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ヘーゲルの絶対精神がよくわかりません。

絶対精神がいずれ客観の全貌を捉えることができる、というのは荒唐無稽に思えてしまうのです。

カントが現象と物自体を分けて、物自体は理性の届かない領域としたことは、腑に落ちるのですが、
ヘーゲルの絶対精神は物自体さえも認識できるということだと思うのですが、どうしたら、こんなことが可能なのか、まったくイメージがわきません。

なぜ絶対精神はカントの言う現象界を超えて、客観(物自体)も認識できるのでしょうか?

A 回答 (3件)

ヘーゲルの絶対精神が、客観(物自体)を認識できる、というのはどこから拾いあげられましたか? 



わたしの分かる範囲では、ヘーゲルの絶対精神とは、それ自体は作用というべきものに近く、自己否定によって動的に存在するのです。
このとき、あたかもドーナツ状に、自己は在らんとする。でもどこかそれは自己の本質とは離れている。つまりドーナツ状の無となっている内側と、対象化をはたし客観となった外側が、疎外の現れにほかならない。
そうした状態で在る(有る)ということが、ヘーゲルの考える絶対精神の運動のありかたで、すべての客観は、人間の思考や活動の結果として対象化をはたしたもの、すなわち、疎外として把握される、ということになります。
このようなヘーゲルの思想は、それまで、無が欠如を意味しており、絶対者とは有ることを自らの原因に持っているのだ的な思潮であったところに、無による生産という風穴を空けたといえます。
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ヘーゲルは詳しくないので、この機会に調べました。



主体と客体があり、客体は感覚器を通して知るものですから
見た・聞いたなどの五感を使ったものですよね。
五感で受け取ったものを客観とする。

主体は、感覚を受け取るそうですから自分の意識。


例を挙げましょう。

思い浮かべてください。
localnomadさんが歩いていると、向こうから一人踊りながらこちらへ
向かって来る人が居たとします。

段々と近づいてきました。
そして、踊りながら横を通り過ぎて行きました。

で「変な人」と思いました。
変な=主観
人=客観

そう言う主観が認識できると、自分の常識や思い込み・色眼鏡などを
使って見ていることを理解できて、レッテル貼りなどを排除できます。

そうした時「踊りながら移動する人を見た」と言う全体としての
客観が認識できます。

と、言うような事じゃないかと思いました。

読むのと考えをまとめるを、10分程度でやったので
自信がある訳ではありませんので参考程度に。

誰か詳しい人が出てきたらいいですね。
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《神》のことです。



神であるなら 何でも出来るという推定が成り立つと思ってのことでしょう。

《物自体》を 擬人化したようなかたちです。行為主体として存在するというような。
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