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1. 法則とは 経験事象に見られる共通の要素についての規則性などが一般的・普遍的で
あると捉えたときに その普遍的な規則性をよぶ言葉である。

2. しかるに 神は 経験事象から自由な《非経験の場》である。

3. 経験的な事物が神に――人間の理性とその意志による判断で――なるとしたなら そ
こら中にうようよ神がいることになる。

4. だから 経験世界を超えている場が そうだとしたら 神である。

5. 宇宙の法則がなんで神なものか?

質問者からの補足コメント

  • ★ 宇宙の法則の中に神が取り込まれているのではない。神[・・・]に宇宙が取り込まれて
    いるのです。
    ☆ この視点に BAを。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/12/16 17:18

A 回答 (10件)

5について。

考え方の時間軸が間違っている。
宇宙の法則の中に神が取り込まれているのではない。神の法則に宇宙が取り込まれているのです。宇宙を存在させたのは、神の気まぐれなのだから、宇宙の法則は、「神の思うまま」なのですよ。つまり宇宙の法則は、普遍的でないのです。神の法則だけが普遍的です。だから、神の軌跡も、あって当たり前なのです。
一神教の人達にとっての「神」は、そういう神という事になっています。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

6. まづ ★ 宇宙を存在させたのは、神の気まぐれなのだから
☆ というように《神=〈無い神ではなく 有る神〉=〈自然神ではなく 創造神〉》説に立
つのですね。確認です。

7. ただし ★ 神の法則に宇宙が取り込まれているのです。
☆ ここで 《創造主=(属性としてでも)法則》と規定されています。

8. なぜですか? 《法則》は 規則性であるということは その方程式で示され得る内容
を神ではないわれわれ人間が認識することができるということを意味します。

9. ほんとうですか? たとえ例えば《神は愛なり》とか《神は真理である。絶対である。
無限である》等々という経験合理性にもとづく説明をしたとしても その認識内容は そのま
まが神ではありません。神を知るに到る道筋であり 神という正解のための言わば補助線です。

10. どうして神が法則なのですか?

11. ★ 神〔・・・〕に宇宙が取り込まれているのです。
☆ そりゃあそうでしょう。宇宙ないし世界を超えているのですから その神は われわれを
蔽っていたり・突き抜けていたり・接していたりしても――神の説明として――納得が行きま
す。

12. ★ 宇宙の法則は、「神の思うまま」なのですよ。
☆ あなた 神に会って来たんかいな? 神がそう言っていたんですか? 昔の講釈師のよう
な話ではないですか?

13. すべては 創造主であるならその神の思うままであるかも知れない。だが 無いかも
知れない。創造主と言えば聖書でも 人間をつくったことを嘆いている場面も出て来ます。

14. ★ つまり宇宙の法則は、普遍的でないのです。神の法則だけが普遍的です。だから、
神の軌跡も、あって当たり前なのです。
☆ (あ) 仮りに神の摂理が普遍的だとしたとしても それは そのように人間が忖度した
に過ぎません。経験合理性にもとづき辻褄は合っているということでしょう。

15. (い) 経験世界の法則性は あくまで部分的・局所的あるいは一時的だということ
でしょう。もしくは法則外について 人間の認識がまだ到達していないということでしょう。

16. (う) 《奇蹟》は その一つ一つとして そういうお話です。過去のことならそう
いう物語です。それだけのことです。ウソだと思うなら 証明して見せてください。

お礼日時:2015/12/14 10:26

何を言っているのか分からんが、


1)生硬な文章であり、外国の文献の翻訳か?
2)神を信じるものがいて、何が悪い?
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

74. 締め切りと前後して ご投稿を受けたみたいです。

75. でも お礼欄は なお書き込めます。

76. 何を回答して来ているのか 分からないが 出来るだけお応えしましょう。

77. ★ 1) 生硬な文章であり、外国の文献の翻訳か?
☆ 要らぬお世話です。

78. 趣旨説明を読んで
★ 2) 神を信じるものがいて、何が悪い?
☆ と尋ねるバカが どこにいるかと思う。

79. もうここでは やり取りが出来ないので わたしのほかの質問に もし続け
たい場合には 投稿してください。

お礼日時:2015/12/16 17:36

宇宙の法則が神だと信じているならそれはそれで神でいいんじゃないの?


なにか不都合でも?非経験の場だと信じている人はそれでもいいし。
他人に、お前の神は卑しいだの、間違いだの、邪教だのってのが世の殺戮の元凶になっとりますな。
とくにあなたは哲学で神を論じても不毛でしょ。本人が信じきっている非経験の場を否定してどうするつもりよ。
それが法則だろうがキリストだろうがブッダ?だろうが変わりはない。
実害あるカルトじゃなければなんであれその人が信じてるなら神でいいし。

そりゃそうと、私の女神はすごく神々しいですよ。お見せできなくて残念ですが。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

65. ★ 宇宙の法則が神だと信じているならそれはそれで神でいいんじゃないの?
☆ よくありません。

66. それでもよい場合というのは 神の名を――つまり普遍神の名を―― 《ウ
チュウのホウソク》という特に意味のない名前にしたという場合です。

67. 《法則》は その内容を人間が認識するものです。経験事物です。しかるに
神は 経験世界を超えています。

68. だから 名前だけは自由に イワシノアタマとでも何とでもつけていいわけ
です。

69. けれども 鰯の頭という経験事物のことを神だと言うのは ばかげているわ
けでしょう。

70. それと同じように《法則》は 経験事物なのだからです。

71. つまり《宇宙の法則》教は そのように唱えるところの神が《非経験の場》
ではないですよと ひと声かけています。

72. 怠ることなく声をかけるのは むしろ哲学のつとめであり 人間としての愛
の一環です。

73. ★ そりゃそうと、私の女神はすごく神々しいですよ。お見せできなくて残
念ですが。
☆ このお話は 文学の問題です。表現の技法を競ういとなみでしょう。哲学にはな
じみません。ということになっちょります。

お礼日時:2015/12/15 11:32

私の心配だけ、お伝えします。


あなたの論法が行きつけば、神の存在を絶対肯定する方向に向いちゃうな、と考えているんです。それは、凄くヤバい事なのですよ。
だから、お気を付け下さいね。
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この回答へのお礼

ご心配のご回答をありがとうございます。

61. いいですか? 絶対なるものについては 人間が肯定しようが否定しようが ある
いは 誉めようが貶そうが その神にとっては痛くも痒くもないのです。神については そ
こを押さえてください。

62. 非知を人間が斧で割っても刀で斬り刻んでも 何ともないのです。無限を二で割っ
ても その商はやはり無限のままです。

63. この論法を使いこなせるようになれば 神論については鬼に金棒 孫悟空に如意棒
です。

64. ご精進ください。

お礼日時:2015/12/14 17:36

51〜56.に関しては、完全にあなたの妄想だと言えます。

そういう風に思い込んでいるだけ、それがあなたの「神まがいなデベソ」なのです。 一般的では、あるでしょうけれどね。
あなたに、お尋ねしたい事はないです。あなたの「神」も「真理」も、条件ばかりの限定品なのでね。使い勝手が悪いのです。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

58. 泣きべそが聞こえます。

59. 負けてくやしい花一匁 ですかね。

60. またいつでも来なさい。

お礼日時:2015/12/14 16:40

「お前の母ちゃんデベソ」は気に入りました。

しかし、私は事実無根のデベソをあげつらっているのでは、なく。この質問であなたの定義する神は、神ではなくて、本当にただのデベソだよ、と言いたいのです。
あなたの論拠の不備の説明は、ただひとつです。「あなたの神」の存在の証明が立てようがないのは、「あなたの神」が不備だらけだからです。ただのデベソに神の名を騙らせているからです。ですので証明が立たなくて至極当然なのです。
「神議論」は本当に面白いから、読んでごらん。キリスト教の神と、イスラム教の
神は同一のものなのだけれど、この「神議論」はそれぞれ違うのですね。同じく神を発見しても、その解明は違うという事です。その中でも、特にキリスト教は完全無欠な神の証明を立てた、という事になっています。その神は「予定」の神です。あなたの「非知」問題に、果敢に取り組んでますから、あなたの興味に適うと思いますよ。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

43. そうですね。そもそもですが 《神がいるとか いないとか》あるいは《存在するしないの
証明》だとか そういった出発点ではないと こちらは申し上げています。

44. じんるいのどの言語でも 《かみ》という言葉を持っている。それは なぜか? ここから
出発します。

45. 経験世界を超えたところに想定したからだ。という答えです。

46. 概念としての説明は もう効かないのですが それでも仮りの説明はできます。《絶対・無
限;真理・慈愛・至高の善・全知全能》などです。

47. いちばんよいとわたしが思ったのは 《非知》です。これだと 反駁の余地がありません。

48. 非知なる神をおれは受け容れない(信じない)という自由はありますが そのときにも非知
なるナゾは 《受け容れないというカカハリを持つことになる》からです。このカカハリが 信仰の
ことです。

49. これで 理論として完璧であり すべてあとは説明を付け加えればよいというふうに完備し
ています。

50. 《証明》ではないのです。よく味わってみてください。

51. 救いが決まっているが人には分からないという神論(神義論ではなく)を立てたとしても
そのことがほんとうにほんとうの神に当てはまるかどうかは 人間には分からないのです。

52. 分かったら あなたは神です。人間に分かられた神は もう非知ではなく可知であり既知と
なります。経験事象――この場合は 認識事項であり概念や理念のようなもの つまり観念としての
経験事象です――となります。

53. 《非知》を知らない神学は ぜんぶアウトです。

54. もしこれぞと思う神論などがあったら ここでわたしに問うか それとも質問を立てて尋ね
てみてください。どちらにしても わたしがぜんぶお答えします。

55. イスラームは 《偶像は捨てよ》と言いますが けっきょく預言者ムハンマドの口をついて
出て来た言葉は アラビア語という人間の言葉です。つまりは そのような経験事象としての言葉を
仮りの姿(偶像)として 神の言葉が表わされたということになっています。

56. つまりは そのようなクルアーンの言葉をそのまま受け容れる(信じる)という行為は け
っきょく《偶像崇拝》となるのです。

57. 何でもお聞きください。

お礼日時:2015/12/14 16:14

よく、お読み。


神を否定出来ないと、私は回答しているのではない。
「神」というものを否定するに足るだけの、あなたの論拠が不備だらけだと、書いているのです。その大きな理由は、あなたが定義する「神」が不備だらけだからです。
あなたが自分勝手に創り上げた不備だらけの「神」にしか通用しない、あなたの否定論などは、世界には無関係なのです。
哲学には、程遠い。無様だ。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

40.  ★ 「神」というものを否定するに足るだけの、あなたの論拠が不備だらけだと、
書いているのです。
☆ ひとつに《否定》してはいません。肯定することにも馴染まないと言っています。

41. もうひとつに 《論拠の不備》を説明したタメシがまだありません。

42. 神の定義についても不備だと あたかもおまえのかあちゃん 出べそ! というか
のように叫んでいるのみ。

お礼日時:2015/12/14 13:07

神の存在を否定する事は可能ですよ。

と同時に、神の存在を肯定する事も可能なのです。理論とは、常にそういうものなのですよ。
神というものの証明をなさないと、一神教の宗教というのは成り立たない、だから神の存在を証明する「神議論」に如何なる不備もあってはならないのです。ここが、神についての面白い所だから、食わず嫌いしないで、確かめてごらんよ。
あなたは、自分が否定するものの正体を見切らずに、それを否定しようとしているから、その否定の論拠がなし崩しになるだよ。
否定する事に、責任もて。だから、頑張れ。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

29. 残念ながら 中身がありません。理由や根拠の説明が足りません。

30. ぢゃあ 神という言葉がじんるいの間に持たれている事由を述べてごらんに入れ
ます。

31. かんたんです。世界のものごとについて人間の認識の対象を 次のように分類す
れば おのづから明らかになります。

32. 神は 《非知》として説明される。

  経験事象
    可知
      既知
      未知
    不可知 (知り得ないと知り得たナゾ)
  非経験の場 (有る無しを超え因果関係から自由な場を想定)
    非知 (知り得るか知り得ないかそれが知り得ないナゾ)

33. この《非知》とわれとの関係が 《信じる》という人間の行為です。

34. その関係は 経験世界を超えた場とのカカハリであるからには 絶対的です。し
たがって おれはその非知なる神を信じない(受け容れない)と言っても それは自由で
すが その関係をまぬかれたわけではありません。

35. 《信じない(受け容れない)として信じた(受け留めた)》というのが 実態で
す。もしくは 《無い神を信じた》というのが それとしての人間の現実です。

36. この《有る神 と 無い神》とに分かれ得る神は 普遍神です。人間という人間
にとって ただひとつです。名前が違っているだけです。

37. 存在証明は出来っこないのですし 神義論もまったく必要ありません。世界には
非知なるナゾとそれに向き合うわれというカカハリがあるだけです。

38. ★ 神の存在を否定する事は可能ですよ。
☆ アサッテのお話でしょう。ひとの文章を読んでいません。

39. 《人間が 神を肯定したり否定したりする事》には人間はなじみません。非知なる
ナゾと相い向かい合うのみ。というのも 趣旨になりましょう。

お礼日時:2015/12/14 12:43

神の存在の証明は、それぞれの宗教が「神議論」をもってなしてますので、そちらをご参考下さい。

ここに法則なり規則性が明らかにされてます。
私は宗教者ではなく、単なる学問の徒ですので、神の声を聞くに足る素養はございませんが、神とは人の発明であるし、発見であるとも、考えています。ですので、興味深い。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

18. 前回につづいてお言葉を返しますが ★ 神の存在の証明
☆ は出来っこありません。

19. 神の不存在の証明もかないません。もし出来たら その証明されたという《神》は
《非経験の場》としての神ではありません。

20. 人間が神に成ったとしたら 別でしょう。成った人がいましたか?

21. ★ 神とは人の発明であるし、発見であるとも、考えています。
☆ 考えるのは自由ですし それにもとづき自己表現することもまったく自由ですが その
内容については――答責性を負うからには―― 自己によるのを含めて自由な批判にさらさ
れます。

22. つまり 《人の発明である》というご議論については 説明が必要だと言わねばな
らないでしょう。そう決まっているわけではないはずです。

23. 《神は 人の発見である》。――この命題については 複雑です。

24. たとえば(19)のように 《神は 存在するとも存在しないとも人間が証明する
ことはかなわない》と言った上で さらにその《発見》のためにはもうひとつの条件づけが
必要です。

25. すなわち 《神は知り得ないと知り得た(証明できた)》ということとしての《不
可知》でもないと明らかにしていなければならないでしょう。

26. 必ずしもあたらしい条件では じつはないのですが それでも《非経験の場》だと
いう想定のためには 《人間が何ものかを不可知だと知り得た》ものは それは 経験事象
に属するゆえ 神ではない。この確認が 必要だからです。

27. ★ 「神議論」・・・に法則なり規則性が明らかにされてます。
☆ ウソでしょう?

28. なおこの質問は 《学問の徒》としての互いの問い求め合いです。オシヘを信ぜよ
と説く宗教は 屁の河童だという前提に立ちます。

お礼日時:2015/12/14 12:01

科学的に法則を見いだし証明するよりも「神」で片付けてしまえば簡単ですしどうにでも言いようがありますからね。


「神」って便利なワードですよ。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

17. 世間話においてはでしょうね。哲学カテでは通用させてはいけないでしょう。

お礼日時:2015/12/14 11:14

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