
【自分たちを大乗と評価した人々】やその系統の人々の中に【「ご利益がありますようにと依願する」「他力で救われることを期待する」だけで良いんだと主張する人々】も出てきますが、最初の頃の大乗と自称した人々は「自分が輪廻から解脱すること、輪廻するんではないかと不安に駆られている状態から脱却することにばかり専念して修行や戒律を守っているだけでは不十分なんだ。他人もそうした状態になっていることを考えて、輪廻や輪廻の不安、現世の辛さを他人も自分も共に脱却出来るように、苦しみ悩んでいる他人の救済に知識経験・自分が持っているすべてを尽くべきだ。私らはそうしているんだ=だから大乗だ」といったようなことを考えていたみたいです。
”他力=大乗”じゃないです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
咀嚼する時間が要りそうですが、詳しくありがとうございます。

お礼日時:2015/10/16 17:28

小乗仏教とは言わず上座部仏教と置き換えましょう。



上座部仏教では、厳しい修行を積んだ人のみが救われる。
しかし、釈迦はすべての人々を救いたかったはずである、という思想のもとに誕生したのが大乗仏教。
だから、主さんの解釈は間違っていません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
「はずである」がポイントでしょうか。
とても分かりやすいです。

お礼日時:2015/10/16 17:27

小乗仏教とは大乗仏教からの蔑称です。

ブッダ直系の悟りを目指す哲学が前者、
宗教としての生き残りのために歴史の要請にしたがって変化したのが後者です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
蔑称とは知りませんでした。
とても分かりやすかったです。

お礼日時:2015/10/16 17:26

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